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夜の灯火  作者: 隠居 彼方
第12楽章
120/135

決着 6



新年度が始まって、あっと言う間に一ヶ月が経った。

既に暦は十月。

放課後、泉の館へ向かうフリッツは、曇り空の下深い溜め息を吐いた。

直後、後ろから声をかけられる。

「またそんな溜め息を吐いて……。まだパートナーの申し込みをできなかったことを気にしていますの?」

「エッダ……」

情けない顔でフリッツは振り返った。

そんな彼に追いついて隣に並んだのは、エッダである。

彼女も泉の館へ向かうつもりなのだ。

昨年度兄が事件を起こして処罰を受けたせいで、フリッツは学院で遠巻きにされるようになってしまった。

サークルにも行き辛く、そんなフリッツにエッダがこう声をかけたのである。

『暇なら学院祭実行委員の仕事を手伝ってくださらない? 人手がいくらあっても足りないくらいですの』

最初は実行委員の面々もフリッツの存在を気にしていたようだったが、エッダの言う通り猫の手も借りたいような忙しさで、むしろ今では手伝いに感謝されていた。

フリッツも普通に接してくれるようになった彼らを有り難く感じていて、毎日のように泉の館へ足を運んでいる。

エッダも生徒会役員として準備に参加していて、彼女とも毎日顔を合わせる日々だ。

「……パートナーのことは、もう、言わないでよ」

フリッツは文句を言ったが、エッダは涼しい顔である。

一ヶ月前、結局テアにパートナーの申し込みができずに終わってしまったフリッツはひどく落ち込んでおり、それを引きずって度々重苦しい溜め息を吐くのが、エッダには鬱陶しく感じられていたのだ。

多少の揶揄は許されるだろう、というのが彼女の意見だった。

ちなみにフリッツは、あの後も変わらずにいてくれている友人とパートナーを組んで、学院祭でも演奏するつもりでいる。

以前と比べれば交友関係は希薄になったけれども、新しい仲間ができ、勉学にも励むことができている。十分に充実した日々を送れている、とフリッツは自分でも思っていて、彼が溜め息を吐いたのは、別の理由からだった。

「……何かさ、最近色んな話が飛び交ってて、落ち着かない……っていうか。何か、力になれることがあればいいのになって、思ったら、つい」

フリッツが何のことを指して言っているのかは明白で、エッダも同意してわずかに瞳を翳らせる。

新年度は穏やかに始まったように思われたが、ライナルトが学外で事故に遭い入院した頃から、生徒たちの間では、四大貴族の対立がまことしやかに囁かれるようになっていた。

いや、学院内に限らない。一般市民の間ではまだそこまで関心は高まっていないが、貴族間でも不穏な噂が次々と口に上っているようである。

「今になって後継者争いみたいなことになるなんて……。ライナルトさんは重傷で退院の時期も未定だって言うし……。ディルクさんは、いつも通りに見えるけど……。平静なわけ、ないよね」

「そう、ですわね……」

「……なんか、ごめん。エッダも……、オイレンベルク家も、今、大変だよね」

ますます眉を下げたフリッツに、エッダは笑ってみせた。

「うちはそこまででもありませんわ。ユスティーネ様はオイレンベルクとも縁のある方ですけれど……、他家と比べれば、直接的に何かあるわけではありませんもの。ただ、これ以上事態が悪化するようなら、四大貴族の一つとして何かしら動かねばならないでしょう。そうなっても、学院にいる限りは、私も政治にはそう関われませんけれど」

そう、今はまだ、噂以上のものは何もないのだ。

ライナルトは怪我を負ったが、それは今のところ事故とされていて、噂のように暗殺があったのかは不明。

他の噂の信憑性も、はっきりあるとは言えない、と言ったところだ。

噂だけが一人歩きしている、という印象が強いが、誰もがひそひそと口にすれば、嘘であってもそういう意識は植え付けられるし、それによって何か起こらないとも限らない。

何事もなければいいと、エッダも思っていた。

四大貴族の均衡は、保たれていなければならないのだから。

「……ライナルトさんも無事に退院できて、噂も早く収束すればいいんだけど。いつもお世話になってるから、こういう時、何かできることがあればなぁ……」

「今やっていることが、あるでしょう」

「へ?」

「学院祭実行委員の仕事です。学院祭を成功させることが、あなたがやるべきこと、あなたにできることですわ。ディルク様たちは元生徒会役員ですから、学院祭は絶対に成功してもらいたいと考えているでしょうし、ディルク様はあれだけのことをやろうとしているのですから」

「そ……う、だよね。ディルクさんはあれ、やるつもりなんだよね。こんな噂の中でも……、」

エッダの言葉に、フリッツはぐっと拳を握った。

「うん、これまで以上に頑張るよ、実行委員の仕事! 絶対成功させなきゃね!」

俄然張り切り出したフリッツに、エッダは笑いを堪え切れない。

単純な男だ、と思う。

けれど、そんなフリッツの笑顔についつい笑みを深くしている自分も、その影響を受けてか、随分と単純になってしまったのかもしれない、とエッダは思った。






「バンゲンハイムの人間に雇われた……、ですか」

「本人はそう信じていたようだ」

その日、授業の空き時間に、ディルクは学院長室に来ていた。

学院長の呼び出しを受けてのことである。

学院内の不穏分子について報告があると、学院長は告げた。

『ハインツ・フォン・ベルナーの一件の際に引っかかっていた生徒で、ハインツの証言から彼とは無関係ということになった者たちがいる。あの時には追及をしなかったが、今回泳がせていたら、どうにも不審な行動をとっていた』

それで捕えてみたところ、それを命じたのはバンゲンハイム家であると、そう告げたらしい。

「具体的にはどんな命令を受けていたのですか」

「監視だ。お前かライナルトが不審な行動をとった際にはすぐに報告するようにと、な。お前も知っていると思う。生徒会活動にもよく協力しているからな」

聞いた名に、ディルクは淡々と、ああ、と頷いた。

「陛下の手足にしては拙いので……、別口だろうとは思っていましたが」

「入学が決まった後に声をかけられたのだそうだから、それも当然だな。しかし何だ、気付いていたのなら言っておいてくれればいいものを」

「確信があったわけではなかったので……」

苦笑した学院長に、ディルクは少し眉を下げて答えた。

「それで、実際のところ、バンゲンハイム家の差し金だったのですか」

「分からん」

簡潔な返答に、ディルクは眉を顰める。

「命じた人間との会話を再現させてみたが、どうやらはっきりとそう聞いたわけではない。ただ、命令の内容と相手の言動からそうだと思っていた、ということだ。定期報告があるというので、罠を張ってみたが……、相手には逃げられた」

「そう……ですか」

落胆したように告げられる。ディルクも思わず、わずかに肩を落としていた。

「その生徒はそのまま、授業にも出席させている。何かあると思うか?」

「いえ、それだけしか知らないのであれば、わざわざ手を出す方が危険です。むしろ彼の誤解を利用しようとしていると考えます。今回も、わざと不審な行動をとらせたのかもしれない」

「そうだな……」

溜め息交じりに頷くと、学院長は引き出しから二枚の用紙を取り出し、ディルクに差し出した。

「現時点での灰色の生徒のリストだ。一枚目が二年生以上、二枚目が新入生のものだが……、心当たりのある名はあるか」

「そう……ですね。二年生以上でしたら、いくつか気になる名があります。新入生は……さすがに、お手上げですが」

「では一枚目のリストは、それを先に当たっていくことにしよう。それ以外も怠りはしないが、なかなか進まんもので、調査に当たっている者たちも焦れていてな」

「それは申し訳ない……とは思いますが、もう少し頑張っていただく他ありません」

「ああ。お前も一応、リストの名を覚えておいてくれ。気がついたことがあれば、報告を」

「はい」

ディルクは頷き、リストの名前を頭に叩き込みながら、一番気になっていたことを尋ねた。

「……ライナルトの容態は、どうですか」

「全身の傷はほとんど治っているそうだ。実際にはもう入院の必要はないようだが……、アウグストはもうしばらく警護の中におくつもりらしい」

「……今のところ、何もないのですね」

「暗殺未遂の証拠もなし、だ。このまま事故で処理されるだろうが、お前は納得していないようだな」

「……そうですね」

だが、ある程度分かっていた結果だ。

ディルクは学院長に気付かれない程度の溜め息を吐き、リストから顔を上げた。

「……ライナルトは学院に戻れそうですか」

「……難しいだろう。本人は、そのことを悲観していないようだが」

「……」

ディルクは目を伏せた。

学院長はどこか探るような気遣うような眼差しで、そんなディルクを見つめる。

「今は、指先のリハビリを進めていると聞いている。……一度くらい、調子を見に、行ってみたらどうだ」

「いえ……。今回ライナルトが狙われたのは、彼がエーベルハルトの皇子である、という以外に、そんな彼が俺の側にいてずっと目障りに感じていたからだ、と思います。その思いを刺激して、再びの危険を招く必要はないでしょう」

淡々と、ディルクは返す。

まだ何か隠し考えていることがあるのではないか、と学院長は勘繰ったが、追究はせずに報告を終えた。

「そうか……。今のところ、こちらから伝えておくことは以上だが……、お前の方は、どうだ」

その質問に、ディルクは苦く笑った。

「そう変わりはありません。俺が自ら動けることは限られていますから……、今は、学院祭に向けての準備を進めるばかりです」

「順調か?」

「一応は」

返すディルクは、今年も学院祭での演奏を考えているのだった。

ただ、演奏は演奏でも、彼が持つのはヴァイオリンではない。

指揮棒だ。

ディルクは、来る学院祭で――己の楽団の初演奏を行おうと、そう考えているのだった。

人数はぎりぎりだが、十分楽しませることのできるメンバーが既に揃って、練習を重ねている。

「ただ……例の噂を鵜呑みにする者もいて……、あれには参ります」

ディルクは先日のことを思い出しながら、告げた。

皇子三人と四大貴族の対立を煽るような噂は急激に広まっている。更には、ディートリヒに関する噂が本当で、ライナルトが事故の怪我からこのまま戻って来られないようならば、ディルクが城に戻って皇帝位につくこともあるのではないか、ということまで囁かれるようになっていた。

ディルクの意思を考慮にいれずとも、そんなことは冷静に考えればほとんどありえないことなのに、そこまで流言の内容が進んでいるのは、目的を持った何者かが意図的にそのような流れに持っていったのだろう。

いずれにせよ、ディルクにとっては心底迷惑な話である。

団員にも誤解されそうになって、あれはあくまでも噂だと繰り返さなければならなかった。

貴族も平民も関係のない楽団、それを掲げるディルクの理想に対し、嘘だったのかと憤慨して、去っていった者もいた。

後援者の数名には、『あなたの音楽が聴けなくなるのは残念ですが……』という言葉と共に、皇族に戻った際にもこの縁を続けていきたいという趣旨のことを言われ、虚しい気持ちを覚えさせられたものである。

それでも、それが全てではなく、ディルクのことを信じてついてきてくれる仲間たちは多くいてくれている。

彼らのためにも、学院祭での演奏を成功させ、噂の払拭に努めなければならないと、ディルクは考えていた。

「それでも、最高の演奏を聴かせてくれるのだろう?」

そんなディルクの心を読み取ったかのように、学院長は笑って問いかけてくる。

それに、ディルクは微笑みを返した。

「……はい」




学院長室を退室したディルクは、一度寮に戻った。

やらなければならないことがあったのだ。

レティーツィアからの手紙へ返事を書く、という気の進まない作業が彼には待っていた。

ライナルト不在の二人部屋で、一人ディルクは憂鬱そうにペンを握る。

レティーツィアの手紙は、返事を送ってしまったせいかあれから頻繁にディルクのもとに届いていた。これまでは返事を書かずに済ませてきたが、最近はそうもいかずに、こうしていちいち文面に悩まされている。

その憂鬱な手紙は、以前と異なり処分することなく証拠の一つとして保管してあって、残されているというだけで気が重く感じる。

証拠といっても、当然のことながら彼女からの手紙は言葉を選んでいて、証拠というには今一つ欠けるのであるが、役目上ディルクにはこれを皇帝に提出しなければならない義務があるので、仕方がないのだ。

早く、終わらせてしまいたい。

――いっそのこと俺を狙ってくれればな……。あの人も、爪が甘い……。

自嘲気味に、ディルクはそう思った。

皇太子という位を得ているディートリヒが、皇族であることを放棄したディルクやライナルトを気にする必要は、本来ない。

しかし現在流れている噂は、即位を前に皇太子が二人の皇子の存在を気にしている、というもので。

先日の会話でもあった通り、その噂の裏側にレティーツィアが関与しているのならば、ディルクにも危害を加えた方が、皇太子を危うい立場に追いやれる。

それをしないのは、実際にはルーデンドルフを計略にかけようとする罠があるからなのか、レティーツィアが道具を大事にし過ぎているのか、いずれかだろうが、確実に後者だとディルクは思っていた。

だが。

――俺は、玉座に座る人形には、ならない。

道具になるのは、耐えられない。

あの人に、国母という称号を与えるために生まれた存在だとは、考えたくない。

進まないペンを握る手に、ディルクは力をこめた。

嫌だと、止めてくれと、こんなにも思いながら書いているのに、伝わらない。

ディルクのことを理解しない、自分の思いだけを押し付けてくるレティーツィアに、ディルクは押し潰されそうだった。

このままでは、蝕まれる、ばかりだ。

早く終わらせなければならない、と思う。

けれど、その、終わりの時。

それが、意味することは……。

――苦しい、

自分の弱さを、ディルクは呪った。

救いを求めるように、目を閉じて、彼の眼裏に映ったのは、先日のテアの微笑み。

"薬"と、ライナルトもローゼもテアのことをそう形容したが、ディルクもそれを否定できない。

テアにとっては迷惑な話だろう。

だが、あの時、背中に回された腕に、ディルクが救われたことは、確かで。

あの温もりを、今もまた、ディルクは求めている。

薬と言っても、麻薬にも近いかもしれないと、ディルクは思った。

そして、ひとつ間違えば、彼女はディルクにとっての劇薬――もっと言えば毒薬にも成り得るだろう。

だから、ディルクはこうして、求める想いを押し込めて、会うのを堪えている。

ディルクがテアの側にいれば、レティーツィアは間違いなく、それを気に入らない。

あの時の二の舞を演じることになるとは、考えたくもない。

もし、テアを、あの日と同じ赤が染めることになれば。

ディルクはその時こそ、躊躇わないだろう。

自らの手で、断罪を、下すことを。

だが、そんな最悪のシナリオが再現されないように。

ディルクはこうして一人きり、甘んじて苦痛を引き受けた。

全てが終われば、あの温もりを手にしても許されるだろうかと、願いながら。




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