4:花壇を作ってみる
花の名前が出てきます。現実の花と全く違うと想像もつかないと思い、少しだけ名前を変える程度の名前になりました。夏やなぎは春菊です。これらは今回と次回だけで、もう出てきませんのでお見逃しお願いいたします。
翌朝、泣きはらした目の僕を見て、トマスは顔をしかめ、ベッドに座っている僕の顔に濡れタオルを押し付けた。
「なんて顔をしているんですか、伯爵令息ともあろう人が、みっともない! 全く、夕食も取らずに閉じこもったと思ったら!」
「……」
「そんな顔で朝食の席に座るつもりですか? 冷やして少しはましな顔にしてくださいよ。怒られるのは僕なんですからね!」
3歳年上の侍従のトマスは、3年前までは僕との仲も良くいつも笑っている、乳母の息子だった。僕も兄と慕っていたのだが、2年前からはいつも目を吊り上げて怒っている。原因は僕らしいけれど。
最近は何でこんな人の従者になってしまったんだか、と愚痴を言いながらも、でもやめようとはせずにいつもそばにいてくれる。でも僕は意味も分からず叱られるから、そのたびにビクビクするようになってしまったのだけれど、原因が分かったからもう恐れることはしない。
文句を言いながら僕の顔に押し付けているタオルだが、その手はやさしい。この辺が妙なのだが、乱暴にされるよりはいいだろう。
しばらくして冷たさを感じなくなったと思ったら、タオルが外された。厳しい顔で僕の顔を見分して、まあいいでしょう、と離れていった。僕は自分でベッドを降りて、トマスに手伝ってもらいながら着替えなどを済ませ、食堂へ赴いた。
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「庭に自分の区画が欲しい?」
「はい。広くなくていいので、自由に使える区画が欲しいです」
朝食が済み、デザートが出てくるタイミングで僕は父親に話しかけた。口調は乱暴に聞こえているかもしれないが、いつも内容は伝わっている。
その僕の提案に母も妹も、トマスもアーサーも目を丸くしている。もちろん父親も。
「今度は何をやらかすつもりなんだ? 落とし穴でも掘るのか?」
「花を植えたいと思います」
「……花?」
「はい。種類は庭師と相談しながらになりますが」
「毒をもつ花でも植えるのかしら? 部屋に持ち込まれたら気を付けないといけないわね」
「お母様、それはいくら何でもないと思いますぅ」
母と妹が会話に入ってきた。毒という言葉に全員が僕をにらみつける。
「その危険のないものを庭師に選んでもらいます。お父様からもそう庭師に伝えてもらえれば」
「当然だな。お前の植えたものはすべて確認させてもらう」
「はい」
僕は頷いて手元の果物を口に入れた。
「まあいいだろう。好きにしろ。アーサー、適当な場所を見繕ってやれ。庭師にも植える物の種類はすべて報告させろ」
「かしこまりました」
「ありがとうございます、お父様」
僕は頭を下げて、ナフキンで口を拭い、席を立った。
「お先に失礼します」
両親に頭を下げて部屋を出る。いつもしているが、必ずトマスから行儀が悪い、態度が悪いと怒られる。これはマナー違反なのだろうか。食事は終わっている。父親が退席するまで待った方が良いのだけれど、このままここに居ても僕に対する『注意』という名のいわれのない説教を喰らうだけだ。それに全員が食べ終わっていれば退席しても問題ないと家庭教師に教わった通りにしている。それなのになぜ怒られるのかとと悩んだものだが、もう悩まない。今日からは自分のやりたいとおりにやるのだから。
昨日じっくりと考えて、僕は断罪が起きる前に家を出たいと考えた。とはいえ貴族令息のまま飛び出ても、生活の知恵など何もないから生きていけない。その為には手に職を付けたい。
でも誰かに弟子入りするような技術系は、僕の立場では難しい。だったら一人で生活できる知恵を身に付けよう。例えば本で読んだ、自給自足の生活。どこかの森の中で、ひっそりと暮らしていければいい。その為には食べ物、狩猟もだけど、野菜を育てる知識が不可欠だ。しかしいきなり野菜を育てたいと言っても認めてもらえないだろう。
その時に、昔育てた鉢植えを思い出した。あの時は楽しかった。ああやって自分が育てたものを眺めていると気持ちが落ち着く。そうだ、きれいな花ならば、自分だけでなく皆の心も少しはなごませられるかもしれない。
一度だけ父と妹と訪れた魔法研究省。父と妹が聖女の件で研究省の人と話し合いをしている間、僕は図書館で待っていることにした。とても大きな図書館で、しかしその隅で僕は埃をかぶった古そうな本を発見した。そこには花の育て方などが書いてあって、育っていく過程の絵など、初めて見る世界に僕はワクワクしたものだ。
あれを体験出来たら面白そうだ。将来的には野菜を植えたいけれど、花の方が初心者向けだろうし、説得しやすいだろう。いきなり野菜を育てたいと言ったって、そんなものは本職に任せておきなさいと言われるに決まっている。花なら育ててみたいと言ってもおかしくはないだろうと考えた。まさか毒をもつ植物を植えると疑われるとは思わなかったが。僕自身花に詳しいわけではないから、種類は庭師に任せれば大丈夫だろう。ちなみにあの本は、今は僕の部屋の机の引き出しに眠っている。気が付いたら部屋にあったのだ。持ち帰った記憶はないのだが。
「トマス、このまま庭に行けば庭師に会えますか?」
「勝手な事ばかりしないでくださいよ! まあどこかには居ますから、ちょっと探してきます。その間部屋にいてくださいよ」
「それなら図書室にいます」
「ああそうですか! 勝手にしてください! そこから動かないでくれればいいですよ」
図書室は食堂のある1階の突き当りにある。うちも結構な数の本がそろえられていて、僕は皆に怒られて外出禁止になった時などに利用している。まあほぼ毎日だ。ここに植物関連の本もあったはずだ。図書室には専門の使用人がいるからその人に聞けばいい。
トマスと別れて図書室に入り、司書を探す。彼に植物関連の本の置き場を尋ね、案内してもらう。植物の育て方、植物図鑑などが5冊ほどあった。それらを取ってもらい(手が届かないので)、読書スベースまで運んでもらって、椅子に座って本を広げる。
今まで埃だらけの本など忘れていたくらいだから、全く知らない世界だ。たがやす、とは何だろう。庭師に聞けばいいか。知らない言葉だらけの本をめくりながら、僕は楽しく本を読み進めた。
ちょうど1冊を読み終えたところで、顔を上げるとトマスが向かいに座っていた。全く気が付かなかった。
「待たせました?」
「ええ、だいぶね。でもいいですよ。いまアーサーさんが区画を決めています。ルパート様の部屋くらいの大きさがあればいいでしょ?」
「……そんなに広くはいらないですよ。ベッド2つ分もあれば十分です」
「そんな狭さで何をするつもりなんですか?」
「花を育てたいんです。初心者だから広すぎる場所を貰っても困ります」
「なら使わなきゃ良いでしょ。いちいち文句言わないでくださいよ!」
また怒られてしまった。本で楽しみにしていた心がしぼむ。まあ確かに使わなければいいだけだけど。僕も事前に広さを説明しなかったからいけないのだろう。本で見た絵ではそんなに広くなかったから、花壇というものはそんなに広くないと思い込んでしまった。
「分かりました、そうします」
「待っている間にアーサーさんの話は終わったと思うんで、庭に行きますよ」
「はい」
読んでいない本は司書に頼んで部屋に持っていってもらう事にして、僕はトマスと共に庭に向かった。
「花を植えたいとお聞きしました。このあたりでいかがでしょうか」
50代の庭師が帽子を胸に当てながら言った場所は、僕の部屋から見える場所で、手前が通路と接しており芝生が広がっているが、腰くらいまでの高さの植え込みが横と奥の三方向を囲ってるある場所だった。通路からはレンガ3枚分くらい、通路から高くなっている。これならうっかり踏み込むことはなさそうだ。
横にいたアーサーが、植え込みも抜くつもりですかと言うから、必要ないと答えた。そんなのは木に申し訳ない。たしかあれは綺麗な花の咲く木だし。
「この芝生の手前の部分だけ最初は十分です。でもそのうち、全面に花を植えたいです」
「え……? それでいいんですか? そうですか。それで、何を植えたいのでしょうか?」
「初心者が種から育てられる花を、お願いします」
「……はあ。それを芝生をひん剥いて、この一面に植えればいいんですかね?」
「芝生をむくのはお任せしますが、その後は僕がやりたいんです。植え方と、育て方を教えてください」
「坊ちゃんが? いや土いじりなんてさせられませんよ。伯爵様に怒られちまう」
「いえ、僕がやると許可を取っています。僕が実際に花を育ててみたいんです、お願いします、教えてください」
「いや~、そんなこと言われても……」
庭師は困ったようにアーサーを見た。アーサーが僕を面倒くさそうな目で見る。
「アーサー、僕は育ててもらった花を見たいんじゃないんです。僕が育てたいんです。お父様も好きにしろと許可をくださったでしょう?」
多分許可した意味は違うが、言質は取っているのだから問題はない。アーサーが口を開く前にトマスが言った。
「どうせいつもの我儘でしょ? しばらくすれば飽きますよ。やらせてやればいいんですよ、どれだけ大変かわかれば辞めるでしょうし」
「……確かに旦那様はルパート様のお好きなようにとおっしゃられましたから、ルパート様のご要望に沿うようにいたしましょう」
「ありがとう、二人とも。庭師さん、本当は芝生を剥くところからやればいいのでしょうけど、さすがに時間がかかりそうだから、それだけはお願いします。後は庭師さんに教わりながらやります」
「えええ……? ああまあ、わかりましたよ」
庭師もしぶしぶだったが了承してくれた。僕は嬉しくて久しぶりに笑顔を浮かべた。それにアーサーとトマスが妙な顔をする。僕は笑ってもいけないのだろうか。
「初心者でも育てられる花をお願いしますね。できれば早く芽が出て、早く咲くのが良いです。でも僕は種とか球根とか、見たこともないのでお任せします」
「ああそうでしょうね。まあ、なんか探してみますわ」
「お願いします」
僕は満面の笑みで庭師に礼をして、その場を後にした。
部屋に戻るとすぐに講義の時間が迫っていた。用意はトマスがしてくれるからその間に司書が持ってきてくれた本を開く。
ああ楽しみだ。久しぶりにワクワクする。庭師に僕の態度がどう見えていたかはわからないけれど、会話にはなっていた。場所も僕の部屋から見えるのが嬉しい。アーサーも、僕を嫌っていても最高の仕事をしてくれる。
トマスはずっとブツブツ言っている。令息が土いじりとか、頭を打っておかしくなったんじゃないかとか、服が汚れるだろうとか。その服で思いついた。
「トマス、庭仕事用に、捨てるような服を用意してもらえますか?」
「はあ?」
「確かに土をいじるから汚れるでしょうから、捨ててもいい服が欲しいです。使用人の古くなった服とか、僕が着られそうなのを用意してもらえますか?」
「何考えてんですか。土いじりに使用人の服? 頭打ってバカになったんですか?」
「……この服で土いじりするより良いと思ったのですが」
「そりゃそうでしょうけど。その前に伯爵令息が庭いじりとかありえないでしょう! 本当に何を考えているんだか! ……ああもうわかりましたよ、用意すればいいんでしょう?」
「……お願いします」
また怒られた。少し心がへこんだけれど、僕はため息を一つついて気持ちを切り替えた。
思い通りにやってもらえるのだ。多少の文句は聞き流そう。
講義の時間になるまで、僕は植物の育て方の本を読み返すのだった。
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一週間後、芝生を撤去したと連絡が来たので、僕は午後の茶の時間をキャンセルして、トマスが用意した古着を着て庭師に会いに行った。
実際に窓から毎日見ていた。庭師にも自分の仕事があるから少しずつだったけど、芝生が取り除かれているのを楽しみに見ていたのだ。
僕は庭師に礼を言い、次に何をすべきかを尋ねた。
「まずは耕さないと何も植えられませんな」
「耕す、とはどうやったらいいのですか?」
「この鍬を使って掘り起こして、土をひっくり返していくんですわ。そうして土を細かくして、空気を中に入れてやるんです」
そう言うと庭師はやって見せてくれた。あっという間に一列が耕された。そのまま見ていたら全部庭師がやってしまいそうな勢いだったので、僕にやらせてくださいと声を掛ける。
「本当に坊ちゃんがなさるんですかい? 止めておいた方がいいですよ?」
「やらせてください。僕が、畑を作るんです」
「そうですか、わかりましたよ。どうぞ」
僕は鍬を受け取って、その重さに驚きながらも、庭師がやっていたように土に向かって振り下ろした。
……少ししか刺さらない。それで掘り起こしても土は全然すくえない。
振り下ろす力が足りなかったのか。今度は勢いよく持ち上げようとしてたたらを踏んだ。それを何とか踏ん張って、思い切り振り下ろす。
グサリと刺さった。やった! と思ったが、今度はそこから全く動かない。困惑して庭師を見ると苦笑しながら僕の手から鍬を受け取り、そのまま簡単に土を起こしてみせた。
「すごい……」
「力と勢いじゃないんですわ。てこの原理なんですよ」
家庭教師に聞いたことがある。こんなところに理科で習ったものが出てくるとは。面白い。
庭師が横でもう一本持っていた鍬を使って実践してくれるのをひたすら真似をして、一列何とかボコボコにすることが出来た頃には、僕はすっかり疲れていた。トマスが苦々しく言ってきた。
「だから無理だと言ったでしょう?」
「いえ。面白いです。でも今日はここまでにして、また明日続けます。マリオさん、花の種を考えておいてくださいね」
僕が笑顔で言うと、庭師マリオは顔をしかめて「わかりましたよ……」と答えた。
すっかり午後の茶の時間は過ぎていた。今日は茶の後は自由時間でよかった。もう手もしびれていて、何も出来そうにない。マリオに礼を言って、僕は後ろで苦虫を嚙み潰したような顔をしているトマスと共に部屋に戻った。
手を洗い顔を洗う。トマスがため息をつきながら土だらけ汗まみれになった古着を脱がしてくれた。やはり着替えておいてよかった。想像以上に土がついている。
「医者を呼びますからね!」
「はい?」
「その手。皮がむけているじゃないですか! だから止せって言っているのに。わがままにもほどがありますよ!」
なんだか痛いと思ったら、掌の皮膚の色が妙に白くなっていた。しかもブニブニしている。どうせ何をやってもやらなくても怒られるのだから、自分のやりたいことをやったほうが良い。僕はすっきりした気持ちで、じんじんと痛む手を眺めた。
面白かった。とっても面白かった。こんなに楽しい気持ちは、初めてかもしれない。一応剣も習っているのだけれど、僕には適性がないと言われている。貴族の嗜みとして続けているけれど、習っていても楽しくもない。けれど今日は体を動かすことも楽しかった。座って待っていると医者がやってきて、両手を見て眉間にしわを寄せ、手のひらに水をしばらく流した後、手に薬を塗った後に包帯でぐるぐるにまかれた。そしてしばらくは使わないようにと厳命して医者は去っていった。
ふと脳裏に埃だらけの古い本の記載がよぎる。手に白いものを付けて作業している図だ。とはいえ僕たちが普段使っている手袋ではないようだ。もっと厚い手袋。
「トマス、次は古着と一緒に、分厚い手袋を用意してください」
「分厚い手袋~?」
素っ頓狂な声を上げるトマス。
「庭師は持っているのかな。持っていたらそれと同じものを購入して。なければ適当に作ってもらえるかな」
「なければ古い布で手袋を作れってことですか?」
「そうなるかな。何枚も布を重ねてもらうと良いと思いますが、手が動きにくいのは困るから、布にもよるけど2~3枚とかかな。手が治るまで、残念だけどしばらくは出来なさそうだから、その間にお願いします。庭師にも、僕の手が治るまであのままにしておいてと伝えてください。治ったらまた頼みますと」
「……ったく我儘放題ですね!」
ブツブツ言われても気にならない。今回は本当にわがままを言っている。それでも気分が良い。それにどんな形であれ、自分が言ったことがちゃんと伝わっているのだから。
僕は満たされた気持ちでベッドに横になった。疲れたからすこしだけ休むつもりで、気が付いたら次の朝だったのはご愛敬だ。
続きます