対峙 20
――う、そ……。
成績優秀者が貼り出されている掲示板を見上げ、エッダ・フォン・オイレンベルクは立ち尽くしていた。
実技試験、ピアノ専攻科一年首席、テア・ベーレンス。
学科試験首席、テア・ベーレンス。
エッダの名は、その学科試験首席の隣に一つだけ、刻まれていた。
――私が、二位……。負けた、なんて、そんな……。
信じられなかった。信じたくなかった。
けれどいくら見つめていても、書かれた文字が変わるわけもなく……。
足元が揺らぐような錯覚。
悔しいという感情より、自身のこれまでを全て否定されたような絶望が、エッダを襲った。
ディルクには受け入れてもらえず。
そして、ディルクの側にふさわしくないはずのテアに敵わなかった。
点差は僅差であったけれども、テアよりもずっと長く、常に努力をし続けてきた自分が。
――今までの私は、一体、
そう思ってしまって、喉元に閉塞感を覚える。
これではまるで、今までの努力はテア・ベーレンスを引き立たせるためにあったかのようではないか。
人望厚く、優秀だと言われてきたエッダを超える逸材。
今回のことで、周りはテアをそう口にするようになるだろう。
そうなれば、テアは確実に手に入れてしまう。ディルクの側に居続けられる、その理由を――。
テアからの勝負を受けたあの時。
負けるはずなどないと思っていた。
努力を続けて。出場したコンクールでは何度も入賞した。試験でもレポートでも、誰にも負けないような点数を出し続けて、教師からの覚えも良かった。
それなのに……。
テアは理由を手に入れ、エッダは理由を失ってしまった。
――私、は……。
目元が熱くなる。
けれど。
「お嬢様、そろそろレッスンのお時間が……」
後ろに控える侍女の、どこか気遣うような声音。
エッダはぐっと奥歯を噛みしめた。
心が泣き叫んでいても、それを表に出すわけにはいかないのだ。
自分はオイレンベルクの娘なのだから――。
「……そうですわね」
平静を装って、エッダは踵を返した。
侍女のほっとしたような表情に、取り繕った仮面が失敗していないことが分かる。
怪我をしたわけでもないのに、胸が痛くてたまらない。
けれどその痛みを堪えて、エッダは常と同じように足を踏み出した。
「よくやったなー弟子ー!」
エンジュのレッスンに向かったテアは、練習室に入るなり笑顔のエンジュに迎えられ、肩をばしばしと叩かれるようにして喜びを示された。
――い、痛い……。
喜んでもらえるのはいいのだが、とテアは若干口元を引きつらせる。
「いやー、やるだろうとは思ってたけど本当にやったなー。実技は確信あったけど、学科試験も落とさなかったか。すごい点数並んでるぜーほれほれ」
ぐいぐいと試験結果が書かれた書類を押し付けられ、テアは幾分閉口気味にそれを受け取った。
実技試験の批評と、学科試験の点数にざっと目を通す。
掲示板に示されていた点数に、やはり間違いはないようで、テアは改めてほっと頬を緩めた。
「優秀な弟子たちを持って師匠は嬉しいぜ。ディルクも首席だったんだろ?」
「はい」
成績優秀者の中に入っていたその名前を見落とすはずもない。
飛び級制度を使ったディルクは四年の学科試験と実技試験(ヴァイオリン専攻科、指揮専攻科双方)のトリプル首席、そしてライナルトは三年の学科試験首席。
ローゼは、と言えば残念ながら掲示板にその名が挙げられることはなかったが、『いいんですよ、私の目的はこれじゃありませんから』と、からりと笑っていた。
一年生学科試験の二位にはエッダの名があり、そして何と、八番目にはフリッツの名があって、彼が宮廷楽団の一員となるために努力していることがその結果となって表れていた。
「実技試験で首席になれた奴には特権が与えられるからなー。今度から練習室も他人の名前使ったりせず思う存分使える。良かったな。何よりここの実技試験に不正なんてありえねーから、これで今までぐちぐち言ってた奴らも黙るだろ」
にっ、とエンジュは笑う。
同じことをローゼも口にしていたと、テアは曖昧に微笑んだ。
学院の実技試験は、不正を防止するため、まず試験官数名が当日に決定される。教員の中から、その朝にくじ引きで選出するのだ。
生徒の方も、同様に朝にくじで試験の順番が決まる。
そして、決められた部屋で試験が行われるのだが、この時試験官と生徒が互いに誰か分からないよう、部屋の真ん中にカーテンが引かれるのだ。
生徒は試験中常に番号で呼ばれ、名では呼ばれない。生徒も試験官も声を出してはならず、試験中部屋で口を開くのは案内役の教員だけだ。
何故そんな体制で実技試験を行うことになったのかと言うと、以前はこの実技試験に不正が横行していたからである。
例えば、試験官の名が分かっていたならば、生徒が試験官に賄賂を渡して優秀な成績を得る、ということがあった。逆に、生徒に金品等を強要して、その見返りに良い成績をとらせる、という教師もいたようである。
そのため、始終、試験官が誰で受験者が誰なのか分からないようにすることで、そうした不正を防止することになった、というわけだ。
これまで入学から出してきた結果で、テアは少しずつ周りからの評価を高めていたが、根強い不信感や侮りを持つ者も少なくなかった。
しかしそうした者たちも、積み重なってきた結果と、こうした試験の結果を照らし合わせてみれば、もう何も言えなくなるだろう。
――何よりもそれによって、あの方といても良いという理由ができた、ということが私にとっては……。
「と、まあ試験は無事に終わったし、万々歳として」
エンジュが声の調子を変えた。テアははっと顔を上げる。
「これから、の話をするか」
「は、はい」
そうだ、少なくとももうしばらくは自信を持って先の話をしていいのだ。
テアは真面目な顔になってエンジュを見上げた。
この一週間、後期が始まっても、試験結果が出て落ち着くまではとエンジュは新しいことをするより、実技試験の振り返り等を主にしていたから、ここからが本当の再スタートとなる。
「春のコンクールの話なんだが、院内コンクールに参加するか」
「院内コンクール……ですか」
「ああ。本当はもっとでかいのに出て、ド派手にデビューしちまう方が俺としては楽しかったんだが……」
「は、はあ……」
「ひとまず院内コンクールで腕試しした後、夏に国際ピアノコンクールに出る、ってのを考えてる。どうだ?」
国際コンクール、という単語に怯んでしまいそうになるが、まだそれは先のことだ。
少し前テアがコンクール出場に躊躇を見せたから、学院内で、ということでエンジュも妥協してくれたのだろう。
ひとまずはそのことを考えよう、とテアは口を開く。
「院内コンクールというと、四月に行われる……」
「そう。ピアノと管楽と弦楽、それに声楽四つの部門に分かれてるけど、当然お前はピアノ部門での参加だな。一応外部からの参加も受け付けてるけど、基本はうちの生徒が大半で、二次予選までは実技試験と同じ形式だから、そう固く考える必要もない。ま、外部のやつらと他学年のやつと、ライバルは増えるけどな。お前なら普通に本選まで行くだろ。で、本選のみここのコンサートホールで、聴衆もいる中での演奏になる。ここの場合ちょっと厳しいのが各部門につき入賞者の枠が上位三名のみで、空枠はあってもよほどの演奏をしない限り特別賞なんかもないってとこだな。ま、それはそう考慮しなくてもいいかもしれんが……。で、明らかに他と違うのは何かっていうとだ」
「はい」
「コンクール後の入賞者演奏会で、希望すりゃパートナーを交えての演奏もできるってとこだ。その場合、入賞者はソロで一回、パートナーとの演奏で一回、合計二回、聴衆の前で演奏できる。これは結構でかいアピールになる。入賞者にとっても、そのパートナーにとってもな」
「そう……ですね」
「だからお前、今回の院内コンクールに関して、ディルクと話ししとけな」
「え?」
「え、じゃねーよ。お前ら、どうせ後期も組むんだろ? お前は入賞するから、そうしたら二人で演奏すればいい。演奏会での曲目とか決めて、今から二人で練習しとけよ。俺も見てやるしさ。ディルクも弦の方の部門で参加するかもしれんから余計、練習時間を捻出せにゃいかんだろ。早め早めに動いとくのが肝心だぜ」
エンジュの中で、テアとディルクが再びパートナーとなるのと、テアの入賞は確定したものであるらしい。
テアが返事もできずにいると、エンジュは一人楽しそうに笑って、テアに楽譜を差し出した。
「ほれ、これが一次予選の課題曲だ。参加受付はもう俺が終わらせといてやったから、早速練習入るぜ。ま、本来ならお前に腕試しなんて必要ないと思うんだが、それはそれ、とにかくやるからには本気出さないとな」
――せ、先生……!
何も言えないでいる内に、テアはそうして院内コンクールに向けて練習を開始することになったのだった。
――先生、根回しが早すぎです……。
エンジュのレッスン終了後。
レッスン自体は充実していたものの、エンジュのペースに翻弄され過ぎたテアは、疲労を覚えながら練習棟の階段を下っていた。
コンクール参加については「あしながおじさん」に改めて相談しておかなければなるまいと考えながら、ずれた眼鏡に手をやる。
その時、目に入ってきた人影に、テアはふと足を止めていた。
向こうから階段を上がってくる人物が、エッダ・フォン・オイレンベルクだったからだ。
侍女を従えているから、先日のような真似に走ることはないだろうが、とテアはひそかに身を固くする。
その予想通り、エッダもテアに気付いたが、すぐに目を伏せて、同じ調子で階段を上ってきた。
そのまますれ違っていく、と思われたが、テアとすれ違うその瞬間、テアにだけ聞こえる声で、エッダはこう、囁いた。
「――約束は守りますわ」
冷えた声音で、彼女はそれだけを言い、去っていく。
「……」
テアもそんなエッダを顧みることなく、ゆっくりと階段を下りていった。
そうして練習棟を出たテアは、その後特に授業も入っていなかったので、何となく講義棟の掲示板へ足を向ける。
当初はエンジュのレッスンが終わった後、ようやくこうして掲示板を前にする予定だったから、予定通りの行動とも言える。
朝とは違い、他に人のいないがらんとした廊下で、テアは掲示板を見上げた。
そこには当然、消えることなくテアの名がある。そして、ディルクの名も。
それはテアに、ここに居続けていいと許してくれるものだった。
そして、テアに勇気をくれるものだった。
テアはぎゅっと拳を握る。
――ディルクに、会いに行こう。それから……。
「――テア」
その時だ。
後ろからの呼びかけに、テアはかすかに肩を揺らした。
とくり、と鼓動が速くなる。
その声を、テアが間違うことはない。
振り返るとそこには、ちょうどその面影を心に浮かべたばかりだった、ディルクがいた。
「ディルク……」
「良かった。ちょうどお前にと頼まれた物を預かったところだったんだ」
微笑みながら、ディルクは静かな足取りでテアに近づいた。
「頼まれた物、ですか?」
「ああ。――ちょうど、これに関することでな」
ディルクは掲示板を指差す。
不思議そうに眼を瞬かせるテアに、ディルクは祝いの言葉を贈った。
「一年首席、おめでとう」
「ディルクこそ……。専攻を二つ掛け持ちで双方で首席なんて、さすがです」
「目標が目標だからな。結果が自ずとついてきてくれた、というか……。だから、お前の後見人のおかげ、と言えるかな」
純粋にディルクの努力の結果だろうと思ったけれど、それは言葉にはせず、テアはただ笑った。
「手強いライバルもいることだし……」
「ライバル、ですか?」
「ああ」
ディルクはふっと笑って、テアに銀に光るものを差し出した。
「ライバル殿へ。確かに預けたぞ」
「え……」
ライバル、という言葉が、ディルクと対等の関係を表しているようで、嬉しかった。
けれど、そう形容されるほど、自身がディルクと肩を並べられる存在とも思えなくて、テアは戸惑う。
何よりも、ディルクから受け取った、この手の平の中で光る鍵は、一体――?
「練習室の鍵だよ」
「練習室の……」
「首席特権だ。実技試験の首席は決められた練習室が常に使えるようになる。先ほどたまたま学院長に会って、お前に渡すように頼まれた。サイガ先生に預けるのを忘れていたらしくてな。俺の方が早く確実にテアに渡せるだろうからと」
「ああ……。すみません。ありがとうございます」
「今日から使えるから、これで気兼ねなく練習できるな。とはいえ、この結果を見れば、もうお前にどうこうしようという連中もいないだろうが……」
「そう、だと良いのですが」
エッダのことを思い出す。
約束は守る、と彼女は言ったが、それがどれだけ信用できるか分からない。
だがおそらく、今目の前にいるディルクのために、エッダはそれを守るだろう。
気に掛かるのは、先ほどすれ違った時に見た、暗闇の宿る瞳。
テアとの勝負に負けたことが原因、なのだろうか。
けれど一度のその結果だけで、あんな風になるだろうか。
彼女は、もしかしたら……。
テアはディルクを見上げる。
――私も、彼女と同じようになるのかも、しれない。
その可能性を考えながら、手の平に落とされた鍵に残る温もりに、背中を押されるように、テアは口を開いていた。
「ディルク、あの……」
「なんだ?」
「えっと……、少しお話ししたいことがあるのですが……、もし今時間が大丈夫でしたら……」
「構わないが――、どこか落ち着いた場所の方がいいか?」
ここではいつ人が来るか分からない。
テアは頷いた。
「それならちょうどいい。お前の練習室に案内しよう。実を言うと首席に与えられた練習室は教員棟にあるんだ。多分行ったことがないだろうし、少し分かりにくい場所にあるから……」
ディルクは言って、テアを促した。
そのまま二人は教員棟へ向かい、目的の部屋に辿りつく。
「教員用の練習室は、臨時の先生とのレッスンの時に使わせてもらうこともあったのですが……、こんな奥にも練習室が用意されていたのですね」
「ああ。教員棟の上の階に先生たちの練習室があることは皆知っているが……、一、二階のこの奥の部屋は一般生徒も、教師もなかなか近づかない。知らない生徒も多いんだ。首席特権と言っても、使わない生徒もいるしな」
教員棟というのが生徒にとってはそう頻繁には立ち入りたくない場所だから、それもおかしくはない。
テアに貸し与えられた部屋は二階の奥の一室だったが、広くはないものの、部屋に揃えられた物品は贅沢なものだった。
それにふとテアは疑問を感じる。
学院の奥まったところに、隠されているようにも感じられる部屋。調度品は高級なものが置かれ、首席特権とは言っても、普段の練習室と異なりすぎる印象があった。
「ここは……、もともとこうした目的で作られた部屋なのですか?」
「敏いな」
テアの質問にディルクはさすがと笑って、答えた。
「実を言うと創立当初は、皇族や四大貴族等、他の生徒と同じようにして学院に通うわけにはいかなかった人間のために作られた部屋だったということだ。身分の隔たりが今よりも大きかった時代だからな。だが今では使われなくなって……、勿体ないから開放しようということになった。だがまあ、こういう場所にある部屋だし、こういう部屋だから、成績が優秀な者に使わせてはどうかということで、今の首席特権ができた、というわけだ」
「なるほど……」
ディルクが語った内容にテアはどきりとしたが、ディルクは特に気にした風もなく笑っている。
テアは幾分ほっとして、肝心のピアノの前に立ち、蓋を開けて何音か試しに弾いてみた。
当然、調律はきちんとされているようだ。
澄んだ音に、口元が綻ぶ。
少し触れただけでこの時は満足して、テアは蓋を元通りに戻した。
「もういいのか?」
「はい、今日は……」
顔を上げて、ディルクと視線が交わる。
先ほどから感じていた緊張が一気に高まった。
「――ディルク」
怖い、と感じた。
他愛ない話を続けたのは、多分、逃げたいという気持ちがあったからだ。
けれど、決めていたことだから。
勝負に勝ったら……、自分自身との賭けに勝ったなら。
伝えようと、そう、決めていた。
叶わない望みかもしれない。それでも伝えなければ、叶うかどうかすら分からない。
「そ、の……」
テアが伝えよう、としていて、それに緊張していることを、目の前にいるディルクも感じ取っていたが、急かさずにディルクはテアの言葉を待った。
テアは目を伏せ、一度深く息を吸って、吐く。
もう一度顔を上げた彼女は、自身が逃げてしまう前に、告げた。
「もう一度――、私と、パートナーを組んでもらえないでしょうか?」
その台詞に――、ディルクは目を見開く。
「私……、とても楽しかったんです。前期、ディルクとパートナーになれて、同じ時間を過ごすことができて……。私はここに入学したばかりで、何も知らなくて、あなたの足を引っ張って、迷惑をかけるばかりで……、それなのに、こんな申し出、厚かましいとは思います。けれど、でも……、もしできるなら、もっとあなたと演奏したい、そう思って……、」
緊張に指先が震えた。
途切れ途切れに伝えた思いも、それ以上はもう言葉にできなくて、テアは俯く。
「テア――」
優しい、声。
けれどその呼び声はどこか掠れていて、テアははっと顔を上げようとしたが、その前にディルクが動く方がはやかった。
「……!」
テアの頭を引き寄せるように、ディルクは優しく、彼女を抱擁していた。
それはあまり身体が密着するものではなかったけれど、テアの熱と動悸は一気に跳ね上がる。
「――ありがとう……」
今、おそらく自分は情けない顔をしている――ディルクはそう自覚して、この体勢ならば顔を見られる心配はないと、先を続けた。
「本当はずっと、俺もそれをお前に言いたかったんだ……」
「ディルク――」
耳元で囁く声が、テアに染み込んでいく。
静かで、けれど心の込められたその言葉に、テアは集中していた。
「できれば前期が終わる時……、新しくパートナーを選ぶ時期が来る前に、きちんとしておかなければと思っていて……、だが、言えなかった。お前は俺に迷惑をかけたと気にしているようだが、それは逆だ。俺のせいで、お前にいらない苦労をかけることになった。だから、これ以上お前に辛い思いをさせることになるのなら――と、そう、思って……」
「ディルク、それは違います! 私は……」
「ああ」
テアの告げたいことは分かっている、と言うように、ディルクはテアの背に回した手に力を込めた。
「俺もお前と同じなんだ。お前といる時間がとても楽しかった。共に演奏する度に、止めたくないと思った。多分……、来年、最後の年、俺は卒業後の準備で頻繁に学院の外に出ることになる。誰ともパートナーを組むことはできない。だから今期が最後のパートナーになる。それをお前と組みたい。そう思っていた。……なかなか言い出せなくて、お前に先を越されてしまったな」
言って、ディルクはそっと、テアを解放した。
「お前の言葉が、何より、嬉しかったよ。……本当に、俺でいいのか?」
「それは、私の方こそ……。本当、に……?」
これは現実だろうかとすら疑って、テアはディルクを見上げる。
揺らぐテアの眼差しを、ディルクは真摯に受け止めた。
その瞳にも、密やかに熱が宿っていて。
「ああ。お前以外には考えられない」
「……っ」
熱を帯びたテアの頬が、ますます紅潮する。
「またたくさんのことに挑戦することになるだろうが――二人で力を合わせて、頑張ろう。きっとお前となら、何度でも最高の演奏ができる」
「ありがとう、ございます――」
テアは差し出された手を握り返して、ディルクの手の温もりと、その力強さに、これは本当のことなのだ、と強く、実感した。
「これからまた、よろしくお願いします」
「ああ」
輝くように微笑んだテアにディルクは頷いて、他には見せないような笑顔を、その端正な顔立ちに刻んだのだった。




