第十二話 凶王ザハリアーシュの遺詔※
遺体損壊の表現があります
エリシュカが閃き、アルフレートが補完した推測がもっともらしく聞こえたのか、子爵夫人は光明を見出したかのように表情を明るくした。
失われた命が戻ることはない。しかし、少なくとも、不貞の末の自裁という不名誉からオフェリアを守ることならば出来るはずだった。
だが、エドワードはすまなそうに表情を硬くした。
「……その主張は一理あります。説得力もある。……しかし、やはり全てお二人の想像に過ぎません。上層部の結論を覆すことは出来ないでしょう」
それを聞いたアルフレートの表情に影が落ちる。結局、兄を徒に傷付けるだけに終わってしまったことを、エリシュカは既に後悔し始めていた。
そんなエリシュカを気遣うように、エドワードは一つの抜け道をぽつりと口にする。
「……せめてオフェリア様の指輪さえ見つかれば──現場の状況や目撃情報などから、指輪を持ち去った人間を突き止めることも出来るでしょうが」
「……本当ですか?」
「ええ。窃盗や占有離脱物横領の可能性は否定できませんから、取り調べが可能ではあると思います。うまくいけば、オフェリア様の最期の様子について知ることも出来るでしょう。しかし……」
言い淀んだエドワードに代わり、アルフレートが彼らの前に横たわる残酷な現実を指摘する。
「……オフェリアの件については官憲は自裁と断定し、追加の捜査が行われることはない。つまり、指輪の捜索も行われない。だから、指輪が見つかるのを気長に待つより他はない……そういうことだな?」
「……ええ。お力になれず申し訳ありません」
その時、それまで皆の話に耳を傾けているだけだった夫人が、おずおずと口を挟んだ。
「もし、私《遺族》が指輪が盗まれたかも知れないと訴えれば──例えば、盗難の被害届を出せば婚約指輪を探していただけますか?」
エドワードは少し考え込むように顎に手を添える。
「……上層部はオフェリア様が自ら処分した可能性が高いという認識ですので、受理は難しいかと。……しかも、たとえ受理されたとしても、事件から日が経ちすぎています。見つかるかどうかは……」
夫人は息を呑む。被害届がそもそも受理されないという事態を想像すらしていなかったようだった。
「そう……ですか。でも、私たちの自業自得だもの……仕方がないわね」
夫人の啜り泣きを皮切りに、どうしようもない空気が祭具室に満ち始めた。
オフェリアの真実を突き止めることを誰も諦めていないというのに、何もかもが上手くいかないのは何故だろう。
拭いきれない無力感がしつこく纏わりついて、それまで気丈に振る舞っていたエリシュカでさえも、ついに項垂れてしまった。
「その上で、警部補として皆様にお伝えしなければならないことがございます」
エドワードの硬い声色に、エリシュカはびくりと肩を震わせる。これは絶対に良くない報せだという確信があった。
──いや……聞きたくない。
エリシュカはこの場から逃げてしまいたい衝動に駆られて、震える足で一歩下がる。
黒い靴が祭具室の床を踏み締めた途端、床はぎちりと大きな音を立てた。歪で耳障りな雑音はエリシュカの怯懦を責めているようで、結局エリシュカはそれ以上動くことが出来なくなってしまった。
そして、ご存知のこととは存じますが、と前置きして、エドワードは語り始める。
「この国では凶王ザハリアーシュの呪いにより、我々の遺体は常に吸血鬼化の脅威に晒されています。よって、オフェリア様のご遺体をそのまま埋葬させる訳には参りません」
凶王ザハリアーシュ──それはかつて全ての吸血鬼を従えていた王の名前だ。凶王というのは当時の人々が畏れを持って与えた諡号である。
ザハリアーシュ自身は三百年もの昔、三賢人と呼ばれた英雄達によって既に討ち果たされている。だが、ザハリアーシュはその死の間際、ある不吉な言葉を遺していた。
曰く──人の仔の冥き感情が死と魔に魅入られし時、その身体は夜叉の力をもって蘇るべし──と。
この"遺詔"が呟かれたのと時を同じくして、とある国の戦場で、数多の死体が活発に動き出し、敵味方の区別なく人間を襲いかかるという凄惨な事件が発生したのである。
結局、死者による暴動は鎮圧に三日を要し、更に多数の死傷者を出すという最悪の事態を招いた。
余りの死者の多さに処理が追い付かず、遺体を燃やして蘇生を食い止めるしかなかったというのだから、遺族の無念は言うまでもない。
しかし、最初の事件から十年が過ぎる頃には、全ての人間が吸血鬼になるわけではないと皆が気付き始めていた。
吸血鬼になるのは、ザハリアーシュの遺詔通り──自裁者、私生児、殺人などの重い罪を犯した者、きちんと埋葬されなかった者など──生前に罪を犯したり、未練や深い恨みを遺した者たちばかりだ、と。
「ザハリアーシュの遺詔で言及された者の範疇に──片思いの末に未婚のまま亡くなった女性も含まれています。……過去には同様の事案もあります」
「……オフェリアは不貞をするような、そんな人間ではありません」
エリシュカは硬い表情のまま反論する。エドワードは嫌な顔一つせずに、エリシュカを見て頷いた。
「ええ……お嬢様は我々の出した結論に対して、臆することなく反論し、別の可能性を示しました。そのことは敬服に値します。しかし、貴方がたはいかがです? エリシュカ様のように、絶対にオフェリア様が吸血鬼化しないと言い切れますか」
エドワードに厳しい視線を向けられたラザレスク夫人とアルフレートはしん、と押し黙る。
為政者やそれに近い者ほど、絶対などという言葉を使いたがらないものだ。エドワードはそれを知っていながら問いかけているに違いない。
「……例えほんの僅かでも彼女が吸血鬼になる可能性があるのなら、国民の安寧のため、官憲としては見過ごせません」
ですから、とエドワードは子爵夫人を、そしてアルフレートを順番に見る。その瞳には警部補の厳しさと一人の人間としての苦悩がないまぜとなっていた。
「……ご遺族には酷な話となってしまいますが、万が一オフェリア様が吸血鬼となっても、棺から出てこられないように特殊な処置を施して頂きたいのです」
エリシュカは弾かれる様に頭を上げ、エドワードの腕に縋り付く。
「そっ……! それだけはだめ……! お願い、やめて!」
それは、血反吐を吐くような叫びであった。
エリシュカがこれ程まで取り乱したのには理由がある。
辺境の村では、不幸にして旅の途中で命を落とした者や、身元の定かでない遺体が見つかることが珍しくない。
そうした遺体は吸血鬼として蘇らないよう、速やかに回収され棺に納める手筈となっている。そして、白花を手向ける代わりに大鎌や石、杭などを顔や胸、四肢に打ち付けるのだ。
神の名の下に行われた暴力は確かに人々を守るための楔となったが、その過程で潰えたり、砕かれたものの痛みを、エリシュカは見て見ぬ振りをすることが出来なかった。
「お願い……! これ以上オフェリアを傷付けないで!」
しかし、そんなエリシュカの甘さをアルフレートは許さなかった。彼はエドワードからエリシュカをそっと引き剥がし、黙って首を横に振った。
「エリシュカ……エドワードは悪意があって残酷な事を言っているわけではない。全ては生きている人々を守るために必要なことだ。……あまり彼を困らせてはいけない」
聞き分けのない子供を諭すような態度に、エリシュカはさっと顔を赤らめる。
──一番辛いはずの兄様と夫人が何も仰らないのに……私、本当に子供みたい。
「……本当に申し訳ございません……!」
「エドワード? 一体何故……いや、とにかく頭を上げてくれ。先程も言ったが友に頭を下げさせるのは気分が良いものではない」
アルフレートはエドワードに頭を上げさせようとしたが、彼は頑なに拒んだ。
いや、とエリシュカは心の中で訂正する。今のエドワードは恐らくアルフレートの顔を正面から見ることが出来ないのだ。
「辺境伯閣下が見初められた方の名誉が傷付けられたというのに、何もお力になれず……! せめて形見である指輪は、個人的に探し続けたいと思っております」
アルフレートはエドワードの真心に瞳を和ませるものの、ゆっくりと頭を振る。
「……謝らないでくれ。その言葉だけで十分だ。私と夫人、エリシュカばかりでなく、君や侍女が信じてくれるのなら、彼女もきっと……きっと……」
アルフレートはそこまで言って、言葉を詰まらせる。もはや、今のアルフレートは不用意に触れれば石英のようだった。
エドワードはゆっくりと面を上げ、辛そうに微笑むアルフレートを見据える。
「いつか友が──アルフレートが心に翳りを落とすことなく彼女を悼み、褪ることのない想い出に涙を流せる日が来ることを……私は一人の人間として切に──切に祈っている」
やにわに、ひたひたと雨滴が窓を叩き始めた。外の景色が歪にぼやけていくのを見ながら、エリシュカは嘆息する。予報にない雨は、全てが遅きに失したエリシュカたちを責めているかのように、葬儀の終わりまで降り続いたのだった。




