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夜の灯火  作者: 隠居 彼方
第6楽章
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対峙 8



「すまない、パートナーを待たせているから……」

シューレ音楽学院の新年パーティで、集まってくる人々をそうやってかわし、ディルクは遠ざかっていった。

少しでも振り返ってくれないだろうか、とその背中を熱く見つめてエッダ・フォン・オイレンベルクは思ったが、その願いが叶うことはなく……。

振り向かずに去っていく背中。彼の人が探すのは、彼のパートナーであって、それ以外ではない。

ディルクにとって、自分は決して特別なひとりではなく、その他大勢のうちのひとりなのだと実感させられて、エッダはひとり唇を噛んだ。

――どうして……。

どうして、どうして、どうして、どうして――。

シューレ音楽学院の冬休みが始まってから、そして新年が明けてからもずっと、エッダの内心はその言葉でいっぱいだった。

どうして、テア・ベーレンスは変わらずにディルクの隣で微笑んでいるのか。

彼女は、自分が消すはずだったのに。

そう、エッダは学院が冬休みのうちに、テア・ベーレンスという存在をディルクの隣から排除するつもりだった。

けれど、それを配下の人間に実行に移させたその日。

エッダの元に、成功の報告は来なかった。

いくら「クンストの剣」が側にいるとは言え、多勢に無勢。用意したメンバーで事に当たれば失敗する確率は低い、と踏んでいたのに。

それ以後もずっと何の連絡もなく、エッダは眠れぬ夜を幾夜も過ごすこととなった。

テア・ベーレンスは一体どうなったのか。

計画が失敗して、誰かにエッダの企みだと知られてしまったのか。

様々な事態が浮かんでは消え、浮かんでは消え……。

そうして、冬休みが終わらぬうちに、エッダはオイレンベルク家当主である父、コルネリウス・フォン・オイレンベルクに呼び出された。

『――オイレンベルク当主として、お前に命じる。今後一切、テア・ベーレンスと関わるな』

コルネリウスはどちらかと言えば穏やかな人物で、家族に対する時に柔和な表情を崩すことはそう、ない。

しかし、エッダが父に呼び出され出向いた執務室で、彼はとても厳しい表情を浮かべ、そう言った。

事は露見してしまったのだ――とエッダは蒼白になり、父の前に立ち尽くすしかなかったのだ。

しかしコルネリウスは言葉で厳命を下しただけで、具体的な処罰を課すということはなった。

ただそれだけを、エッダに命じたのだ。

エッダの為したこと、その全ての責任は当主である自分が負う。だからこれ以上何もするな、と。

それはとても一方的な通告で、エッダは不安を覚えた。

何かしら、父の背後に大きな意思が動いているような、そんな感覚……。

そして同時に、違和を感じた。

オイレンベルク家前当主でありエッダの祖父である人は、目的のためなら手段を選ばない人間だった。エッダの行為に対しても、寛容に笑いすらしたかもしれない。

しかし、コルネリウスはそうではない。彼は前当主のやり方にことごとく反対するような、貴族にしては珍しいくらいに清廉潔白な人物だ。エッダのしたことを知れば、躊躇いを覚えるにしろ、何らかの処罰を与えるくらいはする。そういう人だ。

その人が、エッダに何の責任も負わせようとはせず、ただこれまで通りにしていろと言うのだから、不審を覚えるのは当然というものだった。

そもそも、コルネリウスはどのようにしてエッダの行為を知ったのだろうか。エッダの配下が実行に失敗して? 「クンストの剣」に背後にいるのがエッダだと知られてしまった?

「クンストの剣」としても、四大貴族であるオイレンベルク家と事を構えるわけにはいかず、ただエッダにテア・ベーレンスへの手出しを禁じた……、そういうことなのだろうか。

そう推測するが、何となく腑に落ちない。例えそうであったとしても、コルネリウスがエッダに謹慎くらい命じそうなものだと思うからだ。

エッダとしても、この父に知られてしまった場合は、シューレを去ることになるかもしれないと、漠然と覚悟していた。だがそんなことにはなりたくなかったから、焦ってはいても成功するように、人員を集めたのだ。

それでも計画は失敗してしまい、エッダが背景にいて全てを動かしていたのだと知られてしまった。

もっと時間をかけて計画を練り、焦らず確実に成功できるタイミングで実行すべきだった、とその点において後悔を覚えるが、後の祭りである。

何よりも、エッダにとってテアを排除するのはこの時でなければならなかった。新しいパートナー選びの前に、彼女をディルクの側から消さなければならなかったのだから。

そう、ディルク――。

一番の懸念事項が、エッダの心を蝕んだ。

彼はテア・ベーレンスを狙った行為を、エッダが仕組んだことだと知ってしまったのだろうか。

父の言葉の端から感じられる限りでは、情報は限られたごく一部の人間しか知らないように思える。

もし、ディルクに今回のことが全て知られてしまったら……。

それが最も、エッダの恐れることだった。

だから、エッダが直接命じた人間には多額の金で口止めをした。他の関係者にはエッダが背景にいることを知られないようにしたし、目的も話さなかった。

ディルクの清廉潔白さは、コルネリウスに通じるものがある。エッダの行為を知れば、おそらくディルクはエッダを軽蔑する。

それを分かっていてなお、エッダはテア・ベーレンスの存在を抹消しようとした。そうしなければならなかった。エッダが、ディルクの隣に立つために。

――けれど、今あの方の隣にいるのは私ではなく、あの平民なのだ……。

見えなくなったディルクの背中を、それでも追い求めるように、彼の人が消えていった人込みを見つめ続けながら、エッダは思う。

ここに来て、エッダの強い懸念は払拭された。

ディルクはいつもと同じようにエッダに微笑み、生徒会選挙に向けての激励をくれたから。

もしディルクがエッダの為したことを知っていれば、あんな風に笑いかけてくれることはないだろう……。

エッダがその想像に心胆寒からしめ、蒼白になって立ち尽くしていた、コルネリウスの執務室で、彼は小さく嘆息し、娘の心を読んだかのようにこう言った。

『エッダ……、シューレを辞めたくなったのなら言いなさい』

『お父様……、何を言うのですか?』

『正直なところ、私は今でもお前がシューレに通うことには反対だ。お前にはこれまでオイレンベルクの人間としてふさわしい教育を受けさせてきた。そのお前が学院に通うことに意義はあるのか。いくらシューレが国を背後に持つ学院だからと言って、オイレンベルクの人間が庶民と同じように勉学をするというのは本来褒められたことではないのだ。それはお前自身も重々承知していることだろう』

『お父様、それについては入学前に散々話し合ったはずです。私は……、辞めません。少なくとも、あと一年は……絶対に』

『お前がそうしてシューレに執着する理由は、分かっている。エッダ……、言いたくはないが、改めて言おう。お前はオイレンベルクの人間だ』

『改めて言われずとも……』

『いや、お前は分かっていないのだ、エッダ……。以前にお前が婚約者候補だった相手の男は、今は平民だ。陛下の血を引いているとは言え、彼は皇族であることを拒否した。そんな男に、オイレンベルクの長女を任せるわけにはいかない』

『お父様! 一体何を仰るのですか……!?』

『それでもお前が彼と結ばれたいと言うのなら、この家を出る覚悟でいなさい。お前の覚悟がそれほどのものならば、私も――お前の母も反対はしない。だが、このオイレンベルク家のためには、お前にはオイレンベルクの姓を捨ててもらわなければならない。もちろん私はお前に生活で苦しい思いはしてほしくない――陰ながら支えになることはもちろんだ。だが、今と全く同じ生活はできない。お前はそれを本当に分かっているのか?』

父に内心を見透かされていたという羞恥と怒りもあり、エッダはその父の言葉にその時答えられなかった。

『それでも、あの方は陛下の血を引く高貴な方です。私の相手として、これ以上ないくらい申し分のない、素晴らしい殿方です』

本当は、彼女はこう反論したかったのだ。けれど、父の静かな視線に負けて、何も言えなかった。

ただ彼女は、テア・ベーレンスに手出ししないと誓い、今後もシューレに通う旨のみ告げて、逃げるように父の執務室から立ち去ったのである。

今でも、エッダの胸には父に反論したかった言葉が強く燻って残っている。

――そう、私はずっとあの方に恋焦がれてきた……。あの方以外のことなど、もう考えられない……。

だから、テア・ベーレンスへの手出しが禁じられた今、エッダにできることはただひとつ。

――これまで以上にあの方に近づけるように努力して……、そしてこの想いを告げる。

理想はディルクからその言葉をもらうことで、そのために彼の人の気持ちをこちらに向けようとし続けてきた。

やはり男性の方から、というのが慣例としてあるし、エッダとてディルクの想いを確信できるまで、自分からというのは怖かったのだ。

けれどもう、そんな風に足踏みをしていては距離は縮められない。

次のディルクのパートナーになるために、エッダは勇気を出すことに決めた。

ああ、けれどやはり、あの存在は目障りに過ぎる――。

切なくディルクの残像を探すエッダの目に、仄暗い色の焔が揺れていた。




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