表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
さらば、愛を乞う赫き怪物たち  作者: 曲直瀬トウ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

13/66

第十三話 悪夢は糾える縄のごとし※

可能な限りぼかしてますが、人体損壊の描写があります

 ──エリシュカ?


 優しい声が聞こえる。風に揺れる鈴蘭にも似た優しい響きに、エリシュカは微睡みから僅かに浮上した。


 優しく肩を揺さぶられたせいで、エリシュカの覚醒は近い。だが、まだこの揺籃に揺らされていたい一心で、頑なに瞼を鎖し続ける。


 ──ねぇ、エリシュカ。起きてちょうだい。


 名前を呼ばれてエリシュカが目を開けると、視界には黒い表紙の分厚い日記帳が飛び込んできた。


 行儀の悪いことこの上ないが、日記帳をうたた寝のお供にしていたらしい。


 窓から見える空にはまだ日の出の橙の光が濃く滲んでいて、エリシュカはつい先ほど夜明けを迎えたばかりなのだと理解した。


 ──私……葬儀が終わって……日記を書いて、そのまま寝てしまったのね。


 喪服を脱いだエリシュカは、生成りのモスリンドレスにショールを羽織っただけの寛いだ出で立ちである。


 薄手の生地のドレスの軽やかさに反して重い身体を引きずるように起こして、微睡みを恋しがる目を擦った。


 しかし、横目に目の覚めるような美しい少女が立っていることに気付いて、エリシュカは息を呑んだ。


 少女が持つ銀細工のように繊細な髪を、エリシュカはよく知っている。


「オフェリア……?」


「エリシュカったら、日記を書きながら寝てしまったの? 風邪でも引いたらどうするつもり?」


 オフェリアはまだ何事か小言を言っていた気がするが、エリシュカの耳には届いていなかった。


 椅子を後ろに倒す勢いで立ち上がると、オフェリアの頬を両手で包んで顔を覗き込み、怪我の具合を確認する。


「オフェリア、貴女っ……! 身体は大丈夫なの……?!」


「ちょ、ちょっと……エリシュカったら、どうしたの? まさか、まだ寝ぼけているの?」


 エリシュカは苦笑を浮かべるオフェリアの両手を握り締め、その身体をまじまじと検分する。


 オフェリアは春にふさわしい、明るい青のサテンドレスを身に纏っていた。細やかな金糸の縁取りとフリルを多用したデザインは女性らしいオフェリアにとても良く似合っている。


 そこにエリシュカが恐れたような血や災禍の痕跡はない。


 不意に、エリシュカの指に硬い何かが触れる。エリシュカが己の手を覗き込むとオフェリアの左手の薬指に燦然と輝く指輪を見つけた。


 指輪の腕はオフェリアの細い指に合わせたように華奢ではあるが、精緻な月桂樹の彫金が施されており、職人の腕の高さが見て取れる。


 指輪は純金に銅が混ぜてあるのかほんのりと赤みを帯びており、石座には大粒の金剛石が嵌め込まれている。美しく研磨された多面体が窓辺から注ぐ朝日を受け、複雑な形の光をぎらりと放っていた。


 しかも、この指輪一つが四頭立ての馬車(キャリッジ)よりも高価だという。その事実一つとっても、アルフレートがどれほどの愛情をオフェリアに注いでいるのか分かるというものだ。


 オフェリアはエリシュカの視線に気付いたのか、少し気恥ずかしそうにはにかむ。


「……そんなに見つめて……この婚約指輪がどうかしたの?」


「それ……兄様がオフェリアに贈った婚約指輪よね?」


「そうよ。私、いよいよ明日アルフレート様の妻になれるの。本当に夢みたい……」


 オフェリアは頬を染める。朝露に濡れた薔薇のような色は彼女の白い肌によく映えた。


 頑是ない少女のように輝かしい結婚を語る彼女は、本心からアルフレートとの結婚を望んでいるように見える。


 エリシュカの手からゆるゆると力が抜けていく。しかし、同時に、冷えきっていた指先に徐々に熱が通っていくのも感じていた。


 ──あぁ……夢だったんだわ。何もかも。


 結婚式の前夜、不幸にして命を落とした少女などいなかったし、オフェリアはアルフレートとの婚姻を心から望んでいた──全ては正しい形のまま、何も壊れてなどいなかったのだ。


 ──でも、オフェリアは赤いドレスを着て大聖堂へご挨拶に伺ったはず。……あれも全部夢だったのかしら。……いえ、きっとそうよ。


 エリシュカが深い安堵に浸っていると、オフェリアがくすくすと小さく笑った。


「本当にどうしたの? 何だか、あなたのほうが結婚前で情緒不安定な花嫁みたいよ?」


「もう、からかわないで! 結婚どころか、婚約している相手だっていないのよ?」


「……本当に? 気になる殿方もいないの? エリシュカのことだから、デビュタントでもたくさんの男性に話し掛けられたんじゃない?」


 オフェリアは小鳥のように小さく唇を尖らせる。

 年上のオフェリアのその仕草が可愛らしくて、エリシュカは軽く吹き出してしまった。


「まさか、そんなわけないでしょう」


「本当に……?」


「ええ。こんなことで嘘なんかつかないわよ」


「……よかった! じゃあ私はまだエリシュカと一緒に暮らせるのね?」


 オフェリアはほっと胸を撫で下ろした。


 オフェリアはアルフレートと結婚後、辺境伯夫人としてヴィスコル城に住み続けることになる。そして、エリシュカが結婚して別の家門に嫁入りするまでは家族として同じ城で生活を共にするのだ。


 新婦は義理の家族と同居することを嫌がるものだが、オフェリアは随分とおおらかなものでエリシュカと同じ城で暮らせる事を楽しみにしているようだった。


「私ね、エリシュカと一緒にお買い物や旅行に行ってみたいわ。ずっとそう思っていたのよ」


「……ええ、いいわね。でも家族旅行の前に、まずは兄様との新婚旅行でしょう? 楽しんでちょうだい」


「……アルフレート様に内緒でエリシュカを連れて行ってはダメかしら?」


 エリシュカは目を丸くしたが、茶目っ気のあるオフェリアの顔を見て冗談だとすぐに気付いて笑う。


「……本当にお可哀想な兄様。オフェリアは一体誰と結婚すると思っているんだ? って嘆いていらしたわよ?」


「……だって……アルフレート様と二人きりになると、胸が詰まってうまくお話し出来ないんだもの……」


「まぁ、ご馳走様!」


「エリシュカったら! 私は本気で悩んでいるのに……!」


 二人はどちらからともなくくすくすと笑い合う。

 

 ──あんな酷い夢、早く忘れてしまおう。


 優しいオフェリアにあんな悪夢は似合わない。優しい現実こそ、彼女の生きる場所なのだから。


「ねぇ、エリシュカ。後でお城の庭園を見に行っても良い? 今日はきっといい天気だわ」


 オフェリアは無邪気に言うが、エリシュカは首を傾げた。


「それは……私は構わないけれど、式の前日にのんびりしていて大丈夫?」


「大丈夫よ。式の準備は色々人が助けてくれたから、もう終わったもの」


 エリシュカは釈然としないものを感じながらも、ベッドから立ち上がる。


「ドレスを着替えるから、応接間で待っていてもらえる?」


「分かったわ。急がなくて良いからゆっくり来てちょうだい」


「ええ。……そうだ……どうせなら兄様も誘ってみようかしら」


 エリシュカはぽつりと呟く。


 アルフレートも新郎として準備するべきことが多々あるものの、優秀な家令と執事がついているのだから、三人で休憩を挟む時間くらいは確保できるはずだ。きっと、独身最後の語らいに花が咲くに違いない。


 エリシュカが着替えのために侍女を呼ぼうとベルに手を伸ばしたその時、オフェリアがその手をきつく掴んだ。


「──待って」


 オフェリアの感情を削ぎ落とした冷たい声音に、エリシュカは肌が粟立つのを感じた。先ほどまで漂っていた安穏とした空気までもが、冬浅い早朝の頃の、皮膚を裂くような冷たさを帯び始めている。


「エリシュカ、お願い。行かないで」


「オフェリア……どうして? 兄様にお会いしたくないの?」


 オフェリアはしばし逡巡したように俯いていたが、やがて小さく頷いた。


 それは、エリシュカにとって半ば裏切りを告白したようなものである。


 明日、エリシュカはオフェリアの義理の妹になる──そんな立場すらも忘れ、エリシュカはオフェリアの手をきつく払い除けた。


「……何故、今になってそんな事を言うの……? オフェリア、貴女まさか……」


「──だって、私……今更あの方に合わせる顔がないのだもの」


 オフェリアは何もかもを諦めたように微笑む。


 その瞬間、オフェリアの美しい顔に大輪の赤い花が咲いた。


「えっ…………?」


 後を追うように幾輪もの蕾が生まれ、息衝く間もなく狂い咲いていく。それはあっという間にオフェリアの美しい顔を埋め尽くし、赤い蜜を流し始めた。


 少し粘り気のある液体が青いドレスを赤黒く汚していく。まるでオフェリアが出血しているようだった。


 オフェリアは甲高い悲鳴を上げ、頭を抱えながら悶え始める。


「痛い……痛いわ! エリシュカ……どうして?」


 オフェリアはゆっくりと膝から崩れ落ち、床に倒れ伏した。


 駆け寄ろうとしたエリシュカを、赤い蜜から匂い立つ甘い芳香が阻んだ。同時に、錆び付いた金属のような臭いが漂ってくる。まるで血のような、むせ返るような臭気だった。


 エリシュカは上手く息を吸うことが出来ず、その場に立ち尽くしていた。


 人を呼ぶか、せめて手当てをしなければならないと分かっているが、頭の冷静な部分が囁くのだ──"あれ"はもう、手遅れなのだ、と。


 耐えきれずにエリシュカが目を逸らした瞬間、何かを思い切り砕いたような、がつんと鈍い音が鳴り響き──それきり、オフェリアはしんと動かなくなった。


 エリシュカは恐る恐る現実に向き合い始める。


 美しい少女の命を吸い尽くした花はどす黒く枯れ落ち、オフェリアの死に顔が露わになった。そこには既に"人"の面影は無い。熟れて弾けた"何か"だった。


 エリシュカはついに悲鳴を上げた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ