第三話
食卓についても彼女は呆然としたまま食事に手を付けようとしなかった。
昼間の会話が頭を過ぎる。龍谷。そこに行けば何かがわかると何者かは言った。聞いたことのある地名だったが、鮮明には思い出せない。うんうんと唸っていると「どうしたんですか、花梨さん」と彼から声が飛んでくる。
「うんうん、何でもないの。早く食べちゃいましょ」
「でも花梨さん、顔色悪いですし、無理しない方が」そう言う彼の顔には心配の二文字が浮かんでいた。
「大丈夫大丈夫! 弟子くんは何も心配しなくていいんだから。ほら早く食べよ」
彼女に即され納得がいっていないながらも彼も彼女と同様に食べ始める。食器の中のスープは既に冷めていた。
━━翌日、今日はちょっと遠くに行こうと思っているのと彼女は彼に伝えた。
「そうなんですね。今日中に帰ってこれますか?」
「どうかな。私にも分からない」
「えぇ、そんなぁ」あからさまに残念がる彼の頭をくしゃくしゃと撫でる。
「お留守番よろしくね!」
そう言って、箒に跨った彼女は颯爽と青空へ飛び立っていった。
「はぁ、今日も行っちゃったなぁ。僕は変わらず留守番ですか…」
僕の知らないところで花梨さんは一体全体何をしているのだろうと彼は考える。空だって飛べる人だ。きっと僕の考えの及ばないようなことをしているに違いない、そう思うのだけど、やはり心配ではある。
昨日顔色が悪かったのもそうだし、何か隠しているに違いない。そうは思うものの彼は箒に乗ることもできなければ、魔法も使えない。彼女の為に何かできないかと考えても、宙を掴むばかりだ。
『やぁ少年!』後ろから唐突に声がかけられ、前のめりに倒れ込む。
「いったぁ…だ、誰ですか?」
「ふっふーん、私が誰かってー? よくぞ聞いてくれました! 花梨の親友、蓮ちゃんです! 以後よろしく!
蓮ちゃんと名乗った女性は、清々しい青みがかった服を着た女性だった。魔女の帽子を被っていることから、彼女も花梨さんと同じ魔女なのだろうと推察できた。
「それで、その蓮ちゃんさんが何の御用ですか? 今、花梨さんは外出中なんですが」
「そりゃあもちろん知ってますとも! だから出てきたんだからね。ちなみに僕くんの名前はなんて言うのかな?」
「僕ですか? 僕は四季といいます。花梨さんが名付けてくれました。名前では呼んでくれませんが……」
「ほうほう、四季くんか。花梨も中々いい名前をつけるね。ところで四季君、何か困っているんじゃないかい?」
「え、それはどういうことですか?」
「さっき、何か困り顔だったからさ。花梨のことで何か悩んでるんじゃないの?」
図星を突かれ四季は言い淀む。
「困っているというか、花梨さんは僕に何も教えてくれないので……いつも一人で出掛けていって。今日なんて、遠くに行くからって……単純に心配なんです」
「なるほどねぇ。仮にも弟子を心配させるなんて、困った師匠だねぇ。……そういえば四季くんってさ、ここ以外の場所には行ったことあるのかい?」
そう問われ、四季は首を横に振る。
「いえ、花梨さんから、遠くに行っちゃ駄目と言われているので。それに箒にも乗れないですし」そう言って照れ臭そうに頭を掻く。
「ふーん、じゃあ外の世界見せてあげよっか?」
「え……」
「特別!」
━━箒に乗るのは初めてのことで、こんなに風が気持ちいいと思ったのも、初めてだった。四季は今、蓮に抱きつくように箒の後ろに乗っている。
眼下に見える草花をこんなに青く感じたのも初めてだ。初めて尽くしの経験に四季は胸を躍らせていた。
「四季くん、怖くない?」
「はい、大丈夫です!」
「そっか。でもこの先怖くなるかも」
「?」言葉を返す前に、蓮の箒は速度を上げるのだった。
━━眼下に広がるのは灰色と化した地面だった。
先程までの青の世界とは、まるで真逆の色の無い世界だった。
目に映る情報を脳内で処理しきれずにいると、
「酷いもんでしょ。これが今の世界。ずーと先までこんな灰色が続いてるんだよ、想像できる?」
蓮はそう言って振り返り、四季の表情を伺う。
「これって……でもさっきまで僕たちが居た場所はっ」
「あそこは、なんて言ったらいいのかなぁ。箱庭みたいなものかな。元々あった世界に、新しい世界を構築した、みたいな?」
「箱庭……蓮さん、あなたは一体何者なんですか?」
「さっきも言った通り、私は花梨の親友。そして、この世界を元に戻したいなって思ってる魔女。まぁ、まだ君たちの味方かな」
そう言って蓮は微笑んでみせた。
「……蓮さんと会ったのも、こんな世界を知ったのも、全部が急すぎて、正直理解できていません」
「今はそれでいいよ。どちらかと言うと、君は被害者みたいなものなんだから。全部を知って、落とし前をつけないといけないのは花梨のほうなんだから」
「花梨さんのほう?」
「そう、花梨はね、私たち魔法使いたちの間で、大災厄の魔女と呼ばれているの」
第三話です。
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