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夜の灯火  作者: 隠居 彼方
第10楽章
103/135

真実 9



"ディルク様、少しお話ししたいことがあるのですが"

その言葉に、ディルクは目を見開いた。

その内容にではない。

出された音が、現在使われている言語ではなく、とても古いものだったからだ。

土曜日である。

学院は休みであったが、ディルクはその日の朝からライナルトと共に泉の館に赴いていた。

毎年一番仕事が少ないこのくらいの時期に生徒会資料の整理をやることになっていて、元執行役員としてその手伝いにというわけである。

何度かやっていることなので手際良く作業を進めていたディルクだが、保存する資料を資料室に片付けている際にそう声を掛けられたのだった。

声をかけてきたのは、現執行役員としてメンバーの中にいたエッダである。

今、資料室の中にはディルクとエッダの二人しかおらず、他の面子は会議室で処分する書類をまとめたりしている。

驚いたディルクだったが、何か理由があるのだろうと同じ言葉で応じた。

"どうした? 何かあったのか?"

"まず、謝罪します。こんな風に突然、申し訳ありません……。実は、私監視されていますの"

血の繋がりがあるからかしらないが、ずばりと切り出したのはテアと同じような文句である。

こんな風にこんな冗談を言う相手ではないと分かっていたから、ディルクはその言葉を疑わず顔を険しくした。

それならば下手に手を休めているよりさりげなく続けたほうがいいだろうと判断して、紙の束に手を伸ばす。

"ずっと見られているわけではありませんけれど……。この会話も誰に聞かれるか分かりませんので、念のためにこうして"

"だが、この学院でそんな……。今は特に警備も増えて、第三者が入りこむ隙はないはずだが"

"それを逆手にとられたのだと思います。監視役はおそらく……警備の中に紛れ込んでいます"

"それは……、"

"生徒の中にも協力者がいると考えています。試験の内容を盗むわけではないですから、唆し方が上手ければ抵抗もより少ないと思いますわ"

"一体誰が"

その問いに、エッダは少しの間をおいて、ほとんど唇を動かさず答える。

"ハインツ・フォン・ベルナー伯爵です"

ディルクは一瞬、手を止めた。

"フリッツの兄、か……。フリッツが今週ずっと授業に出ていないと聞いたが……"

"フリッツは今、その兄上に軟禁されています"

"なんだと?"

ディルクは低く言った。

エッダは生徒会資料の上にフリッツからの手紙を重ね、ディルクに渡す。

"これを"

資料を確認するようなふりで、ディルクはその文面を見やる。

"ベルナー家の侍女がうちの侍女と知り合いで、軟禁の事実を知りましたの。この手紙も、彼女たちの協力で"

"……ここにある『友だち』というのはテアのことなのか……?"

テア、と呼ぶディルクの声に、エッダの胸に痛みが走った。

だが今は、それに気を取られている場合ではない。

"そうだと思います。『パートナーの先輩』というのがディルク様のことでしょう。いえ……、そうです、と私断言しますわ"

きっぱりとエッダは臆することなく続けた。

"実は私、少し前にハインツ卿からの手紙をテアさんにお渡ししています"

ディルクはまた目を見開き、エッダの横顔を見つめる。

"こうして言葉にするのは癪ですけれど、私、脅されましたの。誰にも知られずあの方に手紙を渡すことを、拒むことはできませんでした。ハインツ卿のことを黙っていることも"

"それを見張るための監視か"

"そうです。彼はよほど邪魔をされたくないのだと思います。私に黙秘を強要し、フリッツを閉じ込めて……"

"そこまでしてテアを"

"ええ。どういう風に扱おうとしているかは分かりませんが、これまでのやり方とフリッツの手紙を見れば、良いことだとはとても思えませんわね"

ディルクは持っていた手紙と資料の束をエッダに返した。

"分かった。日曜日、フリッツのもとに行こう"

即断したディルクを、エッダは内心苦く思う。

それに気付かず、ディルクは言った。

"だが……、軟禁されている、ということはフリッツは外に出られないのだろう。大丈夫なのか……"

"考えあってのことでしょう。いざとなれば押し入ってしまえばいいのですわ。それが……、ディルク様に期待されていることだと、思います"

エッダがそう言えば、ディルクは押し黙った。

不快に思われたか、と思ったが、ディルクが浮かべる表情は憂慮のそれである。

"……ディルク、様"

"ああ、すまない。……ありがとう、エッダ"

我に返ったように微笑して礼を言われ、エッダは瞬いた。

"俺にこうして話してしまったことが知られたら、お前とて危ういのだろう。だが、助かった"

"いいえ、そんな"

"後のことは任せてくれ。フリッツも必ず……、この手紙通り、学院に戻れるようにしなくてはな"

そのディルクの笑みが意味深なものに思えて、エッダは思わず顔を顰めていた。

「あの……、ディルク様、何か誤解なさっていません?」

「なんのことだ?」

隠さなければならない話はこれで終わりだと、二人はいつもの言葉に戻った。

「……私、追加の資料を持ってきます」

「いや、俺が行くよ。エッダは続きを頼む」

「……分かりました」

わずかに拗ねたように言えば、ディルクの方がさっとドアの方へ向かう。

それを見送り、エッダは小さく溜め息を吐いた。

詮索をしてこない彼のことが有り難く、恨めしくもあった。

――もっと、言っておくべきことがあったのではないだろうか……。

そう、思う。

だが……。

告げてはいけないような、気がしたのだ。

オイレンベルクと、テア・ベーレンスの関わり。

そして、皇帝陛下はそれを既に知っているのではないかということ……。

何故ならば、彼はもう、ディルク・フォン・シーレではない。

ディルク・アイゲンだから。

その力に頼ろうとしている自分が、そう考えることは矛盾しているのかもしれない。

それでも、エッダはそう思った。

エッダ・フォン・オイレンベルクである自分が言うべきではないと、そう。






親友は急にどうしてしまったのかと、ライナルトは隣を歩きながらディルクをちらりと横目で窺った。

半日で生徒会の仕事を片付け、寮の食堂で遅い昼食を取った後。

二人は自室に戻るところである。

泉の館を辞してからずっと、食事をする間も、ディルクは気難しい表情で黙りこんでいた。

朝はいつも通りだったはずだが、とライナルトは思い返しつつ、軽い調子で口を開く。

「ローゼの真似か?」

「……は、」

考えに没頭していたのか、ディルクの反応は遅い。

「ここのところ、ローゼもそんな風に気難しそうな顔をしている」

「……部屋に戻ったら、その話をしようと思っていた」

ディルクは否定せず、苦笑を見せた。

すぐに二人は部屋まで辿り着き、思い思いの場所に腰を落ち着ける。

「テアか、」

「ああ」

ディルクとローゼの二人が同じように険しい表情を見せるとなれば、心当たりはそればかりである。

ライナルトが言えばディルクは頷き、さきほどエッダに聞いた内容をそのまま話した。

「……そんなことになっていたのか」

「俺も、驚いた。お前からローゼが何だかぴりぴりしているようだとは聞いていたが……」

フリッツが軟禁されている、という事実が二人の気を重くした。

そうするだけのことを、ハインツがテアにしようとしているのだと考えれば、顔も険しくなるというものである。

「先ほどのテアは、いつもと変わらないように見えたが――」

ディルクとライナルトは食堂に入る際に、食事を終えたテアとローゼの二人とすれ違い、短い言葉を交わした。

普段通りの気安い会話で、ライナルトは何の違和も覚えなかったのだが。

「……彼女は、隠すのが上手いからな」

それに、苦くディルクは答える。

ライナルトは同意するように頷いて、単刀直入に尋ねた。

「明日、フリッツのところへ行くのか」

「そのつもりだ」

「それで私はどう動けばいいかな」

当然のようにそう言ってくれる親友は、ディルクにとって何より頼りになる存在だった。

「ローゼに繋ぎをつけるか。おそらく、彼女たちは彼女たちで何かしら策を立てているはずだと思うが」

「必要だとは思うが……。果たして、話してくれるかな」

その台詞に、ライナルトは器用に片方の眉を上げてみせた。

「エッダは脅迫されたと言っていた……。それ以上のことははっきりと言わなかったが、エッダが動かねばならないほどの弱みを握られた、ということだ。テアも同じ手段で攻められているとすれば、そこには知られたくない事実があるのではないか? ローゼが全くお前に何も言わないでいるのも、それがあるからだろう。何より、学院内では監視の目がある」

「……どこよりも安全なはずの学院が、皮肉なことになってしまったな」

「ああ。学院祭の事件以来、テアが赴く場所を中心に警備が厚くなったが、それを上手く利用された形だ。さすが、と言うべきかな」

皮肉っぽくディルクは笑った。

ハインツにはディルクも何度か会ったことがあるし、その噂も聞いている。

彼の手腕は誉められるべきものであろうが、それを今回は一体どのように使うつもりなのか……。

「それでも、どうしても俺たちの手が必要ならば、何かしらあったはずだ」

「それがない、ということは……、自分たちで解決できる手を持っているということか」

「お前には言う必要もないことだが、ローゼはブランシュ家の次期当主だ。今の俺たちより余程頼りになる存在だろう」

「……やけに自虐的だな」

「――陛下の名を使わせてもらうことになるかもしれない」

怪訝そうなライナルトに、ディルクは目を伏せてそう答えた。

「ディルク、それは……」

「少なくとも、フリッツは――エッダも、だな――、それが必要と考えて俺を呼んだのだと思う。俺の生まれだけでも十分だと、彼らは思ったかもしれないが……。俺はそうは思わない。ハインツ卿が噂通りの人物なら、平民となった俺の言葉など歯牙にもかけまい」

「……陛下に、繋ぎを?」

「正確に言えば、陛下の影との繋ぎを頼みたい。その方がスムーズに行く」

ディルクはそう言うと、どこからともなく金のカフスボタンを取り出した。

鷲の意匠のそれが何か、ライナルトは知っていて、目を見開く。

「……まだ、そんなもの、」

「――俺は、お前とは違うからな」

それを、突き放すでもなく、穏やかにディルクは言った。

そのことに、まるで安堵しているかのようだった。

ライナルトは瞬時に理解し、拳を握りしめる。

「これを持って、事情を話せば、陛下は否とは仰らないだろう。学院への侵入を許したという点で報告が必要なことであるし、おそらく陛下はテアのことをご存じだ」

「ロベルト・ベーレンスとの縁で、か」

「コンクールの時も妙に機嫌良く見えた。ロベルト氏がお気に入りだからな、テアもそれに準じるのではないかと思う」

「……ロベルト氏のこと、だけか」

ライナルトは試すようにそれを口にした。

「――ライナルト、」

ディルクは冷たく微笑する。

やはり考えることは同じかと、ライナルトは怯まずにディルクと向き合う。

分かっていて知らないふりを通すと決めているなら、言う必要のないことだ。

ライナルトは己が逸らしかけた話を元に戻した。

「陛下に繋ぎをつけるだけでいいのか?」

「俺は明日フリッツと行動を共にすることになる。その間、テアやローゼたちの動きをさりげなく見守って、臨機応変に動いて欲しい。俺たちが彼女たちの邪魔になるようなら止めてくれて構わないし、いけそうなら彼女たちの助けに」

「分かった」

難しいことをあっさりと注文してくれる、と思いつつもライナルトは頷いた。

「相手の狙いが分からない以上、どうなるか予想がつかない。だからこそ、全体を見渡せて自由に動ける存在が必要になると思う。すまない」

「お前が謝ることはないさ」

ライナルトは首を振る。

それに、ありがとう、とディルクは呟いて、立ち上がった。

「……早速だが、行こう。俺たちがここにいるからには、"彼"も寮にいるはずだ」

ディルクが指し示したのは隣室で、ライナルトは目を見開くこととなった。




ディルクが隣室の部屋をノックすれば、はきはきとした返事があって、ドアが開いた。

隣室も二人部屋だが、休日の昼間、部屋にいたのはその一方だけだったようだ。

ライナルトと同学年のその生徒とは、二人とも特別親しいわけではなかったが、隣人として気安く声をかけあうことはままあった。

「どうしたんですか? 二人揃って」

「確認したいことがあるんだが、少しいいか?」

「構いませんよ」

不思議そうな顔をしながら、彼は二人を部屋に通す。

部屋は少しばかり乱雑な状態で、部屋の持ち主は照れくさそうに笑った。

「散らかっててすみません。それで、確認したいことというと?」

「これはお前のものではないか?」

ディルクは自分のものである金のカフスボタンを取り出して、そう言った。

「……いえ、僕のものはここに持っています」

落ち着いた様子で、その相手はディルクの持つものと同じものを手のひらに置いて示して見せる。

隣人がそういう者だったのだと気付いていなかったライナルトは、舌を巻いた。

――全く、上手く紛れ込んでいるものだ……。

「いつから気付かれていたのですか?」

だが相手も、ディルクが知っていたということを知らなかったようである。

少しだけ改まった言動で、彼は困ったような表情で聞いた。

「入学当初、絶対に紛れ込んでいるだろうと思って、特に同学年の者には注意していたんだ。お前はその中で目についた一人だった」

「……私ひとりではないようですね、気付かれていたのは。さすがです」

相手は感嘆を示したが、ディルクは何の感銘も受けず用件を切り出した。

「早速だが陛下に取り次ぎを頼みたい。会話は聞いていたか?」

「まさか。いくら隣でも、こんな分厚い壁で盗み聞きは無理です。大体そこまでするようにとは命じられておりませんので。……テア・ベーレンス殿の件ですね?」

「知っていたのか」

「はい。陛下もご存じです」

その言葉に、ディルクの纏う雰囲気が一気に深刻さを増した。

それを口にした相手は、その変化に後悔するような表情を一瞬見せたが、続ける。

「……現在、陛下の命で生徒職員警備の者、全てを一から密かに洗い直しています。潜りこまれていたことにしばらく気付かなかったとは、迂闊でした」

「潜りこんだというより、学院の人間を上手く取り込んだのだろう。敵の狙いを知っているか」

「存じません。……本当です。私が聞いているのは、ごく一部の事実のみに限られています」

「信じよう。最初の用件に戻る。陛下に取り次ぎを。名を借りたい」

「……介入するおつもりですか? お言葉ですが、今回、お二人の力は必要ありませんでしょう。我々と『クンストの剣』が既に動いております」

「関係ない。俺は俺で動く」

ディルクの声が冷ややかさを帯びた。

気圧されたように、目の前の相手がほんのわずか後ずさるのを、ライナルトはディルクの隣で見ていた。

ディルクはそんなライナルトに、持っていたカフスボタンを渡す。

「これはこの件が片付くまでライナルトに預けておく。返答が明日になるようならば俺は受け取れない。情報は全てライナルトに寄こしてくれ。陛下の命に背くものでなければ、ライナルトの指示にもできる限り協力してほしい」

否を認めない言葉だった。諦めたように、目の前の彼は頷いた。

「……仕方がありません、了承しました。――しかし、お二人は一体どこでこの件についてお知りになったのですか」

「仲間にでも聞くといい。俺たちは戻る」

取り付く島もないようなディルクの返答だった。

ディルクが背を向けた先で、皇帝の間諜が肩を竦める。

それを見てしまってから、ライナルトはディルクに続いて部屋を出た。

「――ディルク、」

また部屋に戻って、ライナルトは呼びかけた。

それに答えるのでもなく、ディルクは背を向けたままこう告げる。

「ライナルト、もう一つ頼みたいことがある」

「……なんだ?」

「俺が冷静な視点を失っていたら指摘してくれ。もしもの時は殴ってでも正気に返らせてくれると有り難い」

「ディルク……」

内心ではきっと、ディルクは激情を抑え込んでいるに違いないと分かっていたが、ライナルトの想像以上にディルクは溢れる怒りを持て余しているのかもしれないと、ライナルトは今ようやく、気付いた。

「フリッツの兄だと分かっていても、ともすれば俺は……」

「分かった」

その先を言わせず、ライナルトは遮るように承知した。

エッダが脅され、フリッツが軟禁されている。

仲間が傷つけられていることに、ディルクが怒りを見せるのも無理はない。

その上、皇帝が、「クンストの剣」が動いている。

その中心にいるのが、テアであるのならば。

いまだディルクが冷静さを保持しているのが、不思議なくらいだった。

誰よりも傷つけられるような場所にテアがいると知って、平静でいられるはずがないのだ。

最悪の事態にならないようにと思いながら、もう一度ライナルトは「分かった」と言った。




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