第十一話 自裁
結局、子爵の身柄はエドワードの増援要請に応じた官憲に無事引き渡されることとなった。
子爵は貴族という立場もあり、手枷などは免除されたものの、官憲にしっかりと両脇を固められたまま祭具室を後にする。
果たして、大人しく連行された子爵に実の娘に対する後悔や自責の念はあったのだろうか。今となっては知る由もない。
「あ……」
不意に、祭具室の窓に薄暗い影が差し込み始めた。エリシュカが顔を上げると、分厚い雲の層が青空を徐々に食らい尽くしていく所であった。
エリシュカが今朝軽く目を通した朝刊には雨の予報はなかったが、空の機嫌は秋でなくとも移ろいやすいものである。
──もしこのまま天気が崩れてしまえばオフェリアの棺は雨晒しになってしまうかもしれないわ。
その事に気付いてしまえば、もはやエリシュカの頭を占めるのはオフェリアのことだけだ。
父親から酷い仕打ちを受けたオフェリアがこれ以上に辛い目に遭うのは余りにも哀れだ。せめて暖かい陽射しに見守られながら眠って欲しい。
夫人もエリシュカと同じ事を考えていたのか、エドワードに控えめに声を掛ける。
「あの……警部補さん? もうお話はよろしくて? そろそろ娘を眠らせてあげたいのだけれど……」
エドワードは、少し気まずそうに首を振る。静かに夫人を見つめる瞳には、いつの間にかあたたかな同情の灯が点っていた。
「いえ──申し訳ありませんが、ここからが本題なんです」
「…………え」
思いも寄らないエドワードの返答に絶句する夫人に代わり、アルフレートが青い顔で口を開いた。
「……そうか。官憲は、オフェリアが政略結婚だと割り切ることすら出来ないほどに私との婚姻に追い詰められていたと判断したのか。……だから、彼女は──」
頭を抱え言い淀むアルフレートに、エリシュカはそっと近付く。頼りがいのある辺境伯の背中が今はとても小さくなっているのが泣きたくなるほど悲しかった。
「兄様、違うわ、絶対に誤解よ。あのオフェリアが兄様を裏切るわけがないでしょう?」
しかし、アルフレートはエリシュカから気まずそうに顔を逸らした。オフェリアを信じたいが、信じきれない──そして、そんな自分を恥じているように見える。
エリシュカは兄のそんな態度に驚き、胸を衝かれた。
婚約指輪が失われたという事実は、それほどまでに残酷なのだ。エリシュカの言葉やオフェリアとの思い出すら、僅かの慰めにもならないほどに──
「……おふたりの、オフェリア様を信じたいというお気持ちはよく分かります」
静かに声を上げたのはエドワードだった。
「確かに、指輪が短時間の間に現場から消えたことは不可解です。しかし、外部からの侵入の痕跡がなく、ラザレスク家の皆様は使用人も含めて現場不在証明があることから、他殺の線はほぼ考えておりません」
そして、とエドワードは無念を堪えるように眉を寄せた。
「事件性がない以上──オフェリア様の件でこれ以上捜査を行うことは出来ないのです」
そんな、と悲鳴じみた声を上げたのは子爵夫人である。
子爵夫人はよろめき、それをアルフレートが咄嗟に支える。
「そ、それではオフェリアは……」
「上層部はオフェリア様が自ら婚約指輪を外し、外に投げ捨てるなどして処分した後、自ら身を投げた──自裁だと結論付けました。未だに指輪が見つからないのは、たまたま第三者が見つけて拾得した可能性が濃厚ではないか、と──」
アルフレートは痛みを堪えるような顔でその言葉を聞き届けると、天井を仰いで息を吐いた。アルフレートの中に渦巻く、やりきれない怒りや悲しみを吐き出しているのだろう。
だが、兄のそれは恐らくオフェリアに対する怒りではない。
官憲の推測が正しかった場合、オフェリアを死に至らしめた原因はアルフレートにある。彼は自身の至らなさを悔いているに違いない。
エリシュカは堪らずエドワードに縋り付く。
「お待ち下さい……! ククタはオフェリアが兄との結婚を楽しみにしていたと証言したのですよね? それなのに、兄との結婚が嫌だった、なんて理屈は通りません!」
エドワードは気の毒そうに眉を下げ、一瞬だけアルフレートの顔色を窺うようにそちらに視線を寄越した。
「……ええ。しかし、元侍女は『お嬢様は結婚で家から離れられることを喜んでいた』とも証言しています」
つまり、と、エドワードは苦渋の表情で続く言葉を口にする。
「……オフェリア様の目的は生家からの脱出であり、婚姻はそのための手段に過ぎなかった。しかし、土壇場になって閣下以外の男に気を許してしまったとしたら──」
だが、オフェリアは大っぴらに動くことは出来なかったはずだ。何故ならば、辺境伯と破婚になったと噂になれば、ラザレスクにも意中の男にも迷惑が掛かるからだ。
のっぴきならない状況に苦しんだオフェリアは思い余って──というのが官憲の描いた筋書きのようだ。
「無論、可能性の話ではありますが、それを否定するだけの証拠がどこにもない状態です」
「でも、でも──オフェリアが自分の意志で外したという証拠もないはずです。その場に居合わせた第三者が彼女の指から抜き取った可能性は……」
「ないとは言えません。しかし、やはり推測の域を出ません。……残念ですが」
エリシュカは、あちこちに視線を彷徨わせて反論の糸口を探す。そして、天啓を受けたかのように、かっと目を見開いた。
──反論の余地はあるわ……一つだけ。
エリシュカはちらりとアルフレートを窺い見る。これから話す事は恐らく兄を傷付けるだろう。
だが、エリシュカは言わなくてはならない。兄のためにも、オフェリアのためにもだ。
「……警部補さん、仮に貴方がたの言う通り、オフェリアが兄との婚姻を拒絶するために自裁を選んだのだとしましょう。……けれど、こういう場合、彼女には自裁よりも優先して行わなければならないことがあります。しかし、それが今回、何一つなされていないことにお気付きですか?」
「大事なこと……?」
エドワードは考え込むように微かに天井を仰ぐが、思い当たる回答はない。しかし、不意にアルフレートがエリシュカを見つめ、そうか、と呟いた。
「……こういう場合、指輪はその場に存在しなければならない。絶対に失われていてはならないものだ」
「あの……どういう……?」
ラザレスク夫人がそっとアルフレートに話しかけ、説明を求める。アルフレートは自嘲のような笑みを浮かべた。
「オフェリアが本当に私との結婚を拒んでいたのなら、その決意を私やエリシュカ、ご家族に伝えるはずです。指輪を外したとしても、必ず目立つ場所に置くでしょう。その上で、置き手紙を添えるか、使用人に遺言を託すはずです」
何故なら、とアルフレートは苦しげに言葉を紡いだ。
「彼女が口を噤めば、自裁へと至った覚悟のほどは誰にも伝わらず、結果、オフェリアは哀れな花嫁として──実質的な私の妻として葬られることになるでしょう。……私との結婚を死ぬほど嫌がっていたというのが事実ならば、彼女にとって、それはとても屈辱的なことだとは思いませんか?」




