三 喧嘩なら買ってやる
ご訪問ありがとうございます。
本作は「贋作専門の鍛冶屋」と「押しかけ弟子の男の娘」が織りなす、ちょっとヘンテコで、時に熱い鍛冶ファンタジーです。
※毎週月曜・水曜・金曜に更新予定
今回は二話同時掲載です。
それでは、どうぞお楽しみください!
雑用係としてマルコの家に住み込むことになったリタには、一階の北側に位置する小さな部屋を与えられた。
部屋と言っても、窓のない納戸のようなつくりで、鍛冶に使う道具や材料などをしまっておくための物置として使われていた場所だ。
リタは一日を費やして、あふれかえるモノを整理し、なんとか寝るだけのスペースを確保した。
するとマルコがどこからか寝具一式を調達してきた。
新品ではないが清潔な布団や枕を見、リタの顔がほころぶ。
「……何をニヤニヤしている」
「はい、師匠の優しさを噛みしめていました」
「床で寝かせるわけにもいくまい……寝不足で火事でも起こされちゃたまらんからな」
「あっ、いまのって火事と鍛冶をかけてます?」
「……かけてねぇよ」
◇ ◇ ◇
雑用係として、リタは毎日忙しく働いた。
朝は日が昇る前に起きて掃除と仕事場の準備。それが終われば食事の支度。
手が空いているときには、鍛冶場の隅でマルコの作業を見ることができた。
マルコが振るう鎚によって、真っ赤に焼けた鉄の塊がみるみる形になってゆく。
「こんなところか……」
火挟で掴んだ鉄を様々な角度から確認したマルコがつぶやく。
「リタ……熱した鉄を鎚で叩くのは何故だ」
「はい、赤くなるまで熱した鉄は柔らかくなるので、柔らかいうちに鎚で叩いて形を整えるためです」
「それだけじゃない。叩くことで鉄の強度が上がって、粘り強くもなるんだ」
「ははぁ……どうしてそうなるんですか」
「鍛冶屋は経験でわかっていることだが、学者が言うには、熱して叩くことによって“鉄の向きが揃う”らしい」
「わかったような、わからないような……」
「これからの鍛冶屋は、そういった理屈もわきまえておく必要があるかもしれねぇな」
「はい!」
「にゃぅ……」
炉のそばで丸くなっていたフェロが、顔を上げた。
「フェロもそう思うの?」
「こいつはそんなこと考えちゃいねぇよ……」
「あら~っ、リタの弟子っぷりも、だいぶ板についてきたじゃない」
勝手知ったる様子で、エウラリオがマルコの鍛冶場へ入ってきた。
「……弟子じゃなくて、雑用係だ」
「どっちだって一緒じゃない」
「違うって。オレはまだこいつに何もさせちゃいないんだ」
「仕事を手伝わせてるでしょうに……現に今だって――」
「リタには掃除や片付けくらいしかさせてねぇよ」
「でも、師匠はこうやって近くで仕事を見せてくれるし、色々と鍛冶のことを教えてくれてます」
勢い込んでリタが言う。
「ほら、ごらんなさい。これで弟子じゃなかったら、何だっていうの?」
「うるせぇな、ひとんちの事情に口を挟むなよ……で、今日は何の用だ」
「仕事の話よ」
それを聞いて、マルコの顔が引き締まる。
「——なら、青蛙亭がいいな」
「そうね」
「……それって、何ですか?」リタは怪訝な顔。
「行けばわかるわよ」と、エウラリオが片目をつぶる。
「おい、こいつも連れて行く気か?」ちょっと慌てた様子のマルコ。
「弟子を仲間はずれにする気?」
「だから弟子じゃねぇってのに……まぁ、いいや。リタ、出かけるから支度しろ」
「は、はい!」
急いで仕事場を片付けたリタは、手と顔を洗って服を着替え、マントを羽織った。
ちょっと迷ったが、腰に父の形見の剣を吊る。
なにせ、どこへ行くかも聞かされていないのだ。
どうやら行き先は“青蛙亭”らしいが、そこがどんな場所なのかリタにはわからない。
(名前からすると、酒場か宿屋のように思えるけど——)
とにかく、どんな危険があるのか知れないのだ。
用心するに越したことはない。
「お待たせしました」
「よし、行くぞ」
一行が歩き出すと、空が赤く染まっていた。
ひんやりとした風がリタの頬を撫でていった。
マルコとエウラリオは、ポツリポツリと言葉を交わしながら、街中の通りを歩いてゆく。
二人とも、長身の上に足が速い。
置いていかれないように、小柄なリタの歩みは、ほとんど小走りのようになっていた。
時々、エウラリオが振り返って、リタが着いてきているかを確かめる。
リタが遅れていると、エウラリオはマルコを促して歩みを遅くしてくれた。
歩くうちに日はとっぷりと暮れ、空に星が輝きだした。
街からだいぶ離れてしまったので、周囲に明かりはない。
一行が歩いている道は、今はあまり使われていない古い街道だった。
いちおう、煉瓦で舗装はされてはいるものの、あちらこちらで煉瓦が剥がれ、隙間からは雑草が伸び放題に伸びていた。
月明かりに照らされた旧街道は、いつ山賊が現れてもおかしくないほどに剣呑な雰囲気だった。
恐ろしくなったリタは、マルコのマントの端をそっと握った。
マルコはリタの手をちらりと横目で見ただけで、何も言わなかった。
やがて、街道の先にぽつんと明かりが見えてきた。
どうやらそこが目的地らしい。
リタは、安堵のため息をついた。
急に恥ずかしくなって、マルコのマントから手を離す。
「——師匠、あれが青蛙亭ですか?」
「ああ」
近づくにつれ、だんだんと建物の様子がわかってきた。
木造の二階建てで、一階の窓からぼんやりと明かりが漏れている。
一階が酒場と食堂を兼ねていて、二階が宿屋というつくりの建物だった。
風雨にさらされ続けた外壁は、ところどころ腐って穴が空いており、窓から漏れる明かりがなければ、廃屋と言っても通るほどのやれっぷりだった。
街道に面した入口の上には、風雨にさらされ続けた看板が掛けてあり〈青蛙亭〉の文字がかろうじて読めた。
マルコが扉を開けて、中に入る。
エウラリオとリタがマルコに続いた。
青蛙亭の中も、外よりマシということはなかった。
がらんとした店内には客がおらず、五、六台あるテーブルには背もたれのない腰掛けが乗ったままだった。
「……誰だ」
男がひとり、奥の厨房から出てきた。
「客をつかまえて、誰だはねぇだろ……なぁ、青蛙」
マルコがニヤリと笑う。
「んぁ……?」
青みがかった髭を顔中にはやした大男が、声の主をよく見ようと目を細める。
この男が店主の青蛙。
引退した冒険者だ。
年齢不詳だが、髭や髪に白いものが混じっているところをみると、マルコよりもずっと年上だろう。
「よぉ、マルコじゃないか」
顔をぐしゃりと歪めたのは、青蛙流の笑顔らしい。
「どうした、こんな夜更けに?」
「夜更けってほどでもねぇが……飯を食いに来たんだよ」
「それとお酒もね」エウラリオが付け足す。
「なんだ、オカマも一緒か」
「なによ、相変わらず失礼な奴ね」
「オカマをオカマと呼んでなにが悪い。そっちはマルコの子供かい? 知らなかったなぁ……いつの間にこさえたんだよ。相手は誰だ、俺が知ってる女かい?」
リタの姿を見て、青蛙が目を丸くしている。
「ばか、つまらねぇこと言ってんじゃねぇよ」
「リタはマルコの弟子なのよ」と、エウラリオ。
「へぇ〜っ! マルコが弟子を取ったのか!」ますます驚いた様子の青蛙。
「弟子じゃなくて雑用係だよ。オレは弟子なんて取らねぇの」
「あの……僕、男なんですけど」リタがおずおずと言う。
「へっ……」青蛙は絶句した。
「私と違ってリタは繊細なんですからね。間違ってもオカマなんて呼んだらダメよ、青蛙」
「こんな可愛い子をオカマ呼ばわりするもんか! オカマってのは、お前のような厚化粧のヒラヒラお化けのことを言うんだよ」
「黙りなさい、ラナ」
「おい、その名で俺を呼ぶなって」
「女の子みたいな名前してるくせに、ごつごつしちゃって。そのむさ苦しい髭を剃ったら、少しはマシになるんじゃないの?」
「うるせぇなぁ……」
二人が本気で喧嘩しているわけではないことはリタにもわかった。
マルコとエウラリオ、そして青蛙——三人の間に流れる気安い空気が心地良い。
「いつまでもウダウダ言ってねぇで、何かうまいものを作ってくれよ、青蛙」
「よしきた!」
マルコの言葉を潮時に、青蛙は厨房で腕を振るい始めた。
◇
店の奥にある個室に通された一行の前に、料理が運ばれてきた。
「リタちゃんは、うちの店が初めてだからな。まずは名物料理を味わってもらいたいんだ」
例の、顔をぐしゃりと歪めた笑みを浮かべながら、青蛙が大皿に盛られた料理をテーブルの上にドンと置く。
皿の上で湯気を上げているのは、大きな魚だった。
衣をまぶした川魚を丸ごと油で揚げて、そこへ甘辛いソースをたっぷりとかけまわしてある。添えられた香草の強い匂いが食欲を刺激した。
「リタ、食ってみろよ」
「は、はい……いただきま〜す」
マルコに促され、リタは取り分けた魚をひとくち口に運ぶ。
パリパリの皮の下には、ホクホクとした白身の淡泊な味。絡めたソースは、はじめは甘く、すぐにピリッとした辛みが追いかけてくる。
空きっ腹に染み渡るような旨さだった。
「うわっ、これすごくおいしいです!」
とても辛いのだが、手が止まらない。
噛んで、飲み込むのももどかしく、すぐに次のひとくちが食べたくなる。
マルコとエウラリオは、黒ビールのジョッキをあおりながら、リタの食べっぷりを眺めていた。
「師匠もエウラリオさんも食べないんですか?」
もぐもぐと口を動かしながら、リタが言う。
「後で食うから、少し残しておいてくれ」
「若いっていいわね」
「そうだな。オレも以前ほどは食えなくなっちまった」
「味付けの好みも変わってしまったわね」
(師匠もエウラリオさんも、まだ三十を少し越えたくらいのはずなのに……)
自分もいつか、あんな風に食が細くなるのだろうか——
リタの若い身体は、成長のための食料を常に求めている。
大人たちの言っていることが信じられない気持ちで、リタはせわしなく口を動かし続けた。
その後も、青蛙は次々と料理を運んできた。
羊の肉に香辛料と岩塩をすり込み、こんがりと炙ったもの。
腸詰め肉と香味野菜の壺煮込み。
香ばしく焼き上げたパンには、野苺のジャムが入った壺が添えられている。
マルコとエウラリオは、どの料理も少しつまんだだけで、残りはリタに食べさせた。
リタが旺盛な食欲で料理をやっつけている間、黒ビールのジョッキが次々と空になっていった。
皿の上の料理があらかた無くなり、リタは服のベルトをそっとゆるめた。
「師匠、僕ちょっとお手洗いに——」
「この店にそんな気の利いたものはねぇよ」
「えっ……」
「何度言っても、青蛙はトイレを作ってくれないのよねぇ……」エウラリオがため息をつく。
「じゃ、じゃぁどうすれば……」
リタは太ももをこすりあわせ、モジモジと足踏みをする。
「用を足すなら店の外でしてこい。壁に小便をひっかけるなよ? 建物が腐って潰されちゃかなわねぇからな」
「それでなくても、半分腐ってるような建物だしね」
何がおかしいのか、マルコとエウラリオが大声で笑い転げる。
リタはそれどころではない。
「どうした、怖いならついていってやってもいいぞ」からかうようなマルコの口調。
真っ暗な外へ出るのは正直怖かったが、
「ひとりで行けます!」
強がりを言って、リタは部屋を飛び出ていった。
「一人で行かせて大丈夫かしら……」エウラリオがやや不安げに言う。
「ちょっと表で用を足すだけだ、心配いらねぇよ——そういや、以前にお前が話してたマディドゥームの件な」
マルコがちょっと声をひそめる。
「あなたの師匠ベルナルド・ローザが打った“魔剣”ね……その“魔剣”が裏市場に現れたっていう噂だったけど」
「ああ……どうやらあの噂、まんざらデタラメでもなさそうだ」
「まさか……私も気になって調べたんだけど、“魔剣”は今でもちゃんとメキトルの宝物倉にあるそうよ」
「本物はメキトルにあるだろうが、現れたのはその“影打ち”だと思う」
「!!」
エウラリオは口に含んだ黒ビールを吹き出しそうになった。
「あの剣に影打ちがあったの!?」
「昔、師匠から聞いたことがある。マディドゥームは師匠が若い頃の作品だが、二振り打って出来の良い方を真打ちとして銘を刻んだそうだ。それを美術商が高額で買い取ったことで、師匠の名声は一気に高まった。手にした金で、自分の工房を建てたっていう話だ」
「影打ちの方はどうしたの?」
「はじめは鋳潰してしまおうと思っていたそうだが、惜しくなって手元に残しておいた……だが、あるとき剣は忽然と姿を消してしまった」
「弟子の誰かが盗んだんじゃないの?」
「オレが弟子入りする以前の話だからな……詳しいことはわからねぇ。だが、師匠は言ってたよ――“弟子に全幅の信頼を置かなければ仕事はできない……その弟子が不始末をしたならば、それは師である自分の責任だ”ってな」
マルコの目はどこか遠くを見つめているようだった。
「……立派な人ねぇ、あなたの師匠って」
「そんな大層なもんじゃねぇけどな」
「でもそれを聞いて、ますます“魔剣”の話が真実みを帯びてきたわね」
「そうだな……ま、師匠の打った剣のことだから気にはなるが、どのみちオレたちには関係ねぇ話だろ」
「だけど、裏とはいえ市場に出ているとなると……買えるものなら手に入れたいわ」
「たとえ買える金があったとしても、やめたほうがいいと思うがね」
マルコが舌打ちをして、顔をしかめる。
「どうしてよ……あんな素晴らしい剣を自分のものにしてみたいと思わない?」
「思わねぇな。お前だって、あれがなぜ“魔剣”と呼ばれてるのか、知らねぇわけじゃなかろうに」
「知ってるわよ……持ち主だけじゃなくて、周りをも巻き込みながら災厄を振りまいてゆくという伝説でしょ」
「伝説じゃなくて事実だよ」
「偶然よ、そんなの。剣の持ち主の周りで、たまたま不幸が重なっただけ」
「だといいけどな。なんでも、師匠は地の底に棲む“魔”と契約をして、あの剣を打ったとか」
「それこそ伝説じゃない。本人にそう聞いたわけ?」
「んなこと聞けるかよ……「俺を何だと思ってるんだ、お前は!」なんてドヤされてさ、三日ほど飯抜きにされるか、あるいは木に吊されて棒で尻をぶったたかれるか――」
過去にベルナルドから受けた折檻でも思い出したのか、マルコはブルッと身を震わせた。
「ベルナルド・ローザって、そんな人だったの?」
「そんな人だったんだよ」
「ふぅん……だけど、そのわりには、ずいぶんと楽しそうに昔の話をするじゃない」
「……楽しかったよ、あの頃は」
マルコはジョッキを傾け、黒ビールをぐびりとあおった。
「それにしても、リタは遅いわね」
「あいつ、ベルトをゆるめてたしな。腹でも下してんじゃねぇのか」
「心配だから、私ちょっと見てくる——」
エウラリオが立ち上がろうとしたとき、酒場のほうから騒ぎの声が聞こえてきた。
マルコとエウラリオは顔を見合わせ、同時に椅子を蹴って部屋から飛び出した。
◇
酒場では、腰の剣を抜いたリタが、むさ苦しい姿の男たち五人に取り囲まれていた。
テーブルや椅子はひっくり返り、床には料理やら酒瓶やらが散乱している。
「マルコ、いいところへ来た。いま、お前たちを呼びに行こうとしてたところだ」慌てた様子の青蛙が、マルコたちの元へ駆け寄ってくる。
「あいつらが酌をしろだ何だとリタちゃんに絡んでよぉ……嫌がるリタちゃんに抱きついたりしたもんだから——」
「リタが剣を抜いたと……大勢の男を相手に剣を構えて一歩も引かねぇなんて、リタの奴たいした度胸じゃねぇか」
「マルコ、落ち着いてる場合じゃないぞ。あいつらはこの辺りの裏街道にちょくちょく顔を出すようになった乱暴者たちなんだ」
青蛙が吐き捨てるように言う。
「山賊だ盗賊だとうそぶいちゃいるが、ただのならず者の寄せ集めだ。だけど数を頼みに凄んでくるもんだからさ……たまにうちの店に来ては、酔っ払って暴れたり酒代を踏み倒したり、やりたい放題しやがる。おかげで常連客も逃げ出しちまうし……あいつらにはホトホト困ってるんだよ」
五人の男は、いずれも山で泥をかぶったような格好をしていた。
袖が破れた粗末な上着、腰にぶら下げた幅広の山刀、汚れた頭巾にすり切れた麻のマント。
長旅の疲れではなく、やさぐれた暮らしがそのまま染みついたような連中だった。
遠巻きに様子を窺っていると、男たちはリタに向かって口々に勝手なことを囃し立てる。
「お嬢ちゃん、手が震えてまちゅよぉ?」
「女のくせに剣なんか振り回しやがって——おまえは言われたとおり、黙って酌をしてればいいんだよ」
「言うとおりにしたほうが身のためだぜ……いままで俺たちが何人ぶっ殺してきたのか教えてやろうか?」
「そうそう。俺たちを怒らすと怖いぞぉ? だから、その物騒なものは早いとこしまっちまって、一緒に飲み直そうや」
「…………」
リタは無言で剣を構え続ける。
男たちの様子を観察し(どうやらこいつが親玉らしい——)と、ひとりの男にあたりを付けた。
その男は、大きな身体を見せびらかすように、素肌の上半身に猛獣の毛皮を引っかけていた。下は煮染めたような色の足通しに、すり減った革のサンダルという姿。
右手に握っている両手持ちの重そうな大剣は、刃こぼれだらけで、よく見ると剣先が小刻みに揺れている。重すぎて、筋肉が悲鳴を上げているらしい。
(無理しないで、両手で構えればいいのに……)
頭の片隅で、リタはそんなことを考えた。
緊張はしていても、意外と頭は冷静なことに自分でも驚く。
いよいよとなったら、リタはその親玉めがけて飛びかかるつもりでいた。頭を潰せば、残りは怯む——いつかマルコからそんな話を聞いたことがある。
リタは、汗で滑る剣の柄をギリッと握り直した。
「こいつ……小娘のくせに、なかなか肝は座ってらァ」
どことなくうわずった男の声。
もとより差し違える勢いのリタと、からかい半分の酔った男とでは、覚悟のほどが違う。
何とも言えぬリタの迫力に気圧されて、男は思わず視線を外してしまった。その目が、マルコの目とぶつかる。
「なさけねぇなぁ……大の男がよってたかって」
蔑んだような口ぶりで、マルコが言う。
「師匠!」
振り返ってマルコの姿を認めたリタの顔が、ぱっと輝いた。
「なんだぁ、テメェ……」
「そりゃ、こっちの台詞だ。何なんだよ、お前ら」うんざりしたような、マルコの口ぶり。
「……俺たちは〈血嵐の毒蛇七人衆〉だ!」
どうだ、とばかりに親玉が胸を張って名乗ったものの、場にはしらけた空気が流れただけだった。
「……五人しかいないようだが?」
「う、うるせぇ! 結成の時にはちゃんと七人いたんだよ!」
自覚があるのか、マルコに指摘されて、親玉が目を泳がせながら必死に言い訳を怒鳴る。
「それに人数は置いとくとしても、かなり格好悪いぞ、その名前」
「なっ……なんだとぉ!?」
「まず名前が長すぎるだろ? それに意味不明だ。なんだよ、血嵐の毒蛇って……血嵐と毒蛇は関係ねぇだろうが」
「…………」
親玉は、怒りのあまり言葉が出ない様子だった。
食いしばった歯が、ギリッと音を立てた。
「おおかた、恐ろしげな単語を組み合わせただけだろうが、どっちかに絞った方がいいんじゃねぇのか?」
「…………」
荒い息をつき、肩をぷるぷると震わせる親玉。
「てめぇらは馬鹿なんだから、馬鹿は馬鹿らしく〈バカ五人ぐみ〉にでも改名したらどうだ」
薄笑いを浮かべながら、マルコが挑発するような言葉を吐き捨てる。
「こ、このやろう……バカだバカだとバカにしやがって! てめぇら、やっちまえ!」
親玉の号令一下、手下どもが一斉にマルコに襲いかかってきた。
「エウラリオ、任せた」
「ちょっと、マルコ!」
ひょいと後ろに下がったマルコの身代わりとなったエウラリオは、殴りかかってきた一人の手下の脳天に向かって、手にした酒瓶を振り下ろした。
ゴッ……という鈍い音と共に、男が床に倒れ込む。
「あ〜あ……せめて空瓶で殴ってやれば良かったのに」
頭から盛大に血を流し、ぴくぴくと手足を痙攣させている男を、マルコは哀れむような眼差しで見下ろす。
「手近にあったんだから仕方ないでしょ」エウラリオが口を尖らせる。
「こいつ……!」
「仲間に何をしやがる!」
「ぶっ殺してやる!」
残りの男たちは口々に威勢の良いことを喚くが、いっこうに襲いかかってこない。
一撃のもとに倒された仲間の姿を見て、腰が引けてしまったのだ。
「やい、こいつがどうなってもいいのか!」
見れば、親玉がリタを羽交い締めにしていた。
リタの喉元には、刃こぼれだらけの大剣がピタリとあてられている。
「さすが頭!」
「やりましたね」
「これで、こいつらも降参するしかありませんぜ」
手下の言葉を受けて、親玉は満足げに頷いた。
「さっさと武器を捨てて降参しやがれ!」得意になった親玉が、だみ声で怒鳴る。
マルコは面倒くさそうに、
「リタ、何とかして隙をつくれ」
「はい!」
間、髪を入れず、リタは親玉の手にがぶりと噛みついた。
「いっ……いでででっ!」
顔をしかめた親玉の額に、うなりを上げて飛んでいった酒瓶が命中した。
リタの首に回された手が緩み、親玉は白目を剥いて後ろへ倒れる。
床にぶつかった親玉の後頭部が、メキッ……と嫌な音を立てた。
残った三人の手下たちは、互いに顔を見合わせると、一目散に青蛙亭から逃げ出した。
「親分を見捨てるのかよ……やっぱりあいつら、ごろつきの寄せ集めだな」と、あきれ顔のマルコ。
リタは呆然としたまま、その場にへたり込んでいる。
「リタ、勇敢だったぞ」
マルコはリタのそばへと行き、頭をぽんぽんと撫でてやる。
「師匠……僕、夢中で……」
今になって恐怖が襲ってきたのか、リタはガタガタと身体を震わせ、目から涙をぽろぽろとこぼしている。
「シ〜ッ、もう終わったんだ。大丈夫、大丈夫だ」
マルコはリタの隣にしゃがみ込んで、優しく言い聞かせた。
青蛙が、伸びている男たちを乱暴に縛り上げる。
月が高く昇っていた。