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夜の灯火  作者: 隠居 彼方
第5楽章

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聖夜 11



「……さて、とは言って、どこから話し始めたものか……」

休日の図書館、テアと向き合うライナルトは思案した。

彼はあまり多弁な方ではない。このように打ち明け話をしようとすること自体、とても珍しいことだった。

彼は少し考え、言葉を探し、話し始める。

「順当に始めるなら、ディルクが私の部屋に忍び込んできたところからが良いだろうか」

「忍び込んできた……ですか」

その単語にテアは目を丸くする。

「ああ」

その時のことを思い出してか、ライナルトは笑って続けた。

「私も最初はひどく驚いたものだったよ……」




ライナルトはその頃、第二皇妃の息子、ライナルト・フォン・シーレであった。

十二歳の、夏。

彼は可愛げのある子ども、とは言い難い存在だった。

毎日、剣の稽古や公式行事など必要な時以外は、与えられた居室に籠り本ばかり読んでいる。

寡黙で、笑うことも少なく、皇族特有の白藍の瞳は冷たい。

侍女たちにも、何を考えているのか分からない、不気味だ、とまで噂されていた。

周りからどういう目で見られているのか、ライナルト自身把握していたが、特にそれをどうこうしようとも思っていなかった。

彼はその年で、様々なことを諦めてしまっていたのである。

他人に、期待することも。

他人を、信じることも。

何故彼が若干十二歳にして老成したようであるのか、それにはもちろん理由があった。

彼の母親、第二皇妃の存在である。

彼女はエーベルハルト公爵家の令嬢だったが、第二皇妃となる以前、想いを交わした相手がいたのだという。

だが、彼女は家の事情、また国の事情により皇帝に嫁がなくてはならない運命にあった。

エーベルハルト家は、四大貴族の一。他の、四大貴族に名を連ねるバンゲンハイム家、ルーデンドルフ家、オイレンベルク家とは対抗関係にある。

皇帝はしかし、バンゲンハイム家の娘を第一皇妃――正妃に選び、エーベルハルト家は一歩遅れる形になったのである。

そこで、エーベルハルト家は第二皇妃――側妃という形であっても少しでも皇帝に、権力に近づこうと娘を嫁がせることにしたのだ。同じくして、ルーデンドルフ家も娘を嫁がせようと画策しており、これ以上遅れまいとしたということもある。

国としても、四大貴族の勢力均衡が崩れないよう図ることは、国政を乱さぬために必要だった。跡取りのためにも、妃が多いに越したことはない――。

他に想う相手がいても、彼女の意思などまるで無関係に、話は進められたのである。

だが、彼女にとっては想う相手と結ばれることだけがその望みで、第二皇妃という地位を得ても毎日を嘆き暮らすばかりだった。

彼女は想う相手を忘れることも、国のために皇帝に尽くすこともしなかったのだ。

生まれてきた息子も、彼女にとっては何の意味もない存在で。

意に沿わない相手との間にできた子どもに与える愛情も、彼女は持ち合わせていなかった。

それでも子どもは、母親を慕うものである。

もっと小さな頃のライナルトといえば、どうして母親が自分によそよそしいのか分からず、少しでもいいから微笑みかけてもらいたいと、努力に努力を重ねていた。

勉強も、剣も、何もかも、人並み以上に努力をして。

結果を出せれば、母親が喜んでくれるかもしれないと思った。

けれど何をしても。

何をしても、彼女はライナルトの存在をないもののように振る舞った。

母親の微笑みなど、ライナルトは一度として見たことがない。

やがて……、彼は分かるようになってくる。

母親の事情も。自分に笑いかけてくれない理由も。

――全てが、無駄だったのだ。

ライナルトは、そう思った瞬間、全てを諦めた。

いつか微笑みかけてくれると、そう信じていたことが裏切られたように、何かを信じていてもいつかは裏切られるのだ、と思って。

何かを信じることを止めた。

政治の道具となるしかなかった母親の息子。

ならば、それらしく生きていればいいのだろうと、彼はただ道具に徹することにした。

意思を持たず、ただやらなければならない義務だけをこなした。

そんな、ある日。




「……ライナルト、ライナルト、だろう?」

教師に勧められた書物を、面白くもないのに生真面目に読んでいたライナルトは、呼ぶ声を聞いたように思って、顔を上げた。

「……?」

「……っと」

そして、ぎょっと、少年ライナルトは椅子から立ち上がっていた。

壁に取り付けられた大きな本棚の、その一番下の段だけがどこに行ったのかぽっかりと穴になっており、そこから人の顔が覗いていたからだ。

今までにない事態に思わずライナルトは声を上げそうになったが、その顔に見覚えがあることに気付いて、とりあえず衛兵を呼ぶのは中止する。

ライナルトが声を抑える間にも、もぞもぞと人影は狭い隙間からライナルトの部屋に侵入していた。

「驚かせてすまないな。こういう方法を使わないと、なかなか会えないものだから」

少々埃を身に纏って、そこに立っていたのは、ライナルトの異母兄弟、第三皇子、ディルク・フォン・シーレ――。

母親を異にするとはいえ兄弟だ。当然面識はあった。公式行事などでは同じテーブルにつく仲だ。しかし、言葉を交わしたことはほとんどなかった。公的な場以外で顔を合わせることも皆無に近い。

同じ宮殿内を生活圏にしているとはいえ、第二第三皇妃、皇子の居住に与えられているのは宮殿と渡り廊下で繋がれた小さな離宮であったし、それぞれが離れているのだ。

それに加え皇妃たちの生家は対立関係にあるため、皇妃同士の交流は滅多になく、息子たちもそれはまたしかり、ということだ。

特に第三皇妃は第一第二皇妃に対するライバル心が強く、息子に対しても競争相手に近付かないように言い聞かせていると聞く。

それがどうしてこんなところにいるのかと、ライナルトは訝しんだ。

しかも、わざわざごく一部の人間しか知らないような隠し通路を使ってくるなど、尋常なことではない。

「さすがに俺が誰かは名乗るまでもないな。母は違えど兄弟だというのに、こうして話すのは初めてのような気がするが……」

警戒するライナルトとは真逆に、異母兄弟はあっけらかんと話しかけてきた。

「ディルク・フォン・シーレ。……何のつもりだ」

「もちろん、お前に会いに」

ディルクは率直に言って、ライナルトと同じ白藍の瞳を細めて笑った。

「少し前、ちょっと冒険してみようと思ってこの離宮の裏の通路を探検していたら、フルートの音が聴こえたんだ。隙間から覗いてみたら、演奏していたのがお前で……。その時、一緒に演奏してみたら楽しいだろうと思ったんだ。俺がピアノを弾くから、フルートを吹いてくれないか?」

ライナルトは絶句した。

どこから突っ込んでいいものか分からない。

フォン・シーレを名に持つ者が、宮殿の隠し通路で「ちょっと冒険」とはどういうことだ。

そして、唐突にフルートを吹いてくれとは、一体どういう了見だ。

「駄目だろうか?」

「……断る」

共に演奏したいと、それだけの理由で今までに接触のなかった異母兄弟が現れるなど、到底信じられない。何か企みがあるのかもしれない。

何よりも、ライナルトはディルクのことが正直好きではなかった。

自分と同じ立場でありながら、まるきり境遇の異なるディルクのことが。

だから、ライナルトはディルクを拒絶した。

「……分かった」

ディルクは少々気落ちした様子で頷いたが、しかしすぐに明るい声でこう続けた。

「今日はこんな場所からの訪問だったし、お前の予定も聞かずに済まなかった。今度はもう少しちゃんとした方法で、予定などもきちんと踏まえて訪ねることにしよう」

「……は?」

「では、今日は退散することにする。すまなかったな。では、また後日」

また後日、ではない。

もう来なくていい。

ライナルトはそう言いたかったが、言い返す前にディルクは素早く姿を消してしまっていた。

あれは白昼夢だったのかもしれない、と普段と同じように佇む本棚を前に、ライナルトは椅子に沈みこんだ。




しかし。

ディルクはその言葉通り、数日後にはライナルトの前に再び姿を現したのである。

しかも、ライナルトが思いもしなかった方法で。

その午後は特に予定もなく、ライナルトはいつも通り部屋に籠り、教師に出された課題をこなしていた。

その時、コンコン、とドアがノックされ、下男が「お飲物をお持ちしました」と部屋へ入ってきたのである。

見ない顔だな、と盆を持って入ってきたその少年を見つめ、その顔を間近で目にして、ライナルトはあることに気付き、愕然とした。

「ディルク……」

「よく気がついたな」

そう、その下男は――下男に扮装してそこに立っていたのは、ディルクだったのである。

彼は鬘でもかぶっているのか、髪の毛で上手く顔を隠すようにして、さらに化粧か何かで多少人相を変えていた。

皇族が下男に身を窶しているなど、到底考えられることではなく、ライナルトは開いた口が塞がらない。

しかしディルクはそんなライナルトに茶目っ気たっぷりにウインクして見せて、

「なかなか上手く化けただろう?」

とむしろ誇らしげに言ってみせる。

「何故……」

「先日言っただろう? お前と演奏がしてみたいと思ったんだ。今は駄目か?」

「そこじゃない。いや、それもあるが……」

前回と同じだ。いや、それ以上かもしれない。ディルクの言動は理解の範疇を越えていて、ライナルトは混乱するしかなかった。

混乱したまま、一番重要だと思うことを訊くために彼は口を開く。

「……どうしてそんな格好までして? 演奏が云々という理由など、信じられない……本当は一体何が目的なんだ」

ディルクは実際に頭を抱えたいくらいになっているライナルトを見つめ、冷静に答える。

「――お前を暗殺するために来た、とでも言った方が、お前は信用してくれたかな」

そうなのか、と疑るような眼差しでライナルトはディルクを見返した。

それに、ディルクは苦笑する。

「だが、おそらくお前も考えている通り、俺がいくら子どもといっても、お前を殺そうとするならもっと上手い手段を考えついて実行するさ。少なくとも、お前の目の前に姿を見せたりはしない」

それは、先日ディルクが現れた時からライナルトも考えていたことだった。

「……お前と演奏したい、というのは俺の本心だよ。本当は、もっと前からお前と話してみたいと思っていた。だが、第三皇妃のことは、当然お前も承知しているだろう。俺は大っぴらにお前に会うわけには行かなかったし、だから今回正式にアポイントを入れることもできなかった。仕方ないとはいえこういう形になってしまったことに対して、一応反省はしているが……、前回よりはましだろう?」

自分の母親のことであるのに、第三皇妃、とまるで他人のようにディルクは口にする。

それにほんのわずか違和感を覚え、しかしそれには触れずライナルトはなお追究した。

「お前の登場の仕方についてはどちらも同じようなものだ。だが、どうしてそこまでして私と演奏をなどと言う?」

「……似ている、と思ったんだ」

一体何が、とライナルトが問う前にディルクは続けた。

「お前の音を聴いて――こういう言い方は陳腐かもしれないが――、俺たちは同じような孤独を知っているのだなと、思った」

瞬間、かっとライナルトは頭に血が昇るような感覚を覚えた。

「私とお前が? 馬鹿なことを言うな!」

だが、ディルクはライナルトのその言葉に取り乱したりはしなかった。

彼には、ライナルトがそのように否定の言葉を吐き出す理由が、おおよそのところ、分かっていたからだ。

「……ピアノを貸してくれないか?」

ディルクは誠実な姿勢で、ライナルトに頼んだ。

その静かな眼差しに、ライナルトは怒りを削がれる。

「勝手にしろ」

と、彼は部屋の片隅を指した。

「ありがとう」

ディルクは広い居室に鎮座するグランド・ピアノの前に座る。

このピアノはライナルトが弾くためにあるというより、一種の部屋の飾りだった。だが、音楽の教師が来た時に使われることがあるので、調律はきちんとされている。

ディルクは音を確かめて頷くと、おもむろに鍵盤に指を落とした。

「……!」

はっと、ライナルトは息を呑む。

その旋律は、先日ライナルトが心の赴くまま奏でていたものと、そっくり同じものだったからだ。

悲しみや寂しさ、やりきれなさをぶつけた、音。

ライナルトと、同じ――。

ライナルトは、ただ茫然とディルクの音を聴いていた。

ディルクの音は、ただの猿真似で出せるようなものではなかった。

そして、「似ている」とディルクが言ったように、ライナルトと全く同じ音ではない。

ディルクの旋律には、そう、憎悪さえ滲んでいるような――。

しかし、ぷつりと途中で音が切れて、ライナルトははっとする。

「……俺がこの前聴いたのは、ここまでだったからな。続きは知らないんだ」

ディルクは顔を上げて、ライナルトに微笑んだ。

あんな音を出したとは思えない顔色で。

ライナルトはひとつ息を吐き、答える。

「――実を言えば、私も適当に弾いていたから、終わりはまだ決めていないんだ」

ディルクは一瞬目を見張り、笑った。

「そうか。では、二人で合わせながら曲を完成させないか?」

その提案に、ライナルトは今までとは違う諦めのようなものを覚えながら、頷いていた。

彼にも、今まで接触の少なかった異母兄弟に対する興味が芽生え始めていたのだ。




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