対峙 10
「一体何をやってんですかあの男は……!」
生徒会選挙、そしてその後に試験を控える、一月も半ばの午後。
その日の全ての授業を終えたローゼは、予約していた練習室で一人、楽譜と睨めっこを続けていた。
しかし、ふと集中が途切れて窓の外に視線を移した先、遠目にディルクとエッダの並ぶ姿を見つけてしまい、思わず呪詛のような暴言を吐いてしまう。
「……選挙活動の手伝い、だろうな」
そこへ、後ろから不意に冷静な合いの手が返ってきて、ローゼは肩を揺らし、ぎくりとしながら振り向いた。
「ら、ライナルト……」
聞かれてしまった、と後悔を覚えるが、ライナルトは楽しそうな笑いを口の端に浮かべて近付いてくる。
「また気配を消してましたね?」
「『クンストの剣』が、声をかけるまで気付かないというのはどうなんだ?」
「そんなの……、相手があなただからじゃないですか……」
罵倒を聞かれてしまった羞恥もあるのだろう、唇を尖らせたローゼは上目遣いにライナルトを睨みつけた。
そんな風に拗ねてみせる表情が可愛らしい上にその台詞か、とライナルトはさらに破顔して、ローゼのすぐ隣に立つ。
「遅くなってすまなかったな」
「それは別に、いいんですけど……」
もともと、二人で試験に備えた練習をしようと約束していたローゼとライナルトだった。
少し遅くなるかもしれない、とローゼは予めライナルトから聞いていたし、そこまで長い時間待っていたわけではないから、ライナルトに対しては特に怒ってはいない。
が、窓の外、既に姿を消してしまったディルクのことは別だった。
ここのところずっと、ローゼはディルクに対して苛立ちを抑えきれずにいる。
ディルクは――テアを、避けていた。
そして、テアも……、ディルクを、避けている。
そのことにローゼが気付いたのは、まだ学期が再開して間もない頃。
先に目についたのは、普段から共に過ごすことが多いテアの行動だった。
最初は気のせいかと思った。
けれど、テアは食堂に行く時間をずらし、エンジュの名を借りて練習室を使い泉の館に近寄らなくなり、二人が揃う場面を見なくなった。
自然にそうなったのならば、最近ディルクと会う機会が少ない、くらいテアが口に出さなければおかしい。けれど、テアの口から全くディルクの話題が出てこないというのは妙な話で。
故意にテアがディルクのことを避けているのだ、と分かった。
しかし理由はと考えて、喧嘩でもしたのだろうかと思ったが、そういう雰囲気でもない。
何故とローゼはテアに問いかけようとしたが――、できなかった。
ディルクからもらった髪飾りを、毎日とても大切そうに取り出して、綺麗に保っているテアを、見ていたら。
その表情はとても、切なげで、儚げで……。
言葉に、出させてはいけない気がした。踏み込めなかった。
ローゼは、冬休みの間、テアがずっとディルクにもらった髪飾りを上手くつけられるように練習していたことを知っている。そして冬休みと、授業が再開して数日、その間ずっと、テアはそれを身につけるようにしていた。
けれど今、テアはもらったそれを見つめるだけで、普段は箱の中にそっとしまっておくに止めている。
一体何があったのだろう、と打ち明けてくれないテアの行動の理由を、ローゼは数少ない情報から導き出そうとして、もうひとつの異常に気がついた。
ディルクもテアを避けている、という事態に。
気付いてみれば、それは明らかだった。
今までは、一日に最低でも一度は二人が言葉を交わすところを見ていたと思うのに、それが全くない。
一方的にテアがディルクを避けているにしても、パートナーで同じ寮生である二人が、それだけで接触が皆無になるということはほとんどあり得ない。今まであったはずの顔を合わせる機会がなくなっている、ということにディルクが気付かないこともないだろう。そして、ディルクの性格からして、気付いていてただ黙っているということはないはずだ。
二人の間に何かがあって、示し合わせて距離を置いているのか、と思ったけれど、おそらく違う。
二人とも、気付いていないのだ。互いに避けあっている、ということに。
そして二人とも、自身が相手を避けているということを、相手になるべく意識されたくない、と願って、同じような思い込みをしている。
テアはおそらく、ディルクは生徒会選挙もあり、その関係で忙しくしているから今はまだ気付いていないだろうと思っている。
ディルクはディルクで、テアは生真面目だから試験勉強に勤しんでいて、避けられていることを察していないだろうと思っている。
その様子を見ていて、ローゼは、そんなところで気が合わなくてもいい、と呆れすら覚えてしまったものだ。
そのように二人のことを見守りながら、ローゼは二人の行動の理由におおよその見当をつけていた。大きく外れていることはない、と思う。
だからこそ、下手に介入することはできないと、本当は思いきり間に入っていきたいと思うのに、それができないでいる。
ディルクの事情も薄々察しているからそう責めたくはないのだけれど、どうしようもできない自分が嫌で、ローゼはディルクに八つ当たりしているのかもしれなかった。
「……もどかしいな、見守るくらいしかできないというのは」
見透かしたようなライナルトの言葉に、窓の向こうに視線を向けていたローゼは顔を上げる。
「……ええ……」
ライナルトはディルクの事情を全てを分かっているのだろう。それを聞きたい衝動にかられたけれど、今回の背後のことは打ち明けてくれるまで待った方がいい内容だと、ローゼは分かっていた。
ライナルトも、ローゼが薄らとでも事情を把握していると察しているからこそ、ローゼの暴言の理由も分かって、先ほどのように口にしたのだ。
「真面目すぎるんですよね、あの二人は。開き直って、ただ思う通りにしてみればいいのに……」
臆病だ、と言わなかったのはローゼの優しさか――。
「……あいつは一度、失いかけているからな」
低く告げられた言葉に、ローゼはどきりとした。
それを自分に言ってしまっていいのか、と動揺を覚えながら、ローゼも返す。
「テアも……だから、なんでしょうね」
二人は親友たちの来し方行く末を案じ、しばしの間、沈黙の中にいた。
「――周りが二人のことをもっと放っておいてくれればいいんですけど……」
「そうだな。だがあの二人、意図せず目的は早々に達成しそうじゃないか。噂の流れは"選挙"に向かっているようだし」
「私としては、それも気に食わないんですが」
テアとディルクが避けあっているおかげ、というのも変な話だが、その分エッダが選挙を手段にディルクに急接近をしかけているので、生徒たちの好奇な噂の方向は、七十五日も経たない内に、ディルクとテアの二人ではなく、ディルクとエッダの二人へと変わりつつあった。
「これでまたディルクとテアがパートナーを組むとなったら……、周りはそれをどう解釈するんだろうな」
「それで多分二人とも真剣に悩んでるんじゃないですか」
「……やはり少し、根回ししておこうか」
「えっ?」
呟いたライナルトに、ローゼは訝しげな瞳を向けた。
「根回し……って、」
「来期も二人がパートナーになった場合に備えて、少し……な。今の内から学院長や……協力者に話をしておこうかと。ローゼ、お前にも少し手伝ってもらいたいのだが……」
「それはもちろん、私にできることで、二人のためになることならばなんでもします。でも一体何を?」
ライナルトはその質問に悪戯っぽい微笑を見せ、ローゼの耳元で「根回し」の内容を囁く。
それを大人しく聞いていたローゼは、話が終わると唖然として自身のパートナーを見つめた。
「……いいんですか、そういうのって」
「最良ではないが、効果的だろう?」
「それはそれで、色んな反応が怖いんですが……。それに、話を通しておいて結局二人がパートナーを諦めてしまったら、」
「大丈夫だよ」
遮るように言って、ライナルトは笑った。
「大丈夫だ」
その自信のある言葉には、ライナルトのディルクへの強い信頼のようなものが見えて、ローゼは納得しほっとするよりも嫉妬を覚えた。
「……早く、そうなるといいですね」
「そうだな」
頷いて、ライナルトは目を細めると優しくローゼを抱擁した。
突然のことに、ローゼは目を丸くする。
「あ、の……?」
「二度目までは我慢できたが、さすがに三度目となるとな」
「ライナルト……?」
戸惑いながらも拒まないローゼに気をよくして、ライナルトは少し身体を離すと、相手のその滑らかな頬にひとつ、口付けを落とした。
「!!」
「本当に可愛いな、お前は……」
「え、ちょ、今、な、な、な、」
顔を赤く染めて混乱するローゼの頭をそっと撫でて、ライナルトは抱擁を解いた。
「そろそろ練習を始めようか」
「――なんなんですか急に、なんなんですか平然として……!」
真っ赤になりながら頬を膨らますローゼだが、ライナルトに手を取られて練習室の真ん中、譜面台の方へと移動する。
ライナルトはローゼを宥めるような笑みを浮かべながら楽譜を示し、ローゼの照れ隠しのような怒りを受け流した。
――もう……。
ローゼは速くなった動悸を鎮めるようにフルートの冷たさを感じながら、もう一度だけ、窓の外に視線を向ける。
大丈夫だと言った、ライナルトを信じようと思う。
けれどそれでも、こんな風に一緒に試験に向けて練習することもない二人を思って、切ない気持ちが胸に湧き上がるのは抑えきれなかった。




