必要の無い俺、追放される
沈んでいた意識が急激に掬い上げられるような、朝の目覚めに良く似た感覚に、俺は意識を取り戻す事を自覚した。
待てよ?そもそも意識を失っていた…?いつ…?
疑問とともに取り戻した意識は、深酒をした次の朝の様に、不快感で満ちていた。
取り敢えず、虚ろな目を彷徨わせ、脳に届けるべき映像を悪戯に探し続ける。
ここは…?何だっけ…?
急な身体の運動により、脳がびりびりと、ゆるい痺れを産んでいく。
頭を左右に振ってみても痺れはとれず、思考の一つも浮かびそうにない。
何が、どうなってるんだ…
不意に、一面を覆い尽くす白い光が生じて体を包みこんだ様に感じた。
思わず身構えるが、相手が光では何の対策のしようもない。精々目を手で覆う事でその眩しさから少しでも逃れる事を期待したが、効果があった様には感じられない。
「何なんだ…、どこだ、ここ…?」
『さぁて、どこでしょうねぇ?』
おわっ…!
答えを望んでのことではなく、独り言のつもりだったのに、自分ではない声がそれに応えたせいで思わず身を竦ませた。…跳ね上がる様な心臓の音がうるさい。
声のした方向に向き直るが、相変わらず目は一面の白以外を映す事が出来ないでいる。
『無〜駄ですよ♪あなたに姿は見えませんし、見せる気もありません。』
嘲笑うかのように謎の声は楽しげに続ける。状況に相応しくない、弾むような女の声は、こっちの神経を逆撫でする。
体調も、環境も、この声も、不快感しかない…。
「…誰だ・・・?」
『ナーイショでっす♪』
…イラつきを取り繕う労力も惜しいのに、語気を強めた俺の声に対して、怯んだ様子もなく先程と同じ調子の声が返ってきたせいで、こめかみの辺りが震えるのを感じる…。
落ち着け…。相手は脳天気な女だ。ただ頭が悪いだけ。まともに取り合う必要なし。深呼吸深呼吸…。
『一つずつ、順を追って考えてみましょうよ。まずは、あなた、自分の名前言えますか?』
はぁ…?馬鹿にしてんのか?名前ぐらい言えるわ。
『おなまえはー?なんていうのかなー?』
苛立ちながらも口に出そうとして、違和感を感じた。
「……」
口を開くが、名前を言おうとすると声が出なくなる。
え…?いやちょっと待って、こんなの、おかしいだろ…?
『あれれー?どうしたのかなー?』
いや、うるさいちょっと黙ってろ…。
さっきから何度も名前を言おうとはしているが口に出そうとする度に口に違和感が走って動かなくなるし、頭は真っ白になるし、状況がさっぱり掴めない。
何なんだこれ…!?
普通、思考を巡らせるまでもなく浮かぶはず自分の名前が、どれだけ記憶を辿っても思い当たらない。いや名前どころか…。
「なにも…浮かばない…?」
探るべき記憶が見つからない?まるでPCからOSだけ残して綺麗さっぱりデータが消えてしまった感じ、と思い浮かべながら、自分の考えの不自然さに気持ち悪さのみが残る。
…いや待て待てなんでPCやらOSやらは覚えてんの?何これ何なの?
『ふんふん、これは重症ですねぇー』
はぁー…!?なんか知ってんならさっさと教えろよ!
こちらの神経を逆撫でする謎の声に向かって、俺は全力の怒りを込めて鋭く睨みつけた。
『仕方ないですねぇ…。じゃ、あなたの状況だけは教えてあげますね。一度しか言いませんから良く聴いててください。途中で口を挟んだら続きは話しませんからね』
え…?ちょっと…
『まーずーは…、あなたは死にました!デデーン!』
…いや、デデーン!と違うわ!
ご丁寧に効果音までその口(?)で付けてくれた謎の声に、心の中でツッコミを入れるのが精一杯な俺は、ついうっかり阿呆みたいな一音を溢してしまった。
「……、は・・・っ!?」
『ちょっとぉー?』
即座に不機嫌そうな声が返ってきた。しかし文句を言いたいのはこっちの方だ。突然の死の宣告に驚き、理不尽に叱られた俺の怒りは既に頂点を超えていた。
「ふざけんな!!死!?はぁ…!?どういうこと!?何で!?ちゃんとわかるように説明しろ!」
『だぁかぁらぁ』
「いや、もう無理…。何この状況…。本当無理。そもそもこの女の話し方が無理。頭痛い。ムカつく」
『はぁ?』
うっかり思っただけの言葉まで口をついて出ていたらしい。
耳聡い謎の声はすぐさま不満を含んだ声で返してきたが、この際構うことなく怒りの全てをぶつけてやろうと、思いつく限りの罵詈雑言を並べ立てた。
「だいたい、何なんだよ、その喋り方。だらだらだらだら…」
クソ女、だとか、男を舐めるな、だとかまで口走った所で相手が静かになった事に気づいた。
『・・・・・。』
やっと会話する気になったか。よしよし。
「……」
ん…?
「……」
待って、声出ない。何これ…。
「ンフー!ン、ンフー!」
え、何何何…!?待って声でない待って本当いき苦しい…!
『……』
え、ちょ…これ首も締まってるって…!待って本当苦しいって!何これ何これ!
か細く洩れる息すらも惜しい、と懸命に空気を吸おうするが、締め付けられる首の痛みに悪戯に息が逃げて行き、堪えることすらままならない。真に恐ろしいのは、自分の首を締め付けている相手の姿が一切見えない事だ。
く、くる・・・しい・・・。
混乱を極めていた頭の中が、あまりの事に諦めに向かって一気に加速して行く。
ああー…これもうダメだあー…。声出ないし力強まってるし…。無理。死んだわ。いや、死んでるんだっけ…
『おい・・・』
!?
唐突に低く響いた声は、やはり姿が見えず、先程と同じ類の声だと思われるが、同じ声なのかは確信が持てない程度に雰囲気が変わっていた。
『この一度だけは許す…。だが次はない』
気付けば首を締め付ける力は僅か緩められ、呼吸は楽になっていたが、にも関わらずその声が持つ得体の知れない恐怖と威圧に俺は一言も発せられずにいた。
開放された今も全身が竦んでいるせいで相変わらず呼吸はままならない。
短く淡々と告げられたその言葉は、決して強い口調ではなかったが、ただ首を縦に振る以外の選択肢はなかった。
瞬きする程の間の静寂の後、謎の声は再び、元の明るい口調で話を始めたが、俺には一切口を挟む気は起きなかった。
どうやら、自分は本当に死んだのだ、理解した。理解できない超常の力が自分を脅かしたと言う事実が、謎の声が語る内容が真実なのだと自覚させる。
詳細は明かされなかった為、何故死んだのかはわからなかったが、代わりに、ここが何処なのかは知ることが出来た。
俺は生前、地球の、日本で暮らしていた。
『何処にでもいる平凡な、取り立てて挙げるような功績もない男』
俺のことを、この謎の声は簡潔にそう言い表した。
ある日、なんの異常性も事件性もなく、極めて正常に(正常な死って何だよ…)死を迎えた。
生物はいずれ必ず命が尽きる。そういった魂は、一定期間をおいて星に還元された後、再びその星で再構築される様手配される。
だが俺の場合は違った。地球を管理する者が魂の再受け入れを拒否したのだ。
本来、星の住人はその数を厳しく管理されている。時に植物や鉱物に、時には動物や、再び人としてその魂を循環させることで星は動き、エネルギーを生み出して成り立っているのだ、と声は語った。
星の存続において、最重要とされる【魂の循環】故に、本来は俺もその流れに組み込まれる筈だった。
『難儀よねぇ…地球の【管理者】も…』
心底同情するとばかりに謎の声は言った。
こっちにも同情してくんない…?
循環している魂が一つでも減れば、その生態系に及ぼす影響は計り知れない。その事は【管理者】も分かった上で、それでも、俺は循環のシステムから省かれたのだという。
曰く、「必要ない」と・・・。
え…?俺そんな害なの…?
さすがに見兼ねた異なる世界の【管理者】である謎の声が、自身の管轄から代替の魂を転生させることで、地球はそのバランスを保つ事ができ、事なきを得た。
そのようにして、地球から間引かれて、その【異世界の管理者】=謎の声によってこの場所へ導かれたのが俺なのだ、と言う事だ。
『ま、詳しく聞いた訳じゃないけど、間引かれたってのも何となくかわいそうと思って、肉体は記憶から再構築して魂を入れてみたけど…。世界を超えた場所で再構築されたからか、記憶に欠陥が出ちゃったみたいねぇ…』
『可哀想に…』と謎の声は言ったがその調子は明るく、同情のかけらも感じられない。
俄かに信じ難い話ではあったが、疑問を挟む余地など、さっきの様な未知の恐怖の前では生まれる物ではない。
「【異世界転生】」
ふと、脳裏に浮かび上がった言葉が、無意識に口から飛び出した。
次の瞬間には己の不覚を悟って内心で悔いた。まだ口を開く許可は与えられていなかった筈だ…。だが、予想に反して明るい声が返ってくる。
『あらら?何か思い出したのかしらん?』
思い出した、というよりは思い浮かんだという感覚が正しいか…。口をついて出た言葉の後を追うように脳にはある映像が浮んだ。
猛スピードで流れる文字の羅列。一心不乱に文章を追いかけ、ページを捲る自分の手。
どこでどのようにしてそれと出会ったのかは記憶の欠片も無い。だが、確かに物語は頭の中に残っており、それらの主人公は【異世界】に転生する事で人生のやり直しを達成していた。
この状況は…やはり…
ーもし転生できたらー
生前にそんな事を考えながら読み進めていた気がする。もし、今それが叶っているのだとしたら…。これから俺は『チートスキル』と呼ばれる能力を手にして、まるで物語の主人公のように異世界で大活躍する事になるだろう。血沸き肉踊る様な大冒険、知識を活用しての成り上がり。誰もが俺を崇め、金も女も思うがままに…。
それならばこの状況も幾らか楽しい物になる…。思わず口角が上がり、よだれが湧き上がる。
『楽しそうな所悪いんだけど…、それはないから』
謎の声にすかさず釘を刺された。
やはり世の中そんなに甘くないと言うことか…。肩を落とす俺を置き去りに話が続けられる。
『これからあんたには、異世界に飛んでもらう。それは間違ってないけどね。別に何か使命を持たせるわけじゃないから【特殊能力】なんか渡さないし、世界の環境的にあんたのいた所と大して変わらないから、能力が向上するなんて事もないだろうねぇ…』
呆れたような声は、こちらの願望を見事なまでに打ち砕き、更に切って捨てるように追い討ちをかける。
『精々が、【病気にかかり辛くなる】とか、【運がちょっと良くなる】くらいじゃないの?』
はい…ー?
盛大に肩透かしを食らった俺は既に憧れの異世界生活に何の魅力も見出せず項垂れるしかなかった。その足元に淡く、黄色い光が湧き上がってきた。
え?え?もう?
『じゃ、そろそろ行ってもらうけど、最後に何か聞いておきたい事ある?』
ここにきて漸く質問が許されたが、足元の光を見るに、あまり猶予なさそうだ。
「お、俺は向こうで何をすればいい…?!」
『は?別になんでもいいんじゃない?』
「……」
全く頼りにならない回答に呆然としていると、足下の光に照らされた体の部分が透け始めた。突如始まった転送に動揺を隠せずにいるのもお構いなしに、光は強さを増していく。
『そうそう!』
不意に思い出したように謎の声が叫ぶ。
『あっちであんたに近い種族とくらいは言葉が通じるようにはしてあげるから』
「は?」
反応する間もなく湧き上がった光によって全身が包まれ、刹那、弾けた眩さに思わず目を背ける。何かしらの衝撃を想定して、咄嗟に身を庇うように右腕上げた。
『いってらっしゃーい!』
謎の声がいっそう楽しそうはしゃぐ声が遠くで響いた。
…何だこれ…
気付けば光はすっかり治まり、辺り一面は一転、足元には草花が茂っていた。
頭上のまだ高い位置にある陽は容赦なく照りつけ、肌を少しずつ焼いていく。
その痛みとも痒みとも似た感覚が、これが現実の出来事だと男に知らしめる。
「はは…マジ…で…か…」
使命も、能力もない…。なにも持たず、与えられず放り出された世界でこれから俺は生きて行かねばならないのか…。
「何をどうしたら良いんだよ…」
あのクソ女、と毒づきかけて、慌てて口を手で押さえて出掛かった言葉を飲み込む。咄嗟に当たりを見廻すが、特に異常は感じられず、疑問に応えてくれる者もいない。
己の身が無事な事に対しての安堵と、去来する心細さに堪り兼ね、堪らず力が抜け落ちて膝から地面煮崩れて行く。
耳の傍を風が抜ける音がする。
目はどこともなく一点を朧げに映し続けているが、脳はその処理を始める様子はない。
こうして意味も目的も与えられなかった男の物語は始まったー…てか…。