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夜の灯火  作者: 隠居 彼方
第1楽章
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学院 3



初めて授業を受けた一日を、新しい出会いと様々な経験を得ながら終え、テアは全てのレッスン、講義を終えた放課後、講義棟に隣接された練習棟へ向かった。

講義棟はその名の通り、講義のために使用される教室が並んだ建物で、一方の練習棟は防音設備などがしっかりしており、ピアノやメトロノームなどの楽器や機器などが揃えられた部屋が並ぶ建物だ。

エンジュのピアノの指導は練習棟の練習室で、他の講義形式の授業は講義棟で行われていたのである。

その並ぶ二つの棟の他にも、構内にはダンスホールや講堂など、いくつもの施設が設置されている。

まだその全容をきちんと把握していないテアだが、練習棟への足取りは既に迷いない。

練習棟の練習室は予約制で、練習熱心な生徒たちですぐに予約はいっぱいになってしまう。テアは今朝、ローゼにそう助言を受け、最初の授業に行く前に予約をしていたので、練習棟の入口で早速鍵を受け取ろうとした。

授業の際は管理をしている者があらかじめ鍵を開けておくことになっているのだが、授業以外の時は部屋を施錠することになっているのだ。

「すみません、鍵を――」

テアは学生証を示した。

鍵を管理しているのだろう、年配の女性は予約表を見、テアの学生証を見て怪訝な顔をした。

「ちゃんと予約なさったのですか?」

「? ええ、はい……」

テアは首を傾げた。

「ですが、こちらに名前がないんですよ」

「えっ……」

「あなたが仰った部屋は他の方が予約なさっていて既に使われています。勘違いなさったのでは?」

「そんな……」

そんなはずはない――。

テアは言いたかったが、女性の困ったような、少しだけ疑うような表情に口を噤んだ。

「……あの、それでは、どこか他に開いている部屋はありませんか?」

「申し訳ありませんが、今日はもう予約でいっぱいです」

「……そう、ですか」

テアが落胆を隠せずに肩を落とすと、女性も気の毒に思ったのだろう。

「……次からは、気をつけて予約をするようにしてください」

口調を和らげて、そう言った。

「……はい」

テアは何とか表情を取り繕って、頷く。

その直後。

「あの、もういいでしょうか? どいてくださりません?」

テアの後ろに来ていた女子生徒が、テアを押しのけるようにした。

突き飛ばされて、テアはわずかによろめく。

テアを押しのけた生徒は、そんな彼女に見向きもせずに、鍵を受け取った。

テアは一瞬瞳を揺らしたが、すぐに気を取り直し、見えてはいないと分かっていたけれど管理者の女性に頭を下げると、その場を去った。






「お前、今期のパートナーはどうするつもりなんだ?」

放課後、ディルクとライナルトは揃って広い敷地内の青々とした芝生の広がる道を歩いていた。

生徒会役員としての仕事へ向かう途中なのだ。

「やはりピアニストを……、また探してみようと思っている」

ライナルトの問いに、ディルクはそう答えた。

「お前は、ローゼと、か」

「ああ……」

ローゼの名前に、ライナルトの瞳は優しく細まる。

「俺もお前のように理想の音に出会いたいものだ」

ディルクは心からそう告げた。

パートナーとなった人間とは、コンサート等に共に出場するなどの機会が増える。

だから、気が合うだけではなく、音を合わせてより楽しい相手、より素晴らしい音楽をつくりだせる相手をパートナーにしたい、と彼は思っていた。

こだわりを持ちつつも、誰とでも素晴らしい演奏ができるのがプロだとは思う。

だが、ディルクには譲れない音があった。

そのために、学生である今だけは、わがままを言いたい。

今までにディルクは、一人の相手とだけパートナーを組んでいた。

スキップを経験したディルクがこの学院に在籍して三年目。

その間でパートナーを組んだ相手が一人。

しかし、ずっと同じ相手と組んでいた、というとそうではない。

それはどういうことなのか――。

当然というべきか否か、その一人とは、親友であるライナルトだ。

一年目の前期は、入学したばかりで互いに助けあおうとする二人がパートナーになるのは必然だった。

学校生活に慣れてきた後期。二人は、お互いに様々な相手と組んだ方が勉強になるだろうと思い、それぞれパートナーを探すことにした。

だが、その時の騒動はひどいものであった。

一年目の後期の時点で、ディルクとライナルトを知らない生徒はいない、というほど彼らは有名になっており、彼らが新しいパートナーを探していると分かると、彼らを慕う生徒たちが次々と彼らにパートナーの申し込みをしたのである。そんな大勢の中からパートナーを選べるはずもなく、二人は登録期間中に登録をしないことを決めた。運に任せようとしたのである。

そうすると今度は何が起こったかというと、二人が敢えて登録をしないということを知った生徒たちが皆、揃って登録しないという前代未聞のことが発生したのだ。登録しなかった場合、学院側がランダムにパートナーを決める。自分がディルク、ライナルトのパートナーになれるかもしれない。生徒たちはそう考えたのだった。

しかし結局、生徒たちの思惑に頭を抱えた学院側は、意図してディルクとライナルトをもう一度組ませた。ランダムに相手を選べば、二人の相手になった生徒を中心にまた何か問題が起こると、それを危惧したのである。ディルクとライナルトも、騒動を巻き起こしたかったわけではない。彼らは学校の決定に大人しく従った。

そして、二年目。ライナルトはローゼと出会い、彼女をパートナーとした。その時も事件は起こりかけたのだが、ローゼがフォン・ブランシュであるということが幸いした。ブランシュ家は昔から「クンストの剣」と呼ばれてきた家柄だ。当主である父親のモーリッツから剣、武術を学んできたローゼに下手に抗議をしたり手を出したりする生徒はそうそういなかった。また、ブランシュ家に縁ある生徒たちも多く存在したのだ。

一方ディルクは、学院側に特例を認めさせた。つまり、自分はパートナー制度のつくられた目的を制度なしに果たせているので、パートナーは必要ない、と。学院側は、少し前の騒動の経験から、ディルクにパートナーをつくらずにいることを認めざるを得なかった。

だがそれは、ディルクがパートナーをつくることを放棄するものでも、禁止するものでもない。あくまで、望む者がいなければつくらなくても良い、というものだ。

ディルク自身は、去年一年間特例の中でパートナーをつくらずにいたが、しかしパートナーを欲さないわけではなかった。

「またピアノ専攻科の音を聴いて回るのか?」

「……不本意だが、こっそりとな」

二年目の前期ではパートナーをつくることを諦めたディルクだったが、後期は積極的に動いた。ディルクはヴァイオリンと指揮を専攻している。彼は彼のヴァイオリンに伴奏をつけてくれるピアニストを探しており、彼の探す音の持ち主がいないか、練習を見学させてもらっていたのだが、そこでもまた不本意なことが起こった。

ディルクを意識するあまり、相手の生徒が演奏に自分を出しきれない、というのはまだいい。だが、普段とは明らかに違うような媚を売るような演奏をしてみたり、ピアノ専攻科同士での関係が悪くなったり、ピアノ専攻科と他専攻科の生徒との関係が険悪化したり、ディルクは途中でパートナーを探すのを断念せざるを得なくなってしまった。

「そう言えば、学院長が"また"エンジュ・サイガを学院に呼んだらしいな」

ディルクの台詞に笑みを零したライナルトは、ピアノと言う単語にそのことを思い出したらしい。

噂で聞いたその名を出すと、ディルクも聞いていたのだろう、肯定した。

「ああ――」

頷いてディルクは、視線の先に見知った姿を見つける。

ディルクの視線にライナルトはすぐに気付いた。

その先にいたのは、テアだ。

「――テア!」

ライナルトは、友人であるテアが浮かない様子で歩いているのに、声をかけていた。

ディルクは親友が躊躇いもなく呼んだのに、驚いた様子を見せる。

テアは呼びかけられて、すぐに二人の存在に気づいたようだった。

どこかとぼとぼと歩いていた足を止めて、顔を上げると、ディルクとライナルトを認める。

「こんにちは」

テアは二人に挨拶し、二人との距離を詰めようとして。

何もないところで、転びそうになった。

ひやり、としたディルクが、咄嗟に長いコンパスを利用してテアを支える。

「……大丈夫か?」

地面と衝突すると思ったテアだが、衝撃がないのに首を傾げ、次いで耳元で聴こえた美声に身を固くすると、ぱっと後ろに下がった。

「す、すみません。ありがとうございました。その……、」

ディルクに支えられた箇所が変に熱くて、テアは動悸がするのを抑えられない。

だが、何とか彼女は動揺を抑え、口を開いた。

「あの、昨日も……今朝も、」

「いや……。練習はできたか?」

「はい」

二人のやり取りに、ライナルトが驚いたような表情を見せる。

「何だ、二人とも知り合いだったのか?」

「そういうお前こそ」

そういえば、ライナルトにもローゼにも、ディルクに二度も助けられたことを言っていなかった、とテアは思い当たった。

ライナルトが先に、自分の方の理由を述べる。

「テアはローゼの幼馴染みだ」

「ああ……、それで」

「お前たちは、いつの間に?」

「昨日の迷子だ」

簡潔な言葉だったが、ライナルトは非常に納得できた。

エーベルハルトが声をかけたのも道理である、と。

「その上今朝は、生徒会長に練習室の鍵も開けていただいてしまって……」

テアは恐縮する。

生徒会長、と呼ぶテアにディルクは苦笑した。

「そんなにかしこまらなくて良い。ディルクと呼んでくれ」

「えっ、いえ、そんな――」

無理だ、とテアは思った。

「そのかわり俺もテア、と呼んで良いだろうか?」

「は、はい、それはもちろん」

テアはかすかに頬を染める。

ライナルトは親友を見やり、罪な男だな、と思った。意識しているわけではないらしいから、余計である。

「今朝ジョギングから帰るのが遅かったと思ったら、そういうことか」

「ああ」

ディルクは肯定する。彼は毎朝ジョギングすることを日課としていた。そこから帰ってきたところで、テアを見かけたのだ。

そうして一通り、お互いの事情を了解したところで。

「……それでテア、こんなところでどうしたんだ?」

テアの表情に翳りがあるのを読み取っていたライナルトは、そう尋ねていた。

「図書館に向かおうかと思っていたのですが……、もしかして方向が違いますか?」

「……そうだな。そちらの方向には泉の館しかない」

ライナルトが正直に答えると、テアは誤魔化すように微笑んだ。

「また私、やってしまいましたね……」

だが、ライナルトが聞きたかったことはそういうことではないのだ。

「今の時間ならば、サークル活動が始まっている頃だろう。図書館に行くのも良いと思うが、そちらの見学に向かってみてはどうだ?」

ライナルトの意図を汲み取りつつ、ディルクは探りを入れる意味で尋ねてみた。

「あ……、いえ、それはもう行ってみたんです。――それより、お二人はどこかへ向かわれる途中では? その、私などがいつまでも時間をとらせてしまっては……」

ディルクの問いに首を振って、テアは身を引くような仕草を見せた。

ディルクとライナルトは、テアの様子にぴん、とくる。

出会った時の様子から気付いていたことではあるが、何かあったらしい――。

「俺たちは大丈夫だ。それより、何かあったのではないか? もし困ったことがあったなら、話してほしい。無理にとは言わないが……、生徒会長としても、生徒たちの問題をそのままにはしておきたくないんだ」

ディルクはテアの負担にならないように、声を和らげて言った。

「……」

ディルクの言葉に、テアの瞳は揺らぐ。

覚悟は、してきたつもりだった。

弱音は吐きたくなかった。

けれど、白藍の優しい瞳に促されて、テアは口を開いてしまっていた。

新しい環境で、いわれのない悪意を向けられて、やはり気弱になってしまっていたのかもしれない。

「あの……、本当に大したことではないのですが……」

前置きして、テアは淡々と事実を述べ始めた。

練習室の予約を確かにしたはずなのに、取り消されていて練習ができなかったこと。

ならばと思って寮の方の練習室に行ってみたがそこも予約で埋まっていて。

その後、練習できなかった代わりに彼女は興味のあったサークルの見学に向かったのだが、どこでもあまり良い反応をされなかった。

「……」

テアの語る内容に、ディルクもライナルトも眉を寄せていた。

ここまで生徒たちが無名で特別入学をしてきた者に対して過敏になっているとは思わなかったのだ。

「……予約の取り消しとは、嫌がらせにしては悪質だな」

「でも、もしかしたら私の勘違いかもしれませんし……、予約の取り消しもうっかり間違っただけかも……」

テアはそう言うが、ディルクとライナルトはそれはないだろうとちらりと視線を交わした。

予約した時はローゼもいたと言うし、予約は紙にインクで名前を書くのだ。間違いなどそうそう起こるはずがない。予約の件は故意の嫌がらせだ。

だが、テアに対してはそのことをはっきりと告げず、ディルクは話を逸らすように、重い雰囲気を軽くするように告げた。

「エンジュ・サイガ効果、とでもいうものかな」

「え……」

その台詞に、テアは驚いた顔になる。

「テアのピアノの指導教員は、エンジュ・サイガなのだろう?」

「そうです、が……、どうしてそれを? 掲示物にも書かれていなくて、私も今日の午後に初めてお会いして知ったんです」

「誰かがテアとエンジュ・サイガが一緒に練習室にいるのを見たようだ。既にほとんどの生徒に噂は知れ渡っていると思うぞ。何といっても、エンジュ・サイガだからな」

「……やはり、もしかしなくても、さすがにエンジュ・サイガほどの人はこの学院にもそんなにいない……んでしょうか?」

テアが尋ねると、先輩二人は揃って頷いた。

「確かにこの学院には優秀な人材が教員も生徒もどちらも、どこよりも揃っているが……」

「さすがに、エンジュ・サイガのように現役で活躍している人間を何人もというのは……」

そう言えば、他に掲示板で見た教員名は知らない名前が多かったような気がする、と今さらながらテアは思い返した。

「しかもエンジュ・サイガはなかなか弟子をとらないことで有名だからな。珍しくて噂にもなるだろう」

「そ、そうなのですか?」

「ああ」

――もしかして先ほどのレッスンで私、試されていた……?

テアは授業でのエンジュの様子を思い返し、青くなった。

もしテアの担当をしないと判断されていたら、どうなっていたのだろうか……。

「……ですがどうして、私にエンジュ先生のような方をつけてくださったんでしょう……」

ついついテアはひとりごちる。

「それは学院長にでも訊いてみなければ分からないが……、特別入試の実技試験で、エンジュ・サイガを教師とするのが良いと考えられたのかもしれない」

見込まれたということだ、とライナルトは言うが、テアは自信がなさそうに首を傾げただけだった。

だが、ディルクには分かる。テアのピアノを聴いたことはないが、この学院に入学し、エンジュ・サイガに認められたということは、かなりの才能の持ち主であることに間違いない。本人にその自覚がないのは、幸いなのか不幸なのか……。

「皆それを羨んだのだろう」

嫌がらせは、生徒たちの悔しさ、やっかみから来たものだろう、とディルクはライナルトに続けて結論付けた。

「……私も少し迂闊だったかもしれない」

ライナルトは自省の念に眉を寄せる。

「今朝、食堂で少し目立っていたようだからな」

自惚れではなく、ディルクと同じように自身が目立つ存在であると認識しているライナルトは、あまり特定の人間と深くかかわらないようにしてきた。だが、ローゼの親友であるテアに対しては、無意識に少しばかり距離を近くしていたのだ。ライナルトを慕う人々がそれを見て嫉妬を覚えることは、想像に難くない。

「いえ、そんな。ライナルトがそんな顔をすることはありません。私は、あなたが普通に話しかけてくださって、本当に嬉しかったのですから」

悔やむライナルトに、テアは焦った。

ディルクも親友の肩に手をかけて、言う。

「ああ。友人に話しかけるのは普通のことだろう。有望な生徒にそれに合った教師をつけることも、ごく当然のことだ。それをやっかむ者たちがいるというなら……少しずつでも、そうした生徒たちの意識を変えられるようにしていくしかない」

「……そうだな」

全員の心を変えるのは無理でも、少しでも変えていくために力を尽くしたい。そうディルクは思う。

「とりあえず、それを今後の課題とするにしろ、テアにとってはこのままピアノの練習ができないのが一番つらいだろう。朝なら寮の練習室が使えるだろうが、それだけでは足りないだろうし……」

今朝のテアの様子を思い返し、ディルクは彼女の顔を見つめた。

確かにそうだと、テアは顔を暗くする。

このまま嫌がらせが続いたら、ピアノに触れる時間が圧倒的に少なくなってしまう……。

「テア、よければ泉の館のピアノを使わないか?」

ディルクの提案に、落ち込んでしまっていたテアは目を丸くした。

「泉の館……、というと、生徒会執行棟、ですよね? 一般生徒が立ち入って良いものなのですか?」

「もちろん。役員でない知り合いに仕事を手伝ってもらうこともあるんだ。全校生徒でつくられているのが生徒会、だしな」

「泉の館のピアノ、を」

みるみると、テアの顔に喜色がのぼっていく。

「本当に、よろしいのですか?」

「ああ。防音設備が練習室ほどではないので、少し音は漏れやすいが、そう遅い時刻にならなければ大丈夫だろう。あまり弾かれることは多くないが調律はされているし、今日は特に役員もいない。いたとしても仕事をする階と違う階にあるから、そんなに気にすることもないだろう」

「なるほどな。そういえばピアノがあったか。すっかり忘れていたが……」

「お前はあまりピアノは弾かないからな。俺は時折仕事の合間の休憩で使うが……」

ライナルトに答えて、ディルクはテアに向き直った。

「どうだ?」

「是非、使わせてください!」

喜びを湛えた瞳で、強く、テアは答えた。

「それでは、これから練習室が使えないような時は泉の館に行くと良い。三階の、一番の奥の部屋だ。多分、迷わずにいけるだろう」

ディルクが軽くからかいを込めて告げれば、テアはまた少し頬を染めた。

「はい……。ありがとうございます。せい……、ディルク、先輩には、本当に何度も……」

「気にすることはない。困った時はお互い様と言うだろう。それに、同じ学校にいるよしみ――いや、同じ教師を持ったよしみもあるしな」

意味深なディルクの台詞に、テアは不思議そうな顔をした。同じ教師に教わっていると言えば、この学院の者は誰でもそうだろう、と思ったのだ。

そんなテアの疑問に答えをくれたのは、ライナルトだ。

「……ディルクも、一年の時はエンジュ・サイガに教わっていたんだ」

「そうなのですか!? でも、ディルク先輩は、ヴァイオリンと指揮を専攻していると、昨日の挨拶では……」

「呼び捨てでいい。……一年目では、ピアノを専攻していたんだ。二年目で、ピアノから指揮へ転向した。ヴァイオリンはずっと続けているが」

ディルクは苦笑交じりだ。

どうして、と喉まで出かかった言葉をテアは呑み込む。出会ったばかりの彼女が口にするには、ぶしつけに思えたのだ。

「サイガ先生はピアノに関しては本当に厳しい人だから大変だろうが、応援している」

「は、はい」

そこでふと、ライナルトはちらりと時刻を確かめた。

そろそろ行かなくてはならない。

「俺たちはそろそろ行くが、また何かあったら、相談してくれ」

「……時間をとらせてしまってすみません。お二人とも、本当にありがとうございました」

テアは心をこめて二人を見送ってから、早速泉の館に向かった。

二人は、テアがいつまでも二人を見送るためにそこから動きそうにないのを見越して、なるべく遠ざかってから、彼女が泉の館の方へ向かうのを見守る。

「なるべく早く問題を解決してやれるといいのだが……」

テアに悪意が降りかかればローゼも心配するだろうし、何か事件に巻き込まれるようなこともあるかもしれない。それを含めてのライナルトの心配だった。

「ああ。……だが、焦ってもどうにもなるまい。できることを少しずつやっていこう。まずは、今からの会議だな」

「そうだな。先日学院長からも話はあったが、教職員と生徒会役員で意識をまとめるところから始めることが重要か」

ディルクとライナルトが向かうのは、教職員棟の会議室だ。

そこで、入学式の反省と今後のことについて、教師と生徒会役員で会議することになっているのである。

少しばかり押し気味の時間に、足を速めて並んで行く二人を、複数の熱い視線が追いかけていく。当然のように二人ともそれに気付いていたが、それも日常になりすぎていて、互いに何も言わなかった。

感じる視線を流しながら、ふと一瞬、ディルクはテアのことを思い浮かべる。

――今頃は、さすがにちゃんとピアノに辿り着けているだろう、な……。

からかわれ頬を染めていたテアを思い出して、我ながら人が悪いとは思ったが、何となくおかしくて少しだけディルクは笑った。




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