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夜の灯火  作者: 隠居 彼方
第5楽章
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聖夜 9



「少し、昔話に付き合っていただけますか?」

苺などのベリー類が豊富に添えられた、バニラアイスのデザートにスプーンを入れながら、ローゼは言った。

目的のものを購入してから、ディルクはローゼに付き合ってもらっているというより、ローゼに付き合っていくつもの店を回らされ、今はローゼの希望したカフェに入って食事をとっている。

といっても、既に食事は終え、ディルクはコーヒーを、ローゼはデザートをそれぞれ食後に楽しんでいるところだ。

「ああ、いくらでも」

唐突なローゼの切り出しに、ディルクははっきりと頷く。

ローゼの雰囲気から、テアの話をするのだろうと、見当をつけるのは容易かった。

「……ありがとうございます」

ディルクの返答に、ローゼはふふっと笑い、続ける。

「……昔といって、私が十二の頃のことですから、八年前、ですか。あれはまだ、寒さを残した春の始めだったと思います。そこで初めて……テアと出会ったんですよ」

思い出すように目を伏せるローゼの言葉に、ディルクは耳を傾けた。

八年前といえば、テアはまだ九つだ。

彼女は一体どんな少女だったのだろうか。

そんなことを考えながらディルクは静かに姿勢を正していたが、ローゼの語る昔話は穏やかなものではなかった……。






ブランシュ家に与えられた領地は決して広大ではないが、隣国との境界で、守りの要所となっていた。「クンストの剣」と呼ばれるフォン・ブランシュがそこにあることが、重要なことだったのである。

フォン・ブランシュは「クンストの剣」と呼ばれ、その名に恥じない有力な騎士・武官を輩出してきた家だ。

政治的な分野では四大貴族に及ばないが、その武力に関して皇帝は長年フォン・ブランシュを頼みにしてきた。

実際、長きに渡り、戦においてその名は負け知らずで、他国からも恐れられているほどである。

同時に、フォン・ブランシュは多くの騎士見習いを受け入れ、力ある騎士を育てあげることでも国に貢献してきた。

そんな風にブランシュ家が軍事に長けているのなら、その領民も荒っぽい連中が多いのかというと、そうでもない。騎士見習いが多いと言っても、何十人も抱えているわけではないし、砦もあって兵が構えているとは言っても、農民や商人がいなければ食べるものも着る服もなくなってしまう。

兵は確かに他よりも多く見かけはするが、「クンストの剣」のお膝元で情勢は安定していたし、領民たちは農耕や商売に明け暮れながらのんびりと暮らしていた。

何よりそれには、現当主であるモーリッツ・フォン・ブランシュの人柄が強く影響していた。

彼は兵たちに乱暴な振る舞いを許さなかったし、「クンストの剣」を受け継いだモーリッツの方針に逆らって荒っぽく振る舞うような連中はいなかった。むしろ領民に親切にするようにとモーリッツは呼びかけ、下の者はそれに従っていた。

また彼は、当然領民たちから税を徴収していたが、他の領地と比べればそれは軽いものであった。立派な砦も聳え立つブランシュ領に暮らしていれば、兵たちの養いもあるため、本来であれば負担が重くないはずなどない。だが、騎士見習いをさせるため子を預ける貴族が多額の寄付をしてくれるので、ブランシュ領の財布は十分な重量を持っていたのである。

とはいえ、モーリッツの器量がなければ、ここまで領民たちの負担が軽いということはなかっただろう。

それを領民たちも分かっていたから、誰もがモーリッツを尊敬していた。

そして、モーリッツの娘であるローゼ・フォン・ブランシュも、領民たちには親しみのある存在だった。

普通の貴族の少女であれば、たった一人で外出することなど考えられないことだったが、ローゼは型破りなお姫様で、たった一人、供も連れずに町娘のような格好で下町を闊歩し、気さくに領民に話しかけるような娘だったのである。それを許す父親も父親ではあったが、それはともかく。

その日も、ローゼは稽古を終えて、ほんの少しおしゃれをしてから町に出た。

綺麗なドレスはこの頃の彼女も目を輝かせるものであったが、歩き回るには少々不便なのだ。

今日は自分でつくる菓子の材料を揃えるつもりで、市場を見て回る。

こうした買い物は使用人に任せても良いのだが、ローゼは人々の賑やかな様子を見るのが好きだったし、将来自分が背負って立つことになる領地のことをきちんと知っておきたかったのだ。

そうして、瑞々しい果物を手にとり、市場の見知った顔と声を交わしながらローゼが楽しそうにしていた時だった。

「ローゼねえちゃん!」

声をかけられ、ローゼは声のした方へと顔を向けた。

彼女の左手から駆けてきたのは、幼い少年少女たち。

稀にローゼが剣の稽古をつけてやっている、農民の子どもたちだった。

「こら! あんたたち、ローゼ様とお呼びといつも言ってるだろ!」

叱責の声が飛び、子どもたちはそれに首を竦めてローゼの元へ駆けてくる。

「どうしたんですか?」

ローゼも呼び方のことなど気にせず、子どもたちに問いかけた。

「それがさ、ちょっと変なのがいるんだよ」

「お母さんに言ってみたけど、ほっとけって」

「でも、なんかさ、ケガとかしてるみたいだし」

「お医者さん呼ぼうかと思ったけど、お金のこととかあるし、おれたちが呼んでも来てくれないかもだし」

「それに、近づいたらにらむの……。こわくてなんにも言えなくて」

子どもたちの話はまとまりがなく分かりにくかったが、どうやら怪我をしているかもしれない不審なものがいるらしい。

話だけだとそれが人間なのか動物なのかも微妙なところだが、ローゼは頷いた。

「分かりました。行ってみましょう」

「ローゼね……、ローゼ様ならそう言ってくれると思ってたよ! こっち来て!」

無造作に手を引かれるまま、ローゼは走り出した。

子どもたちにもあんな風につきあってくださって、と親たちから申し訳ないようなありがたがるような視線が送られたが、それは受け流して。

子どもたちの言葉に嘘はなかったし、もし怪我人がいるのならば領主の娘として、「クンストの剣」として助けるのは当然だ。もし不審人物ならば、捕まえることもまた使命のうち。

まだ十二の少女でありながら、ローゼには既に次期当主としての自覚も覚悟もあった。

「あそこだよ!」

ローゼが連れてこられたのは、町の外れも外れにある小さな廃屋だった。

持ち主も分からなくなってしまったそこを、子どもたちがこっそりと遊びに使っているらしいことを、ローゼは知っている。一方で、稀に浮浪者などが寝泊まりに使っていることもあるらしい。老朽化もしており危ないので、早めに取り壊した方がいいと大人たちが話しているような建物だ。

「中にふたりいるよ」

「親子みたい」

ふたり、ということは、相手は人間らしい。

ローゼは、先ほどまでとは打って変わって彼女の後ろに隠れるようにした子どもたちを引きつれながら、無造作にその廃屋に近づいた。

確かに中には人の気配がある。

朽ちかけた木製のドアの前に立ち、彼女はそのドアをノックしかけた。何となく、そうしなければならないような気がしたのだ。

しかし、不法に滞在しているだろう相手にそんな礼儀を尽くす必要はないだろう。

ローゼは一瞬の躊躇の後、ドアを開け放った。

そこには。

「――どちら様ですか」

若い女性と、幼い少女が、いた。

ローゼはその二人の姿に虚をつかれたような思いで、しばし立ち尽くす。

ローゼに向けて、静かに誰何の声を上げたのは少女の方。

少女は、不揃いに刈られた、くすんだような青っぽい髪の毛を持っていた。その身体は余りにも小さく細く、細身に見えながら鍛え上げているローゼが少しでも力を加えれば簡単に壊れてしまいそうだ。その身に纏うのは飾りもない質素な白のワンピースのようだが、ほとんど赤茶っぽく汚れていて元の白さが一体どのようなものだったのか分からない。

そんな、少女のぼろぼろな様子とは正反対に印象的なのは、その瞳。

その黄金に光る瞳は、少女の小ささに比してとても大きく感じられ、さらに少女の意思を反映してか、他者をたじろがせるような強さを湛えていた。

そんな少女が後ろに庇うようにしているのが、ローゼたちに背中を向けるようにしている女性。いくらか少女よりも小奇麗に見えたが、少女と同じような髪の色。顔立ちも、二人は良く似ていた。子どもたちの言うとおり、親子なのだろうとローゼも思う。そして彼女は、背中に傷を負っているようだった。

ローゼがそれと分かったのは、女性が背をむき出しにしていて、包帯を巻いているのが見えていたからだ。どうやらローゼは、彼女たちが包帯を変えている最中に踏み込んでしまったらしい。

「興味本位でいらしたならば、すぐに退出をお願いします。関わらない方が賢明です」

その少女は、ローゼよりも幼いだろうに、まるで大人のような口調で、冷ややかに言い切った。

「もし他にご用事ということでしたら、……その内容によっては、」

ローゼの後ろで、子どもたちが息を呑む音がした。

少女の纏う雰囲気は、あまりにも――あまりにも鋭く、物騒で。

少女は凶器も持っておらず、あまりにも非力に見えるのに、慄然とした感情を喚起させた。

「……テア」

しかし、後ろの女性の窘めるような声で、少女の不穏な雰囲気は少々和らぐ。

ローゼも幼い少女の雰囲気に圧されていたが、女性の優しげな声にようやく言葉を発することができた。

「――私は、ここの領主の娘、ローゼ・ブランシュです」

ローゼの名乗りに、少女は目を細めた。

疑われているのだろうかと、ローゼは思う。

それも仕方のないことかもしれない。普通の貴族の娘であれば、こんな場所に農民の子どもたちを引きつれて来るということはないはずだから。

「疑われるかもしれませんが……」

「本当だよ! ローゼね……、ローゼ様は『クンストの剣』なんだから!」

子どもたちが後ろで声を上げた。

少女は特に表情を動かすことなく、それに答える。

「疑っているわけではありません。見れば……それなりのことは、分かりますから。……それで、領主様のご息女がわざわざこんな場所に来られたのはどうしてですか。……ここに勝手に侵入したことならば、謝罪します。出て行けというのならばすぐにでも出ていきます。罰するというのならば私がその咎を受けましょう。ですから、それ以上のことは――」

言い募る少女に、ローゼは切なさにも似た苦さを覚えた。

少女は、女性を守るようにローゼたちに立ちはだかっている。

少女は女性を――母親を守りたいのだ。ローゼはそれを強く感じ取ることができた。

少女は、ただただ、守りたいだけなのだ。そのために、自分はどうなっても構わないと、そう思っている。

こんなに小さな、少女なのに。

おそらく、彼女に庇われている女性も、ローゼと同じことを思っているのだろう。ローゼよりもずっと強く、思っているのかもしれない。

そんな彼女はローゼとおそらく同じような表情をして、けれど怪我のために口をきくのもつらそうな様子だった。

ローゼは心を決めて、二人に話しかける。

「私は、あなた方を害しようと思ってきたわけではありません……決して。私は、『クンストの剣』として……、苦しんでいる人たちがいるのならば、少しでも力になりたいと思っています。よければ、うちの邸に来ませんか。そこでならきちんとした治療もできますし、少なくともここよりは体を休めることができると思いますが」

少女はその真意を確かめようとするように、ますます瞳に鋭い色を宿してローゼを見つめた。

そんな瞳になるような何かが、この少女にはあったのだろう。

ローゼは痛切にそれを感じ取り、ますます彼女たちを守らなければならないという思いを強くした。

自分よりも幼いこの少女が、こんな剣呑な様子でいなければならないことは、きっと間違っている。

「……『クンストの剣』は、国民のためにあります。日々剣を研ぎ澄ませていても……、使わなければ意味がない。それが戦でなくとも。……少しでも、手を差し伸べることを許してはもらえませんか?」

ローゼは心からそう告げ、答えを待った。

「――その申し出、ありがたく、お受けします」

ローゼの真摯な言葉に応えたのは、少女ではなく、後ろの女性だった。

「お母さん、」

少女がそれでいいのかと問うような声を上げて、後ろを向く。

女性は、そんな少女に優しく手を伸ばした。

「『クンストの剣』……、そう、モーリッツ卿なら……、きっと悪いようにはなさらないはず」

「で、も……!」

女性はそっと、少女を抱きしめる。

「……『クンストの剣』にお願いいたします。どうか、少しの間だけでも、私たちにその守護の手を……」


それからローゼは人を呼び、父親であるモーリッツの許可を得て、二人をフォン・ブランシュの別邸――ローゼの暮らす邸に運ばせた。

フォン・ブランシュには当主の住まう本邸と、少し離れた場所に別邸がある。

本邸には見習いも寝泊まりしているため、少女がひとり男性の中で暮らすのはあまり好ましくないだろうと、ローゼは別邸へという形になったのである。母親がいたならば話はまた違っていたのだろうが、ローゼの母親は彼女が幼い時に事故に亡くなっていて、メイドはいるもののローゼは紅一点なのだ。

とにかく、そのように本邸には見習いもいたし、人の出入りが激しい。怪我人を治療するには少々騒がしいだろうと配慮して、ローゼはそうさせたのだった。何よりも、彼女が保護した親子はなるべく人目には付きたくない様子だったので、そうした方がいいと思ったのだ。

フォン・ブランシュの抱える医師に診せたところ、女性の容態は思っていたよりも危うい状況にあったらしい。あのままであったならば、必ず何らかの病気を併発して死に至っていただろう、と医師は言った。しかし、医師の適切な処置のおかげで女性は一命をとりとめた。女性を必死で看病する少女を見守りながら、ローゼは間に合って良かった、と強く思ったものである。

そして、女性の治療が落ち着いてようやく、ローゼは二人の名前を聞くことができた。

少女がほんのわずか、警戒を解いた様子で名乗ったのを、ローゼはよく覚えている。

安堵したような微笑が、大人びているようで、年相応でもあり、とても印象的だった。

「申し遅れました。私はテアといいます。母はカティア、と。……母を救っていただいたこと、感謝いたします、ローゼ様」




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