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夜の灯火  作者: 隠居 彼方
第12楽章

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123/135

決着 9



「学院長に報告して、指示も出してきました。後は相手が、本当に仕掛けてくるかどうかだけです」

「ありがとうございます、ローゼ」

昼休み、食堂には行かず寮の部屋に戻って来たローゼは、同じように戻っていたテアにそう告げた。

「そろそろちゃんと動いてくれないと、困りますよね。皆さんも焦れているでしょうし。私もさすがに疲れます」

慣れているとはいえ、というニュアンスを含んだ言葉に、ローゼは眉を顰める。

そもそもオイレンベルク家がテアを狙わなければ、と思ったのだ。

荒事に慣れてしまったからこそ、テアは今の無茶をやれると判断し行動している。

だが、もしテアが本当に普通の女性であったなら。

マリタや周りの不審な動きに気付くこともなく、仕掛けられた罠にいつの間にか嵌められていたかもしれない。

「……そうですね。早く、こんな心臓に悪い生活、終わらせたいです」

仮定の話をしたところで無意味だ。

知りながらも考えてしまったことに、内心で首を振りながら、ローゼはテアの言葉に同意した。

マリタがテアに、思い詰めたような顔で『話がある』と告げたのは、今朝のことだ。

放課後二人きりで話ができないかと。

あちらを疑っている身としては、何かがあるとは見え透いたことだった。

一般生徒も多い中で、よくやってくれたものだと、ローゼは思う。

二人に関する悪い噂がある中でそんなことを言えば、面白おかしく吹聴されるのは目に見えていて、それを狙ったのだろう。

「ライナルトのお見舞いにもろくに行けませんしね」

「それはともかくとして、ですね!」

テアが笑って言うのに、ローゼは少し声を荒げた。

「……終わらせたいのは本当です。だからといって、今回のことを是としているわけじゃないんですよ、私は」

「……すみません、ローゼ」

本当に、申し訳なさそうに、言われる。

ローゼの方が悪いような気分になってくるが、それでもテアは止めるとは決して言わないのだ。

ひどい親友だと、心の中で零す。

――ここでは、普通の生徒として、穏やかに過ごしてほしかったのに……。

だから、そのために、ローゼも入学したのに。

今日が終わっても、きっと、大変なことは続く。色んなことが変わって、動いていく。

それでも。

「……お願いですから、ちゃんと幸せになろうとしてくださいよ、テア」

無茶などせずに、当たり前の幸せを掴もうとしていて欲しい、とローゼが願えば、テアは一瞬きょとんとして、柔らかに笑った。

「何を言ってるんですか、ローゼ。私はずっと幸せですよ。今までも、きっとこれからも」






――これで、終わり。

放課後と呼ぶにはまだ早い時間、教員棟へ向かいながら、マリタは一日で何度となく思ったことを繰り返した。

それでも、それが信じられないような、奇妙な感覚。

空はとても良く晴れていて、風は清々しく、余計にそう思えない。

もう少しすれば、陽が傾いて空が赤味を帯び始める。

そうなれば、その実感も少しは湧いてくるだろうか。

そんなことを、考える。

その時にはもうとっくに、全てが終わっているのかもしれないけれど。

教員棟へ入ったマリタが足を運ぶのは、テアが首席特権で得た練習室である。

基本的にあの部屋、あの付近に近付く人間はテアやその関係者以外にはいない。

それならば怪しまれず好都合と、その場所が選ばれた。

なるべく人目につかないように、人通りが少ないと分かっている廊下を進む。

見回りがこの近辺を巡回する時間は調べてあったから、その点は心配せずにいられた。

「もしかしたら来ないかもと思ったよ」

練習室の前には、既にいつもの男が立っている。

軽口に答えるような心境ではなく、最後までこの男かと思うと、マリタはただひたすらうんざりした。

「鍵は、」

「今開けようとしてたところ」

細長く、何度か曲がっている金属を手に、男は鍵をがちゃがちゃといじって開けてしまった。

「複雑な鍵でなくて良かった」

飄々とした調子で言うのと一緒に、マリタは室内に入った。

「じゃ、ま、邪魔が入らない内に終わらせますか」

「……」

さすがに顔が強張る。

マリタは緊張の面持ちで男を見つめた。

「いーい顔だ。そそるねえ」

「こんな時にまで、そういうの、止めてくれませんか」

「気を悪くしたなら悪かった。緊張をほぐそうと思って」

「その必要がありますか」

「俺のだよ、緊張」

先日もそうだが、この男と長く会話をするということが、こんなに疲れることだったとは。

二ヶ月足らずの付き合いで、初めて知ったマリタだった。

「邪魔が入らない内に、と聞こえたような気がしましたが」

「そうそう。でも前戯って大事だろ?」

「……もっと最後にふさわしいような会話にしてくれませんか」

「言い残したことは?」

打って変わって、優しくも見えるような微笑みで告げられ、マリタは一瞬、絶句した。

ない、と答えようとして、迷う。

「……雇い主に、給料の支払いをお忘れなく、と」

「了解。確かに伝えよう。じゃあいいか?」

唇を引き結び、マリタは頷く。

終わりの時間を引き延ばしたところで、ただ失敗が待つだけだ。

これは最初から、決まっていたこと。

そう言い聞かせるように思ったマリタの前で、男は、どこからともなく鈍器を取り出した。

男は刃物を使いたがったが、返り血の問題がある、と雇い主が却下したのだ。

それをぼんやりと思い出す。

「大丈夫。慣れてるから、ちゃんと一瞬で終わらせてやる」

マリタはもう一度、声もなく頷いた。

男が腕を振りかぶるのも見てなどいられなくて、ぎゅっと目を瞑る。

そして。

「じゃあな」

と、男の声。




しかし――。

「――止めてもらえますか」

マリタの身体に衝撃はなかった。

けれど、その声に衝撃を受け、思わず目を開ける。

凶器を持った男の手は、マリタに届く途中で止まっていて。

練習室のドアを開くようにして、何故か。

テア・ベーレンスがそこに、立っていた。

「私のパートナーです。手出しは許しません」

厳しい眼差しが、部屋の中に向いている。

なんで、とマリタは動揺に立ち尽くした。

約束の時間にはまだ早い。

テアは講義を受けているはずの時間だ。

彼女自身にも、この練習室に至る前の廊下にも、見張りはついていたはずで、ここに彼女が来るわけはなかったのに。

だが、余計なことを言ってボロを出してはまずい。

マリタは男の出方を窺った。

少なくとも、男がマリタに凶器をふりかざしていたことは確かで、逃れようのないことだが――。

「許さないって、どうする気なんだ?」

「続けるようならあなたを止めますし、大人しくするなら理由次第では大事にはしないでおいてあげます」

「なら、止めてみろよ」

この状況でこのまま続けるのか、とマリタは先ほどとは逆に、目を見開いて硬直した。

男の腕は凄まじい速さだったと思うのに、次の瞬間にはテアはマリタの目の前にいて、マリタを庇って突き飛ばしている。

「先輩……!」

これは予想外の展開に過ぎる。

マリタはどう動くか逡巡した。

一方で、ひゅう、と男が口笛を吹いて賞賛を示す。

「速えな。さすがブランシュ領仕込み、か。ピアノやってんのがもったいないな。外のも、あんたが仕留めたのか?」

ふ、とテアはその言葉に笑う。

それは肯定、だろうか。

物騒な笑みはマリタの初めて目にするもので、思わず息を呑んだ。

「……一応、標的は生かす、ってことになってたんだけどな。こうなりゃあんたを生かしとくわけにはいかない。ここで確実に仕留めさせてもらう」

「やれるものなら」

鈍器を放り、男が次に取り出したのは、ナイフである。

それに合わせるようにテアが同じようなナイフを取り出してきたのに、マリタは自分の目を疑った。

――なんでこの人、こんなもの当然のように持ってるの……。

だが男は嬉しそうである。

目を細めて、ナイフで攻めた。

それをテアは、当然のように避け、時には受け、時には隙を突いている。

――なんで、そんな風に動けるの……。

ブランシュ領で育った、とは聞いていた。

けれど、こんな風に戦える人だとは知らなかった。

その手は、ピアノを弾くためだけにあるのだと思っていた。

――戦い方なんて、身につける必要が、あったの……?

しかし、時が経つにつれ、テアの劣勢はマリタの目にも明らかだった。

それも当然と言えば当然だろう。

単純に男女の力の差がある。何より男はそれが本職なのだから。

互いに傷らしい傷を負わないままだったが、やがて、手が滑ったのか、力で押し負けたのか、テアの手からナイフが飛んだ。

「あっ」

と口の中で叫んだのは、テアではなく、マリタだ。

テアは動揺も見せず、目の前の敵を睨みつけている。

男は舌舐めずりをして、無防備になったテアに襲いかかり――。

「……!」

――なんで、

マリタは自分の心臓がこれまでにないくらい音を立てていることに気付いた。

その音がうるさい、と思った。

「……君、何やってんの」

そんなことは、自分自身にも分からなかった。

マリタは、気付けば、テアを後ろに押し倒すようにして、彼女に覆い被さり、彼女の身体を庇っていた。

「……この人は、殺す予定じゃなかったでしょう」

震える声で、テアを抱きしめるようにしたまま、マリタは精一杯返す。

男の溜め息を、マリタは頭の後ろで聞いた。

「見られたし聞かれたから、見逃せないのは分かるでしょうに。じゃあいいよ、君を殺してそっちも殺す。二人で殺し合ったってことにすれば全部解決だ」

その言葉に、マリタの身体は震えた。

もう駄目だ、と思う。

死は、覚悟していたはずだったのに。

ぎゅっと、目を閉じて目の前の体に縋りついてしまう。

男は容赦なくマリタの身体にナイフを振り下ろし、今度こそ彼女の命を奪うかに思われた。

けれど。

強い力で、マリタは自分の身体が引かれるのを感じた。

――え、

一体、何が起こったのか。

認識するまでに、数秒を要した。

痛みも何も訪れず、目を開けたマリタの視界に、テアの髪の色が入る。

その後ろに天井が見え、男の姿が見え、マリタは先ほどと体の位置が反転していることを知った。

そして、手に熱い何かの感触を覚え、視線を落とし、彼女は見つけた。

赤い、自分の指先を。

テアの白い制服が、じわりと赤に染まるのを。

「な、んで……!」

視界に入った男のナイフも、赤で濡れている。

ち、と舌打ちした男が、ナイフを持ち直した。

どうやら、身体をぐるりと回転させてテアがマリタを庇い、男の狙いは逸れ、テアの背中を一部、切り裂いたらしかった。

「……ったく。こういう風に手がかかるのは嫌いなんだけどな」

言って、苛立たしげに、今度こそテアに止めを刺そうとした男だったが。

「ええまったく、最悪ですよ」

その拳による攻撃は避けきれず、床に倒れ伏した。

「な……っ」

男が驚愕の表情を浮かべた先には、ローゼ・フォン・ブランシュの華麗な立ち姿がある。

いつの間に彼女がこの部屋に入ったのか、マリタはもちろん、男も気付いていなかった。

「この一発で意識を失わないとは、外見に似合わずなかなかの身体ですね」

言いながら、ローゼは足で男を蹴り飛ばし、今度こそ男を失神させる。

「ローゼ、」

「ええ」

目を白黒させるマリタとは裏腹に、ローゼは廊下の方へ合図を送る。

白い制服姿の生徒数名が統率された動きで入ってくると、男の身体を検めて拘束し始めた。

合図を出してローゼはすぐにテアに駆け寄り、止血をする。

「……担架が今、来ます。病院に運びますよ」

「はい。……制服、買い直さないと行けませんね」

「馬鹿、制服どころじゃ……」

泣き出しそうな顔になったローゼだが、何とか堪えて、事務的な報告をした。

「病院に行く前に、言っておきます。少なくとも五名は拘束しました。このまま手筈通りに」

「はい。お願いします」

そこへ、担架がやって来た。

丁寧に乗せられ、運び出される前に、テアは茫然と座り込むしかないマリタに告げる。

「マリタ」

テアはそう、マリタのことを呼んだ。

「早まってはいけません。あなたには、あなたを待っている人がいるのですから」

「……!」

何も返せずに、マリタはただ目を見開く。

ローゼやそれ以外の者たちが部屋を出ていくのも、新しい人間が部屋に入ってくるのも、ただ茫然と見つめるばかりで。

「マリタ・ケーニヒ」

やがて、テアと同じように彼女の本名を呼んだのは、学院長だった。

本当はその名に反応してはいけないのに、マリタはろくに考えることもできず、のろのろと顔を上げる。

「立てるか?」

手を貸され、そのまま立ち上がる。

「来なさい」

言われるのに、逆らうことなど思いつきもしなかった。




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