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夜の灯火  作者: 隠居 彼方
第5楽章
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聖夜 6



ディルクがテアと別れて部屋に戻ると、既にライナルトが戻っていて、湯を沸かしていた。

「ヴァイオリンがそのままなのにお前がいないから何かあったかと思った」

帰ってきたディルクにライナルトはそう言って続ける。

「ちょうど湯が沸いたところだ。紅茶を淹れようと思うが、お前も飲むか? ローゼからもらったブランデーケーキもある」

「相伴に預かることにするよ」

ディルクは頷き、鞄からぐしゃぐしゃになった手紙を取り出して、鞄はいつもの場所に置いた。

そのまま、茶の用意をするライナルトの後ろで、ディルクはマッチを手に取る。

そのままマッチで無造作に火をつけて、ディルクは手紙を燃やした。

すぐに燃え上がっていくそれを、ディルクは適当な容器に入れる。

封すら開けないままの手紙。

しかし、読まずともディルクにはその中身が手に取るように分かっていた。

分かっているからこそ、燃やすのだ。

「ディルク――」

手紙が燃え尽きるのを見送ったディルクは、ライナルトの声に振り返った。

ライナルトは、ティーカップを持ち、険しい顔をしている。

「それはまさか――」

「ああ……」

ディルクは肩を竦めるように頷くと、燃え滓を捨てた。

ライナルトは冷然とした様子で、ティーカップをテーブルに置く。その冷ややかさはもちろん、ディルクに向けられたものではない。手紙の送り主へのものだ。

既にローゼの手作りらしきケーキはきれいに等分されて、皿に並べてある。

茶の用意が整って、良く似た美貌を持つ二人は、テーブルを挟み向かい合うように座った。

ディルクはライナルトに短く礼を言って、紅茶で喉を潤す。

「……相変わらずのようだな、『彼女』は」

「そうらしい」

皮肉っぽく冷たく微笑んだライナルトに、ディルクも愉快そうではない様子で頷いた。

ライナルトは手紙の送り主を知っていたし、手紙の内容についてもおおよその見当がつく。だからこそ、ライナルトは親友の気持ちが分かって、手紙の送り主に対して不愉快な気持ちを隠さないのだ。

それでもライナルトは常と同じ冷静沈着さを崩すことはなく、ディルクの様子をよく見て疑問を覚えた。この手紙が来た時はいつも、ディルクは苛々した様子を隠せずにいるのに、今日はむしろ普段通りに近い。

「……ディルク、お前、随分と落ち着いているな」

「いや、全くやるせないと思っているよ。あの人は……、いつまで経っても分かろうとしないんだ。『ディルク・フォン・シーレ』などという人間はもういない。彼女が求めるものは既に、彼女の夢の中にしかない……ということを」

独白するように、ディルクは物憂く呟いた。

「彼女にとって『俺』はないものであり、いつになっても彼女の中で『俺』は『ディルク・フォン・シーレ』でなければならない――それが、どれだけ……」

ディルクは首を振った。

「いや、もう何を言っても繰り言になってしまうな。この話は止めよう。気分を悪くさせてすまない」

「お前が謝ることはない。だが、そうだな。ケーキでも食べて気分を入れ替えよう」

ライナルトに勧められ、ディルクはローゼ特製のブランデーケーキをつまんだ。洋酒がきいていて、甘すぎず、ついつい軽く食べてしまえるような美味しさに、さすがだと思う。

「……ライナルト、頼みがあるのだが」

「なんだ?」

「今度の週末……、来週でもいいんだが、ローゼが頷いてくれれば、彼女を休日に一日借りたい。いいか?」

思いがけない頼みごとに、ライナルトは軽く目を見張った。

「何故だ?」

「買い物に……、付き合ってもらいたくてな。その――、神誕祭も近いし、ロベルト楽団の演奏会に誘ってくれたテアに少しでも何かできたらと思ったのだが、」

「テアへのプレゼントか……」

ディルクの言葉を最後まで聞かず、ライナルトは答えを導き出した。

「お前がそう言うならローゼは躊躇いもなく頷くだろうな。ローゼに否やがないなら私は別に構わないが……。お前は別にセンスが悪いということもないし、わざわざローゼを連れていくことはないのではないか?」

「テアのことは何よりローゼが一番良く分かっているだろうからな……色々と参考にしたいんだ。何より、俺が一人で女性向けの店に入っていけば何と言われるか……分かるだろう」

溜め息交じりの言葉に、ライナルトは深く納得した。

今のライナルトにはローゼがいるため、そういう店に入って、もし知り合いに見られても、彼女へのプレゼントだろうと誰もが想像し、わざわざそれが広く口外されるようなことはないだろう。

だが、ディルクはそうはいかない。特定の相手を持たないディルクが一人で女性向けの店に入り、プレゼントらしきものを買ったとする。もしそれを学院の生徒、もしくはその知り合いなどに見られでもしたら、意中の人間がいるのだろうか等、色々と言われ騒がれてしまうことは間違いない。

しかしローゼがいれば、買い物の主体はローゼであると、普通はそう思われる。ディルクとローゼのことを勘ぐる輩もいないとは限らないが、ライナルトが知ってのことなら周りが何と言おうと問題はない。ローゼの存在は、ディルクの目的のためのかっこうの隠れ蓑になるのだ。

「苦労が絶えないな、お前は……」

半ば同情するように、ライナルトは言った。

ディルクの美貌では人目につかないようにすることがまず難しい。人目を引きすぎる彼はどうしても誰かしらに見られてしまい、また大勢の話題にものぼる。そして噂と言うものは、嘘であれ真であれ、驚き呆れるほどあっと言う間に広まってしまうものだ。

大げさでなく、ライナルトはディルクが苦慮していることがよく分かった。

「それにしても律儀なことだ。別にわざわざ私にそんな許可を得るような真似などせずとも……」

「お前は気にならないか? もし何も言わずに俺とローゼが二人きりで出掛けたり……、人伝てにそれを見たと言われたりしたら……」

「相手がお前なら、そう気にはしないな」

ライナルトは素直に答えた。彼はローゼに後ろ暗い隠し事などそうできないことを知っているし、誰よりもディルクのことを信頼しているからだ。

だがディルクはやや渋面になって返した。

「俺なら……、あまり快くはないな。いくらお前だとしても――」

「……」

ライナルトは持っていたティーカップをそっとソーサーに戻した。

「私は思ったよりお前に信頼されていないということか?」

そんなことは欠片たりとも思っていなかったが、敢えてライナルトは口にする。

「いや……、そういうことではない。信頼の有無には全く関係のないことだ。誰であっても……、何もないと分かっていても、気分が悪くなる。俺はどうやら、独占欲が相当強いタイプだったらしい……」

ディルクは、カップの中の紅茶に映る天井を見つめ、呟いた。

ライナルトは少し考えて、核心を突く。

「……それは、誰のことを想定して話しているんだ、ディルク――」

ディルクはそれに、心を隠さず答えた。

顔を上げて、彼は親友を見返す。

「テア・ベーレンス」

返答に、ライナルトは心の中だけで溜め息のようなものを漏らした。

少し前から、ディルクの様子が変わったことには気付いていた。

おそらく、自分の想いに気付いたのだろうと……、予想はしていたが。

臆さず堂々と告げてくるディルクの潔さ、真っ直ぐさには、いつもながら気圧されるような思いがする。

「ディルク、お前は……」

「ライナルト、お前なら気付いているかもしれないと分かっていた」

ライナルトの言葉を遮るように、ディルクは言った。

「だが一応、はっきり言っておく。俺は――」

ディルクはそして、断言する。


「俺は、テアのことが好きだ」


ひたむきな、眼差しだった――。

ライナルトは、何故か胸を突かれるような思いがした。

「……それは、私ではなく本人に言うべき言葉だろう」

「お前以外の人間の前で、このことを言うつもりはない」

それは、テアの前であっても同じだと、ディルクはきっぱりと言う。

先ほど、テアと話していて思いついた「良いこと」は、テアにプレゼントを贈るということだった。

そして、ローゼにプレゼント購入に付き合ってもらうことを考え、思考は巡り、それから例えライナルトであってもテアと誰かがということは考えたくもないなと思った。

自分の中の独占欲を自覚し――。

――俺は彼女を束縛したいのだろうか……。

そんな資格も権利もないというのに――。

テアに対する想いを自覚し、その想いをこれからどうすればいいのか、ディルクは迷っていた。

テアにも同じように想ってもらいたい……、と、そんな欲は確かにある。

ライナルトとローゼのような一対になりたいとも、考える。

もしそれを叶えようとするならば、テアに自分の想いを伝え、彼女にも同じ想いを持ってもらえるよう、働きかけ努力するのが正攻法というものだろう。

しかし、ディルクはこうも考えずにはいられなかった。

――だが、本当に近づいていいのだろうか? これ以上不用意に近づくことは、彼女を……テアを傷つけることに繋がるのではないか……?

捨てたはずの過去は、ディルクを連れ戻そうと手を伸ばし続けている。

その一端が、ディルク・フォン・シーレ宛の手紙。それはまだ彼のもとに届き続けている。

その過去に決着をつけるまでは、誰とも、これ以上深く関わらないよう、慎まなければ。そうでなければ、自分の運命に巻き込み、何よりも大切なものを失うことに繋がりかねない……。

ディルクはテアへの想いを自覚し、その想いを認め、そしてその想いをただ大切に抱えていこうと、そう決めたのだ。

「俺は俺の過去に彼女を巻き込みたくない」

ディルクの短いその言葉だけで、ライナルトには全てが分かって、何も言えなくなった。

「だがせめてお前にだけは、知っていてほしいと思った。ただ俺の中で死んでいくだけの想いには、したくなかった……。だから――」

真摯な瞳に、どこか傷ついたような色が見えた気がして、ライナルトは言葉を探した。

「……分かった」

頷いて、彼は言葉を繋げる。

「だが、ディルク、全ては変わっていく。お前も、過去を置き去りにしたまま、ただそれだけで前へ進もうというのではないだろう」

「もちろん、いずれは全てに決着をつけるつもりだ。そして――」

「ああ。だから、あまり最初から諦めるな。それこそ、お前らしくないじゃないか」

ライナルトは言って、励ますように微笑んだ。

今は、今の状態、状況でいるしかないのだろうが、未来がどうなるかは分からない。

もちろん、この先、何もかもが好転するわけはないし、新たなしがらみが生まれてくるのかもしれない。

だが、それでも親友の尊い感情を封じ込めるだけにはさせておきたくなかったのだ。

「……ああ」

ライナルトの言葉を受け、ディルクは強く両手の指を組み、やがて首肯した。

「そうだな――」




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