#43「優しさ」
「……ふぅ」
美尊と別れ、無事今日の授業を乗り越えた天花は大きなため息をついた。疲労と安堵が混じった、解放感あるため息だった。
(ほんと、一か八かだったけど……上手くいって良かったわ)
「お疲れ様です、天花会長」
「……あら」
こちらへ向かって歩いてくる、白髪の青年。その右手には切っ先に血の付いた刀を持っていた。美尊の親友である桐谷奏刃であった。
「お疲れ様、奏刃君。ごめんなさい、こんな演技に付き合ってもらっちゃって」
「いえいえ、お気になさらないでください。美尊君は僕の唯一の親友なんです。彼を守るためなら、この程度お安い御用ですよ」
「……おかげで美尊君の死は建前だけで済んだわ。本当にありがとう。今彼は私の別荘に移動してしばらくは身を潜めてもらう予定よ」
「そうですか……」
奏刃もまた安堵のため息をつく。でもどこか、小さな傷に痛むような苦しみが混じった気がした。しかし彼の表情にはそれが一切感じられない。苦痛を隠すのが上手い子だ。だが世界はそういう人から壊れていく。
「――奏刃君、貴方も後で私と一緒に別荘へ向かいなさい」
「……えっ」
「彼の事を気にしてるんでしょう? 貴方の顔を見れば何となく分かるわ」
――――だからこそ、こちら側からその痛みを取り除くきっかけを与える。相手を完全に理解は出来なくても、ふとした思いやりが心の傷や靄を晴らす事だってある。無論、その逆も然り。人の心ほど複雑で、単純なものなどない。
「……美尊に合わせる顔が、今の僕にはありません。演技とはいえ、殺したのは僕なのですから。彼はきっと僕に裏切られた事を憎んでいると思います。憎んで当然ですよ。昨日まで友達だった人が、急にいじめっ子集団の仲間になったようなものですから」
「奏刃君……」
罪悪感が、安堵を塗り替えてきた。美尊君を守るためにしたことが、二人の傷となってしまった。でも、それでも……
「……貴方も美尊君も、悪くないわ。さっき私も美尊君と話してきたけど、とても故意に街を破壊したり、人を殺したりする子ではなかったわ。そして、今の彼も心に大きな傷を負っている。だから行きましょう。学園から見放された彼にとって、唯一の親友である貴方が今一番必要だと思うから」
「――!」
「大丈夫……事情は私から説明するわ。貴方はただ……彼と正面から向き合って、手を差し伸べる事だけを考えればいいの」
奏刃の両肩をぽんと叩く。大丈夫、と暗示を心の声で呟きながら。
(――貴方からも、美尊君に何か言ってあげなさいよ……彩芽)
◇
西暦2030年 10月27日――秋に焦がれた葉は風に揺られては地に落ち、彩を失った木々は冬眠の時を待ち侘びる。雪虫が飛び始める。冬の予兆だ。北海道にいる誰もがこの空を眺めるとそう思うだろう。
「――到着致しましたよ、美尊様」
「……!」
優しく左肩を二度叩かれると同時にふと目が覚める。眠気が一瞬で吹き飛んだ感覚に陥る。耳に響いていた車の駆動音がとっくに聞こえなくなっていた。今車の窓越しから正面に見えている、城のような建物が目的地なのだろう。
「これよりお嬢様の別荘へご案内いたします。どうぞこちらへ」
黒スーツに身を包む女性の後ろを無言でついていく。辺り一面ラベンダーが咲き誇り、その中心には巨大な噴水が水音をたてる。
「……!?」
眺めていると、ふとある姿に目を見開く。ここには妖精や竜、獣といった『異種族』が住んでいたのだ。
「ここが北海道の富良野にあります、鳳天花様の持つ別荘でございます。ここは年中花は枯れず、雨も降りません。全てあちらの噴水から流れる聖水が、この花畑一面に流れているのです。それに、ここは人間と異種族が共存できる唯一の『憩いの場』となっております」
「共存……? 人間と、異種族が……」
あり得ない光景だった。彩芽を攫ったあいつらと、人間が一緒に一つの場所で生きている。歩き進めると、一緒に食事をしたり、ふざけたり、子供達と獣人が外で走り回って遊んでいたりしている。皆楽しそうに笑っている。何の憎しみも感じない。誰からも……微塵も。
「今私達が見ている光景……これが、お嬢様の望む世界なのです。分け隔てなく、共に支え合い、分かち合いながら生きていく……これこそがお嬢様の掲げる、完全なる平和なのです」
「……」
未知なる世界に驚きながら、徐々に豪邸の方へと足を進める。噴水を通り抜け、正門がはっきりと見えた――その時だった。
「――美尊君」
聞き慣れた声。一度僕を刺した者の声の主が――そこにはいた。僕の唯一の親友として、僕に向かって微笑んでいる。
「……奏刃、君」
僕は彼の名を呼ぶ。直後、彼は僕に駆け寄っては優しく抱きしめた。左肩が徐々に濡れているのが伝わる。どうやら彼は泣いているようだ。
「……ごめん、ごめんよ……! 僕は君をっ……殺しっ……!」
「奏刃君……」
涙を流す彼の背中を、僕は左手で優しく撫でる。何であの日、僕の背中を刺したのか。そして何で彼がここにいるのか……疑問は残ったままだが、今はそんなのどうでもいい。僕の親友がこうして帰ってきてくれた。それだけで十分だった。
「大丈夫、だよ……こうして僕の前に戻ってきてくれただけで、僕はいいんだよ」
「ははっ……どこまで優しいんだ、君って人は」
「いつまでも優しくするよ……僕って人は」
お互いの涙を、更に芽生えた絆を、ラベンダーの香りが優しく包み込む。やがて鼻をくすぐっては、とても心が暖かくなった。それはきっと、僕達を照らす日差しのせいだろう――




