第八話 素直馬鹿な落第エクソシスト
翌日の早朝のことであった。
秋とはいえ、日が昇っていないので非常に肌寒かった。とはいえ、空気が澄んでいることと騒がしくないことがウォーカーにとって唯一の救いだ。
そんな彼女はクローリー神父の住んでいる教会に訪れた。扉をノックをして、挨拶と用件を言う。
この家の主は、早朝に何事かと怪訝な顔をしながらも来訪者を出迎える。
「クローリー神父。あなたが教義違反をしているかを調査しに来た。心当たりはあるはずだ」
「いえ、私には全くありません」
クローリー神父は本当になにも理解していないようで、教義違反のことについて必死に考えているようだ。
「本当に思いつかないのか?」
「ええ、全くありません」
「カナトスの泉と言えば分かるか?」
「ヘラ神教の司祭をやらさせて頂いている身でありますからそれは当然知っていますよ」
「なら、婚前の女性に対するカナトスの泉の儀式のやり方は分かっているな?」
とウォーカーは問う。
「ええ、勿論です。水瓶を泉に見立てて、そこに一輪の薔薇を浮かべます。そして、そこに婚前の女性の血を垂らすんです。その血を垂らすという行為が、ヘラ様に若さを捧げるという意味合いを持つようになりますから」
「そうだ。しかし、クローリー神父はこの後も別の行為を行ったと聞いている」
「別の行為ですか? そんなのは全く心当たりがありませんよ」
「おまえは婚前の新婦であるナナ・リタリーと姦通したと聞いている。その真意を答えろ」
とウォーカーはクローリー神父を詰問する。
「姦通? そんなことはしていませんよ。私にはそのような記憶は全くありませんよ」
「朝まで一緒にいたはずだ。何故、そのことに不信感を持たない?」
「いえ、不信感は持ちました。持ちましたが、僕にはその行為の記憶がないんです」
「行為の直前の記憶は?」
とウォーカーは更に問い詰める。
「私に記憶があるのは、ナナさんが教会に訪れてお祈りをし始める所までです。そこからはぷつりと記憶が途切れているんです。なので、彼女が浮気しただとか、僕が彼女と交わっただとか、全然分からないんですよ」
とクローリー神父はなおも主張を続けた。
「なら、別の誰かがやったとでも言うつもりか? おまえはたった今、ナナ・リタリーと接触したということは認めているんだぞ」
「はい。矛盾はしていますが、これ以上正直に申し上げることは出来ません」
「なら、ナナが嘘を付いているということだな」
とウォーカーはクローリーにもう一度念を押すように言う。
「それは……彼女が言うのだから嘘は付いていないんだと思います。しかし、私にもその記憶が全くない」
「なら、神父は自分の過ちを認めるのだな?」
とウォーカーは冷ややかに言った。
「記憶や証拠がない以上は認められません。けれど、ナナさんの言葉を嘘だとも言いたくないんです」
「都合がいいな。彼女に対する罪悪感か?」
とウォーカーはクローリーを馬鹿にしたような、冷たい口調で言い放つ。
「事実を申し上げているだけです」
とクローリーは、彼女に対して弱々しく言葉を返した。
すると、突然教会に割って入ってくる者がいた。
「こんにちは、クローリー神父。こんな朝早くから失礼します」
と言って一人の少女が教会の扉を開け放ち、ずがずがと入ってくる。
「ええ、おはようございます。レイさん」
「神父。さん付けだなんて結構ですよ。私のことは気軽にレイって呼んでください」
とその少女は笑みを向ける。笑顔が良く似合う可愛らしい顔とブロンドヘアーに、宝石のように美しい碧眼が印象的である。そんな彼女は目を細めて、ウォーカーの方を見てくる。
「なんだ、こっちの方をじろじろ見て」
ウォーカーはいきなり向けられた眼差しに対してどう対処すればよいか分からなかったため、酷く戸惑っていた。
「あなたですか。噂のウォーカー・ウォーカーは」
「ああ、そうだ。それで何の用があるんだ?」
「あなたはナナ・リタリーさんに依頼されてクローリー神父の身辺を調べ回っているとかなんとか」
「いや。私は神父にお祈りを捧げに来たんだ」
とウォーカーはレイに対して、平然とした調子で嘘を付く。
「そんなことは無駄だと思いますよ」
「馬鹿にしているのかお前は?」
「あなた、綺麗ですけれど怖い顔をしているんですよ。私みたいに優しい顔をしていないと、男の人は寄ってきませんよ」
と言って、レイは笑顔を作って見せた。
「お前、馬鹿だろ」
「なっ? 筆記試験は満点ですよ。馬鹿じゃありません」
「頭の回転は良くない、だな。正しくは」
とウォーカーが返すと、レイはかっとなっていた。
「ふん」
と彼女が、鼻で笑う。
するとレイは益々ムキになる。
が、すぐに本題から逸らされていることに気付き、本題へと軌道修正を行う。
咳払いしてから、弁を始める。
「決定的な証拠も何も、クローリー神父はとても良い人なんです。人間的に優れている人格者なんですよ」
「考えることを放棄したか、馬鹿女が」
ウォーカーは、何も考えずに人を信じる彼女を見て不快に思い、思わず鋭く切り返した。
「なっ? 私達の真似事をして、金を巻き上げているあなたに言われたくありません」
とレイは、自分のことを侮辱されたことに腹を立てたようで、ウォーカーに負けることなく言い返す。
「確かにウォーカーは世間に認められているとは言い難い仕事だが、お前の物差しで測られるのは不快だ」
「ウォーカーの方々は悪魔を飼い、我々は味方である天使を使役して戦っています。それに、お財布にも優しい。正義はこちらにあります」
「そのことについて色々と疑問に思うことがあるが二つだけに絞ろう。一つ目は、結果が同じならどのような手段を用いてもいいということ。二つ目は、お前らの言う悪魔や天使というのは所詮お前らの主観に過ぎない。私は悪魔に力を借りながら戦っている。お前らが天使を使うようにな」
「一つ目の言葉の意味は分かりました。しかし、二つ目の言葉の意味は分かりません」
「お互いに味方だと思う者の力を借りて、同じような結果を残しているんだ。だから”悪魔を使役している”という理屈でウォーカーを下に見るというのはおかしい話だ」
「でもでも、ウォーカーの方々は財布に優しくありません。私達、教会のエクソシストは庶民に寄り添っています」
とレイは今現在言い争っている議論ではこちらに勝ち目は無いと思い、観点を早々に変えた。
それを聞いたウォーカーは、レイの意図を見透かしていて面白くなりにやりと嫌味な笑みを浮かべた。
「なんです?」
「国民に寄り添う教会、どうせゼウス神教(ゼウス神教はこの国にある十二の宗教の中で最も勢いがある)だろう? そこのエクソシストが何故金を取るんだ?」
「最低限のお金がなければエクソシストが機能できなくなるからです」
「人件費が大きいんじゃないのか?」
「確かに。ゼウス神教のエクソシストは一杯いますね」
「そうだろう。なら、総合的に見てお前等の方が金を取っているんじゃないのか?」
とウォーカーは疑問を呈す。
「確かに」
「教会の人間は奉仕の心を持って職務を遂行しなければならない。それなのに、何故国民からお金を取るんだ」
「私達はなんて罪深いことを……」
とレイは落雷に打たれたようなショックを覚えている様子だ。
「それともう一つ言いたい事がある。大体、天使といっても本当に我々の味方なのかという疑問が残る。今は人間側についている方が有利だから味方になったり協力したりしているというだけで、実際は悪魔共よりも凶悪な思想を持っている可能性もある。今現在の我々の主観で、善悪を決めるのは愚かなことだと思うのだが?」
とウォーカーは更にレイを追い込む。
「ということはあなたは天使の中にも悪い天使がいて、悪魔の中にも良い悪魔がいるというつもりですか?」
「ああ。人間の主観がある以上はそういう可能性があることもあるだろう」
「おお……非常に深い話になってきましたね……」
とレイはウォーカーの言葉に反論せずにすっかり彼女の言葉に聞き入っていた。
「それと同じく、クローリー神父が絶対な善人と言うのは難しいだろう。現にナナ・リタリーからクローリー神父が教義違反をしているという声が出ているのだから」
とウォーカーはレイに文句を言わせないために、更に続けて説明する。
「エクソシストと違って、ウォーカーは宗教審査もするんですよね」
「ああ、そうだ」
とウォーカーは頷く。
「本当なんですね。ウォーカーで働く方々は十二神教全ての教義を完璧に暗記していると聞きます。とても凄いですよね、それって」
「ああ。二年前から追加された業務だな」
とウォーカーは返す。
ウォーカーが入って三年が経過するころから、このような宗教の審査依頼が増え始めていた。それはオリュンポスに住まう十二神を中心にする宗教全てがアースの国教である。そのことは国教が十二教あるということを示唆するものである (正確にはいくらか統合されたり廃止されたりする宗教もある)。それが十二神教の教派が一つずつだったため、教義ごとに対立するということは比較的少なかった。しかし、神話の研究者であったり、熱心な信仰者が、より神の教えに近づこうと新たな教義を信じる流派を作り出して行き、十二神教は複雑さを増していった。
このことにより対立が激化してしまい、社会問題と化していた。
それを解決するためにエクソシストにその業務を受託させようとしていたが、ゼウス教枢機卿(エクソシストの大半がゼウス教に属する)であるエヴァンス・レオは近年見られる人間の心理の悪化による影響で悪魔が憑りつくことが多くなり、エクソシスト自体の負担は倍増している。その上に、宗教審査業務を強いるのは非常に難しいと反論したのであった。
「でも、ウォーカーの方々って人数は少ないって聞いていますが大丈夫なんですか?」
とレイは疑問を口にする。
「特殊だけど、なんとか成立している。それに、メインに議論されるのはこのような婚姻に関する問題、つまりヘラ神教の問題と、国民の大半が入信しているとされるゼウス神教の問題の二つが大半だからな。他の神教の勉強は後回しにしてしまっている」
とウォーカーは答える。
「成程。全部が全部を完璧にやるという訳ではないんですね」
「そうだな。所で、疑問に思ったのだが何故エクソシストのお前がこんな教会にいるんだ?」
とウォーカーは首を傾げた。
「あの……すみません。お話を続けるなら別の所にしていただいてもいいですか?」
とクローリー神父は気まずそうな顔で二人のことを見つめていた。
「あっ、あの、し、しぐ、すぐにここを出ます」
と言ってレイは慌てて出て行った。
「無用なのに長居して失敬した」
とウォーカーは平気な様子でこの場を後にしたのであった。