四 密談
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本作は「贋作専門の鍛冶屋」と「押しかけ弟子の男の娘」が織りなす、ちょっとヘンテコで、時に熱い鍛冶ファンタジーです。
※毎週月曜・水曜・金曜に更新予定
それでは、どうぞお楽しみください!
騒動のあった夜、一行は青蛙亭の二階に宿を取った。
食事の代金も宿賃も、青蛙のおごりだった。
リタは、がばりと跳ね起きた。
シーツが汗でしっとりと冷たい。
——飛び交う怒号。獣くさい体臭。喉元をかすめた刃の感触。
夢の切れ端が、まだ頭の奥に張りついている。
枕元の剣にそっと触れると、胸の鼓動が少しずつ落ち着いてきた。
隣のベッドでは、マルコとエウラリオが寝息を立てている。
窓の外は、もう昼を過ぎていそうな明るさだった。
リタはシャツの皺をざっくりと伸ばし、ブーツに足を通すと、階下へと向かった。
酒場はおおむね片付いていた。
カウンター脇の床に、黒く乾いたソースの染みが残っていた。
黒ビールの匂いが、まだあたりに漂っている。
割れた食器のかけらが、窓からの光を反射してきらりと輝いた。
厨房では、青蛙が忙しく立ち働いていた。
青蛙がかき回している大鍋から、香草の良い香りが立ち上っている。
「リタちゃん、おはよう! 昨日はよく眠れたかい?」
「いつもは日が昇ると同時に起きるんですけど、今日は寝過ごしちゃいました」
「昨日は、大変だったからなぁ」
「あの人たちは?」
「あいつらなら、街から役人が来て引っ立てていったよ」
逃げ出した三人は別にして、“頭”とその手下のひとりは、どうやら死なずに済んだようだ。
今まで何人も殺してきたなどと息巻いていたが、あの一味にそんな度胸があるようには見えなかった。
度胸はともかく、中身の入った酒瓶で頭を殴られても死ななかったのだから、身体はそうとう頑丈らしい——それとも、エウラリオが手加減したのか。
エウラリオといえば、普段はくねくねしているのに、いざとなったら躊躇なく手が出たことにリタは驚いた。
よほど慣れていないと、ああいう場面では緊張して身体が固まってしまうものだ。
だが、エウラリオはそうでなかった——これまでの人生で、エウラリオは何度も修羅場をくぐってきたに違いない。
人は見かけによらないものだ。
と、厨房からおいしそうな匂いが漂ってきた。
リタの腹が、ぐぅと鳴った。
「リタちゃん、飯ができたから、あいつらを起こしてきてくれ!」
「はい」
青蛙の声に促され、リタは二階への階段を駆け上がった。
◇
朝食を兼ねた昼食は、ごく軽いものだった。
干し肉入りの塩粥がメインで、副菜は野菜の酢漬けの盛り合わせと卵焼きの小皿。
焦がし麦の温かい茶が入った大きなポットが添えられている。
前日の黒ビールがまだ残っているのか、マルコもエウラリオもあまり食が進まないようだった。
リタは元気いっぱいで、もりもりと料理を平らげてゆく。
「リタ、オレの分も食っていいぞ」
「私も胃がもたれちゃって……」
マルコとエウラリオが、自分の皿をリタの方に押しやる。
まだ食べ足りなかったリタは、喜んで皿を空にする作業にとりかかった。
リタが食べている間、マルコとエウラリオは小声で仕事の話を始めた。
昨晩も使った個室なので、話が外に漏れる心配はないとのことだ。
「ちかごろはどうも、きな臭くていけねぇ」
うんざり顔でマルコが言う。
「新しく就任したギルドの査察部長ってのが、そうとうの野心家らしいわね」
「おかげで、ちおち家で仕事の相談もできやしねぇ」
「そのてん、ここは安心ね」
「街から離れた一軒家だし、青蛙が見張ってくれてるからな——で、仕事ってのは?」
エウラリオが持ってきた仕事というのは、マルコに贋作を打って欲しいという依頼だった。
「――依頼人はさる好事家。その方はラファエロ・デ・マーレの剣を探しているそうよ。私が交渉しているのはその代理人なんだけど、そいつが悪い奴でね」
「お前だって悪い奴じゃねぇか」
茶を啜りながら、マルコがニヤリと笑う。
「混ぜっ返さないでよ。そいつは贋作でもいいからラファエロ・デ・マーレの剣が欲しいって言ってきたの。好事家には贋作を真作と偽って、高値で売りつけるそうよ」
「ふぅん……誰なんだ、その好事家ってのは。貴族かなにかか?」
「それははっきりしないんだけど、代理人の名前はヴィロ・ネストラ――裏に手を回してギルドの記録を調べたけど、身元は確からしいわ」
「ラファエロ・デ・マーレか……あの爺さんが死んで、どのくらい経つかな」
額に手を当て、思案顔のマルコ。
「亡くなったのは五年くらい前ね」
「もうそんなになるのか……ラファエロ・デ・マーレ……別名〈海のラファエロ〉。ギルドの寄り合いで、何度か顔を見たことがある。作風は――華美ではないが、実用一辺倒でもない。バランスの取れた剣を得意としていたな。青みがかかった刀身と白波のような刃文が異名の元だろう。それと、海辺に工房を構えていたようだが、装飾に錆を使っていたから、その加工に都合が良かったんだろうな」
「はぇぇ……師匠、すごいです……名前を聞いただけなのに!」
流れるように語るマルコに、リタは尊敬の眼差しを向ける。
その間も、粥をすくう手は止まらない。
「仕事だからな。それに、好きなことは自然と覚えてしまうもんだ。語ろうと思えば、いくらだって語れるが――」
「そのラファエロの作品が、このところ急に人気が出てきたのよ」
「ふむ……爺さん、多作な方じゃなかったからな。希少価値ってやつかな……」
「そんなところでしょうね」
「その金持ちは、いくらで買うって?」
「銀貨三百枚まで出すそうよ。もっとも、代理人のヴィロが自分の取り分を抜いた後の金額ってことだけど」
「さっ……さんびゃく! そんなにすごい人なんですか、その……海のおじいさんって」
銀貨三百枚といえば、家が建つ値段だ。
リタは危うく食事を喉に詰まらせそうになった。
「どっちかってぇと、金を出す方がすごいな。ラファエロ爺さんの作品そのものに、それほどの価値があるとは思えねぇ……そういう剣にポンと大金を出せるからには、よほどの金持ちなんだろう」
「ちかごろは貴族でございと威張ってみても、台所は火の車ってところも多いみたいね……問題は、元になる見本が少ないことかしら……ラファエロは私も扱ったことがない鍛冶師だし……」
エウラリオが、ポットから自分の茶碗に焦がし麦の茶を注ぎ足す。
茶は既に冷えてしまっていた。
「……まぁ、剣の見本はなくても大丈夫だろう。爺さんの剣なら、幾振りか見たことがある」
「銘はどうするの?」
「さてねぇ……茎までは見てねぇんだが……爺さん、銘は切ってたのかな」
「気に入った剣には銘を入れていたそうよ。というか、気に入らない剣は全て破棄していたそうだから、残されている剣には全て銘が刻まれているはず」
腕組みをしたマルコが、目を閉じ、足で床をトントンと踏みならす。
しばらくすると、その音が止まった。
「……だったら、破棄されなかった剣が一振りだけ残っていたという線はどうだ?」
「それだと、出来が悪かったってことで安くしか売れないわよ……いっそのこと、無銘のままギルドの鑑定にかけてみる?」
「ギルドねぇ……あまり関わりたくねぇんだけどな」
マルコは、冷えた茶を不味そうに飲み下す。
「だけど、ギルドの鑑定でラファエロ・デ・マーレの剣だと極めが付いたら、無銘の真作ってことになるるじゃない? そうなれば、むしろ値段があがるかも!」
「なぜだ?」
「考えてもご覧なさいな。いま残されているラファエロ・デ・マーレの剣には、全て銘が切ってあるのよ。そこに銘のないラファエロの剣が発見されたとなれば、希少中の希少ってことになるでしょ?」
名案を思いついたとばかり、エウラリオが勢い込んでまくし立てる。
「なるほど……無銘の真作となれば、好事家は欲しがるかもな」
「欲しがるに決まってるわ! だって、世界に一振りしかない剣なんですもの。出来の善し悪しなんて関係なくなっちゃうわよ」
「よし、それで行くか!」
「……あの、師匠?」
おずおずとリタが口を開く。
皿の料理は綺麗に食べ尽くされていた。
「何だよリタ、盛りあがってるところに水を差すな」
「今のお話って、ギルドを欺すってことですよね」
「ちょっと違うな。オレの打った贋作をギルドに真作として認めさせようって話だ」
「それって、ギルドを欺すのとは違うんですか?」
「欺すんじゃない、ギルドが勝手に勘違いするんだよ」
「でも……」
不安げな表情のリタ。
マルコは噛んで含めるように説明する。
「あのな、リタ。オレが打つのは、ラファエロ・デ・マーレの作風をなぞった剣だ。真似るための現物があるわけじゃない」
「はい」
「オレの打った剣は、ある日どこかで――そうだな、爺さんゆかりの地なんかがいいかな――そこで“発見”されるんだ」
「そこは嘘ですよね」
「経緯はどうだってかまわない。ラファエロ・デ・マーレが打ったように見える剣が、世に出てきたってことがキモだ。その剣には銘がない。だが、作風は確かにラファエロ・デ・マーレのものだ」
「ははぁ……わかってきました」
寄せられていたリタの眉根が、ゆっくりとほぐれてゆく。
「ギルドには作品の真贋を判定してくれる部署がある。そこへ剣を持って行くと、それが真作なのか贋作なのかを判定してくれる。手数料はかかるが、誰でも利用できるんだ」
「そうか……ギルドが本物だと認めてくれたら、それに優る証明はないってことですね!」
「どうだ、完璧な計画だろ?」
「でも……ギルドは、師匠の打った剣を海のおじいさんの作品だと認めてくれますかね?」
リタはまだ少し懐疑的だった。
ラファエロの剣は、その全てに銘が切られている。そこへ、作風がそっくりとはいえ、無銘の剣が現れるのだ。果たしてギルドは、その剣を真作だと認めてくれるのだろうか……。
「“贋作鍛冶屋”のマルコだもの、そこは心配してないわ」
リタと違って、エウラリオは楽観的だった。
「大丈夫、必ず真作として認められるわ。あなたの師匠の腕を信じなさい」
「……はい」
マルコもエウラリオも計画の成功を信じている。
リタも同じように信じたかったが、得体の知れない胸騒ぎはおさまらなかった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
【次回予告】
知らぬ間に銀貨五枚の借金を背負ってしまったリタ。
借金の相手はリタが弟子入りしようとしていた男だった——
次回、「嫌な奴が来た」 どうぞお楽しみに!