#46「守るために」
北海道富良野市 鳳邸 別荘――
穢れ一つない、全てが純白で包まれた、ただ一つの城。優しい陽光がそよ風になびくカーテンのすき間から容赦なく差し込んでくる。それを目覚ましに僕は目を覚ます。
「おはようございます、美尊様。まだ朝の5時ですよ。学校はしばらくありませんから、今はしっかりと心身を休めてください」
朝一番に挨拶を交わしてくれたのは、メイド服に身を包む赤髪の少女。前に僕をここまで連れてきた、黒フードの人の一人……なのだろうか。そこはまだ分からない。
「お嬢様と貴方の御友人の奏刃様は先程、他のメイド同伴の元、学園へ登校なさいました。ここには貴方と私達メイド、そしてこの別荘に住む優しい他種族の方々以外おりませんので、どうかご安心を。
しばらくしたら朝食を持ってきて参ります。それまでごゆっくりお休みください」
ぺこりと頭を下げてからすぐにメイドさんが去っていく。右を向くと、昨日までそこにあるベッドで寝ていた奏刃君の姿が無くなっていた。
「はぁ……」
僕だって、学校に行きたい。でも行ったらまたスパイだの何だの言われて、また暴走を起こしてしまうかもしれない。今度はそれ以前に殺されるかもしれない。
だから行けない。桐生君にも、会って色々お話したい事があるというのに。
「……」
僕の心が弱いからだ。弱いから『派王』なんてやつに乗っ取られて、暴走して、あゆさんを殺してしまったのだ。
「…………まだまともに授業、受けてないのに」
せいぜい暗殺の授業くらいだろうか。あの授業で日本史の先生と一緒に謹慎処分を食らったっけ。今頃あの先生は何してるのだろうか。
「……っ」
涙が溢れた。無意識だ。泣く感情すら湧かない。だけど何故か涙が止まらない。何でだろう。
寂しいから? 学校に行けなくて辛いから?
否。でも分からない。今の僕には、この涙の意味が分からない。
「……泣いてる、の?」
ふと、誰かが問う。声のした方向に視線を向けると、そこには青白い竜の翼と角が生えた小さな女の子がいた。彼女は僕に気づくと、ふわりと跳んでは僕の上に乗っては優しく頭を撫でてきた。
「よし、よし……怖く、ないよ」
少しひんやりとした手が、僕の髪を撫でる。やがてその手は僕の頭を包んでは彼女の胸に引き寄せられる。背中を優しくぽんぽんと叩かれる。
「私、君の事知らない……けど、ここにいる皆、私の友達。だから君も、友達。友達の悲しい顔……私、見たくない」
「……」
僕も彼女とは初対面だし何も分からない。でも、彼女はとても優しくて良い子だ。僕なんかより……ずっと。
「ありがとう。でも、僕は君の友達になれる資格は無いんだ。この手で、人を殺してしまった僕なんかに……」
こんな人殺しと友達だなんて、彼女も嫌だろう。そう思っていた。しかし――
「大丈夫。私も、人、いっぱい殺した。ほんとは殺したくなかったのに、パパとママが殺さないと焼いて食うぞって言うから、仕方なく殺した。死にたくなかったから、殺した。それが嫌で、逃げてきた。そしたらテンカに、拾われて……ここにやってきた。
私だけじゃない。ここにいる皆、いっぱい人や動物、殺してきた。殺したくないのに、殺さないと生きていけなかった。そんな人達が、ここにいっぱい、いる。だから、皆で協力して、ここで嫌な事、忘れるの。遊んだり、楽しい事して、忘れるの」
「……そう、なんだ」
「だから、忘れよ……? 皆で楽しい事、一緒に考えよ……?」
うん、そうだね。君の言う通りだね。こんな僕でも、今だけは、嫌な事忘れてもいいよね………………
――なんて、一瞬思った僕の甘い思考に蓋をした。忘れるのは、果たした後でも遅くは無い……そう思ったから。
「……ごめんね。やっぱり僕は、君の友達にはなれない」
「……何で? 嫌な事、ずっと思ってたら……辛いまま、だよ?」
「辛い思いなんて、もうずっと昔から抱えてるんだ。だからこれでも辛いのは慣れっこなんだ。それに、今ここで忘れちゃったら……大事なことまで忘れちゃいそうだから……だから、ごめんね」
寂しそうな目で見つめてくる竜の頭を優しく撫でてから、そっと僕の身体から引き離す。その後勢いよくベッドから起き上がり、畳まれてあった制服に着替え、壁に立て掛けてあった二刀を背中に差す。教科書とか諸々入ったリュックを左肩に背負い……準備は整った。
「短い間だったけど、ありがとう。少しは気持ちが楽になれたよ」
学園に戻ろう。そして皆に証明するんだ。僕は人間だって。その誓いを胸に眠気で多少重くなっている足を踏み出し、部屋を後にした時だった――
「……何のおつもりですか、美尊様」
「……!」
眼前に向けられた三本の刃。その先に見えるは、右手の指を五本の剣に変化させていた赤髪のメイドさんだった。
(指が……剣に!? このメイドさん、一体何者なんだろう……?)
「お嬢様から、美尊様には休養するよう命令を受けている身です。なので、貴方をこの別荘から出すわけにはいきません」
メイドさんの新たな一面に驚く思考を一旦脱ぎ捨て、僕は胸の誓いをそのまま伝える。
「……もう、大丈夫です。僕はこの通り平気です。こうして目の前の事態に向き合って戦おうと思えるくらいには、心は十分以上に休まりました」
「だとしても、いけません。これは貴方の命を守るためですよ、美尊様」
「ご気遣いありがとうございます。ですが、本当に大丈夫です。このまま誰にも囚われない幸せな日常を過ごす権利なんて、僕なんかにありませんから。
それにこの事態は元より僕が招いたものです。自ら撒いた種を最後まで面倒を見るのが、当事者の使命ですから。
なので、行かせてください。今と向き合う権利を、僕にください」
目の前に向けられた切っ先に動じる事無く、堂々と言い放つ。それでもメイドさんの表情は変わらない。しかし、突然右手の刃を下ろした。
「――仕方ありませんね。場所を変えましょう。ついてきてください」
彼女の言われるがままに、僕はその背中を追う。重厚感ある部屋の扉が引かれ、メイドさんはその先へ踏み入れていく。僕もまた、続いて足を踏み入れる。
「――これは」
前にも見た事のある、破壊しつくされた街跡。無数に散るガラス片に跡形も無い建物の残骸が地面を埋め尽くす。
(そうだ……ここ、零さんとの修行で使った幻想世界だ!)
「……ここを知っているようですね。まぁそれもそうですね。美尊様は以前、紅零様と修行をなさっていたのですから。あ、この話は鳳会長から聞いておりましたよ。ですがこれが『本来の』幻想世界です。前に見たのはこれの未完成型に過ぎません」
「これが……本来の……」
「安心してください、仕組みは変わりませんよ。あくまでも結界術。ただその結界が有限か無限かの違いだけですから」
カチャカチャ――と、機械音をたてながらメイドさんの身体が変形しだす。白い手足は漆黒のアーマーへと姿を変え、身体全体が黒の装甲に覆われる。背中には青い炎を噴射しながら黒い翼が広がる。
「では、本題に入りましょう。勝負は簡単です。実力行使で勝った者の意志を優先する。異論はありませんね、美尊様」
「……はい」
小さく頷き、背中の二振りのうち一本を右手で掴み、勢いよく抜く。右手から瞬時に凄まじい電流が走り、『強制覚醒』が発動する。対するメイドさんも、右手だけだった剣を左手も同様に変形させる。
「では、参りましょう……この鳳邸専属メイド、倉澤華江――貴方に迫る危機から守るため、ここで美尊様を止めます!」
「陽翔学園1年 黒神美尊――平和な学園生活をいち早く取り戻すために、貴方を破ります! 華江さんっ!!」
荒れ果てた結界で、両者共に地を蹴っては一瞬で間合いを消した。それぞれの意志をかけた決闘が、今始まった――




