#34「怒りは夢に沈んで」
少しずつ生徒達が登校してくるこの時間帯に、僕はその波に抗うように歩く。すれ違う人達の視線なんか気にする思考はとっくに無い。ただひたすらに、僕は不満だけを胸にある場所へ向かって足を進める。だがその度に聞こえてくる。差別の罵声が。
「異種族だ……人間じゃないくせに人間の格好してる……」
「配信で流れたスパイってのがこいつか? 大した事なさそうだし、殺ろうと思えばいつでも殺れるな」
「異種族風情が人間を名乗るな! 穢らわしい」
幻聴……というにはあまりにも現実的すぎる声が耳に入っていく。背筋が凍り、身体が小刻みに震える。心臓がより強く脈を打つ。喉元が縮むような感覚に襲われ、まともに呼吸すら出来ない。
今改めて、恐怖そのものを身を以て思い知った。同じ人である事を拒絶され、見下され、人差し指をあらゆる方向から指される恐ろしさを、知ってしまった。
そして湧き上がる。こんな仕打ちを受ける原因となった存在への怒りと殺意が。
(全部……全部異種族のせいだ。異種族の勝手で襲撃して、人を攫ったり殺したりしてるくせにっ……!
人間も大概だよ。画面先の情報だけで、実情を知ろうともしないで勝手に何もかもを決めつけて……穢らわしいのはお互い様じゃないか。異種族も、人間も)
「……同類だよ。誰も彼も」
周りに聞こえない程度の声で呟き、今にも溢れ出そうな感情を堪えながら僕は帰路を歩く。正門から突き当たりまで約50メートル程の直線を歩き、直ぐ側の信号に向かう。無意識に歩幅が大きくなりながら横断歩道に一歩を踏み込む。しかし僕はすぐに前に出した右足を引っ込めた。
「……」
俯いてた顔を上げる。信号は既に赤く灯っていた。更に眼前には――僕と同じ制服を着た金髪の男。不良のような顔つきだけで、僕は瞬時に彼を桐生君だと気づいた。
「桐生君……ごめん、そこをどいてくれる?」
「わりぃが、早退したきゃ俺を倒してからにしてくれ」
「……何のつもり?」
「俺は今、お前を殺すべき存在として見ている。この意味、流石のお前なら分かるよな? 何せ今世間で起きている噂とやらの当事者なんだからよ」
殺すべき存在……彼は今、僕をクラスメイトとしてではなく、明確に敵として認識している。理由なんて分かりきってる。さっきその件で退学を勧められた所だったのだから。
「……うん、分かってるよ。それでも僕は人間だと言い続けるつもりだよ」
「そうか……」
ほんの少し、安堵を浮かべるよりも速く、腹部に桐生君の右拳から放たれたストレートが入った。
「ぐふっ……!?」
「その程度で納得してたらわざわざ足止めなんかしねぇ事くらい、分かるだろ」
あまりに重い一撃。魔力が一切込められていない、単純な力だけによる一撃。零さんに殴られた時よりもずっと重く、痛い。
「げほっ、げほっ……!」
「ばっちり配信で流れてたぜ。妖精騎士に助けられたとこも、助けたとこも。でも問題はそこだけじゃねぇ。竜騎士にトドメ刺した時に、確かお前妖精騎士の剣で刺したよな?」
「……そうだよ。あれはあいつの……妖精騎士の愛剣だよ」
それの何が問題なのかと問いかけるように言い放つ。
「馬鹿正直なお前に一つ教えてやる。妖精族の武器はほぼ全て『精光花銕』っていう特殊な鋼を使ってる。こいつは人が素手で触れたら瞬時に猛毒をもたらすくらい危険な素材なんだよ。10秒触れれば病院レベルなくらいには毒性が強い素材なんだけどなぁ……お前はどうだ?」
「っ……!!」
新たな教養を突きつけられ、目を見開いた先に写っていたのは、傷汚れ一つない完璧なほど正常な手のひらだった。桐生君の言っていることが本当なら、本来こんな事はあり得ない。本当なら……今頃僕は入院してるか、少なくともこの両手は原型を留める事などないだろう。
「おかしいよなぁ? おかしいって思ったよなぁ? それでもお前はさっきみたいにはっきり自分が人間だって言えるのかよ!!」
「ぐっ……!」
今度は右足の蹴り上げが僕の顎に命中し、身体が強制的に背を反らしながら上に引っ張られる。着地も間に合うはずがなく、そのまま頭から地面に直撃して仰向けに倒れる。
「おい、何とか言ってみろよ嘘つき。武器がねぇお前なんて、俺の拳なら今からでも殴り殺せるんだぜ?」
「……桐生、君っ……」
「おい、言えよ。『僕は妖精騎士の仲間だ』ってよぉ……言えって言ってんだよ!!」
左頬に思い切り桐生君の右拳が衝突する。更に間髪入れずに左拳が右頬に直撃する。その繰り返しがひたすら続いていく。しばらくすると頬が痛みに慣れて感じなくなってきた。
「おらっ! おらぁっ!!」
「ぐっ……がっ……!」
殴られる度に、鼻や口からの出血が止まらなくなる。鼻呼吸が激痛でまともに出来ない。既に鼻骨が折れてしまっている。それでも彼は殴り続ける。怒りと憎しみと、ほんの僅かな悲しみを乗せた拳で。
「……お前と出会ってまだ間も無くて良かったぜ。きっと長く過ごしてからだったら、俺はきっとお前を躊躇なく殴るなんて事、出来ねぇからよ」
両頬が赤く腫れ、鼻と口から血を流して倒れる僕に桐生君は呟く。その憎悪に満ちた目からは一粒の雫が頬を伝っていた。
「おい……どうした、反撃して来いよ。 噂を否定するんだろ? 人間だって言い続けるんだろっ……! なら抗えよっ……逃げてねぇでかかってこいよ! 口だけで実行しねぇなんて、それこそ人じゃねぇって言ってるようなもんだぞっ!!」
桐生君が僕の胸倉を右手で掴んでは挑発してくる。徐々に掴む手に力が入っている。彼の色々な感情が込められてきているのが分かる。僕を睨むその冷たい視線でも、憤りを言葉にして放つその口からも、その言葉に込められた気持ちからも。
……でも、ごめん。
「僕には……気持ちだけで君を殴るなんて、出来ないよ」
「っ……!」
桐生君の怒りが更にエスカレートする。それでも構わない。だってこれが僕の本心なのだから。
「だったら俺が殴り返したくなるくらい殴ってやるよっ――」
胸倉から手を離し、すぐに両手の拳を握って右拳を大きく振りかぶる。一瞬にして顔面に迫ってきた拳と衝突する――1秒前の事だった。
「禁忌開眼――」
「「っ……!?」」
ぴたりと時が止まったかのように、突き出された拳が僕の顔に当たる寸前で止まる。その手首をがっちり掴む右手は、青白のストライプ柄のパジャマ姿の女性……僕のクラスの担任だった。
「『夢幻時極』」
視界がカメラのフラッシュの如き速さでモノクロに映り、すぐに元の視界に戻る。一体何が起きたのか……と思ったその時、桐生君が一気に脱力してその場に倒れて眠ってしまった。しかしそれと同時に僕も気づかぬ間に倒れ込んでしまった。
「はぁ……彼は後でお説教しなきゃね~って、あちゃ……美尊君も私の魔術にかかって……ふわぁっ……」
最後は先生自らも、自らの魔術によって睡魔に襲われては倒れて深い眠りについてしまった。この後どうなったかなど、この3人が知ることは無い――




