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夜の灯火  作者: 隠居 彼方
第4楽章

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重奏 2



テアとディルクが学院際に向け本格的に練習を始めて、少し経ったとある放課後。

こっそりと、テアは講堂裏の森に足を踏み入れていた。

――まさかこういう目的でまたここに来ることになるとは……。

嘆息する彼女の手には、白い箱と小さなスコップがある。

スコップはローゼの園芸用品を失敬してきたものだ。

一方、白い箱は、昨日彼女に届けられたものだった。

寮に送られ、管理人経由で受け取った小さな箱。

差出人が分からず、訝みながらテアは蓋を開けた。

入っていたものは――、切り裂かれた鼠の死骸、だった。

驚いてすぐに蓋を閉めたが、中身を見たのが一瞬であっても、新しい嫌がらせだと悟るには十分だった。

恐らく、テアに対する分かりやすい脅し。

お前もこうしてやるぞ、という主張。

リサイタルをきっかけに一部の生徒は態度を軟化させたが、一部の生徒にはテアのその評判はますます面白くないものになったのだろう。

テアは、慣れつつある生徒たちからの悪意を冷静に分析し、ローゼに見つからないようにその箱を隠した。

動揺が皆無というわけではない。

だが、生き物の死体に限らず、もっと残酷なものも、テアは幼い頃から何度も見てきた。

だから、彼女が一番に思ったことは、怯えや保身より、箱に詰められた小さな動物への哀れみと申し訳なさだった。

この小さな動物は人々に忌まれ、駆除の対象ではあるけれども、だからといってこんな風にいたぶり、嬲ってよいというものではない、と彼女は痛ましく思ったのだ。

刻まれ冷たくなった体だが、せめて土に返してやろうと、テアは誰にも見咎められないであろう、ここに来たのである。

ローゼやディルク、心優しい仲間たちが知ればまた心配をかけてしまうから、彼らにも知られないように。

木立の中に入っていったテアは、あまり奥へは踏み込まず、柔らかそうな土を選んで掘り始めた。

ある程度の深さになったら、そっとその中に埋めてやる。

土を盛ったテアは、静かに瞑目し、手のひらを組んだ。

彼女は信仰には厚くないが、その魂が安らかであることを祈る。

やがてふっと息を吐いたテアは、静かに立ち上がるとスコップを持って踵を返した。

「ローゼに気付かれないうちに返してきましょう……」

そうして一人、そう呟いた時。

「――テア?」

声をかけられて、テアは肩を揺らした。

聞き覚えのある美声である。

特に悪いことは何もしていないのだが――勝手に土をいじったのはよくなかったかもしれないが――、彼女はぎくり、としながら声の方へ顔を上げた。

「ディルク……」

声で分かっていたが、やはりそこにいたのはディルクである。

ヴァイオリンの練習に行く途中なのか帰りなのか、彼はその手にヴァイオリンケースを持っていた。

こんな鬱蒼とした木立の中には、どう見ても不似合いな、すっきりと美しい立ち姿である。

「こんなところで、どうしたんだ?」

ディルクは躊躇わず、テアの方に歩み寄ってくる。

テアは何とか動揺を抑えつつ答えた。

「……構内の隅々まで知っておけたらと思って、どこまでこの森は続いているのかと……」

それも一応、嘘ではない。

だが、ディルクは訝しげな顔を隠さなかった。

「そのスコップは?」

「何か珍しい植物があったらローゼにお土産でもと思いまして」

我ながら言い訳がうまくない、とテアは思う。

ディルクの視線が苦しい。

しかし、ディルクは常と同じようにテアに接した。

「……そうか。それならいいんだ。勝手に掘り返したりしたら学院側に何か言われるかもしれないが」

「そ、そうですね……」

冷や汗をかきながらテアは頷く。

「また誰かに呼び出されでもしたのかと思ったが、そうではなかったようで安心したよ」

「それは……、大丈夫です。リサイタル以来、皆さん前より好意的に接してくれるようになりましたし」

それについてはディルクも把握していた。

ディルクがテアをパートナーに選んだのは同情からだ、とこれまでは思われていたが、彼女のピアノの腕を見込んでのことだったのだと、話は修正されつつある。

だが、全体の認識が変わったわけではない。

ディルクは苦々しく思いながら、何かを隠している様子のテアを見つめた。

ディルクがここに来たのは、テアを探していて、ある生徒がこちらに向かっているのを見たと教えてくれたからだ。

まさかまた、と思ったが、特に誰かに呼び出されて、という様子ではなかったようである。

なのでディルクも、先日のように血相を変えて駆け付けるようなことはなかったのだが……。

女生徒たちに囲まれた因縁のある場所に、どうしてわざわざ足を運んだりしたのか、ディルクは不可解に思っていた。

加えて気になるのは、テアの持つ白い箱と、土のついたスコップだ。

ローゼに何かあれば、とテアは言ったが、本当にそのためのものなのか。

彼女の背後の木の根元に掘ったような跡があるのが、気になる。

聞いてもいいものかどうか、ディルクは迷った。

余計な詮索は彼女の望むところではないだろう。

しかし――。

「あの……、ディルクは何故ここに?」

「ああ、」

首を傾げられて、ディルクは用事があってテアを探していたことを思い出した。

「お前を探していたんだ。学院長に頼まれて」

「学院長に?」

テアは疑問符を浮かべる。

「何か渡したいものがあるとおっしゃっていた」

わざわざ学院長が直接、とディルクは少し思っていたが、おそらく学院長もテアの近況を気にしてくれているのだろう。

「そう……ですか。では、学院長室へ向かえばいいでしょうか」

「ああ。場所は分かるか?」

「はい」

テアは照れくさげに笑いながら頷いた。

最初に会った時迷っていたところを助けられているから、ばつが悪いのだ。

「それでは、泉の館には学院長の用を終えてから向かいます。ディルクは……、」

「いつもくらいの時間に行くよ」

「分かりました。では、行ってきますね。わざわざありがとうございました」

テアは笑顔で礼を言い、早速駆けて行った。まずスコップを置いて来るつもりなのだろう、寮の方へ向かって行く。

さてどうするか、とディルクは思った。

ゆっくりと彼は土の色が違う場所へ近付き、かがみこむ。

駄目だ、と思う。

けれど――。

意を決して、ディルクは手を伸ばした。






心臓に悪かったと、スコップを寮の部屋の元の場所に戻してきたテアは、学院長室に向かいながら思った。

怪訝そうな様子だったディルク。

あんな風に嘘をつくのは本当は嫌なのだけれど、本当のことを言うのも気が進まなかった。

ただでさえ忙しくしている彼の負担になりたくない。

思いつつ、教員棟一階の奥にある学院長室に辿り着く。

テアがドアをノックすると中から声がして、秘書の男性がドアを開けてくれた。

顔見知りのその男性はテアを認めて笑んでくれると、彼女を中へと通す。

「失礼します」

「わざわざすまなかったな」

大きな書斎机を前に座っていた学院長は、テアに向かって穏やかに告げた。

「いえ……」

「そこにかけなさい。少しだけ待っていてもらえるか?」

「はい」

学院長が書類に目をやる間に、秘書がテアに紅茶を出してくれた。

腰掛けた応接用のソファはふかふかとしていて、なんだかテアは落ち着かない。

学院長はすぐに書類から目を離すと、秘書に何事かを指示し、小さなテーブルを挟んだテアの前のソファに腰を下ろした。

「待たせてすまなかったな」

「いえ。今日は何か……」

学院長は気安い微笑みを浮かべた。

「そう固くなることはない。いつも秘書任せだからな、今日は久しぶりに直接話したいと思って足を運んでもらった。……リサイタルを聴かせてもらったよ。素晴らしい演奏だった」

「いらしていたのですか……。すみません、気付かずに……。ありがとうございます」

テアは恐縮した。

「自慢してやったらあいつが悔しがっていた」

「おじさんが?」

学院長の言う「あいつ」が彼女の「あしながおじさん」であると、テアにはすぐに分かった。

学院長と「おじさん」は友人同士なのだ。

学院長がテアにこうして気さくに話しかけてくれるのも、「おじさん」との繋がりがあるからである。もちろん、それだけでなく、テアのピアニストとしての才能に期待しているということもあるのだろうが。

学院長は悪戯っぽく笑うと、テーブルの上に置いてあった少し大きめの箱をテアの前に置き直した。

「あいつからだ」

「え……」

「初リサイタルの成功を祝って、ということらしい」

いつも、「あしながおじさん」からの手紙や荷物は学院長経由でテアに渡される。逆にテアからの手紙も学院長経由だ。

「おじさん」があちこちを飛び回っていて一箇所にとどまらない人であるというのが理由のひとつ。

もうひとつの理由は、テアと「おじさん」の関係は余り表に出したくないという事情があるからだった。

いつもは学院長の秘書がテアに手紙を届けてくれ、またテアからの手紙を預かってくれていた。だからテアは、学院長の秘書と顔見知りなのである。

そして、今回は学院長から差し出された箱に、おずおずとテアは手を伸ばす。

「開けてみるといい。手紙も中に入っているそうだ」

「はい……、ではお言葉に甘えて」

テアは丁寧に包装をはがすと、箱の蓋を開けた。

そこには。

「これは……、ドレス……?」

テアは驚きに目を見張った。

言葉の通り、空色のドレスがそこには収まっている。

リサイタルの時にドレスを借りたことを手紙に書いたのだが、それを気にしてくれたのだろうか――。

テアは嬉しくなると同時に申し訳なく思った。

「サイズは大丈夫なのかと聞いたら、何の根拠か間違いないと断言していたな。心配しなくてもあいつの見立てにまちがいはない」

テアの気兼ねを払拭するように、学院長は軽く言った。

テアは学院長の配慮にそっと笑う。

「……はい。ありがとうございます」

「それは今度会った時あいつに直接言ってやるといい」

「そう、ですね。そうします」

テアは素直に頷いた。

「学院生活はどうだ? 勉強の方は問題ないか」

「はい。授業は置いて行かれるのではないかと思っていたのですが、むしろとても面白くて……、ついていけそうです。先生方もよくしてくれますし、図書館の蔵書も興味深いものばかりで……。ピアノも毎日……、」

テアは嬉しそうに語って、ふと言葉を途切れさせた。

「そういえば、あの、サイガ先生を私の担当にしてくださったのは……、」

学院長は意味深に笑った。

「彼は良い教師だろう?」

「はい、それは、もちろん」

「それなら良かった。彼は素晴らしいピアニストでもあり、導き手としても捨てがたい才能があるが、癖もあるからな。並みの者ではそうそうついていけないし、ついて来させない」

だが――、と学院長は言葉を切り、紅茶を含んだ。

彼はそれ以上エンジュ・サイガについての言葉を続けなかったが、テアが聞きたかった問いへの答えは十分に彼女に伝わっていた。

見込まれたのだと、以前、ライナルトは言ってくれた。

だがテアは、実際のところどうしてエンジュ・サイガのような人を教師に招いてくれたのか、ずっと気にかかっていたのである。

テアの後援者が「あしながおじさん」であることが関係しているのだろうかと、テアはそこまで疑っていた。

けれど、それはテアの考えすぎで、むしろライナルトの言葉の方が正解だったようだ。

「あしながおじさん」の威を借りるような真似をしているのではなかった、とテアは安堵しつつ、見込まれた、という言葉に今更ながら耳元を赤く染めた。

一方で、テアは学院長に対して申し訳なくも思う。学院長は、ただ「あしながおじさん」の存在があるというだけで、ひいきのような真似をする人ではなかった、と。

「――パートナーとも、上手くやっているようだな。学院祭のコンサートに参加するのだろう?」

「はい」

テアは頷いて、続けた。

「ディルクのような方が私のパートナーになってくださるなんて、思いもしないことでしたが……。助けられるばかりで、私ももっとあの方の役に立てれば良いのですが……」

憂慮の表情を浮かべたテアを、学院長は穏やかに諭す。

「そう気張ることはない。ディルクが好きでしていることだ。何より、君がパートナーとなったことが彼にとって一番の幸いだろう」

「そんな風に言っていただくほど、私は……」

テアは謙遜がすぎる。

学院長は思いながら、それ以上は言葉を重ねなかった。

ディルクはずっと自分の理想の音を探していた。学院長はそれを知っている。

それが見つかったのだから、それに勝る喜びはないだろう。

しかしそれを彼女に言うべきは自分ではない。

「……学院祭のコンサートで、二人の演奏が聴けるのを楽しみにしている」

学院長が柔らかく微笑めば、屈託を収め、テアも微笑んだ。

「……ありがとうございます。来て下さった方に、少しでも楽しんでいただけるような演奏ができるようにしたいと思います」

テアの言葉に、学院長はさらに笑みを深める。

――あいつにはもったいないくらいよくできた娘だ、全く……。

と、友人である「あしながおじさん」にテアと言葉を交わしたことを話して悔しがらせてやろう、と意地悪く思いながら。




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