ある休日の弓矢DIY
今日はオフだ。
俺は街の濡れた石畳の小路をのんびりと歩いている。世間的にも休日で、街中は思い思いに外出を楽しむ家族連れなんかが目立つ。
晴れているのに時おり小雨が降ったりと朝から変な天気だ。近くの森の木々たちとの感覚共有によると午後から本格的な雨になるようなので、商店が開く時間に合わせて朝一番から買い出しを始めている。
オフが2日以上続くときはマルシェで食材を買い込むこともあるが明日は冒険に出る予定のため今日は最小限に留めるつもりだ。早く済んだら後はのんびりしよう。
冒険に携行するポーション類や錬金素材もひと通り購入した。
『豊穣の女主人』に依頼されていたカトラリーの納品と集金も済ませた。
携帯食や飲料水はアメリアとカミーユが全員分を引き受けてくれている。買物程度のアイテムボックスなら彼女らも持っているので荷物持ちは不要だ。まぁ必要だとしてもアメリアは腕力も体力も俺より上だから問題ない。え?そういう問題ではないって?
次は武具だな。
これから鍛冶師の工房へ、メンテナンスを頼んでいた俺の愛弓を引取りに行くところだ。
街の一般的な武器防具屋に損傷した武具を持ち込んで修復して貰えるのは、希少であっても一定数造られた量産品の範疇のクラスが限界。
名の売れた冒険者になると秘宝級や遺物級の武具を扱う者もおり、このクラスの修復や手入れには特殊な技術や設備を持つ鍛冶師の力が必要になる。
もっともそんなクラスであれば武具の性能的にも使用者の能力的にも滅多なことでは壊れないのだが、それ故にメンテナンスの時期を見極めることが冒険者でも難しく、それが鍛冶師が重用される理由の一つでもある。
狭い脇道を抜けて、舗装が真新しい通りに出た角を左に曲がった先にある赤レンガ造りの建物が目的地だ。俺がこの街に越してきたときから世話になっている鍛冶師の工房である。
鉄板を継ぎ接ぎしたような造りの無骨なドアを開けた。
「こんにちはー、マスター」
「いらっしゃい、ノアさん。弓、仕上がってますよ」
「ありがとう」
カウンター越しに愛想よく迎えてくれたのは、マスターではなくその奥さんだ。ドワーフの御夫婦で、鍛冶師である御主人を手伝うと共に彼女自身も金細工師の資格を持っており二人とも非常に働き者なのである。
「あなたー、ノアさんが見えたよー」
「おー、少し待って貰ってくれー!」
店の奥にある工房で作業しているらしい御主人に向かって奥さんが声をかけてくれた。いや急かしてないからね。
「お茶でも飲んで待っとくれよ」
「ありがとう」
おかまいなくと言う間もなくお茶を入れてくれた。
御主人は一日の大半を火床で作業するため水分補給は欠かせない。一般客にお茶を振る舞うことはないだろうからこのお茶は御主人用だろうな。
あ、このコップは俺が作ったやつだ。俺のロゴの焼印が入っている。この焼きごてもこの店で作って貰ったものだ。
よく冷えてる。まだ暑い季節でもないのだが鍛冶屋の中は年中暖かいから丁度いい。あ、美味い。いい茶葉だ。
「待たせてすまない」
御主人…マスターが小脇に包みを抱えながら工房から出てきた。
俺の知るドワーフは口髭を豊かに蓄えている人が多いのだが彼はいつも綺麗に剃っている。いつだったか理由を訊いたことがあったのだが奥さんに言われたとか言ってたかなぁ。
「マスター、忙しいところ顔を出してくれてありがとう」
「ノアのところは相変わらず取り扱いが丁寧でこちらとしても助かる。他の奴らは手遅れになってることも多いからな」
うちのパーティは、武器マニアのアンドレスがメンバー全員の武具コンディションを見立ててくれる。これによって武具を適切なタイミングでメンテナンス出来て長持ちするのだ。
ちなみに今回はアメリアの見立てである。師であるアンドレスが彼女に指導しているのは剣術だけでないのだ。アメリアは武具に限っては扱いだけでなく見る目も確かなようだ。うん。
ちなみに、基本的な手入れは自分たちでしている。例えば魔獣を斬った際の油脂のこびり付きや返り血の拭き取りなど、道具さえ揃えれば出来る範疇のことだ。何でも鍛冶師に頼んでいるとお金がいくらあっても足らないからね。
「マスターが見てくれるから、俺達も安心して冒険者をやってられる。こちらこそ助けられているよ」
などと話しながらマスターが先ほど持ってきた包みを開けて中身を取り出した。
月読命の白銀弓。
自然と共にあるエルフにおいて、ある遠方の険しい山の森に住まう部族がいる。その部族は月と星を信仰対象としており、ある依頼で俺のパーティがこの部族と共闘した際に挙げた戦果の報酬として族長から貰い受けたものだ。
この「月読命」という名前は、如何にも神々しい外観もそうだが、纏う魔力が月から発せられるそれに似ていることから名付けられた。
「弦は、言われた通りに預かったものと交換しておいた」
「ありがとう。張り具合も完璧だ」
矢をつがえず店の入り口に向かって弓を引き絞って弦の張りを確認した。新しい弦はやや太くなる分だけ引き絞る力が必要になるかと思われたが、魔力を通すことで逆に軽く感じられるほどだった。
この新しい弦は、弓を頂戴した部族の鍛冶師から先日送られてきたものだ。素材は判らないがエルフ特有の技術によるものたろう。
「矢は足りているのか」
「ああ、矢は自分で作っているから在庫は十分にある」
「そうか、なら結構だ」
弓使いにとって消耗品の矢。
毎回購入していたら量産品でも高額になるし、量産品の矢ではこの弓の能力を十分に活かせられない。それなりに使えるものを扱う店もあるにはあるが、それこそコストが爆上がりしてしまう。従って自作だ。ノア特製だ。
そんなことを考えていると矢を作り足したくなってきた。え?他の弓使いがどうしているかは興味ないぞ?
その後は少しだけ世間話をして、代金を払って店を後にした。もちろん奥さんには美味いお茶の礼も述べて。
空を見上げると暗い曇がかなり張り出していて今にも降り出しそうだ。感覚共有は…もういいか、こんなことで使っていると何となく勿体ない気がするし。
馴染みの商店でホットドックとサラダを買って家路を急いでいると小雨を通り越して本格的な雨が降り出した。
風魔法で即席の空気の傘を頭上に作り、ホットドッグの入った紙袋が濡れないよう胸の前で抱えなおした。そして朝と同じようにまた濡れた石畳の小路を自宅に向けて足早に歩き出した。
「さて」
自宅で昼食を済ませ、ダイニングの隣にある書斎兼工房に移動した。矢の製作を行うためだ。
この工房の中央には、王城の「魔法陣開発特別チーム」専用の会議室に置かれた大テーブルに匹敵するサイズの作業台がある。あちらは天板に高そうな石材を使用しているのに対してウチのものは全て木材を使用している点が違うけどね。
その作業台の上に拡げた布の上に置いているのは矢のシャフトに使う板材だ。火魔法と風魔法でしっかり乾燥させたものだ。
市販品の矢には乾気比重が高い広葉樹であるポプラやビーチが主に使われているがノア特製はアイアンウッド種を採用している。前者でも強度と重量は比較的あるが、後者は「鉄のように硬い」と言われたことが由来で名前に付いたほどの強度がある。
ちなみに市販品には針葉樹を使った安価な矢もあるが、軽くて強度に劣るため俺は使っていない。
工房奥の中庭に通じる扉の脇に小さいレンガの竈を設置している。鍛冶屋の火床のような立派なものではなく炭を起こす程度のものだ。
魔法でいいじゃないかと火魔法と風魔法でトライしたことがあったが駄目だった。絶妙な火加減なのか遠赤外線の効果なのか解らないが天然のものや人の知恵に敵わないことは沢山あるのだ。
とは言うものの木炭に着火するときは火魔法を使うのだが。えい。
さあ炭火の準備は出来た。
そうだ、火種があると手が塞がれずに済むという点もいいところだったな。
まずシャフトから作る。
作業台前の腰掛けに座り、胸の前で拳3つ程の間隔を空けて上に向けて拡げた両掌の上空に風魔法で板材を浮かべている。発生させた小さな竜巻が板材をすっぽり呑み込んでギュルギュルと粗削りしていく。
最初の頃は真っ直ぐにならずに苦労したが我ながら風魔法の扱いも上達したものだ。あと両手には怪我防止のために魔法障壁の展開も忘れない。これも最初の頃の失敗が効いている。
これを何度か繰り返して出来た細長い棒状の木材が約50本というところか。在庫は沢山あるのでこの程度でいいだろう。
鏃と羽根を挿し込む切れ込みをそれぞれ入れた後は紙やすりを使って形を整えていく。細かい作業は魔法ではなく人の手が必要だが俺はこの作業が好きだ。
次に鏃を作る。
市販品は鉄などを使うことが多い。俺も少し前までは鉄が主体だったが最近はこれもパープルアイアンウッドという木材を愛用している。
これも風魔法と紙やすりで成形していく。
先端はあまり鋭くすると耐久性を損なうばかりか重心にも影響する。殺傷力は魔力で賄うので重視するのは飛翔体としてのバランスだ。
これに木の樹脂を塗ってシャフト先端の切込に挿し込んで虫系魔獣から採取した魔鋼糸で縛り付ける。
尚、シャフトにも使用しているアイアンウッド種は魔素によって変化して鉱物を取り込む性質がある。このパープルアイアンウッドは紫水晶を取り込んでいると言われ、非常に高密度で樹木とは思えないほどの重量と、特筆すべきは魔力を蓄える容量が鉱物としての紫水晶同等にトップクラスという点である。
希少ゆえに鏃にしか使えないため、戦闘後は可能な限り回収するようにしている。いずれ自分で錬金出来るようになるといいのだが。
最後に羽根だ。
鳥型の魔物や魔獣のものを使うがいつも同じではない。今回は半人半鳥の怪物ハーピーの羽根を用意した。
羽軸を境に2枚に割り、決めた長さに鋏で切り揃え、2枚の板に挟んで軸を炭火で加熱したコテで真っ直ぐに整える。鏃同様に木の樹脂を塗り込んでシャフト後端の切込に挿し込んでいく。そしてまた魔鋼糸で縛り付ける。
羽根は、何の羽根を使うかによって矢の性質を左右するのは言うまでもないだろう。コカトリスの羽根は炎を纏うが、引火して燃え広がる可能性を考えると、森林地帯では使い難いことが欠点である。
さて、もうすっかり日が傾いてきた。
仕上げに取り掛かろう。
作業台の上に、シャフトよりやや幅の狭い台を置く。鏃と羽根が台に触れないよう置くためのものだ。
概ね出来上がった矢をこの台の上に並べて掌で転がして真っ直ぐ具合を確認する。2本だけ僅かに湾曲していることが判り、炭火でゆっくり温めながら矯正する。
炭火を使う流れで、次は鏃を炙っていく。鉄製であれば不要な工程だが俺特製はシャフトと同じく木製だ。この一手間を加えることで元から硬いパープルアイアンウッドを更に硬くすることが出来る。
1本ずつ丁寧に、軽く持ったシャフトを指の腹の上でクルクル回しながら鏃に熱を加える。魔法に頼らず魂を込めて熱を注入するイメージで最終仕上げを進めていった。
額にうっすらと汗をかいているのは、炭火のせいだけじゃなく俺が頑張っているせいもあるだろう。たぶん。
コトン。
「ふぅ」
最後の矢を台の上に置いて息をついた。
「呑みに行こう」
もう日が沈む。
今から食事の用意をするのは正直しんどい。
健康志向の自分としては歓迎されないが、今日はいい。いいんだ。
炭火を使っていたから外の空気も吸いたいとか言い訳もしつつ。
炭火の後始末だけを手早く済ませ、財布だけを持って家を出た。
さて、何処に行こう。
迷ったら『豊穣の女主人』だな、決まり。
カトラリーの営業もしなきゃね。