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夜の灯火  作者: 隠居 彼方
第6楽章

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対峙 1



「そんなに心配しなくても、彼女は元気だったよ」

シューレ音楽学院学院長マテウス・キルヒナーは、被後見人からの手紙を手にしたロベルト・ベーレンスにそう告げた。

新しい年が明けて、数日が経っている。

多忙の合間を縫って、マテウスはロベルト楽団の事務所を訪れていた。

事務所と言ってもささやかなもので、事務室にちょっとした会議室と応接室がくっついている程度のこぢんまりとしたものだ。

ただし、その隣には規模の大きな練習場が設置されているのだが。

「お前たちにばかり後始末をさせてしまうことを気に病んではいたがな」

その事務所の応接室のソファにゆったりと腰掛け、出された紅茶に口をつけながらマテウスは続けた。

ロベルトは彼の目の前に座り、その後ろに控えるようにアロイス・フューラーが佇んでいる。

年始と言うこともあって、今この事務所にいるのはこの三人のみ。どこかひっそりとした中で、音楽界で名の知られた二人と元軍人の一人は、神誕祭の前にテア・ベーレンスの身に起きた事件について、言葉を交わすのだった。

「あの子は何でもかんでも自分で背負おうとするからな。悪いのは仕掛けてきたあちらだし、気にすることはないというのに……」

届けられた被後見人の手紙に目を通したロベルトは、それを丁寧に畳みなおすと、そっと机の上に置く。

「で、テアから詳しい話は聞いてきたが――、拘束した連中は今どこに?」

「俺の伝手で、ここから近いある場所に閉じ込めてあります。尋問は既に終えて、首謀者に関しては口を割らせました」

マテウスの質問に答えたのは、アロイスである。

「ふむ……。さすが、というべきかな。オイレンベルクの子飼いでも口を割ったか」

「いえ、子飼いと言っても大した連中ではなかったようですよ。それよりもやはり、テアお嬢さんには首謀者が分かっていたようですね」

マテウスが軽く口に出した名前に、アロイスはうっすらと笑みを浮かべる。

テアを襲った男たちを連れていこうとした際に、テアが残した言葉があった。

その場にはディルクやローゼ、ライナルトもいたので、犯人に関して分かったことを直接的な言葉で口にすることはできなかったようだが、聡明な彼女は彼らに覚られず、しかしロベルトたちには分かるようにメッセージを残したのだ。

その言葉は、『約束は破られていない』――。

テアが言う『約束』が指すのはたったひとつだけ。

あることと引き換えに、テアには手出しをしないという、オイレンベルクとの約束。それが破られていない、とわざわざ言うことはつまり、テアを襲った連中はオイレンベルク家の関係者ではあるが、オイレンベルクの総意でテアをどうこうしようとしたわけではないということ。

そして、さらに彼女は『私の問題』だ、と言った。

それの示すところは――。

「ああ。以前にオイレンベルクの邸で見たことのあるSPが混ざっていたらしい。それでカマをかけてみたらうっかり相手が肯定の反応を見せてくれたということだ」

「なるほど、それで……」

「だが、まだ約束は交わされたばかりで、当主が万が一動き出すにしても早すぎる。何よりもあちらが本気で仕掛けてくるならば、もっと容赦なく抜かりなくやるだろう。それで、オイレンベルク家当主が動いたわけではない――、いや、むしろ何も知らなかっただろうとテアは考えたらしい。実際に絞った連中もそう答えたのではないかな?」

「ええ、その通りです。何も知らないふりをして――ということも考えられましたが、やはり当主が関わっているという可能性は低いでしょう。現にこうして失敗していては、あちらにとってのリスクが高すぎます。それに口を割っちゃいましたからね。公爵家の長女に命じられたと。何も知らなかったと言うにしても、吐かせる名前が自身の娘のものでは言い逃れできません。一応情報を知っている者は襲撃者の中でも数名でしたし、口止めもしていたようですが……」

「……これから襲撃者を連れていくつもりでいるが、そうとなれば事実を知った時真っ青になりそうだな、公爵は」

幾分同情気味に、マテウスは呟く。

ロベルトはそれに厳しい顔で尋ねた。

「しかし、何故――、オイレンベルクの長女がテアを? テアがオイレンベルクの系譜に繋がる人間だとは知らないはずだろう。確か彼女はテアと同時にシューレに入学したと記憶しているが……。テアが自分の問題だと言ったのは、その繋がりで何かあったのか」

「……彼女はテア同様とても優秀な生徒だよ。偉そうにしているだけのお貴族様たちとは違って率先して様々なことに取り組む積極性があるし、人望も厚い。だが……、そう、彼女は優秀すぎたのかもしれん」

「初めての脅威が……、テアだったと?」

「しかも専攻も同じピアノだ。何よりも……、知っていたか、ロベルト」

もったいぶるような話し方で、マテウスは続ける。

「ディルクが殿下と呼ばれていた時……だがな、彼女は婚約者候補だったことがあるんだよ、ディルクの」

「ま……さか、そんなことで――!?」

ロベルトは皆まで言われずとも全てを察し、絶句して、次いで込み上げる怒りを感じた。

それを読んで、宥めるようにマテウスは言う。

「お前だって"あの時"は半狂乱だったじゃないか? 本当に失いたくないものがある時――人はどんなものにだってなってしまうものだ」

何故テアを傷つけようとした相手を庇うような言い方をするのか、とロベルトは怒鳴りたくなったが、その相手もマテウスにとっては大事な生徒なのだと気付いて、何とか堪えた。

「シューレでももう少しで後期が始まる。そうすれば新しいパートナーと組むことができるからな。学院内でテアに手出しすることはもう難しいし、今しかないと焦ったのだろう。……襲撃者はテアを捕まえてどうするつもりだったのか、それも吐いたのか?」

「ええ。万が一の時は口封じもかねて殺してしまえということでしたが、捕える事が出来たならば国外追放か……、人身売買組織や他国の奴隷商のところへやってしまおうとでもしていたようです。まあ、死体を作ってしまうよりはそっちの方が安全ですからね」

既にそのことはアロイスから報告されていたが、改めて聞かされてぶるぶるとロベルトの拳が震えた。

今回は本当に僥倖で、テアは怪我らしい怪我もせず無事だったが、もし万が一敵の思い通りになってしまっていたら――と考えると、それだけで恐怖と怒りに襲われる。

「それもテアの推測と同じ……か。ライバルを蹴落とすにしても過激な方法だ、お前がそんな風に蒼くなるのも無理はないが……。あの時と同じような暴走はするなよ?」

「そんな風に心配しなくとも、テアは無事だったんだから、あの子が気に病むようなことはしない。だが……、テアはそんなことまで自分で考えていたのか……?」

それなのに、手紙にはこちらに対する気遣いの言葉ばかりで――。

一層、首謀者を許せない、という気持ちに襲われ、ロベルトは歯を軋ませた。

「他にはテアは何か?」

「今後の対処について希望を告げられた。まず、あの取り決めに関しては破られていないようなので、例の件を公表することはしない。だが今後同じようなことがあっては困るので、首謀者に対してはこれ以上テアに干渉しないように、当主から厳命させる。直接テアを襲った連中についてだが、これも今後一切テアに関わらないという条件で、厳しい処罰や命を奪う行為は止めて欲しいということだ」

「それではほとんど……、不問に付す、ということじゃないか」

「テアは事を余り大げさにしてほしくないんだよ。私もテアの希望通りにするのが最適なのではないかと思う。あまり妙な動きを見せるとどこかの誰かに色々と嗅ぎつけられるかもしれないからな」

「だがそれでは……、これからもテアはその相手と同じようにシューレに通うのだろう? それはテアにとって……」

「そこまでお前が気を揉む必要はなかろう」

憂慮を浮かべるロベルトを、マテウスはばっさり切り捨てた。

「テアがそれでいい、と言ったんだ。お前が考えているようなことは全部考えた上で出した結論だろう。お前がとやかくしたところで何にもならん」

「しかしな……」

「信用してやれ。テアならば処せる。何より、敵などこれからいくらでも増えていくんだ。その度にお前がそんな風に過保護にしてやるのか? できまいよ」

厳しい言葉に、ぐうの音も出なかった。

「テアは確かに一人で何もかも背負いすぎるきらいがあるから、お前の気持ちも分かるがな。私も最初は、お前に同調して護衛を付けていればと思ったものだし……」

今回の事件をマテウスはロベルトからの手紙で知り、学院祭の時の事件と同様に自身にできたことがあったのではないかと思ってしまった。

だが、詳細な事情を直接聞きに行くことのできないロベルトの代わりにブランシュ領へ足を運び、テアと会って。

彼女ならばどんな困難も乗り越えていけるだろうと、改めて確信したのだ。

何よりも、学院祭の時にも思ったことではあるが、テアは決してひとりきりではなく、彼女と共にあることを願う仲間たちがいるから。

そこにしゃしゃり出るほど、無粋にはなれそうになかった。

「多くの場合、才能のある子どもにとって、家庭は温室であるか火消し道具であるかのどちらか……か」

「そういうことだな」

もっともらしく、マテウスは頷いて。

「とにかく、襲撃者たちやら首謀者やらへの対応はこれから私が直接オイレンベルクと協議して行おう。あと考えておくべきはアウグストのことだが……」

「黙って終わらせると拗ねそうだな」

「まあ、一応概要は伝えておく。あいつも忙しいし、今のところ変な手出しはできないだろうからそれで問題ないだろう」

――この二人が話しているのを聞いていると、その名前の持ち主に関して大切なことを忘れそうになるんだよな……。

頷き合うロベルトとマテウスの二人を見て、何となくアロイスは遠い目になった。

「それではあまり時間もない。アロイス君、捕まえた人間を連れていくのに一人貸してくれるか?」

「ええ、構いませんよ」

「ぞろぞろ連れていくと目立つからな。今回は話が通りやすそうなのを一人連れて行って、後のメンバーはその後あちらに回収してもらった方が楽だろう。君には手間をかけて申し訳ないが、それで構わないかな」

「もちろん。では、ひとり呼んできますので、少々お待ち下さい」

「ああ」

アロイスは颯爽と応接室を出て行った。

それを見送り、ロベルトはゆっくりと口を開く。

「……しかし、そうか、ブランシュ領へ行って来たのか」

「ああ。ゆっくりとはできなかったがな。……挨拶は、してきたよ」

「そうか……」

ロベルトはそっと瞳を閉じる。

やがてすぐにアロイスが部下を一人連れて戻ってきて、マテウスに紹介した。

よろしく、と気さくに言って、マテウスは別れの挨拶を口にする。

「では、紅茶をありがとう。アロイス君にあまり迷惑をかけるなよ、ロベルト」

「私が一体どんな迷惑をかけたと言うんだ?」

「あはは、もっと言ってやってください」

「アロイス……」

憮然としたロベルトに、マテウスはくすりと笑みをもらして。

「ああそうだ、あとこれを忘れていたな。――新しい年も、全てが良いようになりますように!」




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