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夜の灯火  作者: 隠居 彼方
第6楽章
57/135

対峙 2



見渡す冬景色はほんの少し、寂しさを感じさせる。

けれど、美しい。

冷たい風に身を震わせながら、テアは一人、眼下に広がる景色に目を細めた。

冬休み、テアが身を寄せているブランシュ領――ブランシュ家の邸のすぐ近くに、小高い丘がある。

そこには背の余り高くない――それでもテアよりは高いが――ほっそりとした幹の木々が立ち並んでいて、その樹々に紛れるように、テアはなだらかな丘の一番高い場所に立っていた。

この丘はブランシュ邸の方からしか近付けないような形になっており、他に人気はない。まだ朝早い時刻だと言うのも、その理由のひとつだろう。

ここは、ブランシュ領に身を寄せるようになってからの、テアの気に入りの場所だった。

テアと――、それから、母カティアもこの場所を気に入っていた。

ここから目にできる景色は美しい。人々の営みも、季節毎に移り変わってゆく自然も、どちらも目にすることができる。

だからカティアは、ここに眠りにつくことを願い――。

テアのすぐ隣の樹の根元には、白い墓石がひっそりと横たわっていた。

テアの母カティアの眠る場所であることを示す、墓標が。

明日から冬休みが明け、シューレ音楽学院での授業が再開される。

今日にはこの地をまた発つため、テアは母に一時の別れを告げに来たのだった。

しばらくテアは、冷たい風を受けながらもそこに佇み――。

彼女がここを訪れてから随分経って聞こえてきた足音に、静かに振り返る。

「……テア? そろそろ時間です、けど――」

遠慮がちにやってきたのは、ローゼだ。

「もうそんなに経ってしまいましたか……。すみません、わざわざ……」

「いいえ。私も挨拶していっていいですか?」

「もちろんですよ」

テアは笑って、ローゼと並んだ。

「行ってきますね。テアのことは私がちゃんと守り抜きますから、大船に乗ったつもりでいてください、カティアさん」

大仰に告げられた言葉にテアは苦笑したが、それに続くように口を開く。

「では、行ってきます。お母さん」

穏やかに告げて、テアはそっと踵を返した。

――また、頑張ってきます。だから、見ていてください……。

そうして歩き出す背中を、冷たくも優しい風がそっと後押しして……、新しい年が、始まろうとしていた。






年が明け、冬休みも終わり、シューレ音楽学院で授業が開始される前夜――。

学院の講堂において、年明けを祝うパーティが開催されていた。

参加は義務ではないが、親交を深めたり情報を交換したりするため、ほとんどの生徒・教師が参加するものである。

基本的にはパートナーといった同伴者と共に、という慣習があるが、それも必ずというわけではない。

春に行われる、学院内コンクールの後に開かれるパーティとは違って、わりと気軽なものとなっている。

それへ――テアとディルクも参加していた。

実を言えば、未だにダンスが苦手でドレスも着慣れていないテアはあまり気が進まなかったのだが、ディルクの方は生徒会長ということで参加しなければならなかったのだ。

彼のパートナーとして参加するか否か、テアも迷った。

旧年中、ディルクは無理をしなくていい、別に一人でも構わないのだから、と笑ってくれたのだが、それにテアが申し訳ない気持ちになってしまうのは仕方がない。

ローゼには、同伴者がいないとディルクには次々ダンスの申し込みが来てもう大変なことになるのだと耳打ちされるし、しかも他の女性を誘っても良かったのに、ディルクはテアというパートナーがいるのに他の女性を誘うのは抵抗がある、と言ってそうしなかったのだ。

そんなこんなで、別に心底嫌だというわけではなかったし、こうした場にも慣れておいた方が良いだろうと思い、テアは行くことを決めたのだった。

とはいえ、やはりこういう場は苦手だ。

と、テアは小さく溜め息を吐きながら、一人グラスを傾けた。

この国の法律では成人は十八以上とされ、まだ誕生日を迎えていない十七歳のテアは未成年であるので、もちろんその手にするのはアルコールではなくジュースである。

会場に入り、最初の一曲をディルクと踊ったまでは良かったが、その後はディルクも生徒会長として立ち回らなければならず、テアは今ひとりだった。

ローゼやライナルトもパーティには参加していたが、それぞれ他の交友関係で会場をあちこち行ったり来たりしているらしい。

会場には豪勢な食事が並んでいたが、緊張もあってかそれらに手をつける気になれず、テアはそっと壁際にもたれる。

入学当時の悪評の影響を引きずっているのと、ディルクがパートナーということが気後れを引き起こすらしく、彼女へ誘いをかけてくるような男性はいない。手持無沙汰ではあったが、それに関してテアには全く不満などなかった。むしろダンスが不得手なテアにとっては幸運なことだ。先ほどディルクとは一曲踊ったが、ディルクの動きは滑らかで優雅で美しく、それとは真逆な自身の動きの拙さに、全く申し訳なかったと思っているのである。

テアは会場を一望し、煌びやかな世界をまるで他人事のように眺めた。

馴染めない、と思ってしまうのは、幼い頃からの思い込みだろうか。生い立ちからくる、反感だろうか。

ローゼに着飾らされて、今のテアの姿はどこの誰が見ても立派な淑女であったのだが、テア自身にはまるで自覚がなかった。

自覚がないまま、音楽家として生きていくことを考えればこうした雰囲気は多少なりとも学んでおかなくてはならないだろう――と義務的に視線をめぐらせて。

――ディルク……。

会場で、ダンスのための音楽を奏でる演奏者らに近い位置に、彼はいた。

講堂の中は煌びやかな人で溢れていて、皆同じようにも見える――その中で、彼の姿だけは、誰よりも早く、誰よりも輝いて、テアの目に映った。

探さずとも自然にその姿が目に飛び込んでくるところに、改めて彼の存在感の大きさを感じる。

誰もが惹かれてやまない、そんな彼の周りには、大勢の人間が集まっていた。

『もう、去年のディルクは生徒たちに押しつぶされそうな勢いでしたから……。パートナーがいるというだけで、全然違ってくると思いますよ! ライナルトも、テアがいた方がディルクは助かるだろうって言ってましたし』

ローゼはそんな風に言ってくれたが、やはり自分では力不足だったようだ、とテアは思う。

――私ではなく、彼女だったなら……。

ふと、そんなことを考えてしまった。

ディルクの側に見える、燃えるような濃紅の髪。

ディルクの隣に立っても遜色のない容貌と才能を持った、彼女――エッダ・フォン・オイレンベルク。

ディルクを想い、彼のパートナーであるテアをここから遠ざけようとした、テアと血の繋がりを持った女性。

テアに手を出した件があるように、手段を選ばないという点においては問題があるかもしれないが、彼女のディルクへの強い想いは確かだ。

彼女が四大貴族の生まれだということを考慮するならば、テアに対して為した行いも、ある意味では完全に間違ったことだとも言い切れない。

そうと考えるならば、彼女がディルクのパートナーであった方が良かった、のだろうか。

けれど、ディルクが選んだのはテアだ。

そしてテアも、躊躇いながらも、自分の意思でその手を取った。

その選択は、間違ってなどいない。

そう、テアは思っている。

それなのに、不安が兆すのは、何故だろう。

彼女の方がなどと、考えてしまうのは、自分に自信が持てないから?

それとも、彼女が恐ろしいから――だろうか。

生まれた時から、テアにとってオイレンベルクは憎むべき敵であり――そして、恐れるべき対象だった。

彼女への憎悪は、胸の内にとどめておけるよう、自身の心と決着をつけたけれど、完全に消え去ったわけではなく。

オイレンベルク家への恐怖は、根強くテアの内に残っている。

それでも、テアはそんな恐怖に負けはしないと思っているし、母が望んでくれた命を意地でも守ってみせると思っている。決して屈しはしない、と彼女はその点において揺るぎない。

決断は間違ってなどおらず、信念を持って、堂々としていればいい……。

分かってはいる。

だが、こうしてディルクとエッダが並び立つところを見ていると――、足もとが覚束なくなるような、そんな錯覚を起こしてしまって。

ディルクはそこにいるのに、遠い世界にいるように感じて、近づけない、そんな気がしてしまう。

このパーティだけではない、今までも、そうだった。

彼女と直接言葉を交わしたのは最初に出会った一度だけ。

それ以来顔を合わせたことはなかったけれど、大抵テアが彼女のことを見つけるのは、ディルクを視界に見つけてそれからということが大半で、その度にテアは……、やはり、不安のようなものを覚えていたのだ。

自身の中の昏い感情に、テアはほんのわずか自嘲気味に口の端を上げて、思う。

冬休み、学院長に対し、これからも彼女のいる学院で生活することを受け入れる、と告げたばかりだというのに、と。

実際、今後エッダから危害を加えられる可能性に関してはほとんどゼロに近いと分かっているから、テアはそれに抵抗を感じなかった。学院長とオイレンベルク家当主との協議により彼女には厳命が下るはずであり、これまでと同じようにディルクと接したいならば、彼女はその命に背かないだろう。

そういう意味では、テアはエッダに対し既に脅威を感じない。

それならば、一体何が、こんなにも――。


「テア」


柔らかな声に名を呼ばれ、テアは物思いから覚めて顔を上げる。

「新年おめでとう」

「フリッツ……」

そこには、学院に入学して以来の友人である、フリッツ・フォン・ベルナーが立っていた。

「おめでとうございます。……新しい年も、全てが良いようになりますように」

「ありがとう」

テアからの新年の挨拶にフリッツははにかむように笑う。

ぴしっとしたタキシードに身を包んだフリッツは、なかなか様になっていた。

「冬休みは、いかがでしたか?」

「うーん、何か余計な気を遣って疲れちゃった。やっぱり学院での生活が僕には一番だよ。とはいえ、今度は試験が迫ってきてるから、それはそれでちょっと気が重いんだけど……」

フリッツと話していると、何となく和やかな気持ちになって、テアはそっと微笑んでいた。

「冬休みと言えば……、ロベルト楽団の演奏会でフリッツにお土産を持って帰ってきたんです。明日の授業の前にお渡ししますね」

「ロベルトの演奏会……、せっかく誘ってくれたのに、ごめんね……。ほんともう、残念で仕方なくて帰りの馬車の中から逃げ出したかったよ……。でも、お土産なんて、ありがとう!」

演奏会に行けなかったことを思い出して肩を落としたフリッツだったが、テアのお土産という言葉に、嬉しそうな笑顔を隠さなかった。

「いいえ。今度また機会があったら是非一緒に行きましょう」

「うん、ありがとう」

嬉しそうな笑顔のまま頷いて、フリッツはテアの隣の壁に凭れる。

「それにしても、ディルクさんは相変わらずすごいねぇ……」

「そうですね……」

フリッツの視線の先には、先ほどと変わらず人に囲まれているディルクの姿がある。

ふとテアの瞳が翳りを帯びて、フリッツはそれに目聡く気付いた。

「テア……、あのさ」

「はい?」

「テアとディルクさんって、その……」

「はい」

口籠るフリッツを、テアは不思議そうに見つめる。

しばらくフリッツはもごもごしていたが、やがて観念したように続けた。

「……お付き合い、してるの?」

「はい?」

率直に聞かれて、テアは言葉を失った。

何とも言えない様子のテアに、フリッツは蒼くなったり赤くなったりして弁明する。

「いやあの、なんか少し前から噂があって、二人が交際しているとかいないとかそういう噂なんだけど、ちょっと気になっちゃって、ぶしつけでごめん、あのでも、やっぱり噂が本当ならこんな風にテアがひとりなんてあれだし、あのその、」

だんだん自分でも何を言っているのか分からなくなってきたフリッツに、テアは何とか浮かんだ疑問を口にしてみた。

「ええと……、そういう噂が、あるのですか?」

「う、うん、学院祭の後、くらいからかな……? それっぽいような話がちらほらと」

――私と、ディルクが、交際……?

何故だろうか、心臓が跳ねて、若干顔が熱くなってきた気がする。

「ど、どうしてそんな話が出てきたのか、分かりませんが……。そんな事実は、ありません。そんな、恐れ多い……」

口に出して、テアは少しずつ冷静になっていった。

「そ、そっか……」

フリッツもどぎまぎと、けれどどこかほっとしたように笑い、それから苦笑を向ける。

「ごめんね、突然」

「いえ……」

フリッツもディルクを尊敬しているようだから、気になっても仕方がないだろう、とテアは見当違いなことを思った。

「テ、テア、そうだ、僕と踊らない?」

テアとディルクの噂の真偽について確かめるという緊張から解放され、確かめられたという安堵もあって、何となく気まずい雰囲気を払拭するように、勢いのままフリッツはテアを誘っていた。

「え、あ、はい……、でも、そう言えばフリッツのパートナーの方は……?」

「これからは自由行動、って別れてきたから問題ないよ。わりと緩いパーティだし……」

「……ディルクもあの状態では、断りの入れようがないですしね」

テアはそう言って、差し出されたフリッツの手を取った。

フリッツとは授業でもあれから何度か踊っているから、そう躊躇いもなく、その手を取ることができる。

「足、踏んでしまったらごめんなさい」

「大丈夫だよ。テア、本当にダンス上手くなったしね」

「ありがとうございます」

フリッツの言葉に嘘はなかったが、それがお世辞でも、穏やかな笑顔で言われてテアは少し胸を張ることができた。

そうして二人は、くるくると流れる音楽の中、ダンスの輪の中に入っていった。




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