中世から来た魔女は、ひとりぼっち。――2
リビングダイニングの棚から救急箱を引っ張りだし、俺は風呂から上がったエリーの、傷の手当てをしていた。
エリーはグレーのティーシャツに着替えている。一七七センチの俺のティーシャツは、一五〇センチくらいと思われるエリーには大きすぎて、ワンピースみたいになっていた。
『――痛っ!』
『しみるか、エリー』
消毒の痛みにビクつき、エリーが腕を引っ込める。
『痛いよ、ヨーイチ! やめて!』
『悪いが我慢してくれ。消毒しないと病気になるかもしれないから』
『……ヨーイチは味方だよね? 異端審問官じゃないよね?』
『異端審問官? それがなにかはわからないが、誓って俺は味方だ』
俺はできるだけ穏やかな声でエリーに答えた。
涙に潤んだ瞳で、エリーが不安そうに見つめてきた。俺はエリーから目を逸らさず、『大丈夫。俺は味方だ』と繰り返す。
エリーがギュッと唇を引き結び、恐る恐る腕を出した。
『……わたし、我慢する』
『偉い子だ』
エタノールを染みこませたガーゼで擦り傷を消毒する。エリーは顔をしかめるが、ギュッと目をつむって我慢していた。
消毒を終えた傷口にガーゼを当て、テープで留める。
手当てをしながら、俺はエリーを観察した。
見るからに健康状態が悪いな。
風呂上がりにもかかわらず、エリーの髪はパサパサで、肌のあちこちが荒れている。体の肉付きは乏しく、顔色も悪い。年齢の割に小柄なことも含めると、栄養失調の可能性も考えられる。
これだけ傷ついているし、虐待されたのかもしれない。だとしたら、児童相談所への通報も視野に入れておくべきだろう。
『よし、これで終わりだ。よく我慢したな』
顔のあざの手当てを終え、俺はエリーの頭を優しく撫でる。『……うん』と、エリーが小さく頷いた。
ソファに腰掛けて見守っていた悠莉に、俺は声をかける。
「手当ては終わりだ」
「じゃあ、先輩」
「ああ。事情を聞くか」
俺は改めてエリーと目を合わせた。
『エリー。きみはどうしてあの裏路地にいたんだ?』
『……わからないの』
『わからない?』
『どうしてあそこにいたのか、わからない』
俺は眉根を寄せる。
『じゃあ、どうしてこんなにも傷だらけになっているんだ?』
『それは……』
エリーが言い淀んだ。
『よければ教えてくれないか? 俺たちに、助けられることがあるかもしれない』
エリーが黙り込み、リビングダイニングに沈黙が満ちた。
俺はエリーの返事を辛抱強く待つ。
エリーは身を守るように自分の体をかき抱き、震える唇を開いた。
『……異端審問官に、殺されそうになったから』
予想外の答えに、俺は絶句する。
「せ、先輩、どうしたんですか? 顔が真っ青ですよ? エリーちゃん、なんて言ってるんですか?」
「どうして裏路地にいたのかはわからない。傷を負ったのは……誰かに殺されそうになったかららしい」
「殺され……!?」
悠莉が瞠目した。
悠莉が驚くのも無理はない。俺も動転している。エリーが抱える事情は相当重いようだ。
言葉を失う俺たちに、眉を下げた心配そうな顔つきで、エリーが尋ねてくる。
『ねえ、ヨーイチ、ユーリ。ここはどこなの? 夜なのに明るいし、見たことない建物ばかりだし、道を走っているのも馬車じゃないし……こんなとこ、わたし、知らないよ』
エリーの問いを聞いて、俺は思い出す。
そういえば、この部屋に来るまでのあいだ、エリーはひどく困惑していたな。キョロキョロと辺りを見回していたし、車が走っているのを目にしたときは、悲鳴を上げていたし。
傷を負って警戒心が強まっているのだろうと思っていたが、エリーの話を聞く限り、はじめて目にするものに驚いていたようだ。
疑問がますます膨らむ。
エリーは発展の遅れた場所で暮らしていたのか?
『エリーはどこで暮らしていたんだ?』
『サントルだよ』
『サントル!? フランスの!?』
俺は思わず聞き返した。
サントルはフランスの地域だ。当然、フランスの文明レベルは水準以上。
頭がこんがらがって、俺はポツリと呟いた。
『この二一世紀に、サントルの発展が遅れてるはずがない……どうなってるんだ?』
そのときだった。
『二一世紀? いまは一五世紀でしょう?』
『……は?』
キョトンとした顔で、エリーがそう言ったのは。
いまは一五世紀? エリーはなにを言ってるんだ? もしかして、殺されそうになったショックで混乱しているのか?
わけがわからない。俺はガシガシと頭を掻きむしる。
――――いや、待て。
ふと、ある可能性が閃いた。
……ヨーイチは味方だよね? 異端審問官じゃないよね?
……異端審問官に、殺されそうになったから。
エリーが口にしていた『異端審問官』という単語。『殺されそうになった』状況。そして、エリーが暮らしていたのは『一五世紀のフランス』。
常識的に考えてあり得ない。だが、俺はすでに体験している。真っ黒な腕に襲われるという、常識的に考えてあり得ない体験を。
だとしたら、俺が思いついたこの突拍子もない考えも、あり得るんじゃないか?
震える声で、俺は確かめる。
『なあ、エリー? もしかして、きみは「魔女狩り」に遭ったんじゃないか?』
魔女狩り――中世ヨーロッパで起きた、史上最悪の大迫害。
『なあ、エリー? もしかして、きみは――』
『一五世紀フランスの、魔女なんじゃないか?』
自分でもバカバカしいことを訊いていると思う。鼻で笑われても仕方ない、中二病めいた発想だ。
しかし、
『……うん。そうだよ』
エリーは怖々としながら、それでも確かに頷いた。




