幕間の物語〜夢鏡〜①
※
深い眠りの最中、俺は自身が夢を見ている事に気付いた。
明晰夢…。
今では既に記憶から失われてしまった世界の、その中に生きていた頃の夢だ。
記憶を失っているはずなのにはっきりとそう認識できる。だからこそ夢なのかも知れない。
懐かしい景色、馴染みの店、職場の同僚や友人達の顔…。
これが現実だったら良かったのに…
そうではないことを俺は知っている。
何故かはわからないが、これが夢の中で、現実の自分はあの木造の建物で粗末な寝台の上に眠っている事を…。どれだけこの世界に戻りたいと願ってもそれが叶わぬ事だと知ってしまっている。
なぜこんな夢を…。いっそ、思い出す事が無ければ幸せだったかも知れないのに…。
かつて過ごした、発達した文明の記憶や経験を持ったまま、それよりも遙かに劣る異世界での生活は不自由というより困難だろうと思える。
目の前を過ごした日々の思い出が景色のように通り過ぎる中、そんな風に考えていたら、唐突に暗転して場面が切り替わった。
気づくと古くからの友人の顔が、こちらを覗き込んでいた
「おい…!どうしたんよ!急にぼーっとしやがって…」
「おぉ…、わりぃ!ちーっと寝てたみてぇ!」
俺の口が喋っているのに、そこに俺の意思は無く、なのに会話が進んでいく不思議な現象。
あー…なんだ。まだ夢の中なのか。
「まーったく…。〇〇君は仕方ないですねぇ…」
は?お前だって相当酔っ払ってるだろうが…!
なんて思っても、こっちの声は届かないんだろうが…。
そして、俺はこいつが確かに俺の名を呼んだはずだとういうことに思い及んだ。砂嵐が被さったような、ノイズにかき消されたような、そんな邪魔のせいで聞き漏らしてしまったが…。そんな俺の後悔しても知らず、夢の中の俺は相変わらず酩酊状態で尚、酒を口に運び談笑を続けている。
あいつ、なんて言ったんだろうな…。っていうか、こいつの名前もなんだっけ…?
勝手に酒を呑み、喋り続ける自分を尻目に通い詰めた懐かしい呑み屋をしばし眺める。
何処にでもあるチェーン展開の大衆居酒屋。そのくせ豊富なメニューと安い料金設定で広く愛されている。
懐かしいな…。こいつともよく来たけど、他の奴らとも、集まるって言えばここだったっけ…。
「おい、ところでよう…」
記憶の中で感傷に浸っていたのに、呂律の怪しい友人の声に意識を引き戻された。
店の入り口付近、女性二人組の方を指差している。
「あっちも二人だし、ちょっと声かけてみねぇか?」
「おいおいおい…冴えてるじゃねぇか!」
二つ返事で俺は応じて、自分のグラスを持って女性客の席へと向かう。
いやいやいや、まてって!おい!お前も止めろ!
友人はそれを満足そうに眺めながら煽っている。
俺の接近に早々に気付いていた女性客達は、警戒心を露わにし、睨みつけてきた。
今の俺にはただことの成り行きを見守ることしか出来ない。
「ねぇねぇ!」
「…なんですか…?」
「いーじゃんそんなに警戒しないでさぁ!」
「席に戻ってくださいよ」
「なーんでぇ!?女の子だけじゃ寂しいでしょ!こっちも男二人で寂しいからさぁ…一緒に呑もうよー!おじさん達がご馳走しちゃうよー?」
「結構です。こちらは楽しんでますから」
ほら、はっきり拒否されてるんだから、そんなしつこくすんなって…。
俺の願い空く、俺は女性客の間に顔を突っ込んでその肩に両腕を乗せて抱き寄せるようにした。
はい…。終わった…。
「ちょっと…!やめてって言ってんじゃん!」
押し返された俺が、その勢いでバランスを崩し、床に尻餅を突いた。
友人は俺の醜態を見てゲラゲラ腹を抱えている。
俺が恥をかいた、と逆上して叫び、再び女性客達へ絡もうと立ち上がった所へ男性店員が駆けつけた。
「何かありましたか!?」
「いやいや!なんでもないんですよー!」
女性客が口を開くよりも早くそう答えて店員を追い返した。その場を離れながら、再び女性客の方を振り返り、恨み言をブツクサと呟いて席に戻った。
「ちっ!奢ってやるってのによぉ!なんだよブース!」
席についても俺はなお悪態をついた。その正面では友人が膝を叩いて喜んでいる。
なんて…醜い…。
だが俺は知っている。これが第三者によって改竄された偽りの記憶では無く、全て自身で選んだ行動だということを。
酒に呑まれていたとは言え…だ…。
後悔した所で、それが無かった事にはならない。
その後も友人と談笑を続け、件の女性客二人が怒り心頭のまま店を出ていった事にさえ気付いていなかった。当然、他の客が迷惑そうにこちらを見ている事にさえ気付いていない。
だからと言って今更この状況を変えることもできない…。
何一つ思い通りにならない自分の体の中で、ただ苦い記憶をなぞるだけ、という拷問のような状況から早く逃げ出せるよう、俺は意図的に目覚めるよう努めた。
そして再びの暗転。
急激に意識が重たく落ちこんで行く…。
俺は再び更なる眠りへと向かう事を意識を手放す最中で感じた。
※
目が覚めると、見慣れない景色が広がっていた。簡素な部屋、粗末な寝台。しばらくの間、そこがシャーマに案内された部屋の中で、昨日喜んで飛び込んだ木製の寝台の上だった事を思い出せずにいた。
体に纏わり付く汗が気持ち悪く、なんとも最悪の目覚めだ。
何か、とても嫌な夢を見た…気がする。
体中の汗と不快感がそれを物語っているのに、どんな夢だったか全く思い出せない…。
とにかく…最悪な夢だった…
「まあ、いい…。それよりも…」
腹が減ったな…
部屋の中はまるで深夜のように暗い。
どのくらい眠ってた…?
小さな窓から差し込む僅かな光を頼りに、寝床を抜け出した。
シャーマが食事の支度をしてくれると言っていたっけ…。
さっき目が覚めてから、休むまも無く腹は鳴り続け、食べ物を催促してくる。
俺はそれを宥めるようにさすりながら、妙に気怠い体を引きずるように宿を後にした。
もう少しの辛抱だ…。だから少しその音を止めてくれ…。