化け物
半ば勢いで啖呵を切ってみたものの、世の中勢いだけでどうにかなるほど甘くないわけで。
「あっぶね!?」
むしろ勢いがいいのは相変わらず化物側だ。
こちらが景気よく咆えたのを聞いて狙いを俺に定めたまでは予定通りだが、その巨体に似合わない加速は山を落ちてくる巨大な岩石を思わせる威容と脅威だ。
要は当たったどころかかすっただけで下手をすれば死ぬ。
直撃しなくても、ちょっとどこかをひっかけただけで体全体を持っていかれて地面を転がり回る羽目になるだろう。
「くっそ! ここら全部更地にするつもりかこのバケモン!?」
当然そんなもんとまともにやり合えるわけがないので、威勢よく抜いた剣はただの飾りと化し、ひたすら逃げに徹している。
これでも少しは考えて森の木々を盾にして少しでも相手の勢いを殺そうとしているのだが、化物はそんなものお構いなしとばかりに木々をなぎ倒し迫ってくる。
おかげで常に意識して移動していないと、盾になる木がなくなりそうだ。
障害物がなくなればこの化物がさらにどれだけ速くなるのか。試そうとは思わないし試したくもない。
「ぶもおゥッ!!」
「本当に元イノシシかこいつ!?」
何度かの交錯の後に焦れたのか、化物が槍みたいな牙の生えた口を開き、雷鳴のように地に響き渡る鳴き声をあげる。
それだけでこちらの腹の底まで震えて来て、本能的な恐怖で膝をつきそうだ。
まだ狼などの普通の肉食獣の方が可愛げがあるし、何とかなりそうな気がしてくる。
「でもこのままじゃ埒が明かないよな……」
まったくもって気が進まないが、逃げ切れそうにない以上はこちらからも攻撃するしかない。
幸い避けるのにも慣れて来た、今ならすれ違いざまに一太刀くらいならあびせられるだろう。
そうやってチマチマと相手を削って……なんて気が遠くなる作業だ。
きっと俺が致命傷を与えるよりも、集中力か体力が切れてフッ飛ばされる方が早いに違いない。
「よっしゃ来いやぁ!」
だがやらなければ勝機は欠片もない。
ならやるしかないだろ。
俺の煽りを理解しているのかいないのか、化物が頭を下げ牙を突き出すようにして突進してくる。
厄介なのはでかくなっても相変わらず猪突猛進ではないということだ。どうしても避けるのがぎりぎりになる。
「ハアッ!」
それでもなんとか地面を蹴って体を化物の進路上から逃がし、多少無茶な体勢でも構わず斬りつけ――。
「ッ!?」
しかし瞬間感じた嫌な手応えに、思わず手をひいた。
そんな俺の躊躇いにも構わず、化物はそのまま勢いを殺さず通り過ぎ、そしてしばらくすると立ち止まりこちらへと反転してくる。
「……マジかよ」
ビリビリと痺れたように震える右手をちらと横目で見る。
全く斬れる気がしなかった。いやむしろあのまま引かなかったら剣を折られていたという確信がある。
毛皮が硬いのか、肉が硬いのか、あるいは両方か。
とにかく剣では無理だ。刃が通らない。
思えば大勢を相手にしていたはずなのに、化物に怪我らしい怪我がないのがおかしかったんだ。
比喩ではなく、人間の力では傷をつけることすらできない、正真正銘の化物だこいつは。
「いや諦めるな。考えろ。考えろ!」
思考を止めるな。神父様はいつだって言ってただろ考えろって。
武器が効かない。なら効く武器を持ってくるしかない。
どこから?
イチかバチかで毒性のある動植物でも探すか。
いや刃が通らないのにどうやって入れるんだよ。口から? 食うかこいつが?
「クソっ!?」
考えている間にも化物はこちら目がけて突進してくる。
ヤバい。対処法が全く思い浮かばない。
物理的に無理なら魔法?
使えたらよかったなこの魔力ポンコツが!
そんなことを考えている間にも化物はこちらへと迫ってくる。
「ぶもっ!?」
「……は?」
しかし突然その巨体を支える足が曲がったと思えば、その場で化物は四肢を投げ出すようにして這いつくばった。
「……え? 何だコレ?」
何が起きたのか分からない。
それまで我が物顔で走り回っていた化物が、見えない巨人にでも押さえつけられたみたいに這いつくばっている。
いや周りの地面がドーム状に凹み始めているし、化物だけじゃなくて周辺に圧力がかかってるのか。
不可視の力。
もしかして魔法か?
「まったく。君だけが無事だったんだから逃げればいいものを」
「え? カムナ?」
不意に声がした方を見れば、カムナがゆっくりとした足取りでこちらへとやってきていた。
ただその顔は蒼白で、足元もおぼつかない。
今にも倒れそうな様子で、ふらふらと歩いている。
「もしかしてこれも音楽の魔法なのか?」
「まさか。あんな魔術もどきにこんな力はないさ。それに完全に抑えきれたわけでもないしね」
「え? うわ……」
改めて化物を見れば、地面が凹むほどの力がかかっているのに足で地面をひっかいて少しずつ前進していた。
あれが化物ではなくその場にかかってるものなら、その場から離れたら化物は自由になるということだ。
そして今も前進を続けている様子からしてそれほど時間は残されていない。
「逃げるぞ!」
「待ちなよ。どうせ距離をとってもさっきみたいに追いつかれるだけだよ」
「でも!」
「少年。私は君に一つ嘘をついていた」
「は?」
突然何を。
そう聞こうとしたが、改めて視線を向けたカムナの顔が死人のそれのようで言葉につまった。
ちょっと待て。何でこんなに辛そうなんだ?
確かに最後に見た時も走りすぎて辛そうだったが、あれからそれなりに経ってるし回復しててもおかしくないだろ。
「どうせ君には関係ないことだし黙ってるつもりだったのだけどね。君は私たちを助けるために命を懸けた。ならこっちも懸けなきゃフェアじゃないだろう」
「何を……」
そこまで言うと、カムナは口を真一文字に引き結び右手を化物の方へとつきだした。
そしてしばらく間をおいて、ゆっくりとその口を開く。
「――火の精霊よ。古の契約の下、我が声に応えよ」
「え……」
そして紡がれた言葉は、ヴィオラも口にしていた精霊魔術を使うための最初の呪文の一節だった。
「――灼爛たる大地を覆うものは彼岸に集い蠢動する」
こちらの動揺も気にせずに、カムナは呪文を唱え続ける。
以前カムナは普通の魔術も使えるのかと聞いた俺に「いいや」と答えた。
魔術の知識は魔法ギルドが独占していて、一般人には知る機会などないと。
「――蝗旱は流れを呑み尽くし」
アレが嘘だったという事なのか。
でも何でそんな嘘を。
「――大火は恵みを屠り蹂躙する」
結局こちらが困惑し何一つ分からないまま、カムナは呪文を唱え終わり、瞬間化物の周囲が森の木々より高い炎の壁に包まれ飲み込まれていった。
化物の悲鳴が響き渡り、木々と肉が焦げる臭いがあたりを漂う。
炎の壁に阻まれて見えなくても、化物がなすすべもなくのたうち回っているのがなんとなく分かった。
流石のあの化物も、全身を焼かれれば死んでくれるのか。
「……助かった?」
化物の悲鳴が途絶え、そう呟くのとほぼ同時。
カムナは糸の切れた人形みたいにその場に崩れ落ちた。




