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夜の灯火  作者: 隠居 彼方
第3楽章
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憎悪 6



リサイタルが終わると一部の客は帰ってしまったが、残りの客を呼んで、教会横の薔薇園でのささやかなパーティとなった。

ピアノもそこに移されて、乾杯の後、テアはエンジュによってディルクと共に紹介され、ピアノを弾くように促されて座る。

客たちが歓談する中、テアはどこかくつろいだ様子で、「月の光」を弾き始めた。

「……テアはよくこれだけの人を前に堂々としているな」

このような場は初めてだろうにと思いながらライナルトが呟くと、ローゼは楽しそうに笑う。

「テアは場慣れしていますからね」

「場慣れ?」

「その辺りのことは本人に聞いてください。あ、ライナルト、あそこの料理、美味しそうですよ。行きましょう」

「……テアのことはいいのか?」

「ディルクがいますから」

ローゼは言って、ライナルトの腕を引いた。

ディルクはピアノの側に立って、テアの姿を見つめている。

ディルクに近づきたい女性たち、テアに近づきたい男性たちは共にどこかそわそわとしていたが、何となく近づけないようだ。

その間、エンジュは少し離れたところで、知り合いなのだろう人々に囲まれて談笑していた。

テアの演奏が一段落つくと、エンジュは周りに声をかけ、ピアノが弾けるという人間を次々とピアノの前に座らせていく。

それを苦笑して見ていたテアに、ディルクは近づいた。

「テア」

「ディルク、あの、ピアノ、素晴らしかったです!」

ディルクを認めたテアは、開口一番そう言った。

どこか興奮している様子で言う彼女に、ディルクは苦笑する。

「それはこちらの台詞だ。……素晴らしい演奏だった」

「ありがとうございます。ですが、まだまだです。感情ばかり先行した演奏になってしまいました。次はもっと、落ち着いて弾きたいです」

もう次のことを見据えているテアに、ディルクは温かな眼差しになる。

「……疲れているだろう。どこかに座るか?」

「はい」

ディルクに促され、少し人から離れた場所に置いてある椅子にテアは腰を下ろした。

「寒くないか?」

「あ……」

テアはそこでようやく、自分がいつもと違う格好をしているということを思い出す。

次いで、少し前の月夜の晩のことも思い出して頬を赤くした。

日が沈めばかなり冷え込む季節であるのに、テアはまた随分と寒い格好をしている。

ピアノを弾いていた時はそれに集中していて全く思い至らなかったが、確かに肌寒い。

――しかもこの格好を、こんなに間近で見られてしまった……。

慣れない衣装のせいで、どうしても自信がないテアだった。

「えっと……」

テアが思わず返答に詰まっていると、ディルクは言った。

「寒いのだろう? そのドレスはお前によく似合っているが……袖がないからな」

テアはその台詞にぱっと顔を上げた。

「あの、私、変じゃないですか」

「変?」

「その……、このようなドレスなど初めてなので……」

「ああ…」

ディルクは納得して笑った。

「変どころか……、とても綺麗だ」

素直に彼は思ったところを述べる。

「そのドレスはお前の美しさを際立たせてくれているようだと思うよ……」

天然の殺し文句だった。

こんなことを他の誰かに言われたことはない。

テアは顔を真っ赤にして俯いた。

「大丈夫か? 先ほどから少し顔が赤いな。風邪を引いてはいけない、これを羽織っていろ」

気付かないディルクは自分の上着を脱いでテアの方にかけてやった。

「ですが、これではディルクが……」

「俺は大丈夫だ。それより、少し待っていろ。何か温かい飲み物をもらってくる」

「あ……」

飲み物を取りに行くディルクを、テアは見送った。

おずおずと、彼女は肩にかけられたディルクの上着を自分の身体に引き寄せる。

――ディルク、の……。

外側からも内側からも、じわりと温かさが広がっていく気がした。

ディルクはすぐに、カップを持って戻ってくる。

「コーヒーだが、これでいいか?」

「はい。ありがとうございます」

ディルクはテアにカップを渡し、その隣に座った。

「そういえば、ずっと眼鏡をかけていないようだが、なくても大丈夫なのか?」

「はい。遠くの文字を読めと言われると難しいですが、普通に生活する分にはなくても何とかなるんです。今日は、眼鏡がないおかげで客席がよく見えなくてよかったかもしれません」

テアがおどけて言うと、ディルクは笑った。

「今日のお前は初リサイタルという割にあまり緊張していないように見えたが、それは眼鏡がないおかげというわけか」

「それもありますけれど……」

テアはゆっくりとコーヒーを一口飲んだ。

「実は、ローゼと出会う前は……、私、母とその……長い、旅をしていたんです」

こんな話を聞いて、ディルクはどう感じるだろうか。

テアは気にしながらも、口を動かしていた。

「旅……」

「はい。それで、お金がない時に、私がピアノを弾いて母が歌って、お金を稼いだりしていたことがあって。ですから……」

「そうか、人前で演奏することに慣れているのだな……。しかし、旅をしていたというが、それではピアノは母親に習っていたのか?」

「あ、はい。基本的なことは母が……。それに、行く先でピアニストの方が助言をくださったり……」

母は何も教えないうちからテアが自らピアノに触れたと言っていたが、それが本当なのかテアは知らない。ただ、覚えている最初の記憶から、テアはピアノを弾いていた。

それに、そうなのかとディルクは驚く。

テアの口ぶりだと、きちんとした教師に師事したことは一度もないようである。それで今の技量を持っているというのなら――テアは天賦の才を持っていたのだろう。もちろん、彼女の努力も大きいのだろうが……。

また、テアは暗譜がひどく早い。「夜の灯火」を最初に合わせた時は楽譜をほとんど見ずに弾いていた。おそらく、旅の中で楽譜をいちいち持ち歩くことはできないから、すぐに頭に入れるようにしてきたのだろう。それが、今になっても活きているのだ。

そんな彼女が自分の前に現れてくれたことに、ディルクは感謝せずにいられなかった。

「テア!」

二人がそんな風に話していると、先ほどから話しかける機会を見計らっていたフリッツが人の合間を縫うようにしてやってきた。

テアに話を聞いていた彼も、リサイタルに来ていたのである。

「フリッツ!」

テアは立ち上がってカップを椅子に置いた。

「今日は誘ってくれてありがとう。演奏、とても良かったよ」

「いえ、来てくれてありがとうございます。楽しんでくださったならよかったです」

テアが嬉しそうに言うと、フリッツの背にぐさぐさと多くの視線が突き刺さった。

この中でこのテアもディルクも良く平然としていられるな、とフリッツは思う。

ディルクにとってはいつものことであるし、テアは向けられる視線は全てディルクへのものだと思い込んでいるからであるが。

「お前も来ていたなら、もっと先に声をかけてくれればよかったのに」

ディルクが笑いながら責めるでもなく言うと、フリッツは笑って誤魔化した。

人目を引くディルクたちの存在には最初から気付いていたが、輝かしい存在感を持つ彼らに躊躇いもなく近づいていけるほどフリッツの心臓は強くない。

今も近寄りがたくはあったのだが、しかしテアに一言声をかけて帰りたかったのだ。

「あ……、眼鏡もなくて髪型もいつもと違うから、ちょっとびっくりしたよ。でも、似合ってるね」

話をそらすようにフリッツは言ったが、さすがにディルクのように直接的に綺麗だとか素敵だとかいう単語は口にできない。

「ありがとうございます」

テアは照れながら、もう一度礼を言う。

そんな二人を微笑ましくディルクは眺めながら、何となくもやもやとした気分になった。

そんな自分に、ディルクは首を傾げる。

――これは……?

「そう言えば、フリッツも楽器は持って来たのですね」

「ああ、うん。貰ったリーフレットに持参した方がいいみたいなこと書いてあったから……」

「それなら是非、あちらで演奏してくると良いですよ。私もフリッツの演奏を聴きたいですし」

「えっ」

テアの指す方をフリッツはおそるおそる見た。

先ほどから柔らかな旋律が流れている。

その音の持ち主は、ライナルトだ。

エンジュのピアノに合わせて、彼はフルートを吹いていた。

聴衆が――特に女性客が――演奏と彼の美貌にうっとりしながら聴き入っている。

「いや……、僕はちょっと」

敷居が高い……。

フリッツが冷や汗を流していると、ローゼがやって来た。

「そんなこと言わずに、演奏してくるといいですよ。良い経験になります。多少の失敗なら笑って許してくれますし。ね、ほらほら、遠慮なく楽しんできなさい」

「ちょ、ちょっと……!」

ローゼに背を押され、フリッツは人前に立たされてしまった。

ライナルトの演奏が終わって、逃れようもなく彼はオーボエを手にする。

緊張しているようだったが、やがてフリッツが笑顔で演奏を始めたのを見て、テアはほっと笑った。

「彼はもっと自分に自信を持つと良いんですよ。あんなに良い演奏をするのですから」

「そうですね……」

フリッツのオーボエに耳を傾けながら、テアは頷く。

そんなテアをちらり、と見て、ローゼは言った。

「テアの演奏も……素晴らしかったですよ」

「ローゼ」

「……カティアさんのこと、思い出しました」

また、不意に涙腺が緩みそうになる。

涙を呑みこむローゼに、テアは束の間驚いた顔を見せた。

「……ありがとうございます、ローゼ」

テアは優しく囁いた。

「泣かないでください。……ライナルトも心配しますよ」

テアの言葉に、ローゼは頷いた。

向こうからローゼを見つけたライナルトがやってくる。

「どうした、何かあったのか?」

「何でもありません。それよりテア、私、眼鏡を持ってきましょうか。暗い中では、ないと少々不安でしょう。それから、食事もとってきますよ」

「大丈夫ですよ、自分で――」

「いいから、座っていてください。あなたも一応、主役の一人なんですから。ライナルト、付いて来てもらっていいですか?」

「ああ」

申し訳なさそうにするテアに、ライナルトは笑った。

「気にするな、ディルクの横で泰然としていろ」

「はぁ……」

テアは曖昧に頷く。

「テア、あいつの言うとおり座っていろ」

ディルクはテアの後ろから声をかけた。

「暗くなってきたからな、俺もお前が転びそうで心配だ」

「こ、転びませんよ」

テアは反論したが、ディルクはそれを笑っていなした。

再びカップを手に、テアはディルクの隣に座る。

「……カティア、というのは誰か聞いてもいいだろうか」

ローゼの口から出た名に対し、テアは懐かしそうな寂しそうな愛しそうな表情を浮かべていた。

気になって、ディルクは尋ねる。

テアの演奏を聴き、今まで知らなかったテアの昔の話を聞き。

テアのことをもっと知りたい、とディルクは思っていた。

「……私の母の名です」

テアは少しだけ躊躇った後、答える。

「亡くなってしまった、母の……」

「そうか……」

ここ最近の沈みがちだったテアの様子、テアの演奏の背景にあるものをディルクは悟る。

リサイタルでの演奏曲が曲であるし、母のことを思い出して、塞ぎがちであったのかもしれない。

そう、当たらずとも遠からずのことをディルクは考える。

だが、リサイタルが終わった後のテアは、どこか憑きものが落ちたようにすっきりとして見えた。

テアは、迷いをふっきったのだろう。ディルクが、そうなると思っていた通りに。

テアの強さを、改めてディルクは実感した。

「今日のリサイタルは……、追悼の意味もあるんだ。少なくともサイガ先生にとっては」

唐突にディルクは呟いた。

「え……」

「エンジュ・サイガは毎年この時期にこの教会でリサイタルを開く。先生は何も言わないし、客のほとんどは全く知らないことだろうが、これは先生が亡くなった人に捧げる音楽会だ。ゲストを呼ぶのは初めてだが、毎回こうやって賑やかに皆で音楽を楽しむ……」

「……一体、どなたの」

「先生の初めての生徒だよ。プロのピアニストになって成功したが……、事故にあって儚くなってしまった。この教会が彼女を弔ってくれたんだ」

「そう、だったんですか……」

初めて知る事実に、テアはエンジュの胸の内を思った。

ではこのドレスは彼女の形見なのだろうかと、彼女は思い当たる。

「そう悲しそうな顔をしなくてもいい。先生は、彼女に……皆に笑ってほしくてこの催しをするのだから」

「……はい」

「……きっと、お前の母親もいっしょに笑っているだろう」

はっとテアはディルクの横顔を見上げた。

それを、彼は伝えようとしてくれて――、と理解して。

「この話をしたと知られたら先生に怒られそうだから、秘密にしておいてくれ」

ディルクがおどけたように人差し指を口の前に立てたので、テアは笑って頷いた。

「はい」

そこに、ローゼとライナルトが戻ってくる。

「テア、持ってきましたよ」

ローゼが差し出してくれた眼鏡を受け取り、二人が持ってきた料理の多さにテアは仰天した。

「ローゼ、こんなに食べられませんよ」

「さっき食べた時全部美味しかったから全部持ってきちゃったんですよ。大丈夫、皆で食べればいいんですから」

ローゼとライナルトは椅子を引っ張ってきて、四人で料理に舌鼓を打った。

誰もが、流れてくる音楽を、そうしていつまでも楽しんでいた。






リサイタル後の和やかなひとときをお送りしました。

今回はディルクの台詞が非常にクサく…砂吐きにご注意クダサイ…。

書きながらこれはないかと思いましたがこのままで。

彼はただ思ったことを言っただけです。

計算はなしです。大変性質が悪いです。

そんなディルクですが1ミリ程度前進したようなそうでないような。

こんな感じで今後も二人はじわじわと近づいていきます。




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