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夜の灯火  作者: 隠居 彼方
第5楽章
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聖夜 7



翌日の放課後、テアへのプレゼントのことでローゼと話がしたいと、ディルクはサークル棟へと向かっていた。

朝にも食堂でローゼと会ったのだが、その時はテアも一緒で、話ができなかったのだ。

プレゼントを渡す際の常套手段であろうが、できればテアには秘密のままにしておきたかった。

ライナルトに聞けば、ローゼは今日の放課後であれば調理部に参加しているはずだと言う。

調理部の活動は他のサークルと同様、サークル棟で行われているが、そこならばテアに知られず話ができるだろうと、ディルクは足早に進んでいく。

だが、サークル棟に辿り着く前に、竜胆色の長い髪を靡かせながら颯爽と歩いていく後ろ姿を見つけて、ディルクは後ろから声をかけていた。

「ローゼ!」

ローゼはすぐに振り返り、ディルクを認めて微笑む。

「ディルク……、奇遇ですね」

「いや……、実を言うとお前に頼みたいことがあって、会いに来たところだったんだ。少し時間をもらってもいいだろうか」

「ええ、構いませんが……」

ローゼは少し不思議そうな顔をした。

「あなたがお一人で私にというのは珍しいですね……。頼みというのは、テアに関することですか?」

ずばりと聞かれ、そんなに分かりやすかっただろうかと、見透かされたような気持ちにもなり、ディルクは複雑な表情を浮かべた。

「……ライナルトに聞いたのか?」

「いいえ、何も聞いていませんが――。まさか勉学関係のことではないでしょうし、生徒会などの仕事に関することなら、ライナルトから話をする方が早いでしょう。個人的なことならライナルトかテア絡みのことにほとんど絞られますから、わざわざ私一人にということでしたら今はその可能性が一番高いのではないかと思っただけです。正解だったみたいですね」

にこりと笑ってローゼは答えた。

「……ああ」

ディルクは苦笑して頷く。

彼は周りを見渡し、周囲に人がいないことにほっとしながら、本題に入った。

ロベルト楽団の演奏会に誘ってくれたお礼として、テアにプレゼントを贈りたいと考えていることを、率直に告げる。

「……それで、できれば週末、買いに行くのに付き合ってもらえないだろうかと思ってな。テアのことはお前が一番よく分かっているだろうし――」

「喜んで協力させていただきます」

ローゼは二つ返事で頷いた。

「テアもきっと喜びますよ。……それで、何を買うかとかどういったお店に行くのかとか、もう決めてらっしゃるんですか?」

「ああ」

ディルクは頷き、自分の考えを告げた。

ディルクの言葉にローゼは納得したように頷く。

「なるほど。さすがはディルク、ですね。けれどあの辺りのお店なら確かに……、ますます一人では行けませんね。週末なら、生徒も多く出歩いていますし」

「そういうことだ」

憂鬱そうな顔のディルクにローゼはくすりと笑った。

「ライナルトもいっしょの方が、カモフラージュにはなるかもしれませんが。私と二人きりでは、また余計なことを言われかねません」

「それも考えたが……、何となく癪にさわってな」

「え?」

聞き間違いかと、ローゼは目を見張った。

ディルクがライナルトをそんな風に評するとは思えなかったのだ。

しかし、それは空耳でも聞き間違いでもなかった。

ディルクはこう思ったのだ。テアへのプレゼントを選ぶのに、他の男の意見を取り入れるのはどうにも気分が良くない、と。

別にライナルト個人に悪感情があるわけではない。

ただ、テアと姉妹のような関係を持っているローゼのような立場の人間にならともかく、他の人間に口を出されたくなかった。あくまでもディルクが選びたかったのだ。

「ともかく、すまないが週末は頼む。ライナルトには、一応話はしてあるが……」

「マメですね。別に私もライナルトも気にしませんよ」

「それはあいつにも言われたが、念のため、な」

ディルクは苦笑したが、ローゼはふと思い当たることがあって真面目な顔になった。

「……ですが、そうですね、テアにはちゃんと理由をでっちあげて言っておいた方がいいかもしれません。多分……、というか絶対、何かしらの噂は流れるでしょうから。ディルクもテアに変な誤解をされたくないですよね?」

念を押されるように聞かれ、ディルクはやはり見透かされる気分で、頷いた。

「そう……だな」

「でしたら、そうですね……、テアには、私がライナルトへの贈り物を買うのにあなたに付き合ってもらう、と言うことにします。単純ですけど、もっともらしいでしょう」

「気を遣わせてすまないな」

「いいえ、テアのためですから」

ローゼはさっぱりと笑って続ける。

「それにしても、学院祭が終わってから喜ばしいことが多くて嬉しい限りです」

「何かあったのか?」

「それはもう!」

ローゼは晴れやかに笑った。

「ディルクも聞いているでしょう、テアに関する生徒たちの話を。特別入学が認められたのも当然だ……、とようやく皆が認め始めたんですよ! 遅すぎですけど、それでもテアが正当に評価されるようになって、私は嬉しいんです。どうしてブランシュ家の私がテアに肩入れするのかなんて、失礼千万なことを言ってくる輩もいなくなりましたしね!」

どうやら、テアが入学してからそんなことを言われ続けていたらしいローゼは、鬱憤を晴らすかのように高らかに告げる。

「いまだにまぐれだとか馬鹿なことを言う連中もいるみたいですが、そんなのはただの負け犬の遠吠えです。例えまぐれであってもテアの演奏が素晴らしかったことに変わりはありませんし、まぐれや偶然であそこまでの演奏ができますか? サイガ先生やあなたがいるから当然だなんていう中傷も聞きましたけど、それこそテアがそんな二人の求めるレベルに応えようとそれだけの努力をしてきたということではないですか。全く、馬鹿共の言う通りなら、多くの演奏家がテアに興味を持つこともないし、今のテアの状況だってありえません」

エンジュ以外のピアニストにテアが教えを受けている現状を指して、ローゼは言った。

口さがない連中のために彼女はかなりストレスを溜めこんでいたようだと、ディルクは彼女の言葉に軽い苦笑を浮かべる。きつい文句もあったが、窘めようと思わなかったのは、ディルクもほとんど同じことを考えていたからだ。

「テアの実力が示されて……、嫉妬する生徒たちはどうしても多いみたいですが。まあ、それは良いことといえば良いことですよね。テアの演奏をそれだけ認めているということですから。嫉妬は増えても、嫌がらせは随分と減ったみたいですし」

「それは良かった」

他ならぬローゼからの言葉なので、ディルクは心からそう思って微笑した。

まだ完全に気を緩めるわけにはいかないし、注意はしていきたいが、少しは安心できる。

「後は……、学院祭の時の犯人が捕まればいいのですけど」

「ああ、同感だ。学院長が動いてくれているから、いずれ……と思うが」

「ええ……」

「ローゼ、テアはあれから事件のことで何か気にしたりはしていないか? あんなことがあったのに、全く変わった様子も見せずにいて――お前になら何か打ち明けているのかと思っているのだが……」

「それは……」

ローゼは何かを言いあぐねるような顔になった。

「……それに関しては、週末にゆっくりお話しする、ということでいいでしょうか? 立ち話もなんですから……」

「……分かった」

ローゼの反応が気がかりだったが、ディルクは頷いた。

週末でも良いということは、そこまで緊迫したものがあるわけではないのだろう。

「すまないな、長く引き止めてしまった。……週末は、よろしく頼む」

「はい。私も今から、テアの喜ぶ顔が楽しみです。よろしくお願いします」

ローゼは屈託なく笑って、今度こそサークル棟に向かって歩き出す。

ローゼを見送ったディルクは、彼女に背を向け、週末に想いを馳せたのだった。






『テア、今度の休日、ディルクを借りますね』

ローゼがそう切り出したのは、数日前のことだった。

その休日である今日この日、テアは朝から図書館に赴き、課題を仕上げている。

休日の午前中ということもあって、図書館はがらんとしていた。

なるべく一人にはなるなと言われているテアだったが、他に人がいないことに何となくほっとしてしまって、何冊か本を積み上げながら課題に集中する。

しかしふと窓から晴れた空を見上げて、今頃友人たちは楽しく買い物をしているところだろうかと、そんなことを思った。

『実はライナルトにプレゼントを考えていて……、それでディルクにアドバイスをもらいたいんです』

ローゼがそう続けるのを、テアはきょとんと聞いていた。

ライナルトの誕生日が冬であるというのは聞いていたので、プレゼントを考えるのは至極当然のことだろうが、ディルクを「借りる」というローゼの言葉が腑に落ちないものに感じられたのである。

ディルクはテアの所有物というわけではないのだから、と。

しかしそれを言えばローゼは何故か呆れた目をして、テアを見つめてきたものだ。

『ディルクはテアのパートナーじゃないですか』

ローゼは当然のように言ったが、他の意味もあったような気がしてならない。

テアは結局最後まで納得できなかったのだが、それはとにかく、ローゼとディルクは連れたって買い物に行くらしい。

ディルクの様子が何となくおかしかったのをテアはずっと気に留めていて、あれからディルクを見かける度に注意していたのだが、あれ以来ディルクは普段通りで、テアはほっとしていた。

今日も外に出かけていくというのだから、体調が悪いということもないだろう。

あの時の彼が一体どうしてあんな顔でいたのか気になるが、元気でいてくれるならそれでいい――。

考えながら、テアはまたペンを走らせ始めた。

『私より、ライナルトには何と言ってでかけるのですか?』

『それはディルクにお任せしています。テアも、プレゼントを買いに行くということは、秘密にしておいてくださいね』

丸投げだ。テアは苦笑した。

『それはもちろんですが……』

『良かったらテアも来ます? 神誕祭も近いですから、ディルクにプレゼントとか……。まあ、買い物にはディルクにも付き合ってもらうんですけど』

『ディルクがライナルトに何と言うかにもよりますが、私も行ってライナルトだけ誘わなかったら、秘密にしておいてもばれしまいそうですから……。週末は溜まっている課題を終わらせることにします』

今回の買い物にテアの同行は避けなければいけないところなのだが、ローゼは敢えてそう言った。テアがそんな風に返してくるだろうことは、分かっていたのである。

『それなら、冬休みに入る前に、今度は女二人で出掛けません? この辺りのお店にはそれなりに詳しいですから、行きたいお店などあればいくらでも付き合いますよ』

『ありがとうございます』

テアはその申し出に微笑んで頷いた。

神誕祭のプレゼント――。

そのことを思い出して、どうしようかとテアは手を止めた。

プレゼントを渡すとすれば、「あしながおじさん」、ローゼ、ディルク、ライナルト、フリッツ、エンジュ、モーリッツに、よければ学院長、「あの方」に贈るのも良いかもしれない。

そんなことを考える。

しかし一体、何を贈れば喜んでもらえるものだろうか。

テアはこういったことを考えるのはあまり得意ではない。

けれど、楽しいような、浮き立つような気持ちになった。

――ああ、そうだ、お母さんにも何かを贈ろう……。

ほんのわずか、テアの口元に笑みが浮かんだ。

その、後ろで。

ひとつの影が、そっとテアに近づいてきていた。




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