暗黒騎士、追放と覚醒
「――ヴァルディス、囮になってくれ」
その一言は、まるで巨大な岩が胸にのしかかるような衝撃をヴァルディスに与えた。
峡谷の奥、目の前にそびえ立つのはブラッドストーンゴーレム。ごつごつとした岩のような体に、赤い結晶が散りばめられている。結晶が時折、不気味な光を放ち、周囲の岩肌を淡い血色に染め上げていた。その巨体が地面を踏み鳴らすたび、足元の小石が震え、崩れた瓦礫が谷底へと転げ落ちていく。
ヴァルディスの背後に控える仲間たち――いや、かつて仲間だと思っていた者たちの表情は、冷たくよそよそしい。
「冗談だろ? ……俺に死ねって言うのか?」
ヴァルディスの声はかすれ、掠れた言葉の端に怯えが滲んでいた。しかし、そんな彼を助ける者は一人もいなかった。囮になれと宣言した若き【勇者】アレンは、冷笑を浮かべながら剣を納めてしまう。
「何言ってんだよ、不遇職の【暗黒騎士】にこれ以上、何を期待しろってんだ? せいぜい時間稼ぎくらいは役に立つだろう」
ミニス――清らかな微笑みを湛えた【聖女】は、意地の悪い母親が子どもを諭すような口調で言った。
「そうですよ。ヴァルディスさんなら、暗黒騎士のスキルで多少は耐えられるはずです。頑張ってくださいね」
カイル――冷静沈着な【銃戦士】は銃口を磨きながら、肩をすくめた。
「悪いな。こっちだって生き残るのに必死なんだ」
次の瞬間、彼らは何のためらいもなくヴァルディスを置き去りにして谷の奥へと走り去った。冒険者としてのレア・アイテム回収ミッションなど、命には代えられない。
ヴァルディスは呆然と立ち尽くし、ゴーレムの咆哮が彼の耳元で轟いた。
ゴーレムが地を踏み鳴らしながらゆっくりと近づいてくる。岩肌が軋む音とともに、大地そのものが呻くような振動が伝わってきた。
ヴァルディスは自らの手に握られた大剣を見つめる。
──体力・魔力も残りわずかだ。相手の魔力を奪う【吸魂】のスキルを使い、なんとか形成を立て直す。
限られた選択肢の中で策を練る。しかし、それがこの魔物の前では何の役にも立たないことは、もうわかりきっていた。
「……こんな形で終わるのか?」
絶望が胸を満たす。パーティーと信じていた仲間たちに裏切られ、このまま何もかもを失ってしまうのか。怒りと悲しみがないまぜになり、膝をついた彼の視界が赤黒く歪む。
その時だった。
『――力が欲しいか?』
どこからともなく低く響く声が聞こえた。ゴーレムの咆哮も、岩が崩れる音もかき消されるように、声だけが鮮明に響いている。ヴァルディスは目を見開き、辺りを見回したが、誰の姿もない。だが声はなおも続ける。
『こんなところで終わりたくないんだろう? ならば、俺の力を受け入れろ』
その言葉に応じるように、ヴァルディスの心に渦巻く感情が形を成した。怒り、悔しさ、そして生き延びたいという渇望。彼の中で、それらが一つに結びついた。
「この声は……誰だ? いや、どうでもいい……この状況を変えられるなら、誰でもいい! 力が欲しい!」
ヴァルディスの身体から漆黒の波動があふれ出し、ゴーレムが一瞬、動きを止める。
同時に辺りを暗黒が覆い尽くした。
彼の持っていたスキル――【吸魂】が覚醒した瞬間だった。
ヴァルディスは自分の身に何が起きたのか、自分でさえわかっていない。だが、何かに導かれるように【吸魂】を発動した。
彼の手から放たれる黒い光がゴーレムを貫く。岩肌の間に埋め込まれた赤い結晶が次々と砕け散り、そこから溢れ出た赤黒い霧がヴァルディスに吸い込まれていった。
「なんだ……これ……?」
途方もない力が身体を満たすと同時に、ゴーレムが片膝をつき大地が揺れる。立ち上る粉塵の中で、ヴァルディスは膝をつき、荒い息を吐きながら自らの手を見る。
【吸魂】は本来、相手の魔力を奪い取るだけのスキルだ。
しかしヴァルディスが放ったスキルは、相手の生命力、魔力を略奪していた。
それだけではない。
彼の体には常に魔力で覆われた薄い膜のようなものが張られている──ゴーレム種特有の頑強さが、その身に宿っていたのだ。
「ゴゴゴ……」とゴーレムの鈍い唸り声が響いてくる。上位種のブラッドストーンゴーレムだけあって、簡単に倒れてはくれない。
「負ける気がしない……! 【奈落の一撃】!」
ヴァルディスは自らの生命力と引き換えに放てる、強力な攻撃スキルを発動した。
自爆に近いこの技は大変なリスクを伴うが、今のヴァルディスにとっては大した問題ではない。
消耗する生命力は、奪い取ったばかりのゴーレム自身の生命力なのだから。
大きく跳躍して大剣を振りかぶり、闇を纏った渾身の一撃をゴーレムの頭部に叩き込む。その威力は圧巻で、ゴーレムは脳天から真っ二つになり、分断された体が大きな音を立てて崩れ落ちた。
(なんだこの力。本当に個人がもっていいスキルなのか……?)
ヴァルディスの『自らの命を削って放つ必殺技』は『相手の命を削って放つ必殺技』になっていた。
いくら考えても答えはどこにもない。谷間に広がる静寂が、彼の不安を増幅させるように感じられた。
「……とにかく一度、街に戻ろう」
立ち上がったヴァルディスは、握り締めた大剣を背に収め、前を向いた。
歩みと共に戦闘の昂りも落ち着いていき、彼は自分の中で湧き上がる気持ちと向かい合っていた。
その気持ちとは、力への渇望。
──誰に、何のために渡されたのかもわからない得体のしれない力。不安はあるが、この力を使いこなせば……囮にされるような弱い自分と決別できる。
それに『吸魂』でスキルを奪った時、ゾクゾクするような快感があった。新たな力を得た達成感、万能感。子どものとき以来に感じる、やればできるという自己肯定感。
弱い自分を許せない。
この悦びをもっと味わいたい。
だから。
「俺はこの力を使いこなして……誰より強くなってやる!」