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夜の灯火  作者: 隠居 彼方
楽章後
131/135

父親

番外編そのにです。

父親たちの話となっております。





「アウグスト、お前を倒す!」

びし、とロベルト・ベーレンスに人差し指を突きつけられ、アウグスト・フォン・シーレは半眼で相手を見やった。

相変わらず突拍子のない男だ、と思う。

二人が向き合うのは、宮殿の離宮の一室だ。

退位したアウグストは、この離宮で妻であるユスティーネと穏やかな日々を送っていた。

後継の現皇帝や傍らで支える人々が優秀なおかげで、退位した身に鞭打たれることもない。

少し物足りないくらいに平和な日々、だったのだが――。

何の連絡もなく突然にやってきた旧友――という形容で彼との関係を表すのが適切か迷うところではある――のおかげで、久々に騒がしくなりそうだった。

ゆったりと、柔らかで肌触りの良い椅子に腰かけたまま、アウグストは息巻く様子のロベルトを下から見つめる。

基本的に動じることが少ないアウグストは、ロベルトの奇行に慣れていることもあり、淡々と問いかけた。

「何故お前に倒されねばならない」

「お前の息子が俺の娘を奪った復讐だ!」

その台詞で、全て合点がいった。

テアとディルクが婚約に至ったのはつい先日のこと。

ロベルトが半狂乱になっていてもおかしくはないと思っていたが、それがこういう形で急襲を受けるとは。

アウグストは呆れた溜め息を吐き、面倒臭そうに告げた。

「……それなら直接ディルクのところに行け」

「そうしたいのは山々だが、彼に何かあったらテアが悲しむだろう」

大真面目な顔でロベルトは返した。

その冷静さがあるなら、もっと他のことにも思考を巡らせてほしいと思うアウグストである。

「俺に何かあった場合、テアは悲しまんのか」

「……お前でも悲しむかな」

どこまでも失礼な男である。

「優しい子だというのは、お前もよく知っているだろう」

「そ……う、なんだよ……!」

ロベルトは膝をついて、今度は泣き始めた。

「本当に良い子で良い子で……、だからよその男が虜になるのも無理はないというか、惚れないわけないっていうか、惚れた男は見る目あるっていうか、あああ、でも許さんぞ! 近付くのは駄目! まだ五年しか経ってないのに、他所の男にやるのを見送るなんてええ……!」

鬱陶しい男を宥めるでもなく放置して、アウグストはテアの顔を思い浮かべた。

父親に似ずしっかりした娘に育って良かった、とつくづく思う。

それにしても。

――よりにもよって、カティアが選んだのがこの男とは……。




そもそも、アウグストがロベルトと出会ったのは、もう何十年昔のこととなるだろうか。

二人とも、少年と呼んで差し支えない年齢だった。

皇太子であったアウグストが、珍しく宮殿の外に出、観劇のため劇場に赴いた時のこと。

『ぎゃっ!』

問題がないか確認を終えた護衛と、入れ違いに入った手洗い場で、少年だったロベルトは、何と、叫び声と共に上からぼとりと落ちてきたのだ。

まさに心臓が飛び出るような経験だった、とアウグストはその衝撃を今でも鮮明に思い出せる。

そのずっと後、彼が皇帝となって息子を持つに至り、その息子の一人が宮殿の隠し通路を使って突然自分の目の前に出てきた時には、それを思い出して一抹の不安を覚えたものである。

自分の息子が、ロベルトのように育ってしまうのではないか、という不安である。

その不安はある側面だけ見れば的中したが、さすがにロベルトのような変人になることはなかったので、親としては安心しているのだが、それはともかくとして――。

とにかく、アウグストにとってロベルトとの出会いは大変インパクトのあるものだったのだ。

『歌を、ききたくて』

治療と話を聞くのを兼ねて、別室に連れていかれた少年は、そう言った。

『忍び込んできたのか』

『ちがうよ。客に見られちゃダメだけど、見つからなければきいていいって、おじさんが言ったから』

『おじさん……?』

その"おじさん"は、すぐに血相を変えてやって来た。

気の毒なほど真っ青になっているその男は、劇場の支配人だ。

『おじさん、ごめんなさい』

その顔を見た少年は、すぐに神妙な顔で謝る。

支配人は無事なロベルトを見て少しほっとした後で、アウグストに対し深く腰を折った。

『申し訳ございませんでした、殿下。このような無礼、どんな処罰でもお受けいたします。しかし、この度の責任は監督不行届であった私にあります。この子はどうか……』

『あー、構わん』

幾分投げやりに、アウグストは答えた。

手洗い場で上から降って来られたのは初めてだが、無礼への詫びの言葉を聞くのは残念ながら、慣れている。

『それより、この子どもは、どういうことだ』

普通、上流階級の者たちが多く足を運ぶこのような劇場は、こんなみすぼらしい姿の少年になど、近寄られるのを厭うものである。客たちが嫌がって遠ざかるからだ。

劇場側はなるべく客にそうしたものを見せないよう気を遣っているはずであるが、どういう了見で支配人という肩書きを持つ男が少年の立ち入りを許可したのか。

少年は客に見られないよう天井裏を使って行動していたようだが、実際にはこういうことが起こり得てしまった。

皇太子が赴くような劇場の支配人だ。そうした危険性を考えられなかったわけではないだろうに。

アウグストの問いを的確に聞きとって、支配人は答えた。

『……この子は、天才なのです』

『ふん』

『読み書きもまともにできませんが、音楽の才には目を見張るものがあります。この子は一度聴いた曲を忘れずに覚えていることができるのです。室内楽ならば、パート毎に音を聞き分けて、それぞれを覚えています。さらにはそれを自分で再現できる。しかも自分なりの解釈を加え、自分ならばこう演奏する、とそれをやってのけてしまうのです……』

『なるほど』

半信半疑で、アウグストはその言葉を聞いた。

『だが、それならばどこかの音楽家にでも預ければいいだろう』

『はい……。現在、この子を導いてくれる師を探しているところです。ですが、なかなか良い相手が見つからず……。何しろ、この子は孤児です。今も近くの孤児院で生活をしています。しかも、こう言ってはなんですが、天才と何とやらは紙一重と申しますか、独特な子ですので……。私も家族がありますので、引き取ることは叶わず、落ち着き先が見つかるまではここへの立ち入りを許可してもよいだろうと……、』

事情は呑み込めた。

自分の話をされていると分かっているのかいないのか、そわそわとした様子の少年を、アウグストは見やる。

『おい、お前』

『なに?』

『歌を聴くのが好きなのか』

『うん。楽器の音も好きだ。歌うのも』

『それなら今ここで歌ってみせろ。それなりのものを聞かせられたら、今回の件不問にしてやる』

『フモン?』

『……いいから歌え』

少年は許可を得るように支配人を見、支配人が頷くと嬉しそうに笑って、躊躇いもなく歌い出した。

それに。

アウグストは、目を見開く。

少年の歌声は、伸びやかで、どこまでも届くようだった。

明るい曲調、楽しげな歌声、嬉しいようなわくわくするような気持ちが、伝わってくる――。

部屋の中にいる誰もが、思わずその歌に引き込まれていた。

『――どうしたの?』

歌が終わり、きょとんと少年が首を傾げるまで、アウグストはつい茫然としてしまう。

問いかけられ我に返り、こほん、と空咳をした。

『……こんなのを、一体どこで見つけた?』

孤児院で生活しているという少年と、支配人が出会うきっかけが分からない。

ばつが悪いのを誤魔化すような問いかけに、支配人は目を細めて答えた。

『散歩を趣味としているのですが、近くの公園を歩いていた時、この子が歌うのを聴いたのです。聴衆は、猫や鳩たちでしたが』

『動物も引き止めるか……』

アウグストの決断は早かった。

『お前、もっとたくさんの曲を聴いてみたいと思うか。それを自分で演奏してみたいと思うか』

『うん!』

『いい返事だ。それなら俺がお前にそれを叶えさせてやろう』

『えっホント!』

『ああ。その代わり俺を楽しませろ』

『うん、頑張る!』

本当に分かっているのか、と疑ってしまうくらい、嬉しそうに、生き生きと少年は頷く。

『そういうわけだ。支配人、こいつは俺が預かろう』

『それは……、この上ないお話ですが、本当によろしいのですか?』

『ああ』

『その……、今は"客に見られてしまった"ことを気にしていつもより大人しくしていますが、本当に突拍子のないことをし始める子どもで、』

『くどいな。一体こいつは何をやらかした?』

『挙げればきりがないのですが、そうですね、猫に歌を教えようとして頬に大きな傷をつくっていたことがありました。それからその……、来客の中に困った方がおりまして、その態度を見かねてだとは思いますが、こっそりとここに忍んでその方の……カツラを、とってしまったり、ですね。後は、こちらが不要と思い捨てた品をこっそり持ちかえってそれを楽器として改造してきたのですが、その音はもう凶悪なもので……』

エトセトラエトセトラ。

この時のアウグストは、呆れかえるのを通り越して腹を抱えて笑ってしまった。

『面白い。それくらいの方が飽きずにいられる。今後を楽しみに引き取ろう。そちらにも経過をちゃんと教えるから楽しみにしていろ、支配人』

そう言い置き、アウグストは少年にまた問いかける。

『お前、名前は』

『ロベルト』

『ファミリーネームは持たないか。支配人、借りていいな? 今後、ロベルト・ベーレンスと名乗らせる』

『もちろんですとも!』

『よし。ロベルト、俺はアウグストだ。せいぜい恩に着ろよ、俺に拾われたことをな』

『うん』

無邪気なまでの笑顔で、ロベルトは頷いた。

それが、ロベルトとアウグストの出会いだ。




その後、ロベルトが『アウグスト、お前なんでそんなに偉そうなの』と言って、支配人が卒倒しそうになったのも、良い思い出と言えば良い思い出である。

それからずっと後のことも思い出して、アウグストは溜め息を吐いた。

シューレ音楽学院にロベルトを放りこむまで、当時学院長の後継者候補であったマテウスも巻き込んで読み書きを教え数字を教え、様々なことを学ばせたが、その間に彼が起こした騒動は数え切れない。

飽きるどころでなかったのは確かで、いまだにこの男に振り回されることもしばしばだ。

三人で色々とやらかすこともあったので被害者面ばかりもしていられないのだが、身近にいた分最も迷惑を被っているのはアウグストとマテウスだろう。

マテウスに関してはアウグストが無理矢理巻き込んだところがなきにしもあらずなので、少し申し訳ないような気はしている。

いまその立場にあるのは、アロイス・フューラーであるが――。

「……そう言えばお前、一人か。アロイスはどうした」

「アロイス……、あ、置いてきちゃった……」

べそべそしながら、ロベルトは今更気付いたと顔を上げる。

百年の恋も冷めるような顔だ。

――カティア、本当にお前、この男のどこが良かったんだ……。

もの好きにもこの男をここまで育てるのに尽力したアウグストが問いかけることではないかもしれないが、是非ともその答えを知りたかった。

本人の口から答えを聞くことは、最早叶わないけれど。

だが、カティアはアウグストにとって妹のような存在だった。

つまるところ、ロベルトに惹かれた部分は同じなのではないかと、アウグストは想像する。

そのせいで、娘であるテアや、世話を焼いてくれているアロイスには苦労をかけてしまうが――。

「しょうがない奴だ」

「だって、だって、ディルクくんが悪いんだよ……! テアを、テアを、くだ、くだ、くださいって、さあああ!」

「俺はお前からそんな言葉聞いたこともないがな」

「へ、」

「カティアは妹同然の存在だったんだがなぁ」

「……」

「おあいこだと思わんか」

「いや、いやいや、だって俺そんなこと知らなかったし! っていうかあれ? なんか立場逆転してる!?」

「ふん。まあ、嘆くよりこれからを楽しみにした方が建設的だな。俺たちの孫に会えるのもそう遠くはなかろう?」

「孫……! いやいや早い、早いよ孫なんて、お父さん許しませんよ! そんな、え、待て、待て待て待て、孫ができると……、可愛い孫は俺の孫であるだけじゃなくお前の孫!? お前がおじいちゃんとか孫かわいそう!」

「どういう意味だそれは。お前が祖父である方が余程気の毒だと思うぞ」

「いやお前だって! 性格悪いだろお前!」

「そういうお前は変人だろう」

「こんな真っ当な人間に何を言う! 孫だって超可愛がるし! 偉そうなお前に可愛がるとかそんな芸当無理だろ」

「退位したからもう偉そうにふんぞり返る必要はなくなった。孫相手には鼻の下を伸ばすことにしている」

「お前のそんな顔百年の恋も冷める! ユスティーネ様に愛想尽かされるぞ!」

「ぐちゃぐちゃの顔したお前にその言葉そっくりそのまま返す」

そんな他愛もない言い争いを止めたのは、部屋のドアが開く音だった。

「すみません失礼します! 何やってんだてめえは――!」

おざなりな挨拶と共に、弾丸のように部屋に入ってきたのは、ロベルトを追いかけてきたアロイスだ。

彼は眦をつりあげて、主人の背に容赦ない飛び蹴りを喰らわす。

「スケジュールを考えずに行動するのは止めろと何年間言い続けてると思ってるんですか……!」

ぐほっ、と床に倒れ伏したロベルトの胸倉を掴んで、アロイスは揺さぶった。

だんだん彼も凶悪化してきてしまったな、とアウグストは罪悪感を覚える。

「お見苦しいところをお見せしました。突然押し掛けてしまい申し訳ありません。予定が押していますので、これは回収させていただきます」

「いや、こちらこそ、悪いな……」

心からアウグストが言えば、アロイスは少し不思議そうな顔をした。

が、本当に急いでいるらしく、挨拶もそこそこに、アロイスはロベルトを引きずって去っていく。

二人は城内のこの離宮に関しては顔パスなので、入ってくるのにも出ていくのにも引き止められることはない。

アロイスにとっては不本意なことだろうが、彼は何度もここに足を運んでいるので、今更案内の必要もないと、軽くアウグストはその背を見送る。

嵐のような、一時だった。

静かになった部屋で、アウグストは苦笑交じりの溜め息を吐く。

――全く、

あの拾いものは。

アウグストはようやく椅子から腰を上げ、部屋を出た。

ユスティーネの顔が見たかったのだ。

彼女はロベルトに複雑な感情を抱いているらしく、ロベルトの急襲を受けるなり自室に引っ込んでしまった。

それこそユスティーネは、「カティアをとられた」気持ちでいるらしい。

ロベルトのことを「小憎たらしい」、と彼女が呟く時の顔は、アウグストにとってもちょっとした恐怖だ。

だが、ロベルトが帰ってしまった今、機嫌も良くなっているだろう。

特に最近の彼女は機嫌が良いのだ。

ディルクとテアの、婚約の話を聞いてから、ずっと。

結婚の時花嫁に贈る品物を、今から嬉しそうに作りはじめているくらいである。

ロベルトとも関係が深くなることは、あまり考えないようにしているらしい。

おかげでアウグストの心の平穏も保たれるというものである。

――式の際にはあの時の支配人も呼ぶよう、ディルクに頼んでおくか……。

あの時の支配人は、とうにその立場は返上しているが、家族に囲まれ穏やかな余生を過ごしているらしい。

式はもう少し先になるだろうが、おそらく喜んで出席してくれるだろうとアウグストは思った。今でも、ロベルト楽団の公演には数多く足を運んでくれているくらいだから、間違いない。

テアも、ロベルトの幼い頃の話を聞ければ、喜ぶだろう。

テアが喜べばユスティーネも喜ぶので、一石二鳥どころか、三鳥くらいの利である。

そう、未来を思って、アウグストは笑った。

――あいつ、俺をどうやって倒すつもりだったのか。

約束を守っているつもりか。

お前は、俺を、楽しませるばかりじゃないか。




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