第二話 勇気のない私は許されないだろう
前回の続きです
ウォーカーは姉のアイナと二手に別れて村の外の森林に逃れていた。ここは地元の者でなければ、非常に複雑で分かりにくい作りなのでこの土地になれないゴールズの者達でも苦戦するだろうと踏んでいた。
彼女はきっとアイナも生きているだろうと思い、二日の間眠らずに逃げ回っているのである。
疲れて、倒れそうになっている時に視界の端で自分の姉の姿を捉えた。
疲れて、ふと休もうとするとアイナと、アイナを追うゴールズの輩の姿だ。アイナは息も絶え絶えで、時折転びそうになっているから相当長い時間逃げ回っていることは推測出来る。
ここで助けなかったら時期にアイナは捕まってしまうだろう。とはいえ、コーキンスをあっけなく殺した武器を持つ者が何人もいる。そんな奴らを倒し、あるいは欺いて彼女を助け出すことが出来るのか? 非常に絶望的な問題だった。
息を殺して、様子を窺う。どうすればいい。考えれば考えるほど、その後のことが恐ろしくなっていた。無意識に自分の親指を噛みながら、どうすればいいかを考える。
ただ、考えるだけだった。その後の行動に出ることは出来なかった。
そうしている内にアイナは捕まってしまう。黒いローブの従者達は銃で威嚇して引きずり回して連れて行くという非常に乱暴な方法を取った。
最後にアイナと目が合う。ウォーカーは自分の未熟さすらも赦したかのようなその目が恐ろしくて、それでもホッとしていた。酷い風邪を引いたかのように身震いをさせていた。自分の首に掛けてある円の中に十字のあるロザリオを握りしめる。
また、父がこのロザリオの由来を解説している時のことが思い起こされる。
「この十字が円の中に囲われている理由はね、狩りや農耕で得た食べ物を始め、自然と調和を取るという意味を持ったシンボルなんだ。丸は調和の象徴で、十字は我々を生かすための犠牲に対する感謝。自然に生きる我々にこそ、このロザリオは相応しいんだ」
それを思い出して、父が死ぬ時を思い出して涙を流した。しかし、その後から怒りがふつふつと湧き出す。
「私達はゴールズの犠牲になったのか? いや、違う。こんなのは不平等だ。暴力で、非力な私達を蹂躙するなどあってはならないことだ。ゴールズ、この復讐は必ずチビナ村のウォーカーが成す」
そう思ったウォーカーはまた二日掛けて村へと戻っていった。
かつてチビナ村だった場所には悲惨な爪痕が遺されていた。虐殺されたことにより倒れている村人の死体があり、畑が荒らされている。村人の住む家も焼け出されてしまっていた。
「あの後、村を燃やされたのか」
ウォーカーは変わり果てた村を歩いて見て回った。そうして変わり果てた部分を目撃するたびに小さい思い出が生じて、彼女に涙を誘う。
「神はいないのか? 教えを死んでまで守り抜いた人間が沢山いるんだぞ。この村には。神がいるというのなら、この村が豊かになる奇跡と、ゴールズに天誅を与える力を寄越せ。神がいるというのならな。神がいるというのならば……な」
散々叫び終わって、神がいないという風に悟った彼女の心にはさざ波程の乱れも現れることはなかった。
ウォーカーは村人達の死体を全て土葬した。それですっかり日が暮れたのでそのまま眠ろうと考えた。かつて自分の家だった場所は幸い、屋根が多く残っている方だった。石造りのテーブルが残っていたのでそれをベッドにして眠りに就いた。
しかし、ここが村ではなくなったが故に起こることが一つある。
ウォォォォン。静寂な夜に雄叫びが響いた。
ウォーカーはそれに起こされた。夜行性の動物が来ているのかと身構えた。ここが村だった頃には考えもしなかった恐怖だ。
彼女は静かに歩きながら、慎重に外の様子を見に行った。すると、そこには五頭程の狼がいて、家を囲っているのである。
「ゴールズに捕まるよりはマシか? いや、あいつらへの復讐を果たすまでは」
狼を先程まで恐ろしいと思っていたのに、不思議と体の底から力が湧いてきた。蛮勇というのか、自棄というのかは今の彼女では判断はつかない。
そんな彼女はそんな思考状態なので、狼へと踊りかかった。一頭の背中に乗り、力強く掴み首筋を噛む。
狼はいきなりのことに驚いているのか、激しく抵抗している。
それをウォーカーは堪えた。首元に腕を回し、狼の首を絞めた。
すると、狼はくぅんと小さく呻いてその場に倒れていった。
それに動じず、狼等は一斉にウォーカーへと飛び掛かってくる。
さすがに四頭は相手に出来ないとウォーカーは考えて、なにか武器になるものはないかと村中を駆けずり回った。だが、全くと言ってそんなものが見つかることはなかった。
「くそ。狼四頭なんて私にはとてもじゃないが無理だぞ」
ウォーカーは逃げながら考えようとするが、疲れが足に来て動けなくなってしまう。
それを機と思った狼達は彼女に襲い掛かる。
ウォーカーがここで死ぬのかと覚悟した時のことだ。
『ウォーカー。君の体の一部を僕に貸してくれ。無神論者同士だ。きっと仲良くなれるからさ』
そう、人懐っこいような、馴れ馴れしいような、調子の良い声が聞こえてきた。
ウォーカーは幻聴だと断じて、その言葉を無視した。
『無視をしないでおくれよ。君、間もなく死ぬよ』
「これが私に対する罰か? 姉を見逃した私への罰だというのか?」
『君は神を信じることを止めたんだろう? なら、これは罰でも親愛なる信徒への試練でもない。紛れもない現実さ』
「私はこんなにも非力だというのか?」
ウォーカーの手に汗が生じてくる。
『僕は力を貸して、君は体を貸す。等価交換だろう?』
「嘘だ」
『いいや、事実だ』
「私は、最期まで助けを求めるのか?」
と自問自答した所で、狼五頭に四肢の肉を食い千切られる。
あまりものの激痛にウォーカーは倒れ込んだ。
『君。一杯血を噴いているし、このままだったら絶対に死ぬよ』
「たっ、助けてくれ……神でも悪魔でもなんでもいい。誰でもいいから……私をこの痛みから救ってくれ」
ウォーカーは気が動転して独り言をぶつぶつ呟いていた。空を仰ぎながら、見知らぬ幻聴の主に助けを求めていた。
『契約成立ってことでいいかい?』
「ああ、助けてくれ」
『僕は君達が禁忌とする悪魔さ。それでも悔いはないかい?』
「早く、助けろ。悪魔でもなんでもいいから」
とウォーカーは話の内容もろくに聞かずに頷いた。
「オーケー、マスター。これからもよろしく頼むよ」
と声を聞くと、ウォーカーはすっかり安心して意識を失ってしまった。
翌朝。
ウォーカーは欠伸した後、体を伸ばして起き上がる。腕を振り回し、その場で足を上げたり曲げたりしてみる。
「昨日は両手足全部狼に食べられていたと思っていたがあれは夢か? いや、夢にしててゃ随分リアルだったような……」
とウォーカーは昨夜の出来事を考え込んでいると、ふくらはぎ辺りをなにか小さいもので突っつかれたような感触がした。はっとして、振り返ってみるとそこには小さな少女がいた。紫色の髪をした少女だ。幼い顔立ち、紅潮したかのように血色の良い肌、未成熟な体は子供そのものである。ウォーカーはその容姿の可愛らしさや愛くるしさよりも、何故傍にいるのかということを真っ先に思った。
「おはよう、ウォーカー。狼さんに食べられた両手足は治っているようだね」
「狼に食べられた? あれは本当の出来事だったのか?」
「そうさ。君が早く僕と契約を結ばないからこうなったのさ。デモンストレーションというのには少々過激だったのかもしれないけれどね」
「ならお前は私が手足を食いちぎられた後にノコノコと現れてきたわけか」
「だって僕は悪魔だ。君が了承しなければ何も手助けをすることが出来ない。その結果、君が死ぬことになったとしてもね」
「悪魔と自称するだけにあくどいな。とはいえ、私の両手足をくっつけた技量、あるいは魔法は認めざるを得ないだろう。この借りはいつか返す。とっとと去れ」
「いやいやそれは出来ないよ。君は僕と契約してしまったからね」
「契約? なんだそれは?」
ウォーカーは身に覚えのない言葉を聞かされて戸惑っていた。
「僕と君は一心同体さ。魂だけの僕に君は魔力を供給しているという形で体を貸しているんだ。だから今、君の目に見えているというわけさ」
「その約束をしたから助けてやったと?」
「そういうこと。それと僕の名前はノア。創世記で方舟を作っていた大罪人さ」
「おまえは災害が最後に起きる都市の民に方舟を与えて、真っ先に被害に遭う町の者には一切与えなかった悪魔だと聞いている」
とウォーカーは昔学んだことを思い出して話した。
「僕は騙されたのさ」
「なに? ”創世記”に記されていたこととは違うと言いたいのか?」
「ああ。僕の受けた神託と正反対のことが起こっていたんだ。だから町の人を助けることが出来ず、反対に大量虐殺者の汚名を着せられたというわけさ」
「その復讐のために神を信じない私を求めたか」
「そうだね。もっと正確にいうなら君以外と契約することが出来なかったって所かな」
「無神論者が私しかいないからか」
「ああ。無神論者としか契約出来ないんだ」
「そうか。確かに私は神を信じていないが、神を憎いと思っているわけじゃない。体を治してもらった手前言うのはなんだが、おまえの目的とは合ってないと思うんだが」
「そう、だね。でも、いいよ。神の復讐は、もうほとんど永遠と言ってもいいからね。だから、僕はね。君の体は仮住まいのようなものだと思うことにするよ」
とノアは言って、ウォーカーを責めるようなことはしなかった。
「なら、私の目的を果たすことを手伝ってくれ。果たしたらおまえを解放してやる」
「その目的は?」
「ゴールズの殲滅だ」