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夜桜お蝶 艶劇乱舞「怪」  作者: 秋月瑛
黄泉の夏
13/22

【一之幕:春告げの夢】02

 老婆の祈る声を背に残し、お蝶と黒子は静かにその家をあとにした。


 外は相変わらずの雪景色。

 しかし、村の空気には微かなざわめきが生まれ始めていた。


 遠く、広場の方から響く太鼓の音。人々の声。仄かな香の煙が、吹雪の合間を縫って漂ってくる。


 何やら、村では“祭り”の支度が始まっているようだった。


 お蝶は黒子とともに坂を下り、集落の一角に設けられた広場を見下ろす。


 そこには村人たちが集い、薪を組み、布を結び、何やら大きな櫓のようなものを準備していた。

 

「……春告げの、祀り……?」


 耳にしたのは、ふたりの若者が交わす言葉だった。


「今年は、無事に春が来るだろうかのう」


「巫女さまさえおれば……ああ、こはる様……」


 お蝶は目を細め、懐から白銀の糸を取り出すと、指先でそっと宙に浮かべた。


 風に乗る糸は音を拾い、まるで糸電話のように、村人たちの声を耳元へと誘った。


 ――今年の巫女は、こはるだったらしい。


 ――でも、こはるはもう……春に連れていかれた。


 ――儀式を終えぬまま、骸花も咲かず……このままじゃ村が……。


 お蝶は唇を引き結ぶ。


「……巫女、こはる……春に連れ去られた……?」


 こはるの名を、村人たちは畏れと悲しみの混じった声で口にしていた。


 どうやら“春告げの祀り”とは、この村に春を呼ぶための祭事。

 それが、ある“巫女”の存在によって成立するというのだ。


 ――口寄せ神楽は、巫女に選ばれた者が舞うと決まっておる。


 篝火村に春を告げる――その名も〈春告げの祀り〉。


 しかしその由来も本義も、村人たちは頑なに語ろうとはしなかった。

 言い伝えについて訊ねても、曖昧に笑っては話を逸らし、年寄りは目を伏せ、若い者は首を横に振るのみ。

 あたかも、それを口にすれば災いを招くかのように。


 ならば、とお蝶と黒子は村に残された古い石碑をあたった。

 だが、石面に刻まれていたはずの文様は、まるで意図的に削り取られたように歪んでいた。

 風化ではなく――誰かが、その伝承の記憶を封じようとしたのだ。


 その沈黙こそが、この村を覆う“闇”の証。


「……よっぽど、知られたうない何かが、隠されてると見えますなぁ」


 お蝶は唇に笑みを浮かべながらも、目には険しさを宿していた。


 そこでふたりは、祀りの準備が行われている社――風哭きの社――へと夜陰に紛れ忍び込むことを決意する。

 凍てつく空気のなか、雪を踏みしめながら辿り着いた社は、既に祀りの支度が整えられていた。


 堂内には、巫女装束が整然と掛けられ、真新しい白の衣と緋の袴が淡く燈された灯明に照らされていた。

 壁際には、神楽面とともに、精緻な装飾が施された鈴――神楽鈴が置かれている。


 お蝶は、巫女装束にそっと手を添え、眉をひそめた。


「……これは、今年の巫女の衣……こはるが着るはずだったものでしょうねぇ」


 その言葉に、黒子が無言で頷く。


 お蝶は神楽鈴へと手を伸ばした瞬間、身体がぞくりと総毛立つような妖気に包まれるのを感じた。

 鈴の中に、澱のように沈む――強い〈念〉が宿っていたのだ。


「……この鈴、ただの神具やない……〈記憶〉が、染み込んでやす」


 お蝶は懐から一本の糸を取り出す。

 それは彼女が自在に操る妖糸――魂に触れ、過去の“残留思念”を紡ぐ糸。

 鈴に絡めたその糸がかすかに震え、鈴の内より“音”が立ち上がる。


 その音は、耳ではなく魂に直接触れてくる囁き。


 お蝶の瞳が閉じられ、そこに〈記憶〉が流れ込んできた。


 刹那、景色が滲む。


 ――視界が、夜の広場へと変わっていた。


 夜、村の広場に火が灯された。

 風のない静けさのなか、焚かれた薪の煙が真っ直ぐ天へ昇る。

 その中央に据えられた円形の舞台――古木で組まれた仮の舞台は、村に伝わる祈りの場。


 村人たちは言葉少なに、しかし確かに集っていた。

 誰もが、胸のどこかで怯えているのが、空気の張り詰めに滲んでいた。


 そして、静かに始まる。


 口寄せ神楽くちよせかぐら


 それは、巫女が舞を通して“魂”と“記憶”を結ぶ古き祈りの儀。

 今は廃れ、かつての意味を知る者も少ない。

 だがこの篝火村では、春を呼ぶ唯一の手段として、今も形ばかりが伝え残されている。


 祭壇の前にひとりの少女が立つ。

 薄紅の衣をまとい、瞳を伏せたまま。

 それは去年のこと。


 舞台に立っていたのは、こはるではなかった。

 名も知れぬ少女。

 まだ幼さを残した顔立ちに、無理に化粧を施されたその姿は、どこか痛々しさすら漂っていた。


 少女の身体は小刻みに震え、それを隠すように舞を始める。


 笛の音が始まる。

 やがて太鼓が、それに応じて打たれる。


 巫女の舞が始まる。

 腕を広げ、指先をそっと空へ差し出す。

 旋回するようにひとたび舞えば、衣の裾が夜風に揺れ、焚き火の火花が一陣の春嵐のように舞い上がる。


 その舞には、はっきりとした型がある。

 一度、死者の名を唱える。

 次に、骸花を想う旋律が重なる。

 最後に、鬼へと祈りを捧げる。


「春を喰らいし鬼よ」


「願わくば、我らが骸を咲かせよ」


「その花を喰らい、春を呼びたまえ」


 お蝶は舞台の端、仄暗い影に立っていた。

 艶やかな着物の袖に妖糸を纏わせ、まばたきもせず、ただ舞を見つめる。


 耳元で、無数の声がささやく。


 ――巫女は、春を呼ぶのではなく……春に喰われる……


 ――骸花が咲けば……春が来る……巫女の命で……


 お蝶は目を見開き、冷気のなかに静かに立ち尽くした。


「……やはり、そうだったかい」


 お蝶の瞳は、遠く過去を見つめるように細められていた。


「この祀りは、供養なんかじゃない。……命を喰らわせるための“生贄の舞”だよ」


 黒子が静かに影から身を寄せる。

 彼の瞳もまた、舞台を見つめたまま動かない。


 巫女の舞は最高潮へと達し、炎の揺らめきが天を焦がす。


 だが、その“祈り”の先にあるのは――


 希望か、絶望か。


「さすれば、こはるが……“春を迎える供物”として選ばれた、ちゅうことですかい」


 しかし、こはるは祀りの前に姿を消した。

 いったいどこへ消えたのか。


 儀式の幕は下りぬ。

 だが、真実の舞は、これから幕を上げる。


「さぁて……この神楽に込められた“真実”、次は舞で暴いてみましょうか」


 お蝶の目が、わずかに潤んだように見えた。

 その胸中にあるのは、あの娘の名。


 ――こはる。


 春告げの神楽は、哀しき魂を呼び起こす。


 静かに、静かに、春が近づいていた。

 やがて、それは“鬼”をも目覚めさせる。


 神に捧げるはずの舞が、いつしか“贄”を選ぶ儀式へと変わったのならば――

 その歪みを見つけ出し、暴くのが、お蝶たちの役目である。


 お蝶が神楽鈴を懐に収めると、


 ――そこはすでに現実だった。


「口寄せ神楽」


 それは古き巫女が神に捧げたという舞であった。

 魂の声を呼び、記憶と記憶をつなぐ儀式。

 その舞の中で、骸花は咲き、鬼は現れ、春は訪れる――そう伝えられている。


 しかし。


 その伝承の奥には、どうやら大きな誤解が含まれているようだった。


 現在の村の伝承では、「骸花」は冬の化身。

 それを“春を呑む鬼”が食らうことで、ようやく春が訪れるという。


 だが、実際には――


「……骸花は、人の命と想いが咲かせる、鎮魂の花」


 お蝶はそっと呟いた。


「その花を穢す者がいるとすれば……それは“春を呑む鬼”のほうさ」


 こはるが選ばれた。

 巫女として。

 その魂が、いまも村のどこかに囚われている。


 お蝶は踵を返す。

 雪がまた、静かに降り始めていた。


「黒子、急ごうか。あの娘を、春の中から――救い出さなければねぇ」

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