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夜の灯火  作者: 隠居 彼方
第3楽章
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憎悪 1



テアとディルクがパートナーとなってから少し。

早速ではあるが、二人は学院祭に向けての練習を開始していた。

シューレ音楽学院の学院祭は、今から二ヶ月後の十一月末に行われる。

学院祭は、普段は閉じられた学院を外部にも開放し、たくさんの出店、イベントが行われる大規模なものだ。

そのイベントの中に、学生たちによるコンサートがある。

屋外、屋内のコンサート、ソロや重奏など、複数のコンサートが開催されるのだが、その中の一つにパートナーでのみ参加できるものがあった。

パートナーの絆を深めるため、普段の練習の成果を発表するために行われるもので、毎年レベルが高いと、学院祭の目玉の一つとなっている。

学院祭実行委員は既にコンサート参加者を募り始めており、二人は早々と参加申し込みを終えていた。

そこで「夜の灯火」を、というのがディルクの希望だったのだ。

そして、その日もディルクは、授業を終えた放課後、ライナルトと共に泉の館へ向かっていた。生徒会の仕事があるのだ。その後に、テアと合流して練習することになっている。

そのことをディルクが伝えると、ライナルトはふと尋ねた。

「テアはあれ以来、物騒なことはないのか?」

それにディルクは、わずかに眉根を寄せる。

「少なくともテアからは聞かない。お前が教えてくれることだけだ」

「私もローゼから聞くばかりだが……」

ディルクとテアがパートナーを組んだ直後、テアはディルクを慕う者たちにパートナーを解消しろと迫られた。

その時はディルクが助けに入って何事もなかったが、生徒たちの反感の発露がそれだけで終わったとは考えにくい。

実際、ローゼはテアに対する嫌がらせをいくつか目撃したようで、ディルクはそれを、ライナルトを通じて知った。

だが、テアは毎日同じようにディルクに笑顔を向けてくれ、何もありません、と穏やかに告げるのだ。

「打ち明けてくれれば、対処のしようもあるのだが……」

「そういう性質なんだろう。ローゼもいつも心配して怒っている。テアは平気な顔をするばかりだと。周りの人間に心配をかけたくないのだろうが……」

「ああ。テアの気持ちも分かる。しかし、今回のような場合は……」

もどかしそうな顔をするディルクに、ライナルトは珍しいな、と思った。

ディルクは誰にでも優しい。それは相手が誰であっても等しくそうだ。悩みを打ち明けられればできる範囲で力になる。相手が過ちを犯せば厳しく叱りもするが、過ちを認めて謝罪をすれば許す。

だが、……いや、平等で公平であるこそ、彼は自分からはそうそう相手に深入りしない。今まではしてこなかった。

しかし、テアに対するディルクの態度はどうだろう――。

――やはり、待ち望んでいた音の持ち主は特別なのか……。初めてのパートナーというのは……。それとも……?

「……だが、まだお前たちはパートナーとなったばかりだろう。そう焦るものではないさ。時を重ねるうちに、テアも少しずつでも本心を語ってくれるだろう」

「……そうだな」

ライナルトの言葉に、ディルクは表情を和らげて頷いた。

確かに、そうだ。パートナーとなってまだ日が浅い。

そのことに改めて思い至り、ディルクは自身を振り返って驚きを禁じ得なかった。

求めていた時間が長かったからか、テアと出会って間もないという感覚が薄いのだ。

だからテアの慣れないうちから、何もかもを求めすぎていたのかもしれない……。

ディルクは反省した。

そうして、ふと視線を向けた先に。

「――テア」

呟きを耳にして、ライナルトも自分たちの行く手前をテアが先行しているのに気付いた。

「噂をすれば、だな」

「そうだな」

頷くディルクの声音が、予想外に優しく響いてライナルトは驚いた。

隣を歩くディルクを見やれば、今までに見たことのないような表情を浮かべている。

「……ディルク……」

「どうした?」

「いや……、何でもない」

ライナルトは首を振った。

ライナルトの驚きに気付かず、ディルクはテアの後ろ姿に視線を向けたままどこか気遣わしげな表情を浮かべる。

「ディルク?」

「ああ……、いや、一度なんでもないところで躓いたのを見て以来、どうもあぶなっかしいような気がするんだ」

「……そうか。それなら、追いついて隣を歩いたらいいじゃないか」

「そうしよう」

ディルクは早足になり、テアに追いついた。

それを更に追いながら、ライナルトは意外な思いとすんなりと受け入れてしまえるような思いが同時に自分の中にあることを感じる。

――ディルクが……。

ふ、とライナルトは笑う。

ディルク本人もいまだ自分の想いには気付いていないようであるが、幼い頃から時を共にしているライナルトには、ディルクの変化は明瞭だった。

テアもディルクのことは尊敬し慕っているようであるし、ここは親友として応援しよう。

並んで立つ二人は揃いの一対のようにも映り、ライナルトはゆっくりとそんな二人に追いついた。






「ディルク様!」

合流した三人で泉の館に向かっていると、後ろから声をかけられ、ディルクは振り返った。続くようにライナルトとテアも立ち止まり、後ろを向く。

「エッダ」

そこに立っていたのは、後ろに付き人を従える、美しい女性だった。

ウェーブのかかった濃紅の髪。琥珀色の瞳が、小さな顔に誂えたように配置されている。白い制服が包み込むのは目を見張るようなプロポーションの肢体だ。

彼女はディルクを認め、最上級の笑顔を浮かべた。

「ごきげんよう、ディルク様。泉の館に向かうところなのでしょう? 私もご一緒して構いませんか?」

「ああ」

ディルクは頷き、初めて見る顔に少し戸惑っているテアに彼女を紹介した。

「テア、彼女はエッダ・フォン・オイレンベルク。ピアノ専攻科の一年で、学院祭の実行委員だ。エッダ……、」

ディルクはテアを紹介しようとしたが、エッダはそれを遮った。

「知っています。テア・ベーレンスさんですよね。ディルク様のパートナーの」

どこか挑戦的な瞳だ。ライナルトはふと眉を顰めた。

「エッダとお呼びください。以後、お見知り置きを……」

エッダは優雅な動作でお辞儀した。

「は、い。よろしく、お願いします……」

テアの声にあまりに覇気がないので、ディルクもライナルトも怪訝な色を瞳に浮かべ、テアにその目を向けた。

そこで二人は同時に目を見開く。

テアは真っ青になり、そこに立ち尽くしていた。

先ほどとは打って変わったテアの顔色は尋常ではなく、ディルクは心配そうにその顔を覗き込んだ。

「テア、どうした? 顔色が悪い、医務室に行った方が……」

「いえ、大丈夫です」

テアは俯きがちに首を振った。

「あの……私、すみません、先に行きます」

ディルクとライナルトが止める間もなく、テアは駆け足で先に行ってしまった。

それを唖然と見送り、残された面々は顔を見合わせる。

「……あの方、具合が?」

怪訝そうなエッダに尋ねられたが、ディルクもライナルトも答えられなかった。






――ディルクとライナルトには悪いことをしてしまった……。きっと驚いたでしょう……。

テアは一目散にピアノを目指し、泉の館のピアノの前に座っていた。

顔色は既に元に戻りつつあるが、涼しい空気に触れて血の気の引いた顔が冷たく感じる。

――エッダ・フォン・オイレンベルク……。学院長先生から聞いていましたが、直接対面することになるなんて……。気付かれてはいなかった、いえ、きっとあの方は私のことなど知らないはず……。

テアは無意識に、ピアノを奏で始めた。

彼女にしては珍しい、激しくも暗い奔流のような曲――「悲劇的ソナタ」だ。

フォン・オイレンベルクは、テアにとって、不吉な姓である。

彼女は生まれた時からずっと、オイレンベルク家に命を狙われ続けてきたからだ。

第三者がそれを聞けば、突拍子もないことと笑ったかもしれないが、事実である。

オイレンベルク家がテアの命を奪おうとしたその理由は、テアの出生にあった。

テアの母は、その名を、カティア・フォン・オイレンベルクという。

テアの母親、カティアは、オイレンベルク家当主の娘であったのだ。

ある時彼女は平民の青年と恋に落ち、やがて子を身籠った。

それが、テアだ。

カティアは子を産むことを決意したが、オイレンベルク家が平民との子を、しかも結婚もしていないのにできた子どもを許すはずがないと、よく分かっていた。

オイレンベルク家は、四大貴族の一つとして名を連ねる名家。

高貴な血筋を誇るオイレンベルクは、きっと腹の子を認めないと、カティアは子どもを守るためにオイレンベルクから逃げ出した。

テアの父である人がオイレンベルクによって抹殺されることを恐れ、愛した人にも何も告げず、カティアは乳飲み子を抱え一人で逃亡生活を始めたのだ。

逃げて逃げて、逃げ続けて。落ち着くことのできない生活だった。

けれどテアは、母がいてくれたから幸せだった。

母はテアを惜しみなく愛してくれたから。

テアもそんな母を慕ってやまなかったから。

だがオイレンベルクは醜聞が世間に出回ることを恐れ、執拗に二人を追った。

そして一度、カティアはオイレンベルクに連れ戻され、テアは殺されかけた。間一髪のところでカティアがテアを庇い、二人はまた逃げて、逃げて――、そこで負傷したカティアとテアを匿ってくれたのが、ローゼやモーリッツだった。

モーリッツの庇護のおかげで、テアは初めて落ち着いた生活を送れるようになった。

「クンストの剣」であるモーリッツには、オイレンベルクもやすやすとは手が出せなかったのだ。

しかし、負傷したカティアは、もともと身体が強くなかったこともあり、床に伏せることが多くなった。

そして、一年前の春、カティアは亡き人となってしまった――。

「あしながおじさん」がテアを見つけてくれたのは、その後の話だ。

「おじさん」に勧められ、テアはこのシューレ音楽学院に入学を果たした。

オイレンベルクに見つかることを恐れたテアに、「おじさん」は心配することはないと言ってくれた。

オイレンベルクがテアに手出しをしないように、手を打つからと。

だから自分の行きたい道を進みなさい、と、「おじさん」は笑った。

――だから私は、こんなにも怯えることはない……。

曲が終わって、深呼吸すれば、ようやくテアは落ち着くことができた。

後でディルクとライナルトに謝ろう、と考えながら、テアはエンジュに出された課題曲の楽譜を取り出す。

練習に熱中することで、彼女はオイレンベルクの影を追い払おうとした。




生徒会役員としての仕事を終えたディルクは、静かにピアノの置かれる部屋に入って行った。

いつもなら気付いて顔を上げるテアは、ピアノに集中していてディルクに気付かない。

テアの顔色が元に戻っているのを見て、ディルクは安堵を覚えた。

先ほどのテアの様子は尋常ではなかったから、心配していたのだ。

やがてテアは鍵盤から手を離し、ディルクに気づいた。

「ディルク……。すみません、気付かなくて、」

「いや……」

ディルクはテアに近づき、もう一度顔色を確認した。

無意識に手を伸ばして、その頬に触れると、テアの顔は上気する。

「良かった。もういつも通りだな」

「……すみませんでした、先ほどは……」

「謝ることはない。だが、具合が悪いなら具合が悪いと言ってくれ。俺は、できうる限りお前の力になりたい」

「ディルク……」

テアは俯いた。

彼にそんなことを言ってもらえる資格が自分にあるのか、と彼女は思う。

母カティアのことを考えるといつもテアは思うのだ。自分はこうして人に大切にしてもらう資格があるのだろうかと。母はいつも優しかった。けれどテアを守ったせいで、母は――。

それでもディルクが懇願するように見つめてくるので、テアははい、と頷いた。

「……先ほどは、『悲劇的ソナタ』を弾いていたな」

「聴こえていましたか」

「ああ。少し意外だったな……、穏やかな音を聴くことの方が多かったから」

「嫌なことを、思い出してしまって……。つい、八つ当たりするように弾いてしまいました……お恥ずかしい」

「いや。お前があんな音も出せるのだと知ることができて、俺は良かったと思っているよ。こういう言い方をされるのは嫌かもしれないが……」

「そんなこと、」

「お前は言葉にしない分、ピアノに思いを乗せるのかな」

「そんな風に言われると、これから弾きづらいですね……。ですが、それは誰でもそうではありませんか?」

「そうだな……。だから俺は、お前の音に惹かれるのだろう……」

「え……、」

テアはしかし、その台詞を追究できなかった。

「それではテア、体調が大丈夫そうなら練習を始めようか。今日はまた、最初から……」

「は、はい。大丈夫です」

ディルクは調弦を終え、ヴァイオリンを構えると、テアに視線を送る。

テアはその合図を受けて、ピアノを奏で始めた。






ディルクのヴァイオリンの音と、テアのピアノの音が漏れ聞こえてくる、泉の館。

学院祭実行委員の会議を終えて退出しようとしたエッダ・フォン・オイレンベルクは、忌々しそうに顔を顰めていた。

「テア・ベーレンス……。ディルク様のパートナー……」

付き人にも聞こえないくらいの密やかな声で、けれど強い想いをこめて彼女は呟く。

「許せませんわ。この私を差し置いて、あの方のパートナーだなんて……」




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