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夜の灯火  作者: 隠居 彼方
第5楽章
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聖夜 19



「大人しく付いてきてもらおう。そうすれば痛い目を見ずにすむ。抵抗するようなら……、殺す」

黒服の男に銃を突きつけられ、そう脅されても、テアは怯えた様子も見せなかった。

少しの間、テアは警戒という名の鎧を纏って沈黙していたが、やがて冷静な様子で口を開く。

「……ローゼを――私より先にここにいた女性を、どうしました?」

全く怯まずに問いかけてきたテアを相手は訝しんだようだったが、表情を動かさずに答える。

「それを知りたければ、大人しくこちらの要求に従うことだ」

なかなか賢明な返答だ、とテアは思った。

余程のことがない限り、ローゼがテアに何も言わずどこかへ行ってしまうということは考えられない。

それが今ここにおらず、テアの目の前には不審な男。

ローゼの不在と今の状況が偶然出来上がったものとは思えない。

おそらくローゼは何らかの手段でこの場から引き離された、のだろう。

それを考えれば、この男の他にも、人数は分からないが仲間がいる。

とはいえ、ローゼがこういった手合いにどうこうされるなどと、テアは思わなかった。

ローゼの実力をテアは知っているし、信じているから。

それならば、時間を稼いでローゼが戻ってくるのを待つか、自分の身を守るために何らかの行動を起こすか。

ひとまず時間を稼ごう、とテアは決断した。

その間に誰かが通りかかれば、この男も退散してくれるかもしれない。銃にどうやら付けられているらしい消音器、ローゼを追い払い誰にも目撃されないようテアが一人の時を狙ってきた状況からして、相手は穏便にことが済むのを望んでいる。それを逆手にとるのだ。

「今の状況ではそちらの要求に従うのもやむなし、と言ったところですが……。どこの誰が、どういった目的で私を連れて行こうとしているのですか? そして大人しく付いて行った場合、私はどこへ行かされるのです?」

銃口を目の前にして、どうしてこうも落ち着いた問答ができるのか――。

このままでは、せっかく「クンストの剣」を遠ざけたのに、何か他の邪魔が入るかもしれない、と男は表情に出さないながら焦りで手のひらを汗で濡らした。

「クンストの剣」と行動を共にするだけのことはあるということか、と男は何とか焦燥を抑つつ、淡々と見せて答える。

「……こちらは何も知らされていない。誰がお前をということを知りたければ、それこそ大人しく付いて来ることだな」

なかなか食えない相手だ、とテアは内心嘆息した。身のこなしにも隙がない。

だがあちらも、どうやらテアに尋常でないものを感じているらしく、不用意に近づいてはこなかった。

受け答えからしても分かる通り、慎重な性格のようだ。

問答無用で動いて騒がれるのを嫌ったのかもしれないが、ありがたいことだとテアは思った。

真っ向から攻撃されれば、テアの力では長くは抵抗できない。

何より相手は銃を持っている。消音器がついているとはいえ音はするから、なるべく使いたくないと考えているのではないか、と予想できるが、テアが少しでも大きな声を上げたなら、その時は誰かに目撃される前にさっさとテアを殺して逃げてしまえるだろう。

今のテアは武器という武器も持っていないし、なるべく隙を見せずにいて、相手が躊躇している間にどうにかこの事態を切り抜けなければ。

テアは周囲を横目で見渡しながら、打開策を練った。

「考える時間をそう長くくれてやることはできない。返答を」

真っ直ぐに銃を向けて返答を促され、テアは拳を握る。

ローゼは戻って来ず、他に人の気配はない。

――それならば、今の私ができる最善のことは……。

大人しく付いて行き、隙を見て逃げ出すこともできるかもしれないが、相手の慎重な性格を考えるとそう易々と逃がしてくれるとは思えない。

何よりもことが大きくなりすぎて、大切な人たちに大きな心配や負担を強いてしまうことになるだろう。

テアは真っ直ぐ顔を上げ、あくまでも抵抗することを決めた。

「……分かりました」

その言葉と、自分の有利を改めて思い、相手は油断したか――。

「ですが、あなたの言葉に従う義務はありません、ね!」

テアは思いきりよく、手に持っていたポーチを相手の顔面に投げつけた。

投げる時にポーチを開きやすくしておいたので、中のものがばらばらと廊下に飛び散り、男の邪魔をする。

テアは一瞬のその隙を見逃さず、身を翻して走り出した。

相手が不意をつかれすぐには動けない内に、廊下を右に曲がる。

少しでも相手の視界に入らない時間をつくるために。

そして、走りながらテアは良案を思いつき、それを実行した。

窓を開け、ヒールを脱ぐと、それを持ってそこから外に身を投げたのである。

すとん、と土の上に身軽に着地して、テアは先ほどまでいたのが一階で良かった、と思った。

だが、ここで安心して立ち止まっていては追い付かれてしまう。

劇場入り口まで逃げ延びて、ディルクたちに合流出来れば、と考え、テアはヒールを抱えたまま走り出した。

劇場の隣はこんもりとした小さな森になっていて、その下の土が走るテアの足をやさしく押し出してくれる。

空は既に夜闇に包まれていたが、劇場から漏れる光のおかげで迷う心配はしなくて良かった。

走りながら、一体誰がこんなことを、とテアは考える。

先ほどアロイスに言われたばかりの親皇帝派、という可能性はほとんどないだろう。これまでテアはロベルトとの繋がりを隠し通してきたつもりだし、先ほどのロベルトとの再会を万が一知られたとしてもあまりにも行動が早すぎる。

それならば、と仇敵のことを考えるが、あの約束がある限り彼らが動くはずはないのだ。もし彼らが約束を破って動き出すとしても……、今はまだ、時期尚早に過ぎる。

だとすれば。

――やはり、学院の……。

溜め息をつきたい衝動にかられたが、そんな余裕はなく、テアはただ走った。

学院の誰だかは分からないが、テアを邪魔だと感じて、国外に追放しようとでも画策したのかもしれない。何にせよ、人を使ってこういうことができるのだから、貴族かもしくは財産を持った人間か、いずれかに縁のある人間の仕業だろう。

考えていると、やがて、劇場の入り口が近づいてくる。

もう少し……、とテアがほんのわずか気を緩めた、その瞬間。

「おい、お前!」

前方から潜めたような、けれどきつい誰何の声がして、テアは身体を強張らせた。

彼女が行こうとしていたその先に、先ほどの男と同じような雰囲気の、黒づくめの人物が二人、いる。

先ほどの男の仲間だ、とテアは直感し、それは間違っていなかった。

彼らはテアを見るなり顔色を変え、彼女を捕まえようと近付いてきたのだ。

二人はどうやら、テアを連れ去るための待機要員として森の中に潜んでいたようである。

仲間がいるだろうと予想していたがこんな風に遭遇してしまうとは、とテアは自分の見通しの甘さに舌打ちしたくなった。

後ろから追いかけてくる男が一人、前に二人、ローゼを引き付けているだろう相手が一人以上。

そう考えれば、最低でも相手は四、五人いることになる。

――私のような子娘一人に、用意周到なことです。

皮肉っぽくテアは唇を歪めたが、増えた二人の追っ手に見覚えがあるような気がして記憶を辿った。

小さな森の中、劇場入り口付近からテアを見つけて追いかけてくる二人のせいでこれ以上劇場の方へ足を進めることができず、テアは劇場とは正反対に方向転換しながら頭を働かせる。

――もしかして……、そういうこと、ですか……。

誰の命令で何のためにこうして逃げなければならないのか、テアは分かった気がした。

だが今は、それが分かったところでどうしようもない。

劇場に逃げ込むことができなくなった今、テアは他の手段で自分の身を守らなければならない。

ローゼたちから引き離されてしまっている分、相手は容赦なくテアを追い詰めることができる。

とにかく、人がいそうな場所へ逃げて、警官か、それとも何か他の、頼りになりそうな他者に助けを求めよう。

もしくは、このまま逃げ続けて追手を撒いてから劇場へ戻ろう。

本当は、後者の手段が一番いい、とテアは思った。

もう誰も、自分のために犠牲にしたくないから。誰も巻き込みたくないから。

自分の身は、自分で守るのだ。

それを考えれば、増えた追っ手がディルクたちの元へ行かせるのを防いでくれたことは、幸いだったのかもしれない。

男たちは銃を持っているようだし、テアを狙った弾丸が、万が一にでもディルクたちを掠めるようなことがあったら……。

そんなことは、考えるだけで身が竦んだ。

目の前で倒れ行くディルクの姿を想像しそうになっただけで、恐怖が足を止めそうになって、テアは首を振る。

別のことを考えよう、と思って、朝から感じていた視線のことを思い出した。

おそらく朝からの不気味な視線は、今テアを追ってきている相手のものだったのだろう。

――フューラーさんに少しでも話しておけば良かったかもしれませんね……。

今更悔いても仕方がないが、アロイスに一言心配ごとを告げて確認してもらっていれば、こんな事態にはならなかったかもしれない。

だが、とにかく今はこの事態をどう切り抜けるのかが問題だとテアは思案した。

距離はあるが、確実に後ろから続いて来る足音がある。

落ちている枝を武器にしようか、とも思うが確実に相手を倒せるとは言えず、あまり試したい手段ではない。

――あ……、あれは……?

そこでふと、テアの目に止まるものがあった。

少しばかり走る方向を修正して、テアはそちらに近寄る。

テアが走り寄ったのは、森の木に寄生するヤドリギだった。

少し黄色がかった、白くて小さな実をつけている。

思いつくことがあって、テアはその実をいくつか拝借し手のひらに握った。

懐かしい思い出話が、頭の中に蘇って、胸を締め付けるような気が、する。

だがゆっくりとそれを思い出している場合ではない。

テアは再び、強く駆け出した。






一方、劇場のロビーで――。

「油断していました。私が、守らなければならなかったのに――」

自責の念を強くするローゼの肩を、ライナルトがそっと抱いていた。

結局、ローゼは襲ってきた男を返り討ちにできなかったのだ。

自身も怪我を負うことはなかったが、相手もそれは同様で、十分に時間を稼いだとみるや、相手は鮮やかにローゼに背中を向けて逃げ去ってしまった。

それを追撃したい思いもあったが、それよりもテアの無事の確認の方がずっと大事だ。

ローゼは急いで元の場所へ戻ったが――、そこにはもうテアの姿は全く見当たらず、ただ廊下にテアの持ち物が散乱しているという状況であった。

やはり狙いはテアだったのだ、とローゼがすぐさまロビーに駆けこんだのは、もしかしたらテアはディルクたちの元へ逃げたかもしれない、と考えたからだ。

しかしここにもテアの姿はなく、ローゼは絶望感に襲われて肩を落とした。

一連の状況を聞きながら、ディルクもライナルトも学院祭のことを思い出さずにはいられず、顔つきを険しくする。

「また何者かに連れて行かれた……のか」

「その可能性が大きいな」

テアが殺された、とそんな最悪の事態は考えたくも、口にしたくもなかった。

何より、ただ殺したいだけならばローゼがいない間に犯行は犯してしまえる。その場に血の痕などはなかったというし、捕えられただけだ、と思いたかった。

いや、もしかすると誰かに危害を加えられそうになり、今はまだ捕まっておらず犯人から逃げている最中かもしれない。

「他にも可能性はいくつか考えられるが……、いずれにせよ猶予はそうないだろう」

様々な可能性を頭の中に巡らせながら、ディルクは必死に冷静であろうと努めた。

そうでなければ、激情でただ突っ走ってしまいそうだったのだ。

だがそれでは、守れるものも守れなくなってしまう――。

「二手に分かれよう」

ディルクは告げた。

「俺はテアがいなくなった現場から後を追えないか手掛かりを探して追ってみる。ライナルトとローゼはロベルト氏のところへ行って、何か知っていることがないか聞いてきてくれ。もしかしたら、テアはそちらに身を寄せているかもしれない」

ローゼとライナルトはディルクの決然とした態度に頷き、早速共にロベルトの元へ向かおうとした。

一体何者が、どういう目的でテアを襲ったのか、確たることは分からない。

だがテアを守るために、とにかく行動しなければならなかった。

しかし、三人がそれぞれ動き出そうとした時だ。

「お三方……! テアお嬢さんはこちらにいらっしゃいますか!?」

焦る様子で駆け寄ってきたのは、先ほど別れたばかりのアロイス・フューラーだった。

彼はテアの姿を探すように視線を彷徨わせたが、それでテアが見つかるはずもない。

「それが……」

どうしてアロイスがと思うところはあったが、ローゼは早口で事情を説明した。

アロイスはそれに顔色を変えて、

「それじゃあ、やっぱりさっきのあれは……」

「何か心当たりがあるんですか!?」

「心当たりと言うか何と言うか、先ほど団長がふと窓の外に目をやった時に、外の森にお嬢さんらしき人影を見たというんですよ。それで心配したあの人の代わりに俺が確認に来たんです。どうやら見間違いじゃなく、本当にテアお嬢さんだったみたいですね」

「外の森にって、一体どういう状況だったんですかテアは!?」

「一人で、何かから逃げるように急いで走っていった――そうです。本当に一瞬で見えなくなってしまったので、よく分からなかったそうですが」

「それなら、テアは今、私を足止めした男の仲間に追われて、逃げている……?」

「おそらく、そうでしょう」

深刻そうな顔で、アロイスは重々しく頷いた。

「テアお嬢さんのことですから、易々と捕まりはしないでしょうが。俺が今からテアお嬢さんを追いかけます。皆さんはテアお嬢さんが戻ってきた時のためにもここで待って――」

「そんなことはできない」

アロイスの言葉を遮るように、ディルクは厳しい顔つきで言った。

「テアは俺たちの大事な仲間だ。テアが危険な目にあっているというのに、俺たちだけここで待っているというのは無理だ」

ローゼとライナルトもそれに頷く。

「俺たちならば、あなたの足手まといになるということもないだろう。ローゼを襲った人間と、テアを追い詰めた人間、犯人が複数というのは確実だし、相手がどういう武器を持っているかも分からない。いざという時のためにも複数で動いた方がいい」

「……正論で攻めてきますね。いいでしょう」

アロイスはやれやれ、と肩を竦めながらも爽やかに笑った。

「テアお嬢さんは本当に良い御友人をお持ちになりましたね。行きましょう、急がなくては」




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