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夜の灯火  作者: 隠居 彼方
第6楽章

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対峙 4



星屑が降ってくるような音だ――、とディルクは手のひらの中でオルゴールボールをゆっくりと転がしながら思った。

パーティから抜け出し、テアを送ってから、ディルクも寮の自室に戻っている。

シャワーを浴びてすっきりして、勉強机を前に深く椅子に腰かけ、机の上に大事に飾られていた、テアからの贈り物を手に。

彼女のことを、つい、考えてしまう。

冬休みを終えて、久しぶりに会ったテアは、変わらない様子で『新年おめでとうございます』と言った。

その後頭部で輝くのは、ディルクが送った髪留めで……。

勉強の時や読書の時だけでも、と思っていたものだったから、身に着けてくれていたことが、素直に嬉しかった。

しかし――。

――無理をさせてしまっただろうか……。

別れ際の、頼りなげな風情のテアを思い出して、ディルクは眉を寄せた。

ディルクが無理にテアを誘った、というわけではないけれど、気にしてしまう。

テアはああいう場が苦手そうであるし、ディルク自身も「殿下」などと呼ばれていた時分に飽きるほど出席させられて、人間関係のあれやこれやをまざまざと見せつけられ、もう十分だ、と思っているから、余計に。なかなか会えなかったり話せなかったりする人たちと顔を合わせることができるから、そういう点では嫌いではないのだが……。

何より、テアは、ロベルト・ベーレンス楽団の演奏会後起きた事件で、その身を狙われたばかりである。

事件の黒幕はいまだ不明のままで――、この学院に黒幕が潜んでいる可能性も、低くはない。

パーティに何食わぬ顔で出席していたということだって、あり得る。

テアは平気だと笑うけれど、きっとその可能性は考えているだろうし、気にしないわけはない。

去年のうちからパーティの話はしていて、その時からテアは『参加したいと思いますので……、よろしくお願いします』と言っていたから、事件のことがあったからと言って前言を翻すのは躊躇われたのか。

同伴者がいた方が好ましい、そういうパーティだ。テアがパートナーとして義務感を覚えてもおかしくない。

あまり経験がない、という理由もあるのだろうが、パーティの最初から何となく緊張を見せていたテアを思い出し、ディルクは嘆息する。

生徒会長という肩書きがなければ、パーティ参加は義務ではないし、むしろ練習室にでもテアを誘っていたのに。

だが、憂う一方、テアがパートナーとして参加してくれたことに、ディルクは感謝していた。

パーティで、実際のところ、彼はテアの存在に助けられていたのだ。

会長として挨拶を終えて、壇上から降りたところで人に囲まれて――。

何だかんだと、テアの存在を理由に様々な誘いをやんわりと断ることができた。

別に言い訳のためだけにテアの存在を口にしたわけではなく、断る理由に『パートナーを一人にしているので……』と、暗に早くパートナーのところに戻らせろと伝えていたのは、単にディルクの本心であったが。

しかし、そういう言い訳を口にすることが可能でありながら、なかなかテアのところへ戻れなかったことは、悔やまれる。

何とか人の群れをやり過ごし、テアの姿を探して――明るい会場の中にその姿を見つけられなかった時には、恐怖すら覚えたものだ。

ディルクの中にも、学院祭での事件、ロベルト楽団の演奏会での事件は根深く残っていて。

テラスにテアの姿を見つけられた時には、本当に心から安堵したものである。

だが、そこでもテアの様子はやはりどこかおかしかった。

アルコールを口にしてしまって、とテアは言っていたけれど、本当にそれだけなのか。

ディルクがいない間に、誰かに何かを言われたりでも、したのだろうか。

けれど、言葉を交わすうちに見せたテアの笑顔は、本物で。

母のことを語るテアの瞳に浮かぶのは、穏やかな懐かしさで……。

それを壊したくなくて、踏み込むタイミングを逃してしまった。

テアが憂いを見せるなら、それを取り除きたい。

それがディルクの思いだが、一方的なものだとも、分かっている。

それでも大切だから、どうしてもいつだって気に掛けずにはいられなくて。

それでも、無理矢理懐に入り込むような真似はしたくなくて。

ディルクはジレンマに襲われるのだ。

そうして、ディルクが考え込んでいたところに――。

トントン、とドアがノックされて、外側から鍵が開かれる。

「ただいま」

「おかえり」

ディルクは振り返り、パーティから帰ってきたライナルトを認めた。

「思ったよりも早かったな」

「ああ。明日から普通に授業があるからな。長居して酒が過ぎてはまずいだろうと、ローゼと抜け出してきた。お前こそ、随分と早いじゃないか」

「誘いを断り続けるのに疲れたんだ」

ディルクの返答にライナルトは笑う。

「テアはどうした? ローゼが気にしていたが」

「間違ってアルコールを口にしてしまったらしい。少しふらついているようだったから玄関まで送ってきた」

「テアが? ああ、それでか……」

何故かライナルトは納得したように呟いて、上着を丁寧にクローゼットの中にしまった。

「シャワーを浴びてくる。気になる話があるから、後で話そう」

「ああ、……?」

何かパーティで耳にしたのだろうかと、ディルクは首を傾げつつ頷く。

ライナルトはそれ以上思わせぶりなことも言わず浴室に入って、そう時間の経たない内に戻ってきた。

そして――おもむろに言う。

「お前とテアは交際しているらしいな?」

束の間、ディルクはライナルトの言葉の意味が分からなかった。

「……は?」

「生徒たちの噂によると」

珍しいディルクの間の抜けた返答に、ライナルトは軽い笑みを見せる。

ライナルトが続けた台詞に、ディルクはようやく事態が呑み込めて、持ち直し、天井を仰いだ。

「そ……んな流言が?」

「広まっているらしいな」

「……ここに入学してから何人目だ?」

「さて、両手では数え切れないが……」

「俺は一体どれだけ無節操だと思われているんだ……」

つい頭を抱えて嘆いてしまうディルクである。

当然というべきか否か、テアと同様当人であるディルクはその噂に関して把握していなかった。

ライナルトもそれが分かっていたから口にしたのである。

「誰もそんなことは思っていないだろうが、優良物件が売れ残っているなんて皆信じられないから噂するんだろう」

優良物件云々の台詞にディルクは顔を顰めた。

「お前……、そういう台詞、ローゼに似てきたんじゃないか?」

「お前の次に共にいる時間が長いからな」

飄々と、ライナルトは気にした風もなく頷く。

開き直ったライナルトの、軽い惚気の入った言葉にディルクは苦笑して、手のひらに握ったままだったオルゴールボールを見下ろした。

「それで……たかが噂をわざわざ伝えてくるということは、いつもとは何か違うんだな?」

「好奇な噂というよりは、既に疑念や確信に近い。先ほどもパーティから帰る時テアを支えて、密着していただろう? 私ですら、噂を聞いたからかもしれないが、お前の事情を知りながら一瞬疑ったくらいだ。お前に理由を聞いて、ひどく納得させられたがな」

「しかもテアは、俺が自ら選んだ異性のパートナー、か……。あの人は――、気にするかな。それとも利用しようとする……か」

しゃらり、とディルクの手のひらの中でオルゴールボールが小さな音を立てた。

そう、ディルクが察したように、ライナルトが言いたかったことはつまり、そういうことだった。

ライナルトはディルクほど、「あの人」のことを――「彼女」のことをよく知らない。だがおそらく、「彼女」のような人間であれば、平民であるテアがディルクに近付くことを歓迎すまい。一方、テアのことを取るに足りぬ者だと認めるからこそ、その存在をもってディルクを縛るようなことも考えつくかもしれない。

だからライナルトは、ディルクに注意を喚起しておきたかったのである。

「巻き込みたくない、と思っているのだが……。そんなに俺は傍から見ていて分かりやすいか?」

「さて、私はお前に近いから気付いたが、他の人間にとってはどうだろうな。だが、お前は、真っ直ぐだからな」

「――テアは、さすがに気付いては……」

「いないだろう。テアは……、相手からの好意には鈍いようだな。フリッツ・フォン・ベルナーの気持ちにも――全く気付いていないようだし」

ディルクは、パーティで見たテアとフリッツのツーショットを思い出して、ほんのわずか動揺した。

オルゴールボールを握りしめたディルクを見つめ、ライナルトは静かに口を開く。

「……お前は、これからもテアとパートナーを組みたいと考えているのか?」

弾かれたように、はっとディルクは顔を上げた。

「俺は……」

しかし、言葉は続かない。

先日ディルクはライナルトに言った――『俺は俺の過去に彼女を巻き込みたくない』と。

だが周囲は、ディルクにとってテアは切り離せない存在なのだと認識し始めている。

これから試験が終わり、後期が始まって新しいパートナーを選ぶ際に、またテアの手を取れば、噂はより真実に近くなるだろう。少なくとも周囲はそう納得するはずだ。

まだ今は、「彼女」にとってもテアはただ学院の規則で決められたパートナーであるだけに止まっているだろうけれど――このままディルクがテアの側に居続けることを選ぶならば、それはテアを、再び危険に晒すことに繋がるかもしれない……。

「……」

そんなことは、この想いを自覚した時から分かっていたはずだった。

危険だと判断したならば、テアから遠ざかるべきだ。

いつかはそうしなければならないと、そう理解していたはずなのに。

ライナルトの言葉に答えられないディルクがいる。

黙ってしまったディルクに、ライナルトはそっと近づいて、その肩を軽く叩いた。

「すまない、聞くまでもないことだったな」

椅子に座っているディルクは、微笑するライナルトを見上げる。

「お前はお前の思うとおりに進めばいい。私は何があっても、お前を最後までバックアップする」

「ライナルト……」

「今回の件、お前が気にするのならば、噂を収束できるよう手を回すが?」

「いや……」

心強い言葉に感謝しながらも、ディルクは首を振った。

「無理に鎮めようとすれば余計に怪しまれるかもしれない。噂に関しては放置しておこう。ただの噂だと無関心でいれば、今は騒がれていてもいずれ消えていく……はずだ」

心を乱されながらもディルクは冷静な判断を下す。

「いつもと同じように、か。過剰反応するよりはその方が自然だな。そのパターンでこれまで、噂の中でお前の相手の名前がころころ変わっていったわけだが……」

気分を軽くするようにか、ライナルトが冗談のように口にした内容に、ディルクは苦笑を浮かべた。

「……テアとのことは、もう少し考えてみることにするよ」

「それがいい」

「気を遣わせてしまって、すまない」

「気にするな」

軽く言って笑ってくれる親友の存在は、とてもありがたいものだ。

ディルクはだから、「ありがとう」と素直に言った。




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