#44「罪の涙」
――――ボクは、海月あゆは、確かに今死んだ。なぜこうなったかなど分かるはずがない。トドメを刺すより先に『現幻皆致唯固天愛』が切れたのだろうか。否、感覚を失った右手には確かに派王を撃った事実が残っている。
だから、分からない。ボクが何故敗北しているのか。ボクはどうして虚無の海に沈んでいるのか。その行先はどこなのか。
誰も教えてくれない。案内人は存在しない。先導者は後にも先にもボクだけなのだから。
このままボクが一番乗りだ――そう思っていた時の事だった。
『――死ぬな』
声が聞こえる。誰の声だろう。分からないけど、決して安心できる声では無かった。
「『魔力切れ』を起こしたか……禁忌持ちの魔術師としてはまだ未熟だな。だが派王であるこの俺を一度は殺したのだ。そんな貴様をここで死なすのは惜しい」
派王……そっか、倒せたんだ。良かった。でも、それでどうなるというんだ。ボクはこのまま死の海を彷徨うのか。君に取り憑かれた彼は……美尊君はどうなるのか。
「あの貧弱者の行く末など知らん。俺が手を出さずともいずれ散る。だが貴様は強い。強者の行く末程、見たいものなどない。だから貴様を死なすのは惜しいと言っている。今はただ、そのまま大人しくしていれば良い」
突如、右手が何かに触れる。誰かが掴んでいる。引っ張られる。畑から大根を抜くかのように身体が上に引っ張られるのを感じる。微かに光が見えた。
未来が死に行くはずのボクを、迎えに来てくれた。
◇
北海道富良野市 鳳邸別荘――
ラベンダーが咲き誇る庭の一角にあるベンチに、僕と奏刃君は座る。そこで僕は奏刃君に、これまでの経緯を全て吐き出した。
「……そうなんだね」
自分の身に何かが降りかかる際に『黒い雷』が目の前に落ちる事、この事件の元凶である『派王』の存在と今回の僕の暴走について、そして僕が周りから人である事を否定され、異種族のスパイだと言われた事等……ありとあらゆる僕自身が見た『現実』を口にした。奏刃君は一切否定せず、真摯に受け止めてくれた。
「ごめんよ。僕は君を救えなかった。君は僕の唯一の親友、なのに……何も出来なかった。ただ君の背を刺す事しか、出来なかった。
この事件を終わらせて、いつもの日常に戻ることしか、考えて無かった……」
やっぱりまだ、奏刃君は僕を刺した事を根に持っている。当然だ。一度殺したのだから。こうして生きて再会を果たしても、一度殺めた罪は消えない。償っても償いきれない。そのまま彼の痣となって、一生消える事は無い。
「……奏刃君」
でも、僕は許した。あゆさんを殺した僕が、彼を裁く権利なんてない。だから許すしかなかった。どんな経緯があろうと、最初からそのつもりだった。
「……いいんだよ。それが君の選択で、僕の運命だから。彩芽を救うためなら……レグノを倒すためなら、どんな運命だって背負って、受け入れて、乗り越えるって誓ったから」
死より辛い経験なんて、もうとっくにしている。戦うと誓う前からずっと、僕の故郷を喰らう炎の海を眼前にしながら。
「……君はほんとに強いね。僕なんかより……ずっと」
「強くなんかないよ。まともに自分の運命すら制御できないんだから。でもそんな僕を、君が止めてくれた。何であの時君に刺されたのかは、分からないけど……それでも呪われた僕を殺してくれた。だからありがとう。
本当に強いのは君の方だよ、奏刃君」
そうだ。強いのは奏刃君だ。彼は学園の皆を、平和な日常を守るために、僕を殺す選択をした。きっと心の中で悩んで、躊躇って、その選択に足を踏み入れる事を怖がっていただろう。
でも、彼はそこで踏み出せた。陽翔学園の生徒として、皆の英雄になる事を選んだ。親友を殺すという傷と向き合う選択をした。
こんな事は誰にだって出来る事じゃない。少なくとも臆病者の僕じゃ、こんな選択なんてしない。
「……そうか。そう……か……」
奏刃君の頬に、雫が伝う。小さな嗚咽が右から聞こえる。そこで彼が泣いている事実を知る。そんな彼を、僕は優しく抱きしめた。泣き止むまでひたすらその背中を撫で続けた。泪が彼の代償を全て落としきるまで、ずっと。
「――君は間違いなく正しい事をしたんだ。世界から見て、周りから見て、明らかに正しい事をした。立派な英雄だよ。そんな自分を、これからも信じてあげて。そんな君でこそ、僕の親友桐谷奏刃なんだから」
「……っ」
僕の胸の中で、彼は泣き叫んだ。正しさの代償に抱え続けた痛みの辛さを、ここで吐き出した。僕はそんな彼を慰める事しか出来ない。いや、それさえできれば十分だ。
(……もう、こんな事で誰も泣かせない。自分のせいで泣かせたくない。僕も彼のように……強くなりたい。皆を守りたい。彩芽もこの世界も全部……レグノから取り戻したい。たとえこの命が尽きようとも、絶対に果たしてやる。これが僕の……最大の償いであり、使命だ)
――寝息が聞こえる。泣き続けて疲れたのだろう。泪はとっくに乾いている。服を濡らすそれは、まだ乾いていないけれど。
「……僕も、今はこのまま眠ろうかな」
暖かな光に包まれながら、僕も瞼を閉ざす。意識が優しく途切れていく。夢へと僕を連れていく。
「――良かったわね、二人とも。これからもそうやって、背中を押し合いなさい」
眠る二人の前に、突如現れた天花がくすりと微笑みながら、黒スーツの女性が持っていたブランケットを受け取っては、二人にそっとかける。
優しい風がラベンダーの香りを纏いながら、二人の罪を彼方へ飛ばしていった――




