聖夜 21
「どうやら、テアお嬢さんはここから森の外に出てしまったようですね」
テアはここから外に脱出したらしい――と分かった窓から、アロイスを先頭にディルクたちは外に出、テアの足跡を辿っていた。
森の中は人の通った跡が何となくだが分かって、アロイスが持つ明かりのおかげで特に迷うこともなく進むことができたのだが。
森を一歩出れば続くのは舗装された石畳の道で、足跡を辿りたくとも辿れない。
「さてどうしたものでしょうか」
アロイスの口調はどこかのんびりとも聞こえたが、その目は油断なく周囲を見渡している。
ディルクたちも何か手掛かりがないかと目を凝らした。
「二手に分かれてはどうでしょう」
「それがいいかもしれんな」
ローゼの呟きにライナルトが頷いたが、アロイスはふと目を眇めて若者たちを止めた。
「いえ……、そうする必要はなさそうです」
「何かあったんですか?」
「ええ、多分」
曖昧に返したが、迷いのない足取りでアロイスは駆け出した。
ディルクたちはほんのわずか不安を覚えながらも、アロイスの後に続く。
すぐ次の角でアロイスは右に曲がり、走りながら後続する彼らに断言した。
「ほぼ間違いなく、テアお嬢さんはこちらにいます」
「どうして分かるんですか?」
「これですよ」
再び路地を曲がりながら、アロイスは左手の塀の方に手を伸ばし、何かを掴み取る。
その何かを軽く渡されて、ローゼは首を傾げた。
手のひらに乗るのは、白っぽい小さな実。
「これは……、ヤドリギの実、ですか?」
「はい。テアお嬢さんが目印に置いていったものだと思います」
「テアが?」
「森を抜けてすぐにところにも、方向を示すようにいくつか一直線に並べてありました。それからこうして曲がる場所にも」
「それは……、確かに自然なものではないようですけど、テアとも限らないのでは?」
「大丈夫です。ヤドリギは団長の恩人なんですよ。いや、木に恩人と言うのは変ですかね……、恩樹? まあとにかく、ヤドリギというのは団長に縁があるものなんです。森の中でお嬢さんが目に留めるのは当然、と言うべきでしょう」
本当だろうか、と思うが、その真偽を確かめるにも当人であるテアを探している最中である。
どうやら捕まらずに逃げ続けられているようだが、今一体どんな状況にいるのだろうか。
その苦境を考える度、ディルクは胸が締め付けられるようだった。
どうして、こんなことになる前に駆けつけられなかったのだろう……。
無理な状況だったと頭では分かっているが、感情は納得しない。
守ってみせると思っているのに、大切なものはこの手のひらをすり抜けて行く。
前の時も、そうだった。
苦い思いで、ディルクは唇を噛む。
だから、今度は。
必ず、守りきる。
まだ、間に合う。
アロイスが敏捷に駆けて行くすぐ後ろで、ディルクは強く大地を蹴った。
このアロイスという人物も、一体何者なのか、疑念が残っている。
どうやらこういう類のことに慣れているらしいと分かるが、それがどうしてロベルトの楽団にいるのだろうか。
ロベルト・ベーレンスが側に置いているからには、悪い人間ではないのだろうと思う。
態度こそ砕けているものの、付き人としてロベルトのことを大事にしている点は間違いないようだし、だからこそロベルトの被後見人であるテアを守ろうとしてくれているのだろう。
疑うべきではない。
だが、もし万が一アロイスが敵方の人間で、尤もなことを言ってディルクたちを翻弄していたとしたら、どうだろう。
そんなことまで考えてしまって、ディルクは内心首を振った。
だとしても、こんな風に駆けずり回るような、面倒なことをする必要はない。
不安で疑心暗鬼にかられている。
だがそれだけではなく、これは嫉妬だな、と自嘲気味にディルクは思った。
テアの後見人であるロベルトの側にいる人間なのだから、当然なのかもしれない。
けれど彼が、テアのことをよりよく知っているように、見えるから。
こんな時に、何を馬鹿な、とディルクは強く拳を握った。
今は、テアに追い付き、彼女を守ることだけを考えよう。
――テア、どうか……。
そうして、見知らぬ夜の街を駆け抜けて。
唐突にアロイスが立ち止まり、「しっ」とディルクたちを制した。
道の向こうに人影が見えて、ディルクたちははっと息を呑む。
そこに、テアがいた。
そして彼女が対峙するのは、五人の黒服の男たち……。
「相手は銃を持っているようですね。下手に出て行くとまずいことになるか……?」
ひとりごちるアロイスの言葉に、戦慄が走った。
テアと、男たちの内の一人が、何か言葉を交わしているようだったが、その内容は彼らには届いてこない。
チャンスを待って固唾を飲むディルクたちの前で、そしてそれはあまりにも素早く実行された。
テアが、やおら脇に挟んでいたヒールの片方を片手に持ち、それを濃い色のサングラスをつけた男の目元に強く叩きつけたのである。
その上、彼女は勢いよく片足を振り上げ、男の急所にその蹴りをクリーンヒットさせると踵を返し、また駆け出した。
あまりのことに唖然とする男たち、そしてアロイスたちであったが、今がチャンスとローゼが誰よりも早く前に進み出る。
その手には、先ほどの反省を込めて、剣の代わりに武器となりそうな鉄の棒があった。
「……行きますよ! こんな忠告無用かと思いますが、相手も手だれ、銃もありますし、抵抗される前に一撃で仕留めて下さいね!」
業を煮やしたようにローゼが一喝し、アロイスたちははっと我に返ると、彼女の後に続いた。
静かだった夜が、賑やかな夜に変貌した瞬間だった。
「……あなた方の雇い主は、フォン・オイレンベルクですね?」
テアの台詞に、男たちの内二人が――わずかに反応を示した。
何故、という驚愕の表情に、テアはやはり、と思う。
先ほど彼女が、見たことのある顔だ、と思った二人だ。
間違いなく、相手はフォン・オイレンベルク。
だが、男たちの内でも、依頼人の本名を知っているのはごく一部だけらしい。
仲間二人の反応を見て、他の男たちにも本当にそうなのかという疑念と動揺が浮かんでいる。
「もっと限定して言うならば、公爵の長女、でしょう。私を遠い土地にでも送って、二度と戻って来られないように……、そんなつもりでいる。違いますか?」
「黙れ!」
驚愕を見せた内の片方――後方にいた男が、銃を取り出してテアの方へ向けた。
この男の顔……、濃い色のサングラスをかけているが、テアには分かった。
この男と、もう一人。
以前一度だけ、テアが母とオイレンベルク家に連行された時、邸にいたSPたちだ。
憎い憎い、母の敵……。
ずっとテアたちを追い詰め苦しめてきた者たちの一人……。
テアは自身が冷え冷えとした瞳で相手を見つめるのを自覚した。
この場でテアが男たちと同じ凶器を持っていたならば、彼女の方こそ男たちを撃ち殺していたかもしれない。
胸の内を冷たいものが満たす。
感情に支配されそうになって、けれどテアは自身を律した。
劇場の中でテアに銃口を向けた、今はテアの一番近くにいる相手が、感情的になった後方の男を抑えるようにしながら、先ほどと同じように銃口を向けてテアに近づいてくるのを、油断なく見据える。
「余計な口は聞かない方が身のためだ。依頼人が誰であったとしても……、お前は追い詰められた。大人しくこちらに付いて来るしかない」
そう言って男が腕を伸ばしてくるのを制するように、テアは口を開いた。
「依頼人が誰であったとしても、あなた方は報酬がもらえればそれでいい、というわけですね。ですが、このまま私を連れて行ったとしても、あなた方にとって本意でない結果になるでしょう。公爵の娘が依頼した今回のことを……、公爵本人は決して許しはしないでしょうから」
男の腕がピクリと動き、躊躇を示す。
「……戯言だ」
「そう言うのならば、確認してみることです。公爵家の現当主に」
落ち着いたテアの言葉に、男は迷いを覚えた。
テアの言葉に嘘は見えない――。
しかし、信じられるわけもない内容だった。
テア・ベーレンスはシューレ音楽学院に通う平民、それだけの存在ではないのか。
どうして四大貴族の名前が出てくるのか、男が不信に思うのは当然だった。
今回の仲間たちが先ほど示した反応からして、依頼人に関してテアの言ったことが間違っていないようだとは分かる。
だからといって、狙う相手の言葉を鵜呑みにし依頼を果たさないというのは――。
「取引をしませんか?」
逡巡を見せた相手に、テアは不敵に笑って見せた。
「私はあなた方に付いて行ってもいい……。けれど、連れて行く場所はオイレンベルク家当主の前にしてほしいのです。そうすれば今私が言ったことが証明できますし……、あなた方のことも不問に処すようお願いしましょう」
「……万が一お前の言った通りだとして、その取引を呑んで――、相手がその嘆願を聞き入れてくれるのか?」
「ええ――」
テアは頷くふりをして、ほんの一瞬ではあったが、男に気の緩みができた。
それを彼女は、逃さない。
「それはもちろん……、どうか知りませんが!」
そして。
テアはその一瞬をついて、小脇に抱えたままだったヒールを思い切り相手の目元にぶつけた。
敵の急所を狙うのは、護身術で習う一番最初のことである。
テアはサングラスさえなければこれだけで済んだのにと思いながら、次に思い切りよく足を振り上げて相手の急所に蹴りをくらわしてやった。
相手が悶絶する内に、素早く踵を返して走り出し、残りの男たちを――、"誘い込む"。
これで、次の手が成功すれば――、とテアが思ったその時だった。
「がっ!」
と呻き声が後ろから聞こえて、振り返る。
そこには――。
鮮やかなドレス姿で、男を倒すローゼの姿があった。
続いて、ディルク、ライナルト、アロイスが姿を見せる。
彼らもローゼと同様に、不意をつかれた相手を完全に気絶させてしまった。
黒服の男たちもそれなりの実力者であるはずなのだが、テアの行動に度肝を抜かれていたのと、後ろからの奇襲が功を奏したようである。相手が全員銃を携帯していて、テア一人を追い詰めていた状況で、これを卑怯とは誰も思わないだろう。
本当に「あっ」と言う間もなく沈められてしまった男たちと、それをした友人たちの姿にテアはあっけにとられ、茫然と目を見開く。
もしかしたらと全く考えないわけではなかったのだが、ここまで来てしまってはと、自らが彼らの元へ帰ることばかりを考えていたのだ。
「テアっ!」
立ち竦むテアにローゼは駆け寄ると、思いのままに親友を抱擁した。
「無事で良かったです……! もう、どうなる事かと思いましたけど、本当に良かった……! ごめんなさい、あなたを一人にしてしまって――」
「いいえ、そんな……」
ローゼの温もりに、テアはじわじわと緊張が抜けてゆくのを感じた。
「ありがとうございました、ローゼ。おかげで助かりました……」
そっと、テアはローゼの肩に額を寄せる。
――帰って、こられた……?
そう、思った。
良かった良かったと何度も口にしながら、やがてローゼは落ち着いたのかテアから離れる。
その後ろでは、アロイスが、どこから取り出したのか手際よく男たちに縄をかけていた。
「……怪我は、ないか?」
それに一層、もう大丈夫なのだと力を抜くテアに、固い声がかけられる。
そうして、歩み寄ってくるディルクにテアは頷いた。
「はい、大丈夫です。皆さんのおかげで……、ありがとうございました」
「いや。駆け付けるのが遅くなって、すまなかった」
頭を振るディルクに、テアはそんな、と首を振った。
「そんなことはありません! 本当に助かりました。今から、一か八かの賭けに出るところでしたし――」
「賭け?」
ディルクもローゼも、その後ろからテアの無事を確認するように近付いて来ていたライナルトも、テアの言葉に首を傾げる。
「えっと……、恥ずかしながら……、あそこの樽を伝って塀まで上って、それから樽を道に転がして……、それで相手を撒いてしまえればいいと」
テアは壁沿いに積まれた樽を指して説明しながら、やはり言うのではなかったかと思った。
子どもの頃はともかくとして、今のテアの年齢で、しかもこの格好でやることではない。
「一度塀に上ってしまえば家の庭などに隠れさせてもらうこともできますし……、ここは道が狭いですから、混乱して結構上手くいくと思ったんです……」
だんだん言い訳がましくなっていく。
だが昔は、何度か使った方法だった。
空の樽があった時には、その中に隠れたり、色々利用させてもらったものである。
「いやぁ、さすがテアお嬢さんですね。面白いことをしようとなさる」
無茶なことを考える、とディルクたちは絶句していたのだが、そこで楽しそうに笑ったのは、男たちを拘束し終えたアロイスだった。
「ヤドリギの実もなかなか粋な計らいでしたし。おかげで追い付けました」
「ああ……、気付いていただけたのですね」
実を言えば、ロベルトのことをよく理解しているアロイスなら、と少しばかり思っていたから、テアはほっと微笑んだ。
「そう言えば、ヤドリギが恩人……とか仰ってましたね? どういうことなのか、お聞きしてもいいですか?」
好奇心を刺激されたらしいローゼが尋ねると、アロイスは笑って答える。
「多分――皆さんにならお話ししても問題ないでしょうから、お答えしましょう」
そう言って話し出すアロイスを、どきりとしながらテアは見上げた。
「昔々、団長が素晴らしい恋をなさったそうなんですが、その恋人に初めてキスできたのがヤドリギのおかげだったんですよ。なかなか可愛らしい話でしょう?」
「ああ……」
神誕祭の日、ヤドリギの下にいる男女にはキスをしても良い、という言い伝えがあるのだ。
「雑誌記者なんかが喜びそうですね。ロベルト・ベーレンスにはそういう浮いた話がありませんから」
「ええ。ですからここだけの秘密にしておいてください。相手のこともありますからね」
アロイスは悪戯っぽく人差し指を立てて見せた。
「さて、それでは、と。団長の恋路についてはまた今度本人に聞いてもらうこととしましょう。……テアお嬢さん、こいつらの処分なんですが、こちらに任せてもらっても構いませんかね?」
そう切り出したアロイスに、ローゼは怪訝な顔をした。
「警察に引き渡すのが一番ではないですか?」
「貴族連中が今回のことに絡んでいるとしたら、簡単に釈放されてしまうか、こいつらにとってはもっと悪いことになりますよ。それくらいならば、誰がどういう目的でお嬢さんを狙ったのか、確実にこちらで突き止めて対処した方がマシかと」
貴族連中が、とアロイスが口にして、ローゼたちは顔を顰めた。
「それは確かに一理あるかもしれませんね……。テア、この男たちどういうつもりでテアを狙ってきたのかとか、何も言わなかったんですか?」
「ええ、なかなか慎重で、何も言おうとしてくれませんでした」
テアの言葉に嘘はなかったが、彼女は理解していた。
一体誰がどういうつもりでこんなことをしでかしたのか……。
それをテアが話してしまえば、テアの出生に関して知られてしまうかもしれない。
何よりも、彼らがテアを狙った理由を知れば、きっとディルクは傷つくだろう――。
だからテアは、あえて口を噤む。
「それなら、信頼できる人にお任せした方がいいのかもしれませんけれど……。こんな風に言ってしまっては失礼にあたるかもしれませんが、フューラーさんにはそれができるのですか?」
率直にローゼに尋ねられて、アロイスは気にした様子もなくからりと笑った。
「そう言えば、俺に関しては詳しい話をまだしていませんでしたね。疑うのも無理からぬことですし、全く失礼なんてことはないですよ。実を言うとですね、俺は――」
アロイスが言いかけた時だ。
「……隊長!」
アロイスたちがやってきた方向から、駆けてくる人影が二つある。
アロイスより若干年少の青年が二人、アロイスと同じような正装に身を包みながらやって来た。
よく似た雰囲気があり、黒服の男たちの仲間かと一瞬思われたが、彼らはアロイスの前までやって来て敬礼してみせる。
「失礼します、隊長」
「もう隊長じゃないと言ってるだろう。首尾は?」
「はっ! 劇場に二名、隊長に言われた通りの連中を発見し、拘束しています。楽団の撤収は無事終了しており、そちらには問題ありません」
アロイスはそれに鷹揚に頷いた。
「よし。こちらの方も、お前たちに手伝ってもらう前に片付いた。悪いが、これを二つずつ運んでくれないか。後の一つは俺が持っていくから」
「イエス・サー!」
「だからもうそんなに固くしなくていいんだって……」
「つい癖が出てしまいまして、隊長」
「わざとやってるだろ…?」
にやりと笑った青年たちに苦笑して、アロイスはテアたちの方へ向き直った。
青年たちはテアたちに丁寧にお辞儀してから、アロイスに物扱いされた男たちを二人ずつ運んでいく。
ローゼたちはアロイスと青年たちのやりとりに驚きを隠せずにいたが、ようやくアロイスがどういう人間なのか、それが理解できた。
「隊長……、ですか」
「元、ですけどね。今でこそアロイス・フューラーなんて名乗ってますが、実を言うと俺はこの国の生まれじゃなくてですね、昔は他国の軍籍にありました。諜報関係の部隊で指揮をとってたのが一番長かったですかね。それがどういう因果か、色々あって死にかけていたところを団長に助けられまして。今はその助けてもらった恩返しがしたくて、団長の護衛という立場で楽団にいさせてもらっています。まあ、主には雑用ばっかりしてますけどね。あいつらは俺の昔の部下です。あいつらも団長に恩義を感じて、俺と一緒にこっちについてきちゃったんですよ。頼れる奴らです」
道理で、とディルクたちは納得した。
それならばアロイスの隙のなさも、先ほどからの妙な手際の良さも納得できる。
そしてテアもそのことを知っていたから、アロイスのことを信じて色々と頼りにしているのだった。
「そういうわけで、こういう輩をとっちめたりするのには慣れてますから、ご心配なく。団長もお嬢さんを狙った奴らのことですから、便宜を図ってくれるでしょうし」
「申し訳ありません……、お願いします」
テアが頭を下げると、アロイスは首を振った。
「お嬢さんがそんな風になさることはありません。悪いのはこいつらですし、俺はこれが仕事ですからね」
アロイスは気安く笑って、残された一人の男を担ぎ上げた。
「それよりも、お嬢さんは本当に怪我なんかはないですか? もし何かあるなら劇場に控えている医師に診てもらいましょう」
「いいえ、それは大丈夫です。それに……、そろそろ駅に向かわなければ、時間が……」
「ああ、そうでしたね! 大丈夫なら、いいんです。それなら、皆さんは駅へ向かってください。皆さんの荷物は部下に駅まで届けさせますから」
これから、テアとローゼは帰省のためにブランシュ領へ、ディルクとライナルトはこの休暇中に滞在する予定の場所まで、鉄道を使って向かう予定だった。
「いいんですか、そんな……」
「はい、気にしないでください。テアお嬢さんがこんなところまで来ることになったのには、こっちの甘さもあったわけですし、罪滅ぼしさせてください」
テアたちが気にしないようにと、アロイスは軽く笑って見せる。
その気遣いが分かったから、遠慮はしないことにした。
「では……、すみませんが、お願いします」
「はい、お任せされました」
おどけたように笑うアロイスに、テアはおずおずと切り出した。
「……それから、あとひとつ、お願いがあるのですが……」
「なんでしょう?」
「おじさんに…、伝えてほしいことがあるんです」
言ってから、テアは悩むようにわずかな躊躇いを見せたが、やがて告げた。
「その……、『私の問題』で心配をかけてしまってすみません。けれど『約束は破られていませんから』。それだけ、お願いします」
アロイスはその言葉を聞いてかすかに目を見張ったが、やがて腑に落ちたというように頷いた。
「……分かりました。ではその通りにお伝えしておきます」
頷いたアロイスに、テアは伝えたかったことを伝えられたらしい――、と眼差しで謝意を示す。
「それでは、俺は一足先に行かせてもらいますね。本当なら駅までお見送りしたいところですが、テアお嬢さんには頼もしい方々が他にもいることですし……。こいつらに関して、何か分かったらすぐにお知らせしますから」
「お願いします。本当に、ありがとうございました」
「いえいえ」
アロイスは深くお辞儀するテアにほんのわずか苦笑を見せると、手を振って男を担ぎ、来た道を戻っていったのだった。