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夜の灯火  作者: 隠居 彼方
第6楽章
67/135

対峙 12



生徒会役員選挙の結果が公表された。

一般生徒・教師には掲示板とペーパーを使って、候補者と現生徒会役員は朝から泉の館に集められ、その一室で選挙委員より発表を受けた。

その結果はディルクが予想していた通りで、特に大きな感慨はなかったが不安も覚えず、これからは彼らに任せようと、肩の荷が一つ下りた気持ちになる。

とはいえ試験が終わり、後期の最初の日に就任式が行われるまで現生徒会は続行するし、その後も引継があるのでまだまだディルクの役目が終わったわけではないのだが。

選挙委員は開票結果とその詳細に関して告げると、就任式とそれ以後のスケジュールについて簡単に説明し、これからの生徒会への激励の言葉を送ってから、その場を解散とした。

それでもすぐに全員がその場から去ることはなく、ほとんどの者がその場に残って、これまでの健闘をたたえあったり、今後のことに関して盛り上がる。

その中でディルクは、当選した者、しなかった者、いずれにも声をかけて励ました。

「エッダ。当選おめでとう」

「ありがとうございます。これもディルク様のおかげです」

「いや、俺は少し手伝っただけだ」

かしこまって言われて、ディルクは苦笑する。

何より、ディルクは今選挙におけるエッダの努力を知っていたから。

朝から放課後まで、講義に出てきた生徒に声をかけたり、各サークルを巡って挨拶をしたり、アピールを欠かさなかったし、公約内容も良く練られていた。演説会でのスピーチも堂々たるものだったし、彼女がディルクの後継でも良かったかもしれないと思うくらいだ。

多少ディルクの偏見も入っているが、学院に通う貴族の生徒というのは後継ぎではないお気楽な身分の者がほとんどで、国立の名門校だからというそれだけの理由で入学してきて、他平民ほど必死になって勉強する必要もないから卒業できる程度にやっていく、というような場合も多い。

それと比較すれば――比較せずとも、四大貴族という名門中の名門の出身でありながらエッダは努力を怠らない生徒だった。

やろうと思えば実家の名前を出すこともできただろうが、少なくともディルクの前でそれをあからさまに見せることはなかった。

分からないことがあれば積極的にディルクに質問してきたし、何事も手を抜いて疎かにするということもなかった。

だからこその、一年生ながらにして役員当選、なのだろう。

ディルクのように入学して半年で生徒会長、というわけではないが、生徒会役員は会長・副会長・書記・会計の四人のみ。

エッダが今期の役員――書記に当選したというのも滅多にあることではなく、それに彼女の人望と才能と努力が表れていると言えた。

「最初は慣れないことも多いだろうが、お前ならすぐに立派にやっていけるだろう」

「私にはもったいないお言葉です……。ですが、期待を裏切らないよう努力は忘れません」

「ああ、応援している」

ディルクが微笑むと、エッダは嬉しそうに笑い返したが、彼女にしては珍しく、言い淀みながら次の言葉を発した。

「あの……ディルク様」

「なんだ?」

「折り入って、お話したいことがあるのですが……。今日の放課後は御用時が入っていますでしょうか?」

「いや、特にないが……。何かあったのか?」

めでたい日だろうに、エッダの顔は緊張か何かで硬くなっているようで、ディルクは心配になった。

「いえ、そんな、ディルク様に心配をしていただくようなことは何も! ただ少し、お話ししたいことがあるだけで……。あの、いつもの講義室に授業の後で……、構いませんか?」

「ああ、大丈夫だ」

「良かった……。お待ちしていますね。すみません、今は、ここで失礼します」

ディルクが頷くと、彼の次の言葉を聞くまいとでもするように、エッダは頭を下げて、その場から立ち去った。

どこか慌てたような――まるで逃げるようにも見える様子に、ディルクは、彼女にしては珍しい、と思いながらその背を見送る。

その時のディルクには、エッダのそんな態度を見ても、彼女の内心を推し量るべくもなかったのだ……。






生徒会選挙も無事に終わり、また一つ将来に向けて集中できる要素が増えた。

それはいいのだが、と考えながら、その放課後、ディルクはエッダに言われた講義室に向かっている。

――もう何日、テアと顔を合わせていないだろう……。

中途半端な気持ちのままテアと向き合うことができず、罪悪感を覚えながらも彼女のことを避け始めてしまって、それでもふと気付けば、考えるのはテアのことばかり。

やがて思考は、けれどだからこそ離れなければ、とそれに向かって、そのことを考えたくないから他の雑事に没頭する。

最近はその繰り返しだった。

生徒会選挙はテアのことを考えないようにするためのかっこうのもので、引継資料もほとんど去年完成していたのに、手を加え過ぎるほどに加えてしまったほど。

その上で試験勉強に手をつければ、思い悩む暇もなく一日が過ぎていった。

睡眠時間も碌にとらず、机に向かって仕事をしているか勉強をしているか、もしくは練習室に籠るか、そんな日々を過ごしてライナルトには窘められ心配もされたが、息抜きに外へという気分にもなかなかなれない。

自分でも何をやっているのかと呆れてしまうくらいだが、どちらに一歩を踏み出すか、決意を固めるのは容易ではなく、ぐらぐらと揺れる心に翻弄されてしまうのだ。

目的の講義室の前まで来て、ディルクはふっと息を吐くと、意識を切り替えるようにそのドアに手をかけた。

講義室の中にはエッダが一人、窓際に立っている。

その姿に一瞬だけテアの姿が重なって、ディルクはエッダと共にいて何度か感じたことがあった、既視感の正体を知った。

エッダとテアの容姿には、似通ったところがあるのだ。

二人の雰囲気が違いすぎ、またテアが普段から眼鏡をかけているから今までそう思わなかったのだが、そうと気付いてよく見れば、目元や耳元など造形がよく似ている――ように思う。

だから、だろうか。

助言を請われて、頷いて。他の候補者との兼ね合いもあったから彼女だけを特別扱いしたつもりはなかったし、他の候補者に対しても配慮を怠ったつもりはなかったが、それでも彼女と過ごす時間は増えていた。それは、事実。

テアと離れることを考えたくなくて、答えが出ないまま顔を合わせても曖昧な態度で彼女を傷つけてしまいそうだったから、会うこともできなくて。

だから、エッダと過ごしていたのは純粋に彼女の努力に応えたかっただけではなく、ただ無意識に求めていたのだろうか。テアの、面影を。

「ディルク、様?」

「……すまない、待たせてしまったか」

ドアを開けてもなかなか中に入って来ないディルクに、エッダは首を傾げて促した。

「いいえ。それに、忙しいディルク様をお呼び立てしたのはこちらですから」

エッダは微笑んだが、それはいつもの彼女のものとは違い、ぎこちないものだった。

ディルクはそれを怪訝に思いながら、エッダの方へ近付く。

「……折り入って話したいことがある、と言っていたが、どうかしたのか?」

「ええ、その……」

エッダはすぐに口を開かなかった。

自分を落ちつけるように、少し俯いて、何度か深呼吸する。

「……率直に、お願いすることに、します」

そう予告するようにして、顔を上げたエッダは、どこか挑むような、請うような瞳で、ディルクを見上げた。

「ディルク様。――来期、私とパートナーを組んでいただけませんか」




その申し出は、ディルクの予期しないものだった。

束の間言葉を失ったディルクの様子を何と見たのか、エッダは少しだけ視線をそらすようにして続ける。

「その、私はまだ一年ですし、未熟な点も多いと分かっております。けれどこれまで、ピアノも一生懸命練習してきましたし、勉強も人の一倍努力してきた、つもりです。私は――、ずっと、ここに入学して、ディルク様とパートナーになりたいと、そう思ってきました。その気持ちは、誰にも負けません。それに、入学してからこれまで、ディルク様と過ごして、確信したんです。きっと、お互いを支え合える良いパートナーになれる、そう……」

その琥珀色の瞳が、どこか情熱的とも思える色に、煌めく。

ディルクはこの時ようやく気付いた――エッダの秘めた想いに。

全く感じていなかったこと、というわけではなかった。

けれど彼女が自分に向けてくれるのは、兄に向けるような類の好意だと、勝手に解釈していたのだ。

エッダと初めて出会ったのは、まだディルクが少年の頃。

宮殿で、将来婚約を結ぶかもしれない娘だと聞かされてから、引き合わされた。

『エッダともうします、ディルクさま。よろしくおねがいします』

舌たらずな挨拶。彼女は少年だったディルクよりもっと小さくて、本当に人形のようだった。

素直に可愛いな、と思った。

少年だったディルクは、小さな彼女のために膝を下り、その手をとってキスをした。

『こちらこそよろしく、エッダ嬢』

それから何度か、彼女とは共に過ごす機会があった。

一つ年下の小さな少女とは、共に過ごすといっても絵本を読んだり、庭園で遊んだり、それくらいの他愛のないものだったが。

妹というのはこういうものだろうか、とディルクは思っていた。

そう、可愛いと思った、その気持ちは、おそらくエッダの求めるものと必ずしも同一のものではなかったのだ。

そしてそれは、今でも変わらない。

だが、それでも、今彼女が言葉にしたのは、パートナーにならないかという、それだけ。

それだけならば、彼女に応えてもいいのではないか――。

そう、逃避するように考えて、ディルクは馬鹿な、と自身を罵った。

エッダ・フォン・オイレンベルク――。

それはディルクの中にあるテアの存在を隠すのに、なんとうってつけの名だろう。

皇族であることを放棄したとはいえ、それでも皇族の生まれを持つディルクと。

四大貴族の一、オイレンベルク家当主の優秀な娘エッダ。

誰も文句は言わない組み合わせだ。

文句など口にしても淘汰されるだけ、讃える者の前には、それは霞む塵に過ぎない。

そして、"彼女"も。

エッダならば、微笑んで受け入れるだろう。

ディルク・フォン・シーレが帰ってくる、そんな風にさえ、思うかもしれない。

ディルクが、非情で残酷なことも躊躇わない人間だったならば、彼女を利用して、本当に大切なものを守るために、エッダに頷いただろう。

だがディルクは、それも残酷と知りながら誠実でしかいられない人間で、妹のような彼女を利用するという選択肢を選び、頷くことは、できなかった。

何よりも、彼が望むのは、たったひとり。

たったひとり、だけだったから――。

「エッダ……」

ディルクは謝するように目を伏せ、答えを、告げた。

「――すまない」




「どうして……ですか?」

心臓が早鐘を打っている。

うるさい。

乱暴に思って、動揺を隠しきれないまま、エッダはそう口にしていた。

「私、ディルク様をご不快にさせてしまうようなことを、してしまいましたか? 悪いところがあれば、直します。ディルク様に頷いていただけるなら、何でもします。理由を――聞かせてくださいませんか」

「お前が悪いということではないんだ」

ディルクはどこか苦しげな表情でいる。

そんな表情を、して欲しいわけではなかった。

けれど、追究の言葉は止まらなかった。

「それでは……」

「俺の、個人的な事情だ。……お前の努力は知っている。ピアノの腕も、もう俺では敵わないくらい、大したものだ。だから、俺などよりもずっと、お前に相応しいパートナーを、」

「そんな者、おりませんわ!」

思わず、エッダは声を上げていた。

「ディルク様以上に、私のパートナーに最上の人なんて……、おりません……!」

言ってしまってから、こんな風にディルクの前で取り乱してしまうなんて、とエッダは後悔せずにはいられなかった。

それでも、一度胸に湧き上がった熱は、簡単には消えず。

冷静にならなければと思いながら、エッダはその言葉を口にしてしまった。

自分を、そしてディルクをも追い詰める、その言葉を。

真実を。

「……ディルク様、誤魔化さずに教えて下さい。もう既に、心に決めた方がおられるのでしょう? だから、なのですね……?」

その相手の名は、口にするまでもなく――。

「エッダ……」

そしてディルクは、その言葉を肯定も否定もしなかった。

「すまない」

それだけが、答えだった。

エッダはディルクを見上げる。

傷ついているのは、申し出を断られた自分のはずなのに。

悲しそうな、まるで傷ついているような表情を浮かべているのは、ディルクも同じだった。

その瞳に宿るのは、罪悪感、だけではない。

何か別のことに、囚われているかのように。

無力感や虚無感、悲壮感や絶望感、敗北感や喪失感、悲観や諦観、様々な感情が入り乱れて、そこにあった。

――ああ……。

すっと、身体中の熱が冷めていくのが分かる。

ここにいるのに。

ここにいるのは、エッダ・フォン・オイレンベルクという存在なのに。

彼が見ているのは、ここにいる自分ではないのだ。

それが、分かってしまった。

ずっと強く握っていた拳を、さらに白くなるくらいに握って、エッダは何とか呼吸を整える。

これ以上、慕っている相手に無様なところを見せたくなかった。

涙を見せて縋るには、エッダはディルクのことを知りすぎていて、自分が傷つくだけだと分かっていたし、高い矜持が邪魔をした。

「……踏み込んだ質問をしてしまいました。申し訳ありません」

普段と同じ調子の、言葉。

「エッダ、」

気遣わしげなディルクの呼びかけを遮るように、エッダは顔を上げて微笑んだ。

「らしくもなく取り乱したところをお見せしてしまいましたけれど、ディルク様は紳士ですから、見なかった振りをしてくださいますよね?」

「あ、あ」

「今日はわざわざ時間を割いて下さって、本当にありがとうございました。生徒会役員のことでまた分からないことがあったら質問に窺わせて下さい」

ディルクに言葉を差し挟む余地を与えないように、エッダは一息で言い、ひとつ優雅にお辞儀をしてみせた。

「それでは、申し訳ありませんが、先に失礼します」

ディルクの横を通り過ぎ、エッダはドアノブに手をかけた。

「また、な」

その時、後ろから、そう、声をかけられて。

エッダは一瞬、肩を震わせた。

けれど、それもなかったかのように、笑って振り返ると、彼女ははっきりとこう言って、ディルクの前から姿を消した。

「ええ、また」




そして、早足で、エッダは廊下を行く。

ディルクから遠ざかるほどに、彼女の瞳が潤んだ。

――ああ、ああ、ああ!

駄目だった、駄目だった、駄目だったのだ!

彼が優しいのは知っていた。

それでも、自分だけを瞳に映して微笑んでくれていたから、自惚れていた。

きっと頷いてくれると、思っていたかった。

首を横に振られてしまう可能性も、決して忘れたことはなかった。

けれど、希望と期待の方が、大きかったのだ。

だからこそ。

深い絶望が心を覆う。

失意に、呑まれそうだ。

ずっとずっと、幼い頃から、彼だけを見つめて、彼だけを追ってきたのに。

拒絶された。

表面上は、学院でのパートナーについての話、だった。

けれど。

ディルクはエッダの気持ちを察していた。

察していて――、受け入れることはできない、と伝えたのだ。

エッダが悪いのではない、と彼は言ったけれど、これまでの全てを、自分自身を、否定されたような気がした。

――どうして!? あんな女よりもずっと、私の方が――

全てにおいて優れている。

何よりも、誰よりも、ディルクを愛しているのに。

――テア・ベーレンス、あの女さえ、いなければ――

彼の隣は、自分のものになるはずだった。

――許さない、許さない、許さない、許さない――

呪詛の言葉を、心の中に澱ませていく、エッダの瞳に、そして。

彼女の憎悪の対象が、何の因果か、因縁か、運命か、宿命か、必然か……偶然か。

映り込んだ。

その瞬間、エッダの理性は荒ぶる感情の波に押し流され。

彼女は、駆け出していた。

目を見張るテア・ベーレンスの元へ。

その存在を、消すために。




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