理不尽だった
「……」
教皇の屋敷の中を俺は歩いていた。
いや半ば走っていたかもしれない。
自分の体が自分のものでない気がする。
心が荒れ狂って渦巻いて飛び出しそうで、背中を見えない力で押されてるみたいに体は動いていて、自分で歩いているという感覚がなかった。
それくらい、俺は生まれて初めて我を忘れていた。
「教皇!」
それなりの立場だろうに、見張りも居ない部屋のドアを半ば突き飛ばすように開け放つ。
しかし中に居た教皇は、まるで俺が来るのを予想していたみたいに、大きな樫の木の机の奥で椅子に腰を下ろして、いつもの笑みで俺を見返していた。
「どうしたんだい。ノックをしないなんて君らしくない」
「アレは……なんだアレ。何なんだよアレ!?」
「はて。何のことだね」
「しらばっくれんな! どうせアレがアンタの見せたかったものなんだろ! ルーナだってそれを分かってて……」
叫んでいる内に、自分が言ってるその内容と、動じない教皇の姿に心が落ち着いてきた。
いや、多分虚しくなったんだ。
きっとこの怒りに意味はない。
こんなことをしてても何も変わらないんだって。
「……何を見たのかね?」
「……人が死んでた」
そう。あの三馬鹿に案内されたこの聖都で一番古いという教会。
だけどそこはとても教会だなんて信じられない場所で、むしろ地獄の入口だと言われれば信じそうな有様だった。
教会だと言われてもとても信じられない、不格好な石造りの建物。
掲げられた女神の紋章でかろうじて教会だと判別できるその建物の周囲には死体が転がっていた。
いや、それどころか教会へと近付くにつれて、そのあたりの道端にも人が倒れていた。
驚いて近付こうとした俺を三馬鹿たちが止めた。
どういうことかと周囲を見渡せばまだ生きてる人たちがいて、でも俺の方を羨ましそうに、妬ましそうに、光のない目で見ていた。
もし止められずに不用意に近づいていたら、多分俺は彼らにまとわりつかれて動けなくなってたのだろう。
「……生きてる人も居た。でも生きてるんだか死んでるんだか分かんない見た目で、教会から捨てられるゴミに我先にと群がってて……」
「うん」
「子供も……子供もいた。だけど他の大人に押しのけられて……いや違う。アレは……」
あの手は多分殴ってたんだ。
でも殴る力すらないから表面をなでるみたいに緩慢で。
でもそんな力でも、子供は力なくその場に倒れた。
獣みたいだと思った。
いや多分獣だってもっと上等な生き方してるとすら思った。
そして、そんなことを思った自分に吐き気がした。
「何だアレ。何なんだよ。あれ人間だよな。なんであんなことになってんだよ。何で誰も助けないんだよ。何でアンタはアレをほったらかしにしてんだよ」
「金がないからだよ」
「……は?」
言われた意味が分からず間の抜けた声が漏れた。
金がない? 教会の長が金がない?
何だそれ。何の冗談だ。
「人を助けるには金が要るんだよ。神聖魔術の使い手でも、飢えや病はどうしようもない。食事と医者が必要だ。そしてそれらはタダでは手に入らない」
「それくらいは分かってんだよ。何で教会に金がないんだよ。寄付だけじゃ足りないのか」
「さて。教会への寄付はそれなりにあるがね。君はそのうち真っ当に使われているのは何割くらいだと思う?」
「そういうことかよ」
以前カムナが言っていた。
教会の運営にだって金がかかるし利権もあると。
そしてそれらに群がる連中とも上手くやらないと教皇であっても簡単に追い落とされると。
「でもあの場に居る人を助けるくらいなんとかなるんじゃないのか?」
「ああ。なるだろうね」
「だったら!」
「でも一週間もしたら同じ状態になるよ」
「……」
言葉が出なかった。
何だそれ。何でそんな人間が補充されてるみたいに次々来るんだよ。
「この聖都には救いを求めて多くの人が来る。本当に、それこそ後がない、死にかけの病人すらも最後の希望に縋りつきやってくるんだよ。ここに来れば救われる。そんな曖昧な希望に縋ってね」
「……」
それじゃあまるでここに死にに来てるみたいじゃないか。
救われたくて死にそうな体でここまでやってきて、その末路がアレか。
何で放置してんだよ。
そんな文句みたいな疑問が浮かんできて、さっき言われた言葉を思い出す。
「……だからか。だからアンタは神子が必要だとか言ってんのか」
「ああ。金の亡者どもを追い出して、教会をまともな組織に戻す。そうすれば君が見た人以外にも、全てとは言えずとも救える人は増えるだろう」
そう言って俺の目を見てくる教皇の言葉に嘘はなかった。
でも。だからって。
「例えば神父様に頼むとか」
「やらなかったと思うかね。いや、逆らうものは皆殺しくらいの独裁ならやれたかもしれないがね。あの人にそれは無理だろう。彼はどこまでいっても英雄であり、英雄でしかなかった」
「……」
確かに神父様がどうにかできるなら、とっくの昔にやってるだろう。
でもそれこそルーナなら。
「あの『命令』でどうにかならないんですか?」
「ダメだね。アレはそれほど持続性はないんだよ。洗脳などはすぐ解ける。無から有を生み出すことも難しい」
「……いっそ殺すとか?」
「そうなればもう戦争だね。そして確実に私に味方する人間より敵の方が多い」
「アンタ人望ないんですか?」
「否定したいところだが、彼らが慕っているのは自分たちの邪魔をしない私だろうからね」
「マジかよ」
もうそれ教会という組織がダメになってんだろ。
いっそぶっ壊して別の組織作った方が……というには今の教会という組織がでかすぎる。
なんだこれどん詰まりじゃねえか。
個人がどうこうできることじゃない。
「これ仮に完全に本物の神子持ってきたところでどうしようもなくないですか?」
「まあ結局戦争することになるだろうね。しかし分かりやすい大義名分があるのは大きいよ。本物の神子が出てきても敵対するなんて『私は信仰より自分の欲が大事です』と宣伝するようなものだ」
「あー」
それならきっと待ってるのは破滅。
まともな損得勘定のできる人間なら、欲は抑えて神子に従うフリはすると。
「でもそれ結局隠れて不正するんじゃないですか?」
「だろうね。でも今のように大々的には無理だろう。少なくともマシにはなる」
「マシにはねえ」
要は教皇は自分の企みが上手くいっても、全てが解決して素晴らしい未来が待ってるなんて欠片も思ってないと。
現状が酷すぎるから少しでも「マシ」にしたいんだ。
それにしたって……。
「何で素直に神父様を味方につけなかったんですか」
「神父にとって神子は地雷だからね。ルーナの存在を知られたら、神父はきっと私を許さないだろう」
「そこまで?」
確かに神父様は白騎士と一緒に先代とも言える神子の存在を隠蔽したそうだが。
それにしたって同じ神子とはいえ、赤の他人であるルーナを利用しようとしただけでそこまでキレるか?
というかそもそもルーナは本当に神子なのか。
「……いきなりすいませんでした。頭冷やしてきます」
「構わないよ。むしろアレを見て怒らない方がきっと私は落胆したさ」
「あーそうですか」
やはり俺がぶちギレて怒鳴り込んでくるのも予想してたと。
ああ気に食わない。気に食わないけれど、感情に任せて暴れるのではなく今は考えなくてはダメだ。
それにしたって。
「……どうしろってんだ」
怒りは湧いたが、それで教皇に協力するかといえば話は別だ。
そもそも俺に何ができる。
本当にルーナと子供作って完璧な神子が産まれるのを待つ?
冗談じゃない。
様々な感情と考えが自分の中に渦巻くのを自覚しながら、俺は教皇の居た部屋を後にしてあてがわれた部屋へと歩き出した。




