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夜の灯火  作者: 隠居 彼方
第5楽章
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聖夜 8



空は雲ひとつなく、晴れていた。

吹き付けてくる風は冷ややかだが、太陽の光が差す場所には心地良い暖かさがある。

十二月に入ったばかりのその休日、ディルクとローゼは学院から徒歩で二十分程度の場所にある繁華街を歩いていた。

もちろんディルクの目的は、テアへのプレゼントを買うことだ。

おしゃれな店が建ち並ぶその通りには、若者の姿が多く見られ、その中でも石畳の道を行く二人は大変目立つ存在だった。

休日ということで、もちろん制服ではなく、二人とも動きやすそうな私服で、服装に特別派手さがあるわけではない。

だが、ディルクは類稀なる美貌の持ち主であるし、ローゼは華やかな美女である。

その二人が颯爽と並んで歩いていく様子は目に麗しく、その存在感に、誰もが目を引き付けられずにはいられないようだった。道行く人が立ち止まり、まじまじと二人を見送ってから何とか歩き出すという光景が行く先々で見られる。おそらく、似合いのカップルだと思った人々もいただろう。

そのような視線にもう慣れ切ってしまっている二人は気にも留めず、目的の店へとただ真っ直ぐ向かっていた。

「それにしても、ピンポイントでお店を指定してくれましたよね。雑誌でチェックでもしたんですか?」

歩きながら、ローゼは軽く尋ねる。

この道沿いにある店の商品が気になっていると、ディルクはローゼに告げていた。

ディルクが指した店は女性向けであるし、この周辺は女性やカップル向けの店が多い。

なかなかディルクのような青年が足を運ぶことはないように思われたが、どこで目的の品の情報を手に入れたのかと、ローゼは少しばかり疑問だった。

「学院祭の準備でこの辺りを歩く機会があったんだ。色々と買い出しが必要でな」

ディルクは明快に答える。

「店の中には入らなかったが、ウィンドウ越しに見えたものが綺麗で、テアに似合いそうだなと思った。本当に一瞬のことでその後は思い返すこともなかったのだが、この前ふと思い出す機会があってな」

「そうでしたか……」

さりげなく言ってくれると思いながら、ローゼは頷いた。

「あ、あそこのお店ですよね」

ローゼの指さす先に、ディルクの目当ての店が見えている。

シンプルだが上品な佇まいの店だ。

普通の学生には少々敷居が高そうではあったが、ディルクは躊躇わずにそのドアを開けた。

ちりんちりん、と涼やかなベルが鳴る。

一瞬にして、中にいた客の視線ははっとディルクに引き付けられた。

店内には数名女性客がおり、誰もが息を呑んでしばらくの間彼に見惚れる。

ディルクはしかし入店すると構わず、外から眺められる位置に置いてある棚に近づき、ローゼもそれに続いた。

先日ディルクが目にしたそれは、同じ位置で同じ輝きを持ってそこにあった。

それにディルクはほっと胸を撫で下ろして、商品を手に取る。

「ローゼ、これなのだが、どうだろうか」

それは、金メッキの金具に、深い青の藍晶石を中心に菫青石や藍玉、水晶をちりばめた、美しい装飾のバレッタだった。

「ええ、確かに、これでしたらテアの髪によく映えると思いますよ」

ローゼは感嘆の溜め息を吐く。

「素晴らしいですね。意匠もこだわっていますが、こんなに美しい、澄んだ青の藍晶石は滅多に見ませんよ……」

「ああ。……それから、この金具であれば、扱いやすいだろうか」

ディルクの言葉に、ローゼはくすりと笑みを零した。

「ええ、テアでも簡単に髪がまとめられると思いますよ。ただ、やはりこれだけのものだと値が張りますね」

「値段は気にしないが……」

皇族から一転、一庶民となったディルクであるが、コンクールの賞金やアルバイトなどでかなりの稼ぎを出している。無駄なところで金を使うような性格でもないので、貯金はかなりの額だった。

「あなたのお金の心配はしませんが、テアは気にするかもしれませんよ」

「……それは、確かに」

「テアがこんな高そうなもの、って言ったら、安物だったって言い張ることですね。じゃないと突っ返されますよ」

「そうしよう」

苦笑してディルクはそのアドバイスを受け取った。遠慮がちなテアのことだから、確かにローゼの言うとおりになりそうだ。

「では早速会計を……」

「あ、ちょっと待ってください」

いそいそと会計に行きかけたディルクを、ローゼはさりげなく引きとめた。

「カモフラージュを忘れてます。それだけ持って行っても、私が付けるんじゃないって丸わかりです。そのバレッタは素晴らしいですが、私の髪の色には合いませんから。見る人が見ればテアへのプレゼントだってばればれですよ」

ローゼは言いながら、自分でも気になったものを一つ手に取った。

「それも、ちょっと貸してください」

ディルクは素直にローゼにバレッタを手渡す。

「それで、いっしょに会計しましょう。いいですか、今日はたまたまこの店の前で私が気になるものを見つけてお店に入って、テアへのお土産もいっしょに買った。あなたは偶然会った私に付き合ってここにいただけ、という設定でいきましょう」

「……ああ」

細かい設定まで用意してきたローゼにディルクは何とも言えない顔になったが、それくらいのことも必要かもしれないと頷いた。

「安心してください、ちゃんと自分の分は自分で払いますから」

「いや、今日の礼に代金は俺が……」

「さすがに、ライナルト以外の男性から、普段身につけようと思っているものをいただけませんよ。例えあなたが相手でも」

それもそうかとディルクは思って、代案を提示する。

「それでは、せめて今日の昼食くらいは奢らせてくれ」

「はい、それは、お言葉に甘えます」

ローゼは躊躇わず厚意を受け止めて、にこりと笑ったのだった。






背後から気配を殺して近づいてくる何者かに気付いて、テアは身を強張らせた。

そんな風にテアに近づいてくる理由など、ほとんど悪意からのものに限られるだろう。

テアは一気に警戒を強めたが、それを相手にそうとは悟らせなかった。

神経を研ぎ澄ませて、テアはペンを握る。

そして、相手がさらに近付いてくるとみて、テアは握ったペンの先を相手に突きつけるように振り返った。

――が、しかし。

「……っと」

相手が驚いたように一歩身を引き、その顔を見てテアの身体から力が抜けた。

「ライナルト……」

「驚かせるつもりだったが……、逆に驚かされてしまったな」

苦笑を浮かべるのは、間違いようもなく、ライナルト本人だった。

「す、すみません」

テアは慌てて手を引いて謝る。

「いや、私が妙な近付き方をしたのが悪かった。こちらこそ、すまなかったな」

「い、いえ……」

首を振るテアは、警戒を解いてすっかりいつも通りだ。

ライナルトは先ほどのテアの敏捷な動きを思い出して、すっと目を細める。

ライナルトが図書館へ資料の返却に来て、テアを見かけたのはつい先ほどのこと。

ほんの悪戯心で気配を消してみたのだが、予想外の反応が返ってきたものだと思う。

先ほどのテアは、全身を戦闘のために切り替えたようだった。

片手ではペンで攻撃を仕掛け、もう片方の手は積み重ねられた本に伸びていたところを見るに、おそらく、相手がライナルトでなかったならば、本も凶器として扱っていただろう。

モーリッツに護身術を習っていたとしても、実際にはなかなか動けないものだ。ローゼとの剣の打ち合いも先日見たばかりであったが、あれともまた状況が全く異なる。

しかし、気配を消すことに長けているライナルトに気付いて、テアは動いた。

テアはこうしたことに慣れているのではないか――。

ライナルトはそんな風に思う。

何よりも、あの鋭い冷ややかな眼差し。

普段は穏やかな色を湛えている黄金が、冷たく光りライナルトを見据えていた。

――あんな瞳もできるのか……。

普段のテアとのギャップ。酷薄に光っていた黄金の瞳。

そこに、テアが秘めている何かがあるのではないか――。

考えながらもすぐに追究するようなことはせず、ライナルトはテアに近付いた。

「お前は本当に勉強熱心だな。授業の課題か?」

「ええ。ついつい色々と読んでいるうちに時間ばかり経ってしまって、まとめるのに時間がかかってしまっているのですが……。勉強熱心というより、本の虫というか、要領が悪いというか……」

「そんなことはないと思うが。読めば読んだだけ、ためになるだろう。しかしいずれにせよ、邪魔をしてすまなかったな。返却に来たらたまたまお前を見かけたので……、少し話でもと思ったのだが」

「いえ、そんな。ちょうど集中力も切れかけていた時だったんです。それに提出締切はしばらく先のことですから」

「それでは……、少し休憩ということで、お前の時間をもらうことにしよう」

ライナルトはテアに断って、彼女の前に座った。

「こうしてお前と二人で、というのは初めてだな」

「そうですね。普段でしたら、ローゼやディルクがいますから……」

テアは二人の外出のことを口にしないように気をつけながら言った。

結局ディルクがライナルトにどう言ったのか分からないし、ライナルトのことだから勘づくこともあるだろうが、ローゼのためにプレゼントのことは秘密にしておかなくてはなるまい。

「……実を言うと、少し前からお前に聞きたいことがあったんだ」

「何でしょう」

改まった様子のライナルトに、テアは内心身構えた。

何となくではあるが、ライナルトが聞きたいこととは何か予想はついていて、どう答えるかをテアは頭の中に用意しておく。

「お前の秘密についてだ」

率直なライナルトの言葉は、テアの予想通りの内容だった。

それでも、テアは小さく肩を揺らす。

「素性、後見人を何故隠す」

「……」

鋭くも感じられる、ライナルトの問いであった。

「秘密など誰でも持っているものだろうが……、私が警戒するのは、お前のそれが――」

「ライナルト」

だが、ライナルトのそれに怯まず、やんわりとテアは遮った。

「……すみません、嫌なことを尋ねさせてしまって……」

真っ直ぐに見つめ返してくるテアを、驚きを持ってライナルトは見つめる。

こんな風にぶしつけに尋ねるなど、テアが傷ついても、不愉快に思っても、当然のところだ。

それなのに彼女は、ライナルトを思いやる言葉を口にする。

とても落ち着いた瞳で。

「ライナルトが危惧されていることは、分かります。私には秘密がある。それは危険を孕むものです」

例え問うても、彼女が何も言わない可能性の方が高いと、ライナルトは思っていた。

それでも彼は、テアの反応を見たかった。確かめたかった。

ライナルトはテアへの想いを自覚したディルクに、その想いを諦めないようにと激励したが、ディルクの本気を知るにつけますます、テアの背負う何かがディルクに危害を加えるようなものではないと、確信しておきたかったのである。

秘密を明らかにしてしまうことを、ディルクが望んでいないにしても。

大切なものを守るために、ライナルトはどんなことでもする覚悟だった。

例えテアに敬遠されても、ディルクやローゼに憤慨されたとしても。

だが、ここまであっさりとテアが秘密のことを肯定するとは思わず、ライナルトは息を呑み、瞠目するしかない。

二人の他には誰も見当たらない図書館で、静かにテアは語った。

「その内容を今お話しすることはできません。ですが……、それが一番確実な方法なのです。私が何も言わなければ、誰も傷つくことはない」

どこか、諦めたような、悲しげな微笑を見せて、テアは言った。

「ですから、安心してください。私はこのことを誰にも何も言うつもりはありません。私さえ口を閉ざしていれば……、誰も傷ついたりはしない。そのはずです」

決然と告げるテアに、ライナルトは胸を打たれる思いがした。

「――そうか……」

自分さえ口を閉ざしていれば、とテアは言う。

彼女はひとりでも、その秘密を抱えていこうというのだ。危険なものを孕んでいるというその秘密を。

それは、どんなに辛く、苦しいものなのだろうか。

その苦痛は、テアにしか分からないのだろうけれど。

痛みを想像することは、できた。

だがその孤独を思いながらも、ライナルトは一方で安堵もするのだ。

テアが周りを守ろうとする限り、ライナルトの大切な人間も守られるということを知って。

しかし、テアを親友とするローゼのことを思えば、テアを想うディルクのことを思えば、そして友人であるテアのことを思えば、そんな秘密などどこかへ消し去ってしまいたい。

「お前の抱えるそれを……、どうにかすることは、できないのか?」

「実を言うと……、考えていることはあるんです」

思索を巡らせる様子で、テアは呟くように答える。

「難しいこともありますが……。その時には、皆さんにきちんと全てをお話しすることができると思います。驚かせてしまうこともあるかとは思いますけど……」

「……分かった。何か私にできることがあれば、言ってくれ。無理に話させてしまった詫びをさせてくれれば嬉しい」

「いいえ、そんな……。私の方こそ、余計な気を使わせてしまって……。ライナルトが気にするのも当然です。自分でも、時々思ってしまいますから。話すことができないことがたくさんあって……」

――本当に、私はここに来てしまって良かったのだろうか……。私は、本当は――

そんなことを、思うのだ。

表情を翳らせたテアを見つめ、ライナルトはゆっくりと口を開いた。

「……テア、もう少しだけ、時間をもらってもいいだろうか?」

「はい、大丈夫です」

「嫌なことを聞いてしまったからな……、私も普段は話さないようなことを少し話してみよう」

「えっ……」

テアはライナルトを気遣うような表情になる。

それを見て、ライナルトは苦笑した。

ライナルトは酷いことを言ったと思うのに、彼女は怒るどころか心配してくれて、似ているなと、彼は思った。

ディルクとテアは、似ている。

「多分、聞いていてそれなりに面白い話だと思うぞ。ディルクの話だ」

「ディルクの……」

テアが興味を持った様子なので、ちゃんと詫びの一つにはなりそうだと思いながら、ライナルトは微笑んで続けた。

「あいつは自分では幼い頃の話などしないだろう? お前はもうアイゲンの意味は知っているのだったな。それなら――、私が知っているあいつの一番幼い頃の話をしようか……」




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