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夜の灯火  作者: 隠居 彼方
第7楽章
80/135

薔薇 4



「さて、と……」

街に出て、手紙を出す、という一番の目的を早速果たしてしまうと、ローゼは次に雑貨店へと足を向けた。

今回出した手紙の分で、便箋がちょうどなくなってしまったのだ。

今度は季節にあった、秋らしいものでも買ってみようか、などと考えながら、ローゼは手紙を送った相手のことを考えて、ふと顔を曇らせる。

生まれ育った領地に残してきた、大切な家族。

血の繋がりは全くないけれど、本当の妹のような存在。

時間をかけて絆を築いていった、親友。

彼女は元気にしているだろうか――。

シューレへの入学のためにローゼが領地を離れた日、見送ってくれたその彼女の笑顔は、翳りを帯びたものだった。

それも当然のことだ。

たった一人の血縁である母親を、彼女はこの春に亡くした。

もともと身体の弱い人で、病にかかって逝ってしまったのだ。

それ以来、彼女はずっと塞ぎこんでいる。

春が終わり、夏も過ぎ去ろうとしていても、彼女は沈んだまま。

幼い頃、事故で母親を亡くしたローゼにとっても、彼の人は実の母親のような、かけがえのない人だった。

そうであったし、唯一の肉親を亡くしたばかりの親友を置いてシューレに入学するというのは、だから、正直なところ、気が進まなかった。

だが、そんなローゼの背を押したのが他ならぬ彼女だったから、抗うことはできなかった。

私には行くことができないから、せめてローゼは行って、話を聞かせてください、そう言われてしまっては首を横に振ることは難しくて。

かねてから決めてあった通り、ローゼはシューレ音楽学院に入学したのだ。

けれどやはり、心配は抑えきれず、入学してからまだ一ヶ月であるのに、目新しいことが多いからといって、その間一体何通手紙を出したことか。

あちらの返事が来る前に次を出しているくらいだから、父のモーリッツと共にあちらで苦笑されているかもしれない。

一度決めたことはやりとおせ、と告げた父は、テアと共に、躊躇うローゼの背を押し、手続きを進めていった。

普通であれば、たった一人の後継ぎを音楽学院に入学させるなどということはしない。

モーリッツが反対するような人間だったなら、今も領地にいて彼女の側についていただろう。それを考えると、理不尽に父を詰りたいような気持ちにもなる。

けれど――。

彼女や父が背を押してくれなかったら。

――ライナルトとも会うことはなかったんでしょうね……。

ライナルトと出会った街並みを眺めながら、ローゼはふとそんなことを思った。

その時だった。

「ローゼ?」

前方から、声をかけられた。

ローゼはどきりとして、足を止める。

そこにいたのは、脳裏に面影を描いたばかりだった、ライナルトその人だった。




何故かそれから、ローゼはライナルトと街を歩いている。

雑貨店で目的のものを購入した後は気ままに足を向けてみる予定だったローゼを、どうしてもという用事がないのなら共に、とライナルトが誘ったのだ。

特に断る理由もなく、ローゼは頷いた。

まだローゼが行ったことのない方面を案内してくれると言うし、何より確認したいこともあったのだ。

けれど、少し早まったかもしれない、とローゼは店の窓に映る自分の姿を見て、後悔を覚えた。

今日はあまりオシャレらしいオシャレもしてこなかったのだ。

隣を歩くライナルトもラフな格好だが、彼の場合は何というのか、顔が顔だ。

負けたような気分で、ローゼは前に流れてきた髪を後ろへよける。

もう少しでも、綺麗な装いをしてくれば良かった。

……そうすれば釣り合いも気にならなかったのに。

そこまで考えて、ローゼは溜め息を吐いた。

確認など、するまでもなかったかもしれないと、横を歩くライナルトを見上げる。

「疲れたのか? どこかで休もうか」

ローゼの溜め息を耳にしてしまったライナルトはそう気を利かせて、彼女は苦笑して首を振った。

「いいえ、大丈夫です。けれど、店に寄った後、少し休憩してもいいですか? お勧めの美味しいお店を紹介してもらえたら嬉しいです」

「ああ」

ライナルトは嬉しそうに笑って頷いた。

また大きく跳ねた鼓動を感じて、ローゼの確認は確信に変わった。




ライナルトがローゼを案内したのは、大通りから少し外れたところにある、カジュアルなレストランだった。

若者向けというよりは労働者向けの店のようであるが、混雑の時間は終わっているようで客は少なく、店の中はゆったりとした時間が流れているようだった。

窓際の二人掛けの席に座り、二人は簡単な食事を注文する。

出てきた料理は素朴な味で、ローゼは気に入った。

「……こういうところも知っているんですね、あなたは」

「意外か?」

「そうですね……。少し、意外です。誰かに紹介されて、というより自分で開拓なさってるんでしょう?」

ライナルト相手にこういう店を勧めるのは、余程鈍い神経の持ち主でないと難しいとローゼは思う。

この眩しすぎる美貌を庶民向けの場所に連れていくのは庶民の目にも心臓にも悪そうだ。

とはいえ、こうして席を共にしていると、そんなに浮いているとは感じなかった。

単にローゼがライナルトに慣れつつあるだけかもしれないが。

「ああ。ここに来た当初、拘らずにどこにでも入ってみたんだ。少し大げさかもしれないが、今までに知らなかった世界を覗く、という行為が、自分でも意外だと思うが、楽しくてな」

目を細めて、ライナルトは言った。

「人の様々な営みを見ているのは面白くて、自分もその中に入りたいと思うようになったよ。だが、なかなかそうするのは難しいな。いつも見ているばかりだ」

「……それを聞いていると、あなたは音楽家よりも町民の暮らしに憧れているようですね」

ディルクから聞いたことを確認するように、ローゼは尋ねる。

「そうだな。正直なところ、音楽家を目指そうと思ったことはない」

彼が宮廷楽団に入りたいと考えているとは、ローゼも思っていなかった。

皇位継承権を捨てた彼が、そういう方向ででも宮殿に戻るとは考えづらい。

だが、シューレを卒業すれば、宮廷楽団に入らずとも、音楽界でかなりの付加価値になる。

ディルクの言葉もあったが、ライナルトのフルートの腕を知るローゼには、もったいない、と思えた。かといってその道を強制することは露とも考えなかったが。

「シューレに入学したのも単にディルクについていきたかっただけだからな。フルートは好きだし、私の人生とは最早切り離せないものだが、演奏家になりたいという気持ちは正直薄い。かといって、町民になりたいのかと言われると首を傾げてしまうが……。自分の将来のかたちを探して街に出ているというのは確かだな。私としては、別に一生ディルクの補佐でもいいのだが、あいつはそれにあまり良い顔をしないし」

「ああ……、彼なら、自分で自分の道を、というようなことを言いそうですね。勝手なイメージですけれど」

「その通りだよ。私はディルクに大きな恩がある、と感じている。だがディルクはそんな恩感じなくていい、と思っていて、いつも気にしているんだ。私が心に嘘を吐いてでもディルクに尽くそうとしているのじゃないかと」

「でも、そうではない?」

「あいつについていっているのは私の意思だよ。ディルクはいつも、私に新しいものを見せてくれるからな」

「そう言われると、ディルクに興味が湧いてきますね。何度かあなたの口から聞いたことはありましたけれど……、今度、紹介していただけます?」

試すように、だがそうと悟らせないように、ローゼは聞いた。

「そうだな、ローゼと私が正式に交際することになったら紹介しよう」

「……何故、そうなるんですか?」

動揺に、手に持つカップの中身が揺れる。

「あいつはどこからどう見ても良い男だからな。誰が惚れても文句は言えないし、逆にあいつがお前に惚れて本気を出したらかなわないんじゃないかと思う。それでも負けたくはないがな。予防線は張っておくべきだろう? 本当に手に入れたいのなら」

だが、交際後は紹介する、ということは、一度手に入れれば手放さない自信があり、ディルクへの信頼もある、ということだろう。

「……あなたが私の思っていた以上にディルクに心酔しているらしい、ということはよく分かりました」

そして、いかにローゼに対して本気か、ということも。

目を細めながらもライナルトは恐ろしいほどに真剣な色をその白藍の瞳に宿していた。

それはもう、疑う余地のないものであり、目の前で言われてしまったローゼは、耳を赤くして頭を抱えるしかない。

「それは否定しないが」

ライナルトは言って、食後のコーヒーで喉を潤す。

「だが今は、ディルクのことであっても、他の男の話をお前とするのは少し妬けるな」

ローゼは撃沈した。

「……どうしてライナルトはそういうタラシな台詞が吐けるんですか」

「私も最近発見した、自分の新たな一面だな」

「楽しそうですね……」

愉快そうに笑うライナルトを、最早顔の紅潮を隠せなくなったローゼは恨めしげに見つめる。

「そうだな、嬉しいよ」

「嬉しい?」

「こんなにお前が私に興味を持って色々と聞いてくれるのは初めてだろう?」

ローゼの視線の先で、ライナルトはそう、本当に嬉しそうに笑った。

そんなことで――、そんな風に。

そんな風に、笑うのは、反則だ。

ローゼは俯く。

「……安いですね」

「そうかな」

憎まれ口にも、楽しそうに応じられる。

彼はもう何もかも分かっているのじゃないのか、とローゼは疑いを持った。

「それに、こうしていると、私は見つけたように思える」

「何をです?」

「未来のかたちだよ」

「……それは、」

「お前がモーリッツ卿の跡を継ぐなら、私はそれを傍らで支える。ローゼも街を見るのは好きなようだし、仕事の合間に共に領をぶらりと巡る。時折ごたごたはあるが、基本的には穏やかな一領主一家の生活。そういうのは、どうだろう?」

――私、交際についての返事もろくにしてないのに、何故か段階がプロポーズに進んでる気がするんですが……!

ローゼの、カップを持つ手にさらに力が込められた。

目を細めるライナルトに、気の利いた返答をすることもできず。

……でも、確かに、悪くはない。

この時ローゼは、確かにライナルトと同じ未来を頭に描いて、そう思ったのだった。






ローゼも鈍感ではない。

本当は前から薄々、気付いていた。

自分自身の恋心に。

ただ傷つくのが怖くて、なかなか認められなかっただけだ。

いつだって、勝手に期待され、勝手に失望されて、傷ついてきたから。

彼もそうなのだ、と壁をつくっていたのだ。

好きだと言われて好きだと返して、それから身を翻されたら。

それが怖かった。

けれどライナルトは、これまで出会ってきた男たちとは違っていて。

最初に断った後も、ローゼのことを知りたいと、側にいた。

隠すことを知らない素のままのローゼの隣で、いつだって微笑んでいた。

冷たくも見える美貌に、愛しいという感情を乗せて、まるで眩しいものを見るように、ローゼを見つめていた。

だからいつしか、信じてもいいのだろうか、という気持ちが、信じたい、という想いに変わって。

彼が他の女性を選ぶ、そのことを考えただけで嫉妬を覚えた。

彼が本当に自分のことを好きでいてくれるのだという実感に、喜びが溢れた。

これからも、彼の側で、彼のことを知っていきたい……。

素直に、ローゼはそう思えるようになっていた。

だが、それも心の中だけの話である。

自覚したのはいいが、これまで散々あしらってきておいて、今更素直に言葉にするのはかなり、難しい。

これまで懲りずに口説き文句を口にしてきたライナルトに対し、それくらい安いものだという気もするが、それで簡単にできれば苦悩はしない。

それを考えると、何度断られても近付いてきたライナルトには、感謝をこえて賞賛さえ贈りたくなってくる。

ライナルトのことを信じたいと思うし、信じても大丈夫だと思えるようになってはいるが、心から信じられるかというと、そう簡単にそうするには、これまでローゼは傷つき過ぎた。

それもあるから、足踏みしてしまう。

だが、パートナー登録期間までもう間がない。

返事がその期間内でなければならないというわけではないが、それを逃せば返事をずるずると延ばしてしまいそうな気がするし、そのせいで彼が離れていくようなことがあったら、きっと後悔する。

宝石店に並ぶ指輪を窓ガラス越しに見つめながら、覚悟を決めたい、とローゼは思った。

食事を済ませて後、ローゼはライナルトの案内で、足を向けたことのなかった方面へ来ている。

メインストリートから一本外れたその道は賑やかとは言えなかったが、こぢんまりとした店が散らばっていて、ウィンドウショッピングだけでもなかなかに面白い。

ガラス越しに対になった指輪を眺めていたローゼは視線を外へ流し、ライナルトはまだだろうかとその姿を探した。

つい先ほど、知り合いだという男に声を掛けられて、すぐに戻るからとライナルトは行ってしまったのだ。

ライナルトは男の耳打ちを聞いて、どこか嬉しそうにも見えた。

ライナルトのことだから、ローゼを長い時間放っておきはしないだろうが、一体何の用なのか気になる。

ローゼとの時間よりも大事なことなのか、と嫉妬するような気持ちもそこには確かにあって、ローゼは自分自身にげんなりした。

そこへ、後ろから声がかかる。

「また会ったなぁ」

嫌な気配が近付いてくるのは察していたが、あまり気付きたくなかったので意図的に気付かない振りをしていたローゼは、溜め息を吐きつつ振り返った。

そこにいたのは、見覚えのある三人と、一見しただけで三人の同類と分かる見知らぬ二人の男たち。

見覚えのある三人は、ローゼとライナルトが接触するきっかけをつくった、あの三人組だった。

相手などしたくもなかったが、ライナルトがいつ戻ってくるとも知れないので、下手に動けない。

ライナルトが戻ってくるまで相手をしてやってもいいか、とローゼは返答してやった。

「……留置所で改心してわざわざ詫びにでも? それなら必要ありませんが」

「そっちには必要なくてもこっちにはあってな。この間の詫び、してもらおうか」

下卑た笑いには変わりがない。

「すみませんでした。これでいいですか」

少しでも反省の色を見せてくれればいいものを、と幾分投げやりにローゼは答えてやった。

「……テメェ、なめてんのか」

「舐めているのはそちらでしょう? 仲間を増やしたからといって、私には勝てませんよ。もう一度痛い目を見たくなければさっさと立ち去ることですね。追わずにいてあげますから」

男たちはいきり立ったが、その内一人が何とか冷静を保つ風で、こう言った。

「……その強気がいつまでもつかな」

「どういう意味です?」

「そっちのツレだが、今オレたちの仲間のところにいる。テメェが大人しくついてくれば解放してやるが、そうでないならテメェのツレが痛い目見ることになるぜ」

嘘だ、とローゼは直感的にそう思った。

彼らがツレというのはライナルト以外に考えられないが、何より彼がそう易々と捕まるとは考えにくい。

出会った時のこともあるが、あの時とは状況が異なる。

だがもし何か不測の事態が生じていたとしたら。

その可能性を考えると、この男たちの言葉を無視して行動するのは少々躊躇われた。

ローゼは迷ったが、男たちについていってライナルトがいなければ逃げればいいだけの話だし、ライナルトがいれば二人でどうにかすればいいことだ。

前者の場合、ここからローゼがいなくなることでライナルトに心配をかけてしまうかもしれないが、それは事情が事情なので謝って許してもらうことにしよう。

そう判断し、ローゼは強気な目で男たちを見据えた。

「……分かりました、そういうことなら、仕方がないので多少の時間を割きましょう」

強気に言い放ったローゼに、男たちは怒りを抑え込むように引きつった笑いを見せ、ついてこい、と乱暴に告げたのだった。




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