『Grand Duke』
「無礼者め!! 我は、エヴァン・ルム・サリオン! サリオン子爵家の者であるぞ」
あと少しだったのに。
邪魔をされたエヴァンは怒りと魔力を込めて名乗りをあげる……が。
「くだらん。子爵如きがどうした」と、男は返した。
そのことに激昂し、エヴァンはより声に怒りを乗せる。
「貴様は当家を侮辱するかッ、おまえは誰だ!!」
男の目は、実に退屈そうだった。
ふう、とかすかにため息をついて声に魔力を乗せた。
「──エルディング公爵家当主と言えばわかるか?」
さもつまらなそうに口にされた名前に、エヴァンが目を見開いた。
そして、なぜこんなところにいるのか、という疑問をありありと顔に貼り付けた。
「『大公』であらせられる、と?」
「そう言っている」
男の声に含まれた魔力の濃さに、エヴァンはカタカタと奥歯を鳴らす。
いつでも飛びかかれるように構えていた男たちの顔からも血の気がひいていた。
ライアだけは、変わらぬ様子。
エヴァンが言った単語の意味を思い出すのに頭を使っていた。
『大公』は確か、この国の貴族の中で……。
王
王族
公爵
侯爵
辺境伯
伯爵
子爵
男爵
これらの中で、公爵家の当主にあたる王族だった、はず。
自分は貴族の礼儀の勉強でそう教わった。
そして、『エルディング家の当主』は何だったか。何か言われていたが忘れてしまった。
しかし、それよりもとても気になることがある。
それはライアには無視できないものだった。
じいい、と黒縁メガネの奥の瞳で、男を見続けていた。
◆◆
大公。
そう呼ばれた男は、腰まである金の髪。
身長は平均男性のものより一際高く、肩幅も広く、体格はしっかりとしている。
鍛えられた手指。
逃亡した時のまま、靴は履いておらず、裸足で石畳の上に立っていた。
冷えた石のザラザラとした感触を気にせず、大公は踏み出す。
子爵家子息と男たちは、身を硬くすることしかできないが、それも仕方がない。男は高貴な身分の存在。現国王の亡き双子の弟の息子──つまりは『甥』にあたる。
おいそれと手を出していい相手ではなかった。
「不敬罪で牢に入れられるか、それとも俺の相手をしたいか?」
「いいえ。ど、どちらもごめんです!!」
「ご容赦ください、大公閣下!!」
自身に向けられたわずらわしい懇願の言葉の数々に、男は目を細める。
「退屈だな。──去れ」
「ハッ!!」
エヴァンも男たちも即座に一礼する。そして、壁に身を寄せながら下がると、一定以上離れたところで、全力で逃げ出した。
しかし、エヴァンは割れた石畳で足を滑らせて転び、後続の男に踏まれて苦鳴を上げる。
その無様な声は「まるで蛙だ」と大公に思わせた。
◆◆
「大公様、ありがとうございます」
女は左のおさげを揺らながら、コロコロと転がるように近づいてくると、深々と頭を下げた。
無視して、背を向ける。
「お待ちください」と呼び止める女を、無視しようとしたが。
「随分とひどい『ひび割れ』ですね」と声をかけられた。
それは、足を止めるに十分な言葉だった。
「視えるのか?」
「手と腕、足に背中。割れたのは胸からですね」
黒縁メガネの小柄な女は、まず足元を見下ろし、それから大きく首を傾けながら見上げ、唇に指を当てると、首を傾げて言った。
動きに合わせて、髪が揺れる。
「興味が湧いた。名乗れ、俺は『ダーイング・ツァイラ・エルディング』。大公である」
ダーイングは首を大きく曲げて、見下ろしながら先に名乗った。
ライアは、貴族の礼儀に沿ってスカートの端を摘んで行儀良くお辞儀をする。
「私は、『ライア・アーティ』でございます。ダーイング様。ぜひ『石の家』へお越しを。──御礼を兼ねて、ご招待いたします」
ライアが顔をあげて、まっすぐに見上げると。
分厚いメガネのレンズは、ダーイングのひび割れた姿を映していた。




