#35「怒りの侵食」
「――っ」
視界が明ける。瞬く間に冷気を纏った向かい風が身体を凍えさせる。他二人は大丈夫なのだろうかと辺りを見渡すと、そこに二人の姿は無かった。それだけでなく、登校している生徒達の姿さえも無い。どうやら僕は誰からも助けられずに放置されたらしい。世間から見れば『異種族』である、僕だけが。
「……はぁ」
負傷したままの身体をゆっくり起こし、何とか立ち上がる。血は止まっても、痛みは消えない。それでも歯を食いしばって、足を前に進める。ある場所へ行くために。いや……あった場所へ帰るために。
「帰らなきゃ……早退届、出してるんだから……」
重い荷物を背負いながら、目の前の青信号を渡る。二車線程度の長さしかない横断歩道が、とても長く感じる。信号の点滅が早い。停止の赤が光った。それに呼応するように車道の信号も黄から赤へ光る色と位置を変える。ここで何とか信号を渡りきる。
「……」
あとは途方に暮れる程の道を歩くだけ。そう思うより前に、僕の身体は帰宅路をゆっくり歩いていった。
◇
「……」
前に破壊された男子寮の、僕の部屋へ帰ってきた。ドアを開け、あらゆる残骸で散らかった室内に足を運ぶ。もはや『ただいま』の一言も発する気力も無い。ここまで約30分程の道のりで何度虐げるような言葉を耳にしたか。
所詮噂や記事で知って、勝手にそれを事実と規定した人達の言葉に過ぎない。しかし、その軽い気持ちで砥がれた刃は無慈悲なほどに人の心を裂き、壊し、終わらせる。
そんな刃を受け慣れた僕は今、その崖っぷちにいるのかどうかすらも分からない。だが確かなのは、僕の心はもう生きる気力を失っているという事のみ。
「……っ」
辛い。痛い。苦しい。それが形となって頬に伝う。不思議にもまともに呼吸が出来るようになった。今こうして泣けているおかげだ。
「くそっ……!!」
溜まりに溜まった怒りや不満を左拳に乗せ、床を思い切り殴りつける。ライ君との戦いでフィリアが僕を危機から救った。それだけの事なのに……いや、たったそれだけの事だけで全てが狂ってしまった。人を守るために戦うという定義さえも、不条理な現実を前にすれば簡単に砕け散ってしまう。
「ふざけやがってっ……! 何が退学だ、何がスパイだ、何が『君を死なせたくない』だ! 何が『口だけで実行しねぇなんて、それこそ人じゃねぇ』だよ! 勝手に僕を異種族の仲間だって決めつけて、差別して、追い出そうとして! 僕が何言ってもこなしても人扱いなんかしないくせにっ! なんだよっ……人間も結局、汚い奴らばっかりじゃないか! くそったれっ!」
もう、僕は何を信じればいいのだろう。誰を味方だと思えばいいのだろう。分かってる。今の僕の周りには敵しかいない事くらい。クラスの皆も、言ってないだけでほんとは桐生君のように僕を異種族扱いしているだろう。先生やその上の人間も同じだ。じゃないと退学処分だとか自主退学を勧めたりなんてしない。
「くそっ、くそぉっ! ふざけるなっ……ふざけるなっ!!」
(……零さん。僕はまた、居場所を失いました。あの頃と逆戻りです。でも、一つだけ異なる所があります。それは――)
――もう誰も、手を差し伸べてくれなくなった事です。
「ふざっ……けっ――」
突如漆黒の雷が視界を――いや、僕の身を焼いた。凄まじい衝撃が襲い掛かる。
「……ぁぁああああああ!!!!」
脳天から足先まで雷が迸る。痛みに身体が支配される。しかし、何故だか力が漲ってくる。心の奥底から、今まで感じたことのない力が。
「ああああああああああ――!!!!!」
部屋全体を黒で覆う。闇でも光でもない、空から舞い降りた黒一色で。そして止む。あっという間だった。雷が止むのも、男子寮全体が焼け落ちたのも。その跡地に立っていたのは、僕一人だけ。その身に漆黒を覆った、一人の忌み子が。
「……」
右眼から黒い雷が光り、頬に一筋の血涙が伝う。無意識に右手を天高く伸ばす。するとどこからか剣が伸ばした右手の方へ飛んできてはしっかりと手元に収まる。鞘は自我を持ったかのように自動で抜け、僕の背に装着するように収まる。右手に伝わるこの重みは間違いない。双陽剣カストルだ。黒と金で彩られた刀身がその証拠だ。
「……さぁ、『裁き』の時間だ。俺を怒らせた全ての人間どもよ」
西暦2030年 9月18日 午後12時00分――この瞬間、世間は一人の忌み子を狂わせた。




