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さらば、愛を乞う赫き怪物たち  作者: 曲直瀬トウ


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第十五話 高潔な領主、愛に囚われし暴君

 吸血鬼──その言葉を聞いた瞬間、エリシュカの胸が早鐘を打ち始める。


 アルフレートの様子を窺うと、彼もゼノの発言に動揺したのか、咄嗟に返答が出来なかったように見えた。


 エドワードはオフェリアの葬儀の場で、オフェリアが吸血鬼になる可能性があると言っていた。まさか、オフェリアが吸血鬼として蘇ったというのだろうか。そんな悪い考えがエリシュカの頭を過る。


 ──いえ、それはありえないわ。


 何故なら、エドワードの警告を受け、万が一オフェリアが蘇ったとしても棺から出て来られないように遺体に杭を打つという処置を施したのだ。


 アルフレートが心を裂かれる痛みとともに見届けたのだから、処置は完璧であるはずだ。──間違いなど、絶対にあってはならない。


「…………夜間の外出禁止令を発令する。特に年頃の娘の動向には注意を払うこと。また、昼夜を問わず、兵を村や街に常駐させ、哨戒させる」


 吸血鬼は活発に活動するのは夜だが、昼間に行動出来ないわけではないらしい。尤も、日光に晒されると身体能力が著しく低下し、その不死性すら失われると言われている。


 なお、外見が人間と区別がつかないことを利用し、社会に紛れて生活する吸血鬼も一定数いるというが、真偽は未だに不明である。


「特に夜間は誰かが訪ねて来ても、決して扉を開けないように。吸血鬼は招かれなければ、初めて訪れる住宅内部に侵入することは出来ない」


「は、はい。心得ましてございます」


「特に見慣れぬ風体の人間には注意を払ってくれ。吸血鬼は美しい容姿をしている者が多いというから、見た目に騙されぬように」


 アルフレートはそこまで言うと相好を崩し、安心させるようにゼノの痩せた肩にそっと手を置いた。


「……何か気付いた事があれば必ず兵に報告してくれ。村民たちが安心して暮らせるよう取り図ろう」


 アルフレートの言葉に、ゼノは涙を浮かべる。


「あ、ありがとう存じます……! 辺境伯様のお慈悲に感謝致します……!」


「その代わりという訳では無いが、一つ……私の頼みを聞いてくれないか」


 アルフレートの声は凪のように静かだったが、一抹の不安がエリシュカの胸を撫でた。透き通る水底を何かに踏み荒らされたような不快感に、無性に胸の辺りを掻きむしりたくなる。


「辺境伯様がこの老体を頼って下さるとは……ど、どのようなことでもお命じくださいませ」  


「婚約者に……オフェリアに贈った婚約指輪の行方が知れないのだ。恐らく……盗難に遭ったのだと私は思っているのだが──」


 ゼノはオフェリアの名を聞き、途端に気の毒そうな顔をした。


 アルフレートが婚約者を亡くしたことは周知されているが、葬儀の場で判明したことはまだ市井には広まってはいない。


 彼らの中のオフェリアは未だに清らかな淑女のままだ。


「な、何とお労しい。結婚を目前に控えてのご不幸に加えて指輪まで……さぞ無念でありましょう」


「彼女の遺品を何としても取り戻したい。とうに売り捌かれてしまったかもしれないが、やはり処分に困って指輪を投棄した可能性も否定出来ない。この村の中だけで構わないから、皆で探してはくれないだろうか」


「旦那様、それは……」


 何か言いかけたセザールだが、アルフレートは綺麗に黙殺した。


「力を貸してくれるか?」


「……お、お力になりたいのはやまやまですが……辺境伯様もご承知の通り、今は忙しい時期でして……村には手が空いている者が少なく……」


 ゼノは貴人の不興を買わぬように言葉を選び、辿々しく言い訳を並べる。


 しかし、事実、この村の基幹産業は農業と畜産なのだ。ガラ=ルミナスでは全人口の半数近く、五百名にも上る村民が農業に従事しており、数多くの農産物を産出している。それらは村だけでなく、首都や近隣住人の食生活をも支えていた。


 何よりも今は春の盛り──仕事を投げ出して失せ物探しに精を出す余力などあるはずもない。


「農業に携わっていない者たちはどうだ?」


 ゼノは申し訳なさそうに肩を落とした。


「……力を貸してくれそうな者は百名ほどしかおりません。身体が衰えた老人と幼い子供は、そもそも人手として数えることすら難しいかと……」


「百名……それでは到底人手が足りない。……やはり、皆に頼るしかない」


 いうが早いか、アルフレートはみすぼらしい老人に向かって丁重に頭を下げた。


 これにはホールにいた全員が息を呑む。セザールが慌てて制止したが、アルフレートが頭を上げることはなかった。


「皆の負担は重々承知している。だが、今回ばかりは頼まれてくれないか? ……このとおりだ」


「ど、どうか……! 頭をお上げください! 何とか皆には話を通してみますので……!」


 ゼノは遥かに高位の人間に頭を下げられて恐縮しきりである。


 返答は捜索を確約したものではないが、アルフレートはようやく頭を上げ、優しさを見せた老人に破顔する。


「よろしく頼む。この件についても、後ほど遣いを送ろう。その者から指輪の仔細について確認してほしい」


 老人は深々と頭を下げた後、その場を辞去する。少し丸くなってしまった背中を持て余したように、左右にふらつきながらも村へと急いだ。


「……何か言いたげだな、セザール。発言は許すが、手短に頼む。これから忙しくなるだろうから」


 アルフレートは老人の後ろ姿を見つめながら、最前から沈黙を守ったままの執事に声を掛ける。


 セザールは痛ましいものを見るようにアルフレートの背中を見つめている。


「……哀しみを振りかざしながら強権を振るうというのは如何なものかと。民に要らぬ労苦を背負わせれば、その恨みは必ず旦那様に返って参ります」


「それが報いと言うならば甘んじて受ける。そうなれば次の辺境伯が遠縁の中から選ばれるだろうな。……その方が民にとっても都合が良いかもしれないが」


「旦那様!」


 アルフレートはセザールを振り返り、叱責の声を一瞥で黙らせる。


「……今すぐに各所へ向けた文を認める。準備を頼む」


 セザールは苦いものを噛み締めるように口元を歪めたものの従順に頭を垂れる。


「……は。書簡はどちらに」


(ミラ=パドゥーレ)の大聖堂と、吸血鬼狩りの協会ギルドへ協力を要請する。まだ吸血鬼の仕業と決まった訳では無いが、備えるに越したことは無い」


 教会やその下請の組織である吸血鬼狩りに頭を垂れるのは軍人の矜持に悖る。


 しかし、アルフレートたちには重火器等の武力はあっても、吸血鬼討伐に関する知識や技倆に乏しい。


 殊、吸血鬼の弱点である聖水や銀製の武具の手配、吸血鬼を寄せ付けないしゅを施すと言った芸当は彼らの協力なくしては成り立たないのだ。


 セザールはアルフレートの返答に恭しく頭を垂れる。


「……まずはごゆっくりと朝食をお楽しみくださいませ。その間に書斎を整えて参ります」


 アルフレートは片手を軽く振る。


「結構だ。食欲がない。ああ……それと、兵士長に村を哨戒する兵士の編成の指示を」


「……委細承知致しました。後ほど書斎で軽く召し上がれるものをご用意致しましょうか」


「いい。構うな」


 アルフレートの痛々しい無茶を察知したエリシュカは急いで階下へと向かう。硬い靴音がホールに響き、アルフレートが驚いたように顔を上げた。


 その顔は疲弊の色が濃かったが、エリシュカの姿を認めた途端、アルフレートは優しい微笑みで全てを覆い隠してしまった。


 兄は今までもこんな風に苦労を隠してきたのだろうと、エリシュカはそっと胸を痛めた。


「おはよう、エリシュカ。……もしかして、今の話を聞いていたのか?」


 エリシュカが肯首する。アルフレートはエリシュカの無作法を咎めず、ただそうかとだけ呟く。


「それならば、話は早い。聞いての通り、村の娘が何人か行方知れずだ。まだ断定は出来ないが、吸血鬼が村の娘たちを攫ったかもしれない。喪中では出歩く機会も無いと思うが、暫くは注意をするように」


 エリシュカは口を引き結び、首を振る。


 アルフレートにとって、エリシュカは助け合う家族ではなく、ただひたすらに守るべき対象でしかないことが悲しかった。


「私は大丈夫。……それよりも兄様、食事はきちんと召し上がって。今にもお倒れになってしまいそうな顔色よ」


「……旦那様、お嬢様の仰る通りです」


 しかし、アルフレートの返答はただ一言、平気だとにべも無い。


「むしろ、仕事に追われていたほうが気が紛れていい」


 アルフレートはそう言って、踵を返す。彼の向かう先に食堂はない。宣言通り書斎に籠もって仕事をこなすつもりなのだろう。


 アルフレートの主張はエリシュカにも理解出来る。余計なことを考えずに済むのは楽であろう。心も身体もすり減らして、何もかも忘れて泥のように眠るのはある種の救いに違いない。


 だが、それでも──


「待って、兄様! お願い……ご自分のことをもっと大切にして。兄様のことが心配なの」


 不意に、アルフレートの足が止まった。それを見たエリシュカはすぐに言葉を継ぐ。


「父様も母様もサシャも──オフェリアまで亡くなってしまったのよ。この上、兄様が倒れてしまわれたら、私……私──」


 その先は言葉に詰まってどうしても言えなかった。どうしようもなく哀しい──どころの話ではない。半身を引き裂かれるような苦痛がエリシュカを襲うだろう。


「たった二人の家族なのだから、頼って欲しいの。──一人で心まで殺してしまわないで」


 きっと──とエリシュカは思う。


 きっと、オフェリアならもっと上手くアルフレートを慰められるのだろう。彼女の愛らしい人懐っこさは、エリシュカには一生手に入らないものだ。


 オフェリアは優しい笑顔で大事な人を癒し、再び立ち上がらせてしまえるような、エリシュカよりもずっと尊い人だったのに。


「──エリシュカ」


 アルフレートに名を呼ばれて、エリシュカは、はっとする。


「お前の気持ちはとても嬉しく思う」


 だが、とアルフレートは低い声で言う。


「私よりも自分の心配をしろ。今にも倒れそうな顔色と言うなら、お前も決して負けていない」


「え……」


「朝食をとったら、今日は休むといい」


 アルフレートは不安で曇った妹の顔をよく見ることもなく、今度こそ去っていく。


 エリシュカを振り返る事はただの一度もなかった。ただの一度も──

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