『しつこい男』
おいしかった。
さあ、このお肉を温かいうちに家に持って帰らないと。せっかくパンと野菜も一緒に買ったのだから。
ライアが抱えている紙袋からは、串焼き屋の肉以外に。
焼きたてのパン──真ん中に十字のクープを入れて焼き上げた丸いハードパン。
パリッとした厚い皮とその中の柔らかい生地。小麦とバターの香りが漂う。
これはサラダにしよう、と購入した葉野菜のみずみずしい緑からは土の匂いがする。けれど、それは新鮮な証だ。
袋からニョキリ、と葉を茂らせた茎を飛び出しているセロリは爽やかな独特の香り。
す────。鼻を袋に押し付ける。
食欲を喚起させる魅惑的な香りのパレードを胸いっぱいに吸い込むと、串焼き屋のオマケをもらって一度は大人しくなっていたライアのお腹が鳴った。
「はああ、おなかが空きました。早く帰ってご飯にしましょう」
ライアが、急ごうと石畳の上に右の靴を乗せた時。
「待ってくれ、ライア!」
「え?」
呼びかけられたので振り返ると、そこにいたのは先程、スプルスに懲らしめられたエビンだった。
「何の御用ですか?」
「ライア。やっぱり俺は、君のことを諦められない」
「すいません」
ライアは深々と頭を下げて、拒絶した。
「先程、お付き合いはお断りさせていただきました。先生もエビンさんのことを認められていません」
ライアが名を呼んだ時だ。
エビンは、眉を歪めて傷ついた表情をした。
「エビンじゃない、『エヴァン』だ」
やっぱり間違えて記憶していた。
ライアは申し訳ないと、また頭を下げた。
「それともう一つ教えておく、俺はサリオン子爵家子息だ」
「そうだったんですか?」
ライアは庶民だ。貴族に対する無礼を詫びるべくさらに頭を低くする。
「ああ。貴族だって知ったら君が緊張すると思って黙っていたんだ」
「お気遣いありがとうございます」
「エヴァン・ルム・サリオン。それが俺の名前だ。今度は覚えてくれたか?」
「ええと、長いので、逆にまた間違えそうです」
ライアは少しだけ頭を上げてエヴァンを見た。
「そうか。いや、いい。名前はあとでゆっくりと覚えてくれたら」
「はい?」
ライアは、首を傾げる。意味がわからなかった。
なぜ、ここでお別れする人の名をあとで覚えるのか。
エヴァンは、熱を宿して潤んだ瞳でライアを見ていた。
「もっと君を知りたい」
エヴァンの後ろにいた男たちが、ぞろぞろと前に出てきた。
「本当にいいんですね。サリオン様?」
「かまわない。ただし、傷はつけるんじゃない」
にやけた笑いを浮かべると男は「かしこまりました」と、ふざけながら右手を左肩に当てて礼をとった。
そして、あごで他の男たちに合図する。
「悪いね、お嬢ちゃん」
「けどお貴族様に見染められるなんて玉の輿だろ?」
「せいぜい可愛がってもらいなよ」
男たちは、ライアを取り囲む。
小柄な姿は、すっぽりと隠れて見えなくなる。
男の一人が、その腕に抱かれていた紙袋を奪う。
「こいつは俺が運んでやるよ。あとでゆっくり食べな?」
返してほしいと、手を伸ばしても、高く持ち上げられたそれに小柄なライアの手は届かない。
ライアが奮闘している姿を見ながら「初めて見た時から目が離せなかったんだ」とエヴァンはささやいた。