初勝利!そして出会い…
脳裏に浮んだその言葉がどんな結果をもたらすのか、思案を巡らす余裕すら無かった。ただぼんやりと浮かんだ印象をそのままに、無我夢中で叫んでいた。
「【ファイヤ・ウォール】!!!!」
ゴオオオオオオオオー…!!!
「グギャァァァァァ…!!!」
口にした瞬間、眼前に迫った怪鳥の口元を目掛け、燃え盛る紅蓮の炎が立ち昇り、炎の壁が現れた。
「う、わぁぁぁ…!!!!?」
あまりの勢いにたじろぎ、反射的に身を護ろうと構えた。が、何かおかしい。
あれ…?熱く…ない…
鼻先を掠めたのにも関わらず火傷一つない。
「え…?」
「グゥ…ギャギャ…ーァァ…」
不思議な現象が重なったせいで一瞬呆けかけたが、不意に聞こえた怪鳥の断末魔に、置かれた状況を思いだし、咄嗟に後ろに飛び退り距離を取った。
視野が広くなったことで漸く俺は自分の行動の結果を把握することができた。
俺の頭に喰らいつこうと大きく嘴を開いた怪鳥は、突如下方から巻き起こった炎の壁を回避する事が出来なかった。
怪鳥の口元辺り目掛けて発生した炎壁は、首と体を遮断するように燃え盛り、聳え立ちながらも、怪鳥の体へと燃え移り、効果の範囲を広げた。
壁から逃れようと怪鳥がもがき苦しんだためにか、地面には俺の肩と同じ様な溝が、もっと深く刻まれていた。足跡の類がここにしかないという事は、抵抗虚しく一歩も動けなかった…と言う事か。
俺が気づいた時、既に怪鳥は黒こげになっていた。それほど時間を掛けずに怪鳥の全身を飲み込んだ炎は、獲物を焼き尽くした後、まるで全ては幻だったと言わんばかりに、跡形も無く消え去っていった。
「……」
周囲にも焼跡一つ見当たらず、炭となった怪鳥が、辛うじてそうとわかる形を残して横たわっているおかげで、たった今、実際に目の前で起こったことを事実として認識出来る。とにかく…
「…助かっ…たぁー…」
危機を脱した事の喜び、度重なる現実離れした出来事。そして…
「魔法…使えたよ、俺…」
手にした強大な力の余韻が、改めてここが異世界なのだ、と言う実感に変わる。
「ひゃっh…いっ痛…ったァァァァァ!!!????」
あまりの嬉しさに両手をあげようとした所で、肩口に走る激痛が熱を持って襲いかかってきた。
忘れてた…これ…ヤバイやつだった…
反射的に怪鳥が最後の抵抗で地面に刻んだ痕跡と自分の肩とを見比べる。流石にそこまで深くはないだろうけど…。
よせばいいのに、傷の程度を想像して寒気が走った。無事な方の手で傷口を軽く触ってみる。
「!@#$%%^!!!」
何だこれ…。何でこんな血出てるの…?あれこれ俺今度こそ死ぬ?
あまりの痛さと出血の衝撃にその場を転げ回り声にならない声を上げる。変に冷静にな頭は落ち着いて自分の死を他人事の様に予測する。
傷の痛みに疲労も加わってそのまま意識がぼんやりしてくるのを感じた。
ああ…これは…も…う…だめ…かも…
「おい…。おい…!大丈夫か?」
激しく体を揺さぶられる感触…。それに声がうるさい。誰だ?
まだ纏わり付く微睡みの中、なんとか声の主に焦点を合わせようと試みたが、上手く行かない。返事をしようにも、酷く痛む喉では発声するのも億劫だ。
「み……みず…のみ…てぇ…」
だめだ、これが限界。再び意識が遠のいていく。
「みず?水だな!」
不意に口元にひんやりとした感触が伝う。
ん……!?こ、これは…!
少量が口中に入り込んだ分を何とか呑み下す。張り付いていた喉が湿気に剥がれていくのを感じる。再び少量流れ込んだ分で口中全体を湿らせると、少し意識がはっきりしてきた。
み、水…もっと…!どこだ…!
目を開けるのはまだ少し辛い。手探りで水の供給元を探すと、自分の顔近くに袋のような物を感じてそれを手に握った。
わっぷ…!!ゴホッ!ゴホ!
勢いよく流れ込んだ水に溺れそうになって咽せた。
「お、おい!大丈夫か…!?」
ごめん、今答える余裕ない。水の入った入物を受け取って、今度は自分の意思で水を含み、少量ずつ慎重に喉へ送り込んだ。
喉が潤ったおかげで漸く目を開けて見る気になれた。ゆっくりと開いて見ると、こちらを覗き込むようにして見守る視線に気付いた。
「うわっ!」
「な、何だ?どうした?」
目があった事に驚き、思わず声をあげたのだが、こちらの声に驚いたのか、視線の主はバタバタと慌て出した。
「申し…訳な…い。大丈…夫…です」
剥がれたての喉はなんと喋りづらい事か…。それでもどうにかそれだけ伝えると、相手は少し落ち着いたのか、心配そうな視線だけを投げかけてくる。
漸く目も光に慣れてきたおかげで、何とか窮地を救ってくれた相手に焦点を合わせる事が出来た。
「ありがとう…。おかげで助かり…まし…」
自分の傍に膝をついているその人物は、美しく流れるような銀の髪をたなびかせていた。俺の位置からはどれ程長いのかははっきり分からないが、見えている部分だけでも相当に長い。
心配そうにこちらを見つめて逸れない瞳は、碧が陽を反射して幻想的に輝いていた。
「……?」
容姿に見惚れてしまったせいで言葉が途中で詰まってしまった。怪訝そうにこっちを見返してくるその表情もまた美しい。高く整った鼻筋、薄い唇はすっきりとした輪郭にバランスよく配置されている。その中で際立って特徴的な真横に伸びた長い耳。
「…“エルフ“…?」
「……?」
物語によく出てくる様な特徴の耳を持つ種族の名前を口にだしたが、何の反応も得られない。代わりに訳がわからない、と言わんばかりの表情が返ってきた。それもまた(以下略)
「痛…っ…!」
唐突に蘇る肩口の痛みに堪らず顔を歪めた。
「肩が…」
咄嗟に傷口に触れようと手を伸ばすと、動くな、と静止された。
「肩の傷か…。ちと深いな…。今、手当をしてやる。じっとしていろ」
そう言って、耳の長い人物が傷口に手を翳す。
何をされるのか気が気ではないが、特に拒む理由もないので言われた通りに大人しくする。
「癒しの風よ…」
そう呟くと同時に、肩に触れた手から、仄かな温もりが広がっていく。
一瞬のうちに痛みが痒みに変わり、次の瞬間にはそれさえも無くなった。
「…!?」
手が退けられると、すっかり傷口は塞がり、その跡さえも無くなっていた。
「おぉ…!」
異世界なのだ、と認めてしまえば、呪文の一つ二つ、不思議ではない事は分かっている。とは言え、実際に体験して興奮してしまうのは仕方のない事だろう、と言う感情を込めて、再三に渡って訝しげに見つめてくる長耳の人物に視線を返しておく。おまけに笑顔もつけとけ。
長耳の人物は俺の笑顔を見るなり気まずそうに視線を逸らして立ち上がった。
肩の傷口はきれいに直っていた。ついでにほんの少し体力も回復している気がする。
試しに体を起こして立ち上がってみると、なんの苦もなく体を動かせた。
「お…おお…!ありがとうございます!助かりました!」
つい大きな声が出てしまった…。でもまあ、仕方ない。
長耳の人物が膝を払ってこちらに向き直る。こうして立って並んでみると、随分背も高くスタイルもいい…。そしてやはり相当髪が長くて綺麗だ…。
「いやいや。間に合って良かった」
ん…?声はちょっと低いか…?
身に付けた防具のせいで極端に凹凸のない体型も、中途半端な声の低さも、性別の判断がつきづらい。整った顔立ちには皺一つないことから、相当若く見える…が実年齢はどんな物だろう…?この手の種族は長命と相場が決まっているしな…。
「なんだ…?他に痛む所あるのか…?」
…!?
流石にまじまじと見つめ過ぎたか?碧の宝石の様な瞳が真っ直ぐに見つめ返してくる。
やめて。美形にそんな見つめられると照れる。慌てて手を振って問題ない、と答えた。
しかし、あの長い耳…。絶対“エルフ“だよな…?
さっきは反応がなかったが、改めて見てもそうとしか思えない。おそらくっ前世の俺は“エルフ“が大好きだったんじゃないかってくらい、空っぽになった記憶には、それらが出てくる作品が湧き出てくる。そんな俺の目の前に“生エルフ“…。これは確認せずにはおれまい…。
意を決して尋ねてみる。
「えっと…そちらの種族は“エルフ“ですか?」
頼む…!そうだと言ってくれ!
意味のない懇願混じりの眼で答えを待つ。
「さっきも言っていたが…、それは何だ?」
違った…。しかも、さっきのも聞こえてた…。
不思議な物をみる様にこちらを見つめてくる整った顔に、思わず視線を外す。
「あ、いや…なんでもないです…」
「ふーん…」
いや、我ながら怪しいな、これ…。大丈夫かな…?折角住人と会えたのに不審がられて見捨てられないか…?
そんな俺の心配をよそに、長耳の人物は、ところで、と後ろを振り返り、一本の木を指差した。
「あの木を目印にして、少し奥に入った所に我らの里の入り口があるのだが…そっちさえ良ければ、そこまで案内しようか?こんな所を彷徨っているくらいだ。何か事情があるのだろうが、もう陽も暮れる…」
そうなると、この辺りの森はいっそう危険になるぞ、と言って振り返った顔にはこちらを試すような微笑が浮かんでみえた。
まじか…。
今日はもう正直、いろいろありすぎて、心身ともに限界を感じていた。今日初めてこの地に降り立った身としては、その提案は何よりも求めていた物だった。右も左もわからない世界で、食事と寝床にありつけるのならどこにでもついていきたい気分だ。
「是非、お願いします!」
即座に答える俺に、あいよ、と素っ気なく返事をしてさっさと向きを替えて歩き出した。
すらりと伸びた長い足は見た目よりも力強く、足場の悪い道でも平然と進んでいく後ろ姿に離されないように、何度も転びそうになりながらついていく。
ぜぇー…ぜぇー…
「おーい。大丈夫かー?」
気遣うつもりが感じられないその言葉には片手を上げて、形だけは大丈夫だ、と答えておく。
幾らも歩いていないのにも関わらず、俺の体は悲鳴をあげ、鼓動が忙しなく胸を叩いて息が切れる。時折立ち止まっては今の様に振り返って声をかけてくれるが、手を挙げて応えればすぐに向き直って慣れた足取りで奥へと進んでしまう。
くそ…!ちょっとくらい手を貸してくれたっていいだろうに…!
徐々に距離の空く背中にそうして恨み言の一つ二つをぶつけてみるがしかし、徐々に落ちゆく陽光を背負って、赤く染まり始めた緑の中をかき分けて歩く姿は、なんて美しく見えるのだろう。銀の長い髪が揺れるたび、光を跳ね返して輝き、見惚れてつい足を止めてしまう。
「おーい、もう少し急がないと、本当に陽が暮れるぞー」
気付けば二人の間にはまた随分と距離が開いていた。
これでも俺は必死に足を動かしてはいたが、何ぶん、不慣れな靴、不慣れな道では思うように歩けない。
俺にもそんだけ長い手足があれば歩くのも楽だったろうね!
自分の手足を見比べて、口の中で密かに理不尽な毒を吐く。
「なんか言ったかー?」
!!!!???
「な、なんでもない!!」
び、びっっくりしたぁー!まさかあんな小さな呟きがあんな所まで届くとは…。俺はうっかり迂闊なことを口に出さない様に、とにかく懸命に足を動かす事に専念した。
やっとの事で追いついた俺を、呆れた顔の耳長の人物が、見つめてきた。
「ほんとに、何であんな所にいたのかね…」
溜息混じりの呟き…。その答えを俺は知らない。そもそもこっちが聞きたい。不満を顔に浮かべた俺に耳長の人物が、一歩近づいてきた。なぜか俺の胸はどきり、と跳ねる。
「そういえば…」
な、何!?何かした!?後ろから色々まじまじ見てたのバレたかな?
「あんた、名前は?俺は《リーティア》と言う」
この世界の事を知らないから名を聞いてもそれだけじゃ男か女か判らないな…。ん?待てよ、今『俺』って言ったよな?て、事は…なんだよ!男かよ!
「どうかしたか?」
「い、いや!いい名前だな!」
「…はぁ…?どうも…?んで、そっちは?」
しまった…どう答えよう…。俺は自分の名前すら思い出せずにいる。そんな人間があんな何もない所を1人で、しかも大怪我を負って倒れてたとか、怪しすぎる…。
「おい?どうした…?」
リーティアの碧の瞳が鋭く光って、俺を責める様に見えた。
ええい!どうにでもなれ!
「実は…わからない…んだ…」
「わからない…?」
リーティアの表情は不審な物を見る様でも、俺を心配している様でもあった。
俺は思い切って、リーティアに出会うまでの経緯を掻い摘んで説明した。その間リーティアは黙って何かを考えるようにして話を聞いていた。時々、はぁ?とか、ほうほう、とか言いながら…。
全てを話終わると、なるほどね、とだけ言ってリーティアはまた歩き出した。
え?それだけ?もっとなんか慰めの言葉とか…
「まぁ、取り敢えず、村に行って長に会ってみようか」
いくぞー!と、何もなかったかの様にリーティアはそのまま奥へと進んでいってしまうので、仕方なく俺もさっきまでと同じ様にその後ろについていく。なんとなくモヤモヤしながら…。
しかし…綺麗な後ろ姿してるなぁ…
男性とは思えないほど、線の細い背中は、無骨な装備の下の柔らかさを容易に想像させる。その背中を追っている間中、後ろ暗い感情が芽生えそうで少し自分が怖い…。
「なぁ、それ、やめてくれないか?」
「ひぇ…!?」
唐突にリーティアが振り返ってそう言った。何の事を言ってるのか判らず、咄嗟に間抜けな声が出てしまった…。改めてリーティアに何の事か聞き返す。
「え?『それ』って…どれ…?」
「その…なんか、じーっと背中見るやつ…。なんか気持ち悪いんだよね」
え…ヤバイ…。バレてた…。
まさかバレてるとも指摘されるとも思っていなかった俺は、すっかりわけが分からなくなってしまった。
「いや!えっと、その…すまない…!その、美しくて…つい…!」
「あっそ…。ま、いいけど、もうやめてね」
やや暗くなってきた景色に隠れてリーティアの表情は窺えない。が、声の調子からは相当不快に思っているらしい事は分かった。
まずい…。このまま機嫌を損ねれば途中で案内をやめてしまって捨て置かれるかも…。そうなってしまえば、こんなどことも知れない森の中で俺は行き倒れ決定してしまう…。どうにか機嫌を取らねば…。
そうと決まれば、疲れて遅れがちになる足を奮い立たせて、リーティアとの距離を一気に縮めて横に並ぶ。
「なぁ…リーティア、その…本当に悪かったよ。ごめん!」
「いいって。分かったよ。」
むむ…。まだ機嫌は悪そうだ…。
「しかし、リーティアって、男性なのにスラッとしてて、綺麗だよな!最初女性かと思ったよ!」
「はぁっ?!」
「いや!ちがっ!そうじゃない!ごめん!」
何言ってんだ俺は!それ『女性と間違えた』って言われて喜ぶ男がいるかよ!しっかりしろ!俺!
「リ、リーティアはさ!彼女とかいるのか?いや、いるだろうなぁ…。見て見たいなぁ…!きっとすっごく美人の素敵な女性なんだろうな!」
「……」
「な?リーティア!」
どうだ…?これだけの美形で彼女がいないんて言わせないし、彼女のこと褒められて悪く思う男なんていないだろう?
しかし、この時の俺は、リーティアの表情が全く見えていなかった…。少しでも冷静になってリーティアの表情を見ることができていたら、今の俺の言葉が全てリーティアの上を虚しく飛び越して行った事に気付けただろうに…。
「……」
相変わらず沈黙だけを返してくるリーティアの後ろ姿に、寒い物を感じてた俺が、再びあの、と口を開きかけたその時
「あのさ…」
振り返ったリーティアの表情は見えなかったが、それがまた、起伏のない声色を補って恐ろしく感じた。
「もう少し歩くと、入り組んだ道があるが、そこを抜ければもう村の入り口だ。そんなに時間もかからないはずだ」
怒気を孕んだまま話すリーティアに、思わず息を呑んだ俺の喉が、ただっ広い空間に響き渡る。妙に騒ぎ立てる心臓の音を無視しながらリーティアの次の言葉を待った。
「で、だ…。今夜の寝床を失いたくないなら、お願いだから、その口を閉じていてくれないか?」
呆然と立ち尽くす俺に、リーティアが続ける。
「村に入っても、なるべくなら、口を開かない事をお勧めするね。村にいたいならね」
そ、そんなに…?
「ど、どうして…」
言いかけた俺に向かって、人差し指を口にあてて見せる。喋るな、と言うことか…。
「あんたみたいな人間は今まで見たこと無いけど、多分嫌われるよ…」
だから、ダメだよ、と言い残してまた歩き出してしまった。
既に辺りは薄闇が迫っている。このままリーティアの背中を見失っては人のいる所へ辿り着くことが絶望的になる。
俺はこれ以上リーティアの機嫌を損ねない様に注意して、少し後ろを歩く様にした。なるべく背中をみないように、口を開かないように…。
リーティアも、その後こっちを振り返るような事はしなかった。ただ、心なしか歩く速度は若干落ちた気はする。
それでも歩いている内に距離は開くと、リーティアへの恨み言が心の底から湧いてくる。
別にいいじゃねぇか…背中くらい見てたって…
『俺みたいな人間』ってなんだよ…
わかんねぇよ…何であそこまで言われなきゃいけねぇんだよ…
俺はすっかり落ち込んだ気分のまま、頭に浮かぶリーティアへの文句を喉の奥で押し殺しながらだんだん見え辛くなってくる背中を追いかけて、とにかく足を動かし続けた。