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夜の灯火  作者: 隠居 彼方
第4楽章

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重奏 5



その夜、テアは勉強机を前に、ピアノを目の前にしている時のように指を動かしていた。

丸一日楽器に触れず友人たちと出かけ、息抜きを挟んで後、テアとディルクは学院祭のコンサートに向けての練習を再開している。

そして、既に学院祭は一週間先に迫っていた。

だが、テアとディルク双方から、焦る気持ちは消えている。

毎日練習を欠かさないものの、コンサートが迫っているという必死さはなく、熱心に練習を重ねつつ演奏を楽しむことを忘れない。

どうやら、ローゼとライナルトのつくってくれた息抜きが、二人に余裕と良い影響を与えてくれたらしい。

お互いの演奏について、以前よりも遠慮せずに指摘をするようになり、日々音が理想とするものへ近づいていくのが、二人ともに実感できていた。

――最初に演奏した時よりもずっと、あの方の音が近くにあって……。

テアは今日の夕方の練習を思い出しながら、思う。

音が近付いたのは多分、ディルクとの距離が以前より近づいたからだろう……。

「ああ、もう、どうしましょう!」

物思いに耽りながら一人練習するテアの後ろから、幼馴染みの困ったと言わんばかりの声が響いて、テアは手を止めた。

くるりと椅子に座ったまま振り向くと、後ろには色とりどりの、何着ものドレスが広がっている。

その中心に、ローゼが腕を組んで立っていた。

ローゼもライナルトと学院祭のコンサートに参加する。その時の衣装を彼女は選んでいるのだった。

「まだ決まらないんですか?」

まだ、とテアが言うのは誇張でも嫌味でもない。ローゼがドレスを広げ始めてから、かれこれ一時間以上経つのである。

「遺憾ながら。……ライナルトと立つことを考えるといつまで経っても決まらないんですよ!」

その、惚気とも言えるような言葉にテアは苦笑した。

普段は制服のため悩まずに済んでいるのだが、ローゼはライナルトとデートをする度こんな調子なのだ。

好きな相手の隣に立つことを考えて服装に悩むのは誰でもそうだろうが、その好きな相手がライナルトのような男性なら、さらにその悩みも深くなるというものだった。何せ何を身につけていても、例えそれが襤褸であっても、彼が身につければ立派な正装に見えるほど、本人が眩すぎるのだ。

とはいえローゼも誰が見てもそうと認める美女であるし、彼女が持つドレスはどれをとってもセンスが良く彼女に似合っているから、結局のところどれでも良いのではないかとテアは思ったりする。ローゼに言えば、反論が十倍になって返ってきそうなので言わないが。

それに、ライナルトはローゼが何を着ていても「綺麗だ」と言うだろう。しかもそれは面倒臭がっていつもそう言う、というような上辺だけのものではない。毎回、ライナルトの褒め言葉は具体的かつ外さないものだ。

本当にローゼのことをよく見ているのだな、とテアは嬉しく思っているのである。

しかし、ローゼもその辺りのことがよく分かっているからこそ、余計に悩むのかもしれない。先ほどから、うーんと唸って止まってしまっている。

ファッションには疎いテアだが、目の前の親友のおかげでそれなりにセンスは良い。何か助言できることもあるかもしれないと、テアは口を開いた。

「ローゼたちは確か……、エルガーの『愛の挨拶』をやるのでしたっけ」

「ええ」

「それならやはり、手前の深い赤のドレスが一番ではないですか? 暗い色は少々曲と雰囲気が合わないでしょうし、色が明るすぎるのもそぐわないような……」

「そうですね……」

ローゼはテアが指したドレスを持ち上げ、鏡の前に立った。

情熱的な、薔薇の色。情熱的とはいっても滾るようなものではなくて、少し落ち着いた大人の、慈しむような温かい赤は、曲に似つかわしいようにテアには思えた。

愛の贈り物である曲を演奏するならば、それは鮮やかに音を彩るだろう。

「何より、その色が一番ローゼに似合います」

テアはお世辞ではなく告げて、ローゼは照れくさそうに微笑んだ。

「では、これに決めちゃいます。ありがとうございます、テア」

いいえ、とテアも微笑む。

「楽しみです、二人の演奏を聴くのが」

「その期待に恥じないように頑張ります。……そう言えばテアは、衣装はどうするんです?」

「私は……、おじさんからいただいたものを」

テアはにっこりと笑って、机の横に置いてある箱を示した。

少し前に、学院長を経由して受け取った、「あしながおじさん」からの贈り物。

テアは、コンサートではそのドレスを着ることを決めていた。

ドレスを受け取った日、帰ってから早速ドレスを試着したが、それは驚くほどにテアにぴったりで、演奏する曲にも合っているから、コンサートにふさわしいと思ったのである。

「……ああ」

しかしローゼは、広げたドレスを手早く片づけながら、テアの返答に苦虫を噛み潰したような声を出した。

そのローゼの反応の理由が分からなくてテアが首を傾げると、ローゼはストレートに言った。

「テア、あなたの『あしながおじさん』は、一体誰なんです?」

その疑問に、テアは息を呑む。

ローゼは、テアの後援者について何も知らない。「あしながおじさん」の名前も素性も、テアは教えてくれないから。テアは手紙を見せてくれるが、それだけだ。

「ローゼ、」

「テア、男性が女性に服を贈る理由を知っていますか?」

「え……、相手に喜んでほしいからじゃないんですか?」

「違いますっ!」

ローゼは断言した。

「脱がせるためです」

「へ……、脱が……って、ローゼ」

テアがローゼの台詞についていけなくなっていると、ローゼは追い打ちをかけるように告げた。

「だから私は心配なんですよ! テアのおじさんがそういう目的を持った人なんじゃないかって」

「は……、」

テアはぽかんとした。

「そりゃあ、父も会っていると言うし、学院長と知り合いだってことも聞きました。テアがここに入学できたのもおじさんのおかげ……ですし、手紙を読む限りではとっても良い人ですよ。でも、下心がないなんて言いきれません!」

ぐっと拳を握るローゼの言葉を聞き、茫然としていたテアはやがて我に返るとくすりと笑った。

「どうしてそこで笑うんですか」

「いえ……、だって……」

そこで本格的に笑いの発作が襲って来て、テアはしばらく笑いを殺すのに努力しなければならなかった。

「笑い事じゃないですよ。援助者だってことを笠に着て、何をされるか――」

「ローゼ、それ以上は……、」

ローゼが言葉を重ねるほど、テアは笑いを止められなくなる。

「もう、何がおかしいんですか。そんなに見当違いなことは言ってないはずですよ。だいたい、テアが私に何にも打ち明けてくれないから、こうして……」

「それは、すみません」

テアは何とか笑いをおさめて、殊勝に謝った。

「ですが、『あしながおじさん』は誰だか分からないから『あしながおじさん』なんですよ」

「でもテアは『あしながおじさん』の顔も正体も知っているんでしょう」

テアは微笑して、その詰問を流した。

「おじさんは、ローゼが思っているような人じゃありませんよ」

「では何なんですか。実は『おじさん』と言いつつ女性だとでも?」

「いえ、男性ですけど……。あの方には私よりもずっと大切な人がいますから」

「既婚者なんですか?」

「いいえ。ですが結婚しているに等しい恋人をお持ちです」

にこにこと答えるテアに、ローゼは疑わしそうな視線を向けた。

「それでも、私にとっては怪しいことに変わりありません」

「おじさんは……、私を自分の子どものように思ってくださっているだけですよ。だから、援助してくださっているのです。おじさんが私をそういう対象に見ることはありえません」

きっぱりとテアは言った。テアがそういう風に断言するのは、余程の根拠がある時だけだ。

テアは「あしながおじさん」のことをよく理解しているからそう言うのだろう。

だが、テアの「あしながおじさん」を知らないローゼは、どうしても心配せずにはいられないのだ。

テアはローゼのそうした心情を理解しているが、慎重な彼女は「おじさん」のことを多く語ることができなかった。それは、親友に対しても。

「……いつか、紹介できると思います」

それがいつになるかは、テアにも分からないけれど。紹介したいと思う気持ちは、確かにあるのだ。

「その時まで、待っていてくださいますか?」

そんな風に言われては、ローゼも引き下がるしかない。

「絶対ですよ」

テアには秘密が多すぎる。

ローゼは、テアと出会う前の彼女と彼女の母のことを何も知らない。

どうして彼女たちが逃げるようにして旅を続けてきたのかも。どのようにして、「あしながおじさん」の援助を受けるにいたったのかも。

テアたち親子を保護した父のモーリッツだけが、おそらく全てを知っている。

とはいえ、長い時間テアと過ごしてきた中で、ローゼも薄々事情に感づいていることはあった。確証は、ないけれども。

ローゼは、テアがいつか自分の秘密に押しつぶされてしまうのではないか、それが不安だった。

大切な、妹であり幼馴染みであり親友であるテアを、ローゼは失いたくないと思っている。

だからこうして、余計なことかもしれないと思っても、テアに聞かずにはいられないのだ。

せめて自分にだけは打ち明けてほしい、と思って。

けれど、テアはあまりにも慎重だった。自分の秘密が漏れることで、周りに迷惑がかかることを恐れている。それは、ローゼにも分かっていた。

いつか、テアは自身の秘密から解放されるのだろうか。

ローゼはそれを、ずっと待っている。






「では、こちらの申請書を訂正しておきます」

「ああ。頼む」

「それから、こちらの書類なのですが……」

学院祭を目前に、学院祭実行委員は普通の生徒以上に忙しく慌ただしく動き回っている。

泉の館の一室が学院祭実行委員の実務室になっており、委員の一人であるエッダは、そこで仕事に取り組んでいた。

ディルクに認めてもらいたい、その一心でエッダは熱心に仕事をしている。それに加えもともと有能な彼女は、一年生ながら周りの委員からも頼られる存在だった。

仕事をテキパキと片づけながら、ふとエッダは窓ガラス越しに外を眺める。

――ディルク様は、まだいらっしゃらないのかしら……。

学院祭を実施する上で生徒会役員と学院祭実行委員は協力関係にあって、生徒会長であるディルクは当然毎日のようにこの部屋に顔を出して打ち合わせを済ます。

エッダはディルクと会えるこの放課後を、毎日心待ちにしていた。

いつもならばそろそろやってくる時間なのだが、まだ待ち人は来ない。

と、窓の向こうに伸びる道から歩いてくる人影があって、エッダは目を凝らした。

――ディルク様とライナルト様、それに……。

テア・ベーレンス、と心の中でその名を呼んで、エッダの瞳に強い炎がともった。

まだ、彼女は消えてくれない。

嫌がらせは後を絶たないくらいのはずなのに、よくも毎日呑気に笑っていられるものだ、とエッダは冷ややかに思った。

――由緒正しい学院に身の程もわきまえず入学してきただけあって、鈍感の厚顔無恥ということなのでしょうね。

テアが自分からリタイアしてくれないのならば、次の手段をとらなければならない。

それはあまり使いたくない手なのだけれど。

エッダはテアをディルクから引き離すために、様々な手段を用意していた。

先日テアに送りつけた「プレゼント」もその一つ。

情報操作も、彼女によるものである。

――けれど、流した噂はどれも根拠薄弱なものばかり……。何か本当にゴシップネタでも出てくれば楽なのですが。

エッダはそう考えて、テアの詳しい情報を手に入れようと手を尽くしていたが、「テア・ベーレンス」という人間はどうにも謎が多いようで、まともに分かっているのが、九歳の頃からフォン・ブランシュの元で生活するようになった、ということだけなのである。

それ以前のことは今も調査中だけれども、どうにも情報がない。出身地も、両親のことも、どうしてフォン・ブランシュのもとに身を寄せることになったかも明らかでない。病気の母親を抱えていてブランシュ家がその世話をしたということらしいが、何故ブランシュ家がわざわざ自らそうしたのかが、エッダの腑に落ちなかった。

それから、この学院に入学する上でのテアの後援者の存在も謎のままだ。フォン・ブランシュがテアの力になったのかと思いきや、フォン・ブランシュとは無関係の人間がいるようなのである。その辺りのことも、そうらしい、という程度で、詳しくは分かっていない。

ブランシュ家にテアが預けられて以後のことはおおよそ掴んでいるが、その調査結果を見ても特に弱みとなるようなものはなく、エッダはテアの知られざる謎の部分に何かがあるに違いないと、調査を進めさせていた。

その隠された真実に、自身を打ちのめすものがあるとは、考えもせずに。

ただただエッダは、テアをディルクから遠ざけたいと、それだけを考えていた。

今も、視線の先にはディルクと……、そしてテアの姿がある。

あの場所は、彼女にはふさわしくない。

ディルクが微笑む隣に立つべきは、自分だ。

「やはり、あれを実行に移しましょうか……」

ぽつりとエッダは呟いた。

あまり上手い手ではないが、テアを引き離し、ディルクに目を覚ましてもらうためには――。




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